第百六十三話 普通と言った直後に、巫女侍が落ちてきた
その日は、皆で滝壺まで来ていた。
大掛かりな調査ではない。
岸へ新しく流れ着いた漂着物を確認し、使えそうなものがあれば回収する。あとは周辺を歩いて、何か変わったものが増えていないかを見る程度だった。
最近は、こういう時間を取れるくらいには平穏だった。
ティセラが見つけたオホ声粒子を、魔法、魔術、サイバー技術を組み合わせて抑え込んでからというもの、生活圏の周囲で起きる妙な現象はかなり減っている。
もちろん第五には隔離した異常資源が残っている。
鶏の木は「コケッ」と鳴く。バロメッツは「メー」と鳴き、綿雲虫も地面へ口を刺したまま「ジュオー……」と鳴いている。
だがティセラ曰く、あれらは通常生物である。
リーゼはもう、その分類へ異議を唱えるのをやめていた。
聖者だけは、いつものように皆から離れていた。
同じ滝壺には来ているが、かなり先の岸辺で漂着した木材を集めている。体質の影響を考え、必要がない限り女性陣の輪へ近づかないのはいつものことである。
シズクが滝壺を眺めながら、穏やかな声で言った。
「最近は、オホ声粒子を抑え込んでから普通に平和ですね」
「ああ。普通が一番だ」
リーゼは即答した。
その瞬間、ネイラとルヴァナが同時にリーゼを見た。
ネイラが少しだけ笑う。
「一級ですね」
ルヴァナも頷いた。
「うん。一級フラグ建築士」
「何だ、その資格は」
リーゼの眉が跳ねた。
「小官はそのような資格を取得した覚えはないぞ」
「資格じゃないけど」
「では何なんだ!」
ルヴァナが吹き出した。
「気にしなくていいって」
「言葉の意味は分からんが、貴様らが小官を馬鹿にしていることだけは分かるぞ!」
「察しよすぎ」
「貴様!」
少し離れたところで、スージーの猫耳が楽しそうに揺れていた。
「まあまあ。今回は本当に何も起きてないじゃない」
「そうだ!」
リーゼは胸を張った。
「第五以外の粒子濃度は下がった。周辺への異常な影響も減った。最近見つかった生物だって、草から羊が生える程度と、地面を吸っている一メートルの虫程度だ。十分に平穏だろう」
スージーの猫耳が止まった。
「大尉の普通、かなり壊れてきたわね」
リーゼも一瞬だけ止まった。
それでも気を取り直した。
「ともかくだ。ようやく谷底にも、安定した普通の日常が――」
「来ますね」
ネイラが空を見上げた。
「何がだ」
ルヴァナも同じところを見る。
「フラグ回収」
「だから、その言葉の意味を説明しろ!」
その直後だった。
何もない空中に細い光が走った。
光は円を描き、その内側へ文字とも幾何学模様ともつかない複雑な線が次々と浮かんでいく。それは何重にも重なり、やがて人ひとりを通せそうな大きさの魔法陣になった。
ティセラが眼鏡を押し上げた。
「転移系の術式ですね。ただし、私の世界の形式ではありません」
アスラも空中の魔法陣を睨む。
「私の知る術式とも違うな。だが転移なのは間違いない」
クロエの瞳にも細かな表示が流れた。
「電子的な信号はない。純粋な魔力現象だ」
リーゼは魔法陣を見た。
次にネイラとルヴァナを見た。
二人とも、にやにやしていた。
「……貴様ら」
ルヴァナが言った。
「一級」
「言うな!」
魔法陣が強く光った。
次の瞬間、人が落ちてきた。
「うわっ!」
高さそのものは大したことがなく、女は砂浜へ尻から落ちただけで済んだ。
「あいたた……」
女は尻を押さえながら顔を上げた。
「大丈夫ですか?」
シズクが声をかけた。
その瞬間、女の表情が変わった。
痛そうにしていた顔から一気に緩みが消える。
身体をひねり、声のした方向へ向き直る。
「装備!」
右手に西洋式の片手剣。
左腕には盾。
何もなかったところから突然現れた。
女は立ち上がると同時に盾を前へ出し、剣先をシズクたちへ向けた。
「何者でござる!」
リーゼが反射的に前へ出ようとした。
シズクが先に片手を上げた。
「お待ちください。私たちに、あなたを傷つけるつもりはありません」
女の視線がシズクへ向いた。
白と赤の巫女装束。
黒髪。
武器を持っていない。
自分より少し小柄な女。
剣先がほんの少しだけ下がった。
シズクはそのまま、ゆっくり頭を下げた。
「初めまして。私はシズクと申します。突然声をかけて驚かせてしまい、申し訳ありません」
女はまだ盾を下ろさなかった。
「……シズク」
「はい」
「そなたも巫女でござるか?」
「巫女です」
女はシズクの服を見る。
次に自分の服を見る。
もう一度シズクを見る。
「……少なくとも、いきなり斬りかかってくる者ではなさそうでござるな」
「斬りかかったことはありません」
シズクは真面目に答えた。
「ここにいる方々も、あなたへ害意はありません。知らない場所へ突然来られたのですから、警戒されるのは当然だと思います」
女は周囲を見た。
人数。
距離。
武器。
森。
滝壺。
逃げ道。
視線が迷わない。
一通り確認してから、再びシズクを見る。
「ここは何処にござる?」
「谷底です」
「何処の国の?」
「国ではありません」
女の眉が寄った。
「……説明を聞くほど分からなくなってきたでござる」
リーゼが口を挟んだ。
「それは後で説明する。まず貴様が誰なのか、こちらも――」
盾が上がった。
「急に声が大きいでござる!」
「小官は普通に話しただけだ!」
シズクがリーゼを見る。
「リーゼ。突然知らない方々に囲まれているのですから」
「……すまん」
リーゼが一歩下がった。
女はしばらくリーゼを見る。
自分とほぼ同じ背丈。
金髪の短い髪。
軍人らしい立ち方。
「そなたは?」
「リーゼロッテ・ヴァイス。リーゼでいい。帝国航空隊大尉だ」
「帝国航空隊大尉」
女は少し考えた。
「よく分からぬ肩書きでござる」
「そこは今はいい」
スージーも片手を上げた。
「スージー。考古学者よ」
女の目が猫耳へ向いた。
スージーの猫耳がぴくりと動く。
「獣人でござるか?」
「まあ、そんなところね」
「拙者の故郷にもおる。猫系は少ないが、珍しい存在ではござらぬ」
「それなら話が早いわね」
ティセラも名乗った。
「ティセラです。魔法学を研究しています」
「魔法使いでござるか?」
「教授です」
「教授?」
「魔法を研究し、教える立場です」
女が首を傾げた。
「魔法を大勢へ教えるのでござるか?」
ティセラの目が輝いた。
「あなたの世界では違うのですか?」
リーゼがすぐに止めた。
「教授。まだ文化比較を始めるな」
「ですが」
「後だ!」
次に女の視線がエヴァへ向いた。
止まった。
ゆっくり顔が上を向く。
二メートル近い。
「…………」
エヴァも見下ろした。
「エヴァだ」
「……人間でござるか?」
「人間だぞ」
女はもう一度、エヴァを上から下まで見た。
「拙者の国では、男でも百七十あれば大きい方でござる」
「そうか」
「そうか、ではないのでござる。そなた、二メートル近くあるではござらぬか」
「あるな」
「何を食べればそうなるのでござる」
「肉」
「肉で片づけるな!」
リーゼの顔が少し明るくなった。
「分かるぞ」
女がリーゼを見る。
「何がでござる」
「その反応を忘れるな」
「何故そなたが嬉しそうなのでござる」
ネイラが軽く会釈した。
「ネイラです」
ルヴァナも手を振った。
「ルヴァナ。よろしくー」
女は二人を見る。
二人とも人間に見える。
しかし、背が高い。
百七十から百八十近い。
「……そなたらも随分大きいのでござるな」
ルヴァナが笑った。
「この辺じゃ、そこまででもなくない?」
「普通の基準が怖いのでござる」
そこまではよかった。
女の視線がクロエへ向いた。
褐色の肌。
銀髪。
長く尖った耳。
少し戻り始めていた緊張が、一瞬で元へ戻った。
盾が上がる。
剣先も正面を向く。
「ダークエルフ……!」
クロエは動かなかった。
「クロエだ」
「名乗れば済む話ではござらぬ!」
女が一歩下がる。
「何故ダークエルフが、人間たちと一緒におる!」
アスラが横から言った。
「では私はどうなる」
女がそちらを見る。
青い肌。
紫髪。
角。
完全に構え直した。
「魔族まで!?」
アスラは腕を組んだ。
「アスラだ」
「だから名乗ればよいという話ではござらぬ!」
シズクが間へ入った。
「落ち着いてください。クロエもアスラも、私たちと一緒に暮らしている方です」
「ダークエルフと魔族と一緒に!?」
「はい」
「何故!?」
シズクは少し考えた。
「色々ありまして」
「その一言で済ませてよい話なのでござるか!?」
リーゼが補足した。
「貴様の世界では、ダークエルフと魔族は敵なのか?」
「当然でござる!」
女は盾越しにクロエとアスラを見る。
「エルフならば隣人。町にも村にも普通に暮らしておる。しかしダークエルフと魔族は魔王の手先。世界征服を目論む敵にござる!」
クロエが淡々と言った。
「私は世界征服をしていない」
「敵は皆そう申す!」
アスラも言う。
「私も世界征服には興味はないぞ」
剣先が少し下がった。
「本当に?」
「クロエを殺す方が忙しい」
「アスラ!」
リーゼが叫んだ。
剣が即座に上がった。
「やはり危険人物ではござらぬか!」
「今それを言うな!」
クロエまで付け加える。
「殺されたことはあるが、復活できる」
「クロエも話をややこしくするな!」
女の目が大きくなった。
「殺しても復活するダークエルフと魔族!?」
「そうまとめると余計に危険になる!」
シズクが困ったように女を見る。
「少なくとも、あなたへ危害を加えるつもりはありません」
女はしばらくシズクを見る。
次にクロエ。
アスラ。
リーゼ。
エヴァ。
全員を見る。
「……分かった。ひとまず、そなたらが拙者を囲んで殺そうとしているわけではないことだけは信じるでござる」
シズクが頷いた。
「ありがとうございます」
「ただし、ダークエルフと魔族についてはまだ信用しておらぬ」
クロエが頷く。
「構わない」
アスラも鼻で笑った。
「好きに警戒しろ」
「その態度も怖いのでござる」
女は大きく息を吐いた。
それから剣と盾を見る。
「収納」
西洋剣と盾が消えた。
スージーの猫耳が立った。
「待って」
女が振り返る。
「何でござる?」
「今、その剣と盾、どこへ行ったの?」
「装備枠にござる」
「どこ?」
「装備枠でござる」
「だから、その装備枠がどこにあるのよ」
女は困ったように眉を寄せた。
「装備枠は……装備枠ではござらぬか?」
リーゼがスージーの肩を叩いた。
「諦めろ」
「でも気になる」
「本人にとって当たり前すぎて、説明するための言葉がない類だ」
スージーがリーゼを見る。
「大尉、谷底暮らしでそういうものへの理解が深くなったわね」
「嬉しくない!」
腰には日本刀だけが残っていた。
シズクはそこへ目を向けた。
「そちらの刀は収納しないのですね」
「これは日用品ゆえ、すぐ使える方がよい」
「日用品?」
「料理、縄切り、枝払い、野営作業などに使う」
シズクが止まった。
「料理に、その刀を?」
「よく切れるぞ」
シズクは自分の巫女装束を見る。
次に女の巫女装束を見る。
「私のところでは、巫女が刀で料理はしません」
「そなたも巫女なのに?」
「巫女ですが、普段から刀は持っていません」
「そうなのでござるか」
「そうなのです」
二人はしばらく見つめ合った。
女が先に言った。
「同じようで、全然違うのでござるな」
「私もそう思います」
ルヴァナが女を改めて上から下まで眺めた。
龍の角。
巫女服。
日本刀。
戦闘用の西洋剣と盾。
ダンジョン。
転送罠。
装備枠。
そして侍口調。
「……属性盛り過ぎ……」
女がすぐに振り返った。
「聞こえているでござるぞ」
「いや、だってさ。角生えてて巫女で侍で、西洋剣と盾まで使って、ダンジョン冒険者なんでしょ?」
「どれも普通でござる」
「絶対普通じゃないって」
「拙者の故郷では普通にござる」
ネイラが隣から静かに言った。
「ルヴァナがそれを言うの?」
「姉ちゃん、それどういう意味?」
「そのままよ」
ルヴァナは少し黙った。
「……まあ、人のこと言えないか」
「そうね」
女はそこで、自分がまだ名乗っていないことへ気づいた。
姿勢を正す。
「これは失礼いたした」
軽く一礼した。
「拙者、レティシア・ヴァルナーと申す。職は巫女侍にござる」
リーゼが龍角と巫女服を見る。
腰の日本刀も見る。
「レティシア・ヴァルナー」
「左様」
「その格好と口調で?」
「何かおかしいでござるか?」
ティセラがすぐに質問を始めた。
「巫女侍という職業は、自分で選んだのですか?」
「適性がそれだったのでござる。希望は出せるが、適性の低い職へ就いても伸びが悪い」
「適性はどうやって調べるのです?」
「冒険者ギルドでステータスを確認するのでござる」
スージーが首を傾げた。
「ステータス?」
リーゼも眉を寄せる。
「何だ、それは」
レティシアが逆に驚いた。
「ステータスを知らぬのでござるか?」
「知らん」
「自分の能力値や職業、レベルなどを確認するものでござる」
「待て」
クロエが反応した。
アスラもレティシアを見る。
ネイラとルヴァナも顔を見合わせた。
クロエが尋ねる。
「レベルとは、あのレベルか?」
「どのレベルかは知らぬが、レベルはレベルでござる」
ルヴァナが目を丸くした。
「それ、ゲームじゃなくて?」
「げーむ?」
今度はレティシアが首を傾げた。
ネイラが説明する。
「私たちの世界では、そういう数値で強さを表す仕組みがゲームに出てくるんです。現実の人間にはありません」
「何故遊びの中にしかないのでござる?」
「普通は現実にないからです」
「普通にあるでござる」
リーゼが両手で頭を抱えた。
「普通がまた衝突している!」
スージーがレティシアへ聞いた。
「そのレベルって、数字なの?」
「数字でござる」
「強くなれば上がる?」
「そうでござるな」
「誰が決めるの?」
「ギルドで確認して、条件を満たしていればレベルアップする」
スージーの猫耳が立った。
「ギルドが人間を強くするの?」
「そうでござる」
「どうやって?」
「レベルアップでござる」
「説明が一周したわ」
リーゼも額を押さえる。
「では、レベルが上がると身体が巨大化したりするのか?」
「せぬ」
「筋肉が突然増える?」
「増えぬ」
「見た目は?」
「普通でござる」
リーゼは少し安心した。
「そこだけは普通だ」
ティセラの目は完全に研究者のものになっていた。
「非常に興味深いですね。個人の能力が客観的な数値として測定され、さらに外部施設を介して成長処理が行われる?」
「教授」
「レベルアップ時の魔力変化を測定できれば――」
「教授!」
「はい?」
「落ちてきたばかりだ!」
「分かっています。しかし重要です」
「顔が分かっている顔ではない!」
レティシアが少し引いていた。
「魔法使いより、そなたの方が怖いでござる」
ティセラは気にしていなかった。
スージーがさらに尋ねる。
「あなた自身は魔法を使えるの?」
「使えぬ」
「その角で?」
「角と魔法適性は別物でござる」
「龍みたいだけど」
「龍神でござる」
スージーが止まった。
リーゼも止まった。
ティセラだけがさらに目を輝かせた。
「龍神?」
「左様」
「神なのですか?」
「種族として龍神でござる」
リーゼが額を押さえた。
「また一つ増えた……」
レティシアは不思議そうだった。
「何がでござる?」
「気にするな」
スージーが気を取り直した。
「魔法があるのに、自分では使わないのね」
「使わないのではなく、使えぬ。拙者の適性職は巫女侍でござるからな」
ティセラが尋ねる。
「では魔法使いは、どこで教育を受けるのです?」
「師匠につく」
「学校は?」
「魔法の学校?」
レティシアも驚いた。
「そのようなものがあるのでござるか? 魔法は師匠から弟子へ教えるものであろう」
ティセラの目が再び輝いた。
リーゼが先回りした。
「後だ!」
「まだ何も言っていません」
「顔が言っている!」
スージーも質問へ加わった。
「乗り物は?」
「荷馬車」
「他には?」
「馬車。船もある」
「鉄道は?」
「何でござる、それは」
「飛行機」
「何でござる、それは」
「自動車」
「何でござる、それは」
「電話」
「何でござる、それは」
リーゼが腕を組んだ。
「科学技術は中世相当だな」
レティシアがリーゼを見る。
「今、明らかに馬鹿にされた気がするのでござる」
「小官もいままで何度も同じ目に遭った!」
「では同志でござるな」
「そこでは同志になりたくない!」
レティシアは、そこでネイラとルヴァナへ目を向けた。
「先ほど、忍者と申していたな」
ルヴァナが自分を指差す。
「うちら?」
「うむ。拙者の国にも忍者はおるぞ」
シズクが少し興味を示した。
「忍び、ですか?」
「忍者にござる」
「敵の土地へ忍び込み、情報を集めて持ち帰る方々でしょうか」
「何故そのようなことをするのでござる?」
シズクが止まった。
「……忍びだからでは?」
レティシアも不思議そうにする。
「忍者は素早く動き、壁を駆け、手裏剣を投げる。分身して煙とともに消え、火遁や水遁などの忍術で魔物を倒す戦闘職にござる」
「……人目を忍ぶのではないのですね」
「忍者なのに?」
今度はシズクの方が困った。
ネイラが頷いた。
「私たちの忍者に近いですね」
ルヴァナも嬉しそうに身を乗り出す。
「壁走りとか分身とか普通にやる?」
「当然にござる」
「おお、近い!」
リーゼが両手で頭を抱えた。
「忍者が三種類になった!」
シズクの世界には、人目を避けて情報を集める忍びがいる。
クロエたちの世界には、サイバー技術や魔術を戦闘へ組み込んだ忍者がいる。
レティシアの世界には、忍術を使ってダンジョンへ潜り、魔物を倒す冒険者の忍者がいる。
同じ忍者という言葉なのに、役割はまるで違った。
リーゼが三者を順番に指差した。
「全部忍者なのに、全部違うではないか!」
レティシアが首を傾げる。
「忍者とは、そういうものではござらぬのか?」
「貴様が小官に聞くな!」
エヴァが別のことを聞いた。
「お前のダンジョンには、どんな魔物がいるんだ?」
「色々でござる。スライム、狼系、蜥蜴系、ゴブリン、骸骨、魔法生物などでござるな」
「オークは?」
「おーく?」
エヴァが止まった。
「知らないのか」
「聞いたことがないでござる」
「オーガは?」
「それも知らぬ」
リーゼが少し驚いた。
「ゴブリンはいるのに、オークとオーガはいないのか」
「そうらしいでござるな。その二つを今初めて聞いたのでござるから」
エヴァはさらに尋ねた。
「じゃあ、ゴブリンは何するんだ?」
「何とは?」
「人間を襲うんだろ」
「襲うことはある。武器を持って旅人を襲ったり、ダンジョン内で群れていたりするでござるな」
「それだけか?」
「それだけとは?」
エヴァが少し考えた。
「エロいことは?」
レティシアが固まった。
「……何故?」
エヴァも不思議そうだった。
「いや。エロいことをしなくて、どうやって増えるんだ?」
「同族同士で増えるでござろう!?」
レティシアの声が大きくなった。
「何故、人間相手でなければ増えぬ前提なのでござる!」
クロエが真顔になった。
「待て」
レティシアが見る。
クロエは本気で考えていた。
「エロいことをしないモンスターとは?」
「そなたまで!?」
アスラも腕を組む。
「確かに妙だな」
「何が妙なのでござる!」
レティシアが一歩下がった。
「そなたらの世界では、モンスターは人間を見つけると、そのようなことをするのが普通なのでござるか?」
エヴァが答える。
「する奴はするな」
クロエも頷いた。
「種類による」
アスラも頷く。
「繁殖方法も生態も様々だ」
レティシアの顔が引きつった。
「魔物とは、普通に襲ってきて、普通に殺そうとしてくるものでござろう!?」
リーゼが腕を組んだ。
「その説明だけ聞くと、貴様の世界が一番まともに聞こえるな」
「普通でござる!」
「谷底でそれを強く主張するな。小官まで悲しくなる」
エヴァはまだ納得していなかった。
「でも増えるんだよな?」
「同族同士で!」
「ゴブリン同士で?」
「当たり前でござろう!」
エヴァは感心したように頷いた。
「へえ」
「何故そこで新しい生態を知った顔になるのでござる!」
ルヴァナが口元を押さえて笑っている。
「レティの世界、思ったより健全じゃん」
「思ったよりとは何でござる!」
その時だった。
滝壺の水面が大きく盛り上がった。
ざばっ、と巨大魚が水面から跳ねる。
頭だけでも人間より遥かに大きい。
全身の大きさなど見当もつかない。
そのまま大きな水飛沫を上げて沈んでいった。
レティシアは完全に固まった。
「……今のは?」
エヴァが答える。
「魚」
「魚?」
「魚」
「大きすぎぬか!?」
レティシアの世界では、モンスターですら人間大が最大級だった。
巨大魚どころか、目の前にいるエヴァですら、生き物としてかなり大きい。
その頭上を巨大鳥が通り過ぎた。
レティシアは反射的に武器を取り出しかけたが、誰も構えようとしないのを見て止まった。
「……あれも?」
「鳥だ」
リーゼが答える。
「大きすぎる!」
「ここでは普通だ」
「普通がおかしいでござる!」
リーゼの顔が明るくなった。
「分かるぞ!」
「何がでござる」
「貴様、その感覚を絶対に失うな。まともな反応をしてくれる者が久しぶりなんだ!」
スージーが猫耳を伏せた。
「大尉、かなり追い詰められてたからね」
さらに草地の向こうでは、黒が歩いていた。
四メートル級の巨体である。
「ぶるるるるっ」
レティシアがまた固まった。
「……馬?」
「黒だ」
エヴァが答えた。
「名前ではなく種を聞いているのでござる!」
「馬」
「四メートルあるではござらぬか!」
「でかいな」
「でかいで済ませるな!」
黒が首を上げた。
「ぶひひーん! ヴォー!」
レティシアの目が見開かれた。
「今、馬ではない声が混じらなかったか?」
リーゼが勢いよく振り向いた。
「そうだ!」
「何故そこまで喜ぶのでござる!」
「普通は気づくよな!?」
「気づくでござる!」
「よし!」
「何がよしなのでござる!」
スージーが猫耳を揺らした。
「やっぱり気が合いそうね、この二人」
レティシアは、先ほどから遠くに見えていた巨大な男を思い出した。
「そういえば、あちらにおる者は?」
シズクが岸辺の先を指差した。
「聖者です」
かなり離れた場所で、黒角の男が大きな流木を一人で持ち上げていた。
レティシアが目を細める。
距離がある。
それでも大きい。
エヴァよりさらに大きい。
「……あれ、人でござるか?」
「種族を聞いているなら、オーガだ」
リーゼが答えた。
「おーが?」
レティシアが首を傾げた。
「先ほど聞いた、拙者の世界にはいない種族でござるな」
「ああ。聖者は二メートル二十ほどある」
レティシアは遠くの聖者を見る。
エヴァを見る。
もう一度聖者を見る。
「この谷底、大きい者ばかりではござらぬか」
「だから小官とスージーは貴様と同じくらいだと言っている!」
レティシアは別のことへ気づいた。
「しかし、何故あの者だけ、皆から離れておるのでござる?」
シズクが答えた。
「聖者には少し特殊な体質がありますので、普段から私たちとは距離を取ってくださっています」
「危険なのでござるか?」
「本人が危険というより、近くにいる女性へ影響が出るのです」
レティシアが少し警戒した。
「……どのような影響でござる?」
エヴァが何でもないことのように答えた。
「エロくなる」
レティシアが固まった。
「…………」
エヴァは続ける。
「女の方がな」
レティシアは遠くの聖者を見る。
もう一度エヴァを見る。
「……この谷底、最初から最後まで説明が怖いのでござるが」
リーゼが深く頷いた。
「その感覚も絶対に失うな」
巨大魚、巨大鳥、四メートルの馬、二メートルを超えるオーガまで見せつけられたところで、レティシアはようやく最初の疑問へ戻った。
「まず、ここについてもう少し説明していただきたい。何という国にござる?」
リーゼが答えた。
「国ではない」
「では、領主は?」
「いない」
「冒険者ギルドは?」
「ない」
レティシアの顔が変わった。
「……ない?」
「ない」
「支部は?」
「ない」
「出張所は?」
「ない」
「冒険者登録所も?」
「ない」
巨大魚を見た時よりも、明らかに動揺していた。
「では、ステータス確認は?」
リーゼが眉を寄せた。
「だから、そのステータスというもの自体がこちらにはない」
「レベル確認も?」
「ない」
レティシアの声が少し震えた。
「……レベルアップは?」
クロエが答えた。
「少なくとも、我々の現実にはない。ゲームならあるが」
レティシアは頭を抱えた。
「ギルドがなければ、レベルアップできぬではござらぬか!」
リーゼが呆然とした。
「転送罠で未知の場所へ飛ばされ、ダークエルフと魔族に遭遇し、巨大魚と巨大鳥と四メートルの馬を見て、二メートル二十のオーガまで確認したのに、一番焦るのがそこなのか?」
「冒険者には死活問題にござる!」
普通が一番。
リーゼがそう言ってから、まだそれほど時間は経っていなかった。
そして谷底には、龍の角を持ち、日本刀を日用品として腰に下げ、戦う時には装備枠から西洋剣と盾を取り出し、ゲームの中にしかないはずのステータスとレベルを現実の常識として生きる巫女侍の冒険者が、一人増えた。




