第百六十二話 オホ声粒子
発見したのは、ティセラだった。
きっかけは、例のマンゴーである。
リーゼにとっては、それだけで嫌な予感しかしなかった。
「大尉。少しよろしいですか」
「嫌だ」
「まだ何も言っていません」
「教授が例のマンゴーの試料瓶を持っている。その時点で嫌だ」
ティセラの手には、透明な蓋付き容器があった。
中には、新種マンゴーの花粉でも果肉でも菌体でもない、薄く光る埃のようなものが入っている。
非常に細かい。
光へかざさなければ見えないほど細かく、容器を傾けると、白とも金ともつかない粒がふわりと舞った。
リーゼが一歩下がる。
「開けるなよ」
「開けません」
「絶対だぞ」
「はい」
「『少量なら』も駄目だ」
「分かっています」
「『観察のため』も駄目だ」
「大尉」
「何だ」
「かなり学習しましたね」
「誰のせいだ!」
◇
ティセラが最初に異変へ気づいたのは、新種マンゴーの分布調査記録を整理していた時だった。
マンゴーの群生地。
白濁石油の水槌設備周辺。
温泉卵の木。
男根筍の一部。
その他、妙な音響現象を伴ういくつかの生物や設備。
それぞれ。
まったく別のものに見える。
植物。
菌類。
液体。
水力設備。
食用生物。
しかし。
「共通して、大気中に極微量の浮遊物があります」
ティセラが記録板を広げた。
リーゼ。
スージー。
ノア。
クロエ。
アスラ。
ネイラ。
ルヴァナ。
シズク。
エヴァ。
いつの間にか。
全員集まっていた。
こういう時。
谷底では。
大発見か。
大事故か。
大馬鹿のどれかである。
「浮遊物?」
スージーが猫耳を立てた。
「花粉みたいなもの?」
「最初はそう考えました。ただし植物由来の花粉とは構造が異なります」
ティセラが容器を机へ置く。
「魔力があります。ただし単純な魔力粒子でもありません。物質として存在していますが、魔力場へ反応します」
リーゼが顔をしかめる。
「待て。物質なのか、魔法なのか」
「両方の性質があります」
「その答えが一番嫌いだ!」
アスラが容器を覗き込む。
「魔術式にも反応したぞ」
クロエも淡々と付け加える。
「電荷も持つ。一定条件では電磁場で偏向できる」
リーゼが止まった。
「……何?」
クロエ。
「機械的に捕集可能だ」
アスラ。
「魔術的にも拘束できる」
ティセラ。
「魔法による結界でも濃度を下げられます」
三人。
別々の技術体系。
同じ答え。
リーゼが。
少しだけ。
顔を上げた。
「つまり」
「はい」
「抑え込める?」
「可能です」
リーゼの目が。
輝いた。
「教授」
「はい」
「それを早く言え!」
◇
問題は。
名前だった。
ティセラの正式記録には。
『未知浮遊性魔力反応微粒子・仮称第一種』
と書いてあった。
リーゼは。
それでよかった。
非常によかった。
軍人としても。
技術者としても。
何も問題がない。
だが。
ルヴァナが言った。
「でもさ」
「言うな」
リーゼが先に止める。
「まだ何も言ってないじゃん」
「貴様が今から何を言うか分かる!」
「これが多いとさ」
「言うな!」
「オホ声するんでしょ?」
「言ったああああっ!」
スージーが。
猫耳を伏せながら笑う。
「オホ声粒子?」
「命名するな!」
ネイラが記録板を見る。
「でも、識別名称としては分かりやすいわね」
「ネイラ!」
クロエ。
「短い」
アスラ。
「悪くない」
「忍者親子まで賛成するな!」
ティセラは。
少しだけ考えた。
そして。
記録板へ。
追記。
『通称:オホ声粒子』
「教授おおおおおっ!」
「正式名称ではありません」
「記録に残すな!」
「現場呼称は統一した方が安全管理上便利です」
正論だった。
リーゼは。
崩れ落ちた。
◇
しかし。
発見そのものは。
本当に大きかった。
オホ声粒子は、どこにでも存在するわけではない。
谷底全体へ薄く広がっているわけでもない。
特定の異常生物。
特定の異常植物。
特定の液体生成地点。
特定の設備。
そうした場所の周辺で、明らかに濃度が高い。
「では、こいつが全部の原因なのか?」
エヴァが聞いた。
ティセラは首を振る。
「そこまでは断定できません」
「違うのか?」
「因果関係が逆かもしれません。粒子が生物を変化させている可能性もありますし、異常生物が粒子を生成している可能性もあります。あるいは、双方が同じ別の要因から生じている可能性もあります」
スージーが頷く。
「相関は確認できた。でも原因とはまだ言えない」
「その通りです」
リーゼが。
例のマンゴーの方向を見る。
「なら、粒子を全部除去したら、あれが普通のマンゴーになる可能性は?」
「分かりません」
「枯れる可能性は?」
「分かりません」
「繁殖できなくなる可能性は?」
「分かりません」
リーゼの期待が。
徐々に。
違う方向へ向かっていく。
「……根絶できる?」
ティセラ。
「大尉」
「何だ」
「根絶ではありません」
リーゼ。
「……」
「隔離です」
リーゼの顔が。
露骨に。
曇った。
「なんだ」
「なんだ、ではありません」
「根絶できるならと思ったのに」
「させません」
「即答!」
◇
実験は。
クロエの工作室。
アスラの魔術工房。
ティセラの研究設備。
三系統で行われた。
まず。
ティセラ。
魔法結界。
薄い膜を何層にも重ね、粒子が通過する際に魔力反応を利用して捕捉する。
透明な結界へ。
粒子。
触れる。
ぱち。
小さな光。
止まる。
「捕捉しました」
リーゼが身を乗り出す。
「外へ出ない?」
「この条件なら、ほぼ」
「素晴らしい!」
次。
アスラ。
床へ魔法陣。
空中にも。
二重。
三重。
粒子を中心へ集める。
「物質として扱うより、魔力の癖を利用した方が早い」
魔法陣の中央。
ふわふわ。
粒子が。
集まる。
「……できてる」
リーゼが。
少し。
感動した。
アスラが鼻で笑う。
「当然だ」
「貴様に褒めたわけではない!」
「褒めていた顔だったぞ」
「違う!」
最後。
クロエ。
簡易送風器。
帯電板。
細かな導体網。
捕集箱。
「通す」
風。
粒子。
流れる。
ぱち。
板へ。
付着。
測定値。
下がる。
「電気集塵に近いな」
リーゼが。
完全に。
技術者の顔になる。
「これなら連続運転できる!」
「電源があれば」
「ある!」
「保守は必要だ」
「する!」
「定期交換も」
「する!」
クロエ。
「大尉が急に元気になった」
スージーが。
少し離れたところで笑っていた。
「マンゴーを隔離できるって分かったから」
「根絶だ!」
ティセラ。
「隔離です」
「分かっている!」
◇
最終的に。
三つ。
全部使った。
ティセラの結界。
アスラの魔術式。
クロエのサイバー技術による監視と集塵。
一つが止まっても。
残りが働く。
魔力濃度。
風向き。
粒子濃度。
結界状態。
全部。
記録。
異常値が出れば。
警報。
リーゼが。
設備図を見て。
満足そうに頷いた。
「よし」
久しぶりに。
完全な。
大尉の顔だった。
「これなら生活圏への拡散を大幅に減らせる」
ティセラも頷く。
「除染手順も作れます」
「服は?」
「区域外へ出る前に払います」
「水洗い?」
「有効です」
「靴底」
「別槽」
「工具」
「区域専用品」
「良し!」
ノアが。
少し笑う。
「大尉、楽しそうだね」
「汚染管理は重要だ!」
「オホ声粒子の?」
リーゼの顔が。
一瞬。
崩れる。
「正式名称で呼べ!」
ルヴァナ。
「でも正式名称長いじゃん」
「長くていい!」
◇
そして。
問題の。
隔離先。
誰も。
迷わなかった。
「第五ですね」
ティセラ。
「第五だな」
リーゼ。
「第五でいいんじゃない?」
スージー。
「第五しかないな」
エヴァ。
正式には。
『聖者自己処理池及び周辺生物災害監視区域』
通称ではなく。
日常的に。
第五。
元から。
普通の生活圏へ置きたくないものを扱う場所である。
赤杭。
結界。
防護具。
立入手順。
風向き確認。
除染。
異常生物監視。
全部。
既にある。
そこへ。
オホ声粒子管理設備が。
追加された。
◇
結果。
館周辺。
畑。
生活水路。
普通の森。
かなり。
静かになった。
粒子濃度。
低下。
奇妙な音響現象が完全に消えたわけではない。
元から鳴く生物もいる。
だが。
明らかに。
異常区域由来の影響が。
外へ広がりにくくなった。
リーゼは。
測定板を見る。
「……下がってる」
「はい」
ティセラ。
「昨日の十分の一以下です」
「ここも?」
「はい」
「畑も?」
「はい」
「館の庭も?」
「はい」
リーゼの目に。
少し。
涙。
「静かだ……」
普通のバナナ。
普通のマンゴー。
葉。
さらさら。
遠く。
鶏の木。
「コケッ」
リーゼ。
少し。
眉を動かす。
「……あれは?」
ティセラ。
「通常です」
「通常?」
「鶏の木は対象外です」
リーゼが。
振り返る。
「何故だ」
「オホ声粒子との関連が認められません」
「でも木がコケッて鳴くぞ!」
「生態として鳴いています」
「その説明でいいのか!?」
「少なくとも粒子由来ではありません」
さらに。
「メー」
バロメッツ。
リーゼ。
「あれは?」
「対象外です」
「草から羊が生えているが!」
「通常生物です」
「通常!?」
「この谷底における、という意味では」
さらに。
「ジュオー……」
綿雲虫。
リーゼ。
「あれ!」
「対象外です」
「一メートルの虫が地面へ口を刺して大地を吸って、草から生えて、尻が綿花で中身がエビ味だぞ!」
ティセラ。
「通常生物です」
「通常の意味を返せ!」
◇
ティセラの分類では。
鶏の木。
バロメッツ。
綿雲虫。
これらは。
確かに奇妙。
だが。
それぞれ自身の生態として成立している。
周囲への粒子汚染。
なし。
特殊な浮遊性魔力反応微粒子との相関。
なし。
近くにいても。
他の生物を変質させる証拠。
なし。
「したがって」
ティセラが言う。
「除染対象ではありません」
リーゼ。
「鶏の木も?」
「はい」
「バロメッツも?」
「はい」
「綿雲虫も?」
「はい」
「……普通なんだな?」
「通常生物です」
リーゼは。
しばらく。
何も言わなかった。
「ジュオー……」
「メー」
「コケッ」
リーゼ。
「……まあいい」
スージーが。
横で。
笑った。
「許容範囲広くなったね」
「オホ声マンゴーよりは全員まともだ!」
◇
問題は。
第五だった。
抑え込む。
外へ出さない。
生活圏を守る。
そこまでは。
完璧。
しかし。
当然。
行き場を失ったものは。
どこかへ。
集まる。
第五。
赤杭の向こう。
新しい集塵装置。
魔法結界。
魔術式。
捕集槽。
そして。
維持対象の異常資源。
粒子濃度。
以前より。
高い。
光の角度によっては。
空中。
きらきら。
見える。
リーゼが。
赤杭の外から。
中を見る。
「……舞ってるな」
ティセラ。
「舞っていますね」
「かなり」
「はい」
「これ、大丈夫なのか?」
「防護手順を守れば」
「守らなかったら?」
「入りません」
「正しい!」
第五の入口。
新しい看板。
『粒子管理区域』
『風向確認』
『防護具着用』
『区域内装備持出禁止』
『退出時除染必須』
その下。
ルヴァナが勝手に。
小さく。
『オホ声粒子注意』
と書いた。
リーゼが。
消した。
翌日。
また書かれていた。
また消した。
三日目。
諦めた。
◇
それでも。
異常資源を。
全部。
廃棄することはしなかった。
理由。
有用すぎる。
白濁石油。
燃料。
重油相当。
軽油相当。
揮発性燃料。
素材。
温泉卵の木。
食料。
男根筍。
食用。
構造材。
熟成個体。
さらに食用。
陸生アワビ。
食料。
その他。
調べれば。
役に立つものが。
多い。
リーゼは。
不服そうだった。
「全撤去では駄目なのか」
ティセラ。
「駄目です」
「減らす?」
「減らします」
「どこまで?」
「維持に必要な最小数まで」
リーゼの目が。
少し。
輝く。
「オホ声マンゴーも?」
「最小限で維持します」
「一株?」
「生殖維持可能な個体群を確保します」
「一株!」
「無理です」
「二株!」
「個体群です」
「三株!」
「交渉ではありません」
「教授!」
◇
最終的に。
第五は。
以前より。
さらに。
第五らしくなった。
危険。
有用。
だから。
捨てない。
しかし。
生活圏へは。
出さない。
必要最低限。
管理下。
観察。
採取。
記録。
除染。
出口で。
全部。
落とす。
その代わり。
赤杭の内側。
今日も。
空気中。
きらきら。
粒子。
舞う。
遠く。
「お゙ほー……」
別方向。
「んお゙ぉ゙……っ」
さらに。
水槌。
「ぱん」
「んお゙ぉ゙」
「ヌボボ」
リーゼが。
防護具越しに。
中を見る。
「……地獄を一か所へ集めただけでは?」
ティセラが。
隣で測定器を見る。
「隔離とは、概ねそういうものです」
「言い方!」
「生活圏は安全になりました」
「それは認める」
「資源も維持できます」
「それも認める」
「研究もできます」
「教授にとっては、それが一番だろ!」
ティセラは。
否定しなかった。
◇
リーゼが。
もう一度。
赤杭の向こうを見る。
オホ声マンゴー。
管理区画。
数を減らされ。
根域を制限され。
周囲を結界で囲われ。
粒子は集塵。
花粉。
種。
地下茎。
全部。
監視。
自由に森へ広がることは。
もうない。
リーゼの口元が。
少しだけ。
上がる。
「教授」
「はい」
「やっぱり、根絶できるなら――」
「根絶ではありません」
「まだ最後まで言ってない!」
「隔離です」
「分かっている!」
マンゴー。
遠く。
「お゙ほー……」
リーゼの眉。
ぴくっ。
「……煽ったな」
「大尉」
「何だ」
「斧は区域外です」
「……」
「松明も」
「……」
「持ち込み禁止です」
リーゼは。
防護服の腰を見る。
何もない。
「……この規則を作ったのは誰だ」
ティセラ。
「大尉です」
リーゼは。
長く。
黙った。
「……過去の小官は正しいな」
「はい」
「腹立つほど正しい」
第五の向こう。
「お゙ほー……」
リーゼは。
深く息を吐いた。
それでも。
今日は。
斧を取りには行かなかった。
生活圏では。
普通のバナナと。
普通のマンゴーが。
静かに。
葉を揺らしていた。




