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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
断章Ⅶ

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第百六十一話 綿と海老

人数が増えた。


そうなると、食料だけではなく、衣服も増やさなければならない。


特に問題になるのが冬だった。


谷底にも雪は降る。寒い時期になれば朝晩はかなり冷え込み、水桶へ薄氷が張ることもある。


シズクは保管してある冬服や寝具を一通り確認し、広げた布の前で腕を組んだ。


「足りませんね」


リーゼも帳面を見ながら頷く。


「人数が増えたからな。上着、寝具、手袋、頭巾。このままでは明らかに不足する」


「それと、エヴァのものを作り直したいです」


「俺の?」


エヴァが自分を指差した。


シズクは以前作った厚手の上着を持ってきて、エヴァへ当ててみる。


肩。


足りない。


胸。


閉まらない。


腕。


短い。


腰。


どうにか入るが、どう見ても窮屈。


リーゼが言った。


「何故、以前よりさらに大きくなっている」


「食って鍛えてるからじゃねえか?」


「人体は家具の増築のように簡単に拡張されない!」


「でも増えたぞ」


「見れば分かる!」


スージーが横からエヴァを見る。


「冬物は余裕を持って作った方がよさそうね」


シズクも頷いた。


「ということで、羊毛と綿を多めに確保したいです」


羊毛については、少し前にバロメッツから大量に確保した。


次は。


「綿か」


リーゼが言った。


少しだけ警戒している。


「どこで取る」


シズクが答えた。


「綿雲虫という虫のお尻から取れるそうです」


リーゼは一度だけ目を閉じた。


そして。


妙に落ち着いた顔で頷いた。


「オッケーオッケー」


スージーが横を見る。


「大丈夫?」


「虫だろ?」


「虫ね」


「尻から綿が取れる」


「そうみたい」


「オッケーオッケー。その程度なら、もう何でもない」


最近。


基準が著しく壊れていた。


リーゼは思い出したように尋ねる。


「あのイモムシより大きいのか?」


ティセラが答えた。


「いえ。小さいですよ」


リーゼの表情が明るくなる。


「オッケーオッケー。メートルは?」


「一メートルくらいです」


「なんだ、それくらいかー」


スージーが。


ゆっくり。


リーゼを見る。


「一メートルの虫よ?」


「小さいだろ」


「何と比べてるの?」


「最近見たもの全部だ!」


四メートル級の黒。


同じくらいあるキマイラ。


鵺。


ユニコーン。


ペガサス。


巨大鳥。


巨大魚。


二メートル級の狼。


それらに比べれば。


一メートル。


確かに。


小さい。


リーゼはさらに聞いた。


「飛ぶか?」


「飛びません」


「跳ねる?」


「いいえ」


「走る?」


「動きません」


リーゼが止まった。


「動かない?」


「はい」


「一メートルの巨大昆虫が?」


「動きません」


リーゼは笑った。


「またまたー」


ティセラが首を傾げる。


「本当ですが」


「谷底で一メートルの虫が微動だにしないなどという、そんな都合のいい話を、小官がそのまま信じると思うか?」


「では現地で確認しましょう」


「望むところだ!」


何故か。


勝負になった。



         ◇



綿雲虫がいる場所は、館からそれほど遠くなかった。


少し前に羊毛を取ったバロメッツの群生地から、さらに湿った草地へ入ったところだという。


近づく途中で。


聞こえた。


「ジュオー……」


リーゼが止まる。


スージーの猫耳が立つ。


もう一度。


「ジュオー……ジュオー……」


さらに。


あちらからも。


「ジュオー……」


こちらからも。


「ジュオー……ジュオー……ジュオー……」


リーゼが言った。


「鳴くのか」


ティセラが答える。


「おそらく吸汁音です」


「鳴き声ではない?」


「はい」


「本当か?」


「見れば分かります」


一行は草を抜けた。


そして。


全員。


少しだけ。


止まった。



         ◇



地面に。


虫が生えていた。


どう見ても。


そうとしか言いようがなかった。


一メートルほどの巨大昆虫。


丸みのある胴。


短い脚。


厚い外殻。


頭部から伸びる長い口吻。


その口吻が。


地面へ。


深々と。


突き刺さっている。


「ジュオー……」


胴が少し膨らむ。


「ジュオー……」


また縮む。


どう見ても。


地面から何かを吸っている。


スージーが長い棒を構えたまま言った。


「……大地を吸ってる?」


ティセラがしゃがみ込む。


「地中の水分と養分を吸い上げているようですね」


リーゼも少し近づいた。


「植物の根みたいなことを虫がやっているのか」


「おそらく」


シズクが。


別の部分を指した。


「ですが」


全員。


見る。


綿雲虫の腹の下。


そこから。


細い緑色の茎。


地面へ。


つながっている。


リーゼが。


ゆっくり。


ティセラを見る。


「教授」


「はい」


「草から生えているぞ」


「はい」


「虫が」


「はい」


「バロメッツみたいに」


ティセラは眼鏡を直した。


「そうですね」


リーゼは。


少し考えた。


「……まあいい」


スージーが驚く。


「いいの?」


「羊が草から生えているのを見た後だぞ」


「そうだった」


「今さら虫が生えた程度で騒ぐものか」


その直後。


一番近くの個体が。


「ジュオオオオー……!」


大きく吸った。


リーゼの肩が。


びくっ。


「音はもう少し静かにしろ!」



         ◇



そして。


一番目立つのが。


尻だった。


頭。


胴。


脚。


そこまでは巨大な虫。


だが。


尻。


異様に。


大きい。


そして。


真っ白。


ふわふわ。


丸い。


虫の身体より。


尻の方が。


圧倒的に目立つ。


リーゼが言った。


「……綿花」


スージーも頷く。


「巨大な綿花ね」


シズク。


「本当に綿です」


尻の先端が。


完全に。


綿花だった。


白。


柔らかい。


ふくらんでいる。


大きいものでは一抱えほどある。


ティセラが説明する。


「成熟すると尾部の繊維塊がこの大きさになります。ここを摘み取ればよいようです」


リーゼが。


じっと見る。


虫。


「ジュオー……」


尻。


綿。


虫。


「ジュオー……」


尻。


綿。


「……なるほど」


スージーが聞く。


「納得した?」


「虫の尻から綿を取る。それだけだろ」


「それだけ?」


「もっと酷いものを想像していた」


ルヴァナが聞く。


「どんな?」


リーゼが即答した。


「聞くな」


オホ声マンゴーを経験した後では。


尻が綿花。


程度。


非常に。


穏当だった。



         ◇



スージーが長い棒で、一匹の横腹を軽くつつく。


反応。


なし。


もう一度。


つつく。


動かない。


「本当に動かない」


「言ったでしょう」


ティセラが答える。


リーゼも別個体の前へ行く。


口吻。


地面へ。


深く。


刺さっている。


「何故動かん」


「口吻が抜けないからでしょう」


「抜けない?」


「はい。幼い段階で適した場所へ口吻を差し込み、そのまま成長するものと思われます」


ティセラが個体の周囲を確認する。


「成長とともに口吻も太く長くなっています。成熟個体では、地中へ固定された器官と考えた方がよいかもしれません」


リーゼが。


虫を見る。


「つまり」


「はい」


「一度刺したら」


「はい」


「ずっとここ?」


「おそらく」


「脚は?」


「姿勢維持でしょうか」


「歩くためではない?」


「少なくとも成熟後には、ほぼ使わないようですね」


リーゼは。


しばらく。


短い脚を見る。


「……ものすごく無駄に見える」


ティセラが答える。


「発生過程か、祖先型の名残かもしれません」


スージーが言った。


「虫というより、植物に近い生活ね」


そこで。


ティセラの目が。


少し変わった。


「そこです」


「何が?」


「この生物、本当に単純な虫なのでしょうか」


リーゼが。


嫌な予感のする顔をした。


「教授。研究を始める前に綿を取るぞ」


「採取しながら観察します」


「やっぱり始めるのか!」



         ◇



綿の採取を始めた。


綿雲虫。


一メートル。


巨大昆虫。


群れ。


いや。


畑。


数十匹。


あるいは。


数十株。


どちらで数えるべきか。


誰にも分からない。


その間を。


皆で歩く。


右。


「ジュオー……」


左。


「ジュオー……」


前。


「ジュオー……ジュオー……」


後ろ。


「ジュオオオー……」


リーゼが綿を摘みながら言った。


「音だけ聞くと、かなり嫌だな」


スージーも大きな綿塊を袋へ入れる。


「でも襲ってこない」


「鳴き声でもない」


「臭くない」


「変な汁も出ない」


「噛まない」


「刺さない」


「こっちを見ない」


「そもそも動かない」


二人。


少し考える。


そして。


同時。


「……優良では?」


シズクが少し離れたところで、摘んだ綿を指先でほぐしていた。


「綿も、とても質がよいですよ。繊維が長いので、糸にしやすそうです」


リーゼが大きく頷く。


「合格!」


スージーが笑う。


「何の?」


「谷底資源としてだ!」


「大尉の合格基準、本当に低くなったわね」


「オホ声マンゴーを超えなければ、大抵合格だ!」


遠く。


「ジュオー……」


リーゼ。


「ほら。かわいいものだ!」


スージー。


「かわいい?」


「比較の問題だ!」



         ◇



ただ。


ティセラは。


ずっと真面目な顔をしていた。


綿雲虫。


地面。


茎。


口吻。


外殻。


綿。


一つずつ確認する。


スージーが聞いた。


「教授、何か気になる?」


「はい」


ティセラは綿雲虫の腹の下にある緑色の茎を見る。


その周囲を少し掘る。


地下へ。


細い根のようなものが続いている。


「やはり」


リーゼが。


嫌そうな顔をした。


「何だ」


ティセラは。


少し離れた。


バロメッツの群生地がある方向を見る。


「バロメッツに似ています」


リーゼが即座に返す。


「どこがだ!」


「地面へ根を張る植物体があり、そこから動物に酷似した器官が形成される点です」


「まあ」


「成熟した動物様部分が、植物とは思えないほど完成した外見と機能を持つ」


「まあ」


「さらに人間が利用できる大量の繊維を形成します」


リーゼが腕を組む。


「バロメッツは羊毛。こいつは綿」


「はい」


ティセラは。


綿雲虫を見る。


「バロメッツそのものの変異種か、かなり近い系統にある植物ではないでしょうか」


ルヴァナが。


バロメッツの方向を見る。


次。


綿雲虫。


見る。


「羊の親戚が虫?」


「見た目ではなく、本体側の構造が近い可能性です」


ネイラもしゃがんで茎を見る。


「羊や虫に見える部分が本体とは限らない、ということね」


「そうです。むしろ地中の植物体が本体で、地上の羊や虫は、果実に相当する構造なのかもしれません」


リーゼが。


顔をしかめる。


「その話を聞くと、急に全部が気持ち悪くなるな」


スージーが言う。


「でも考古学者としては、ちょっと面白い」


「お前まで教授側へ行くな!」


ティセラは。


完全に。


研究の顔になっていた。



         ◇



そこで。


エヴァが。


一匹を見る。


「これ、食えるのか?」


リーゼが。


勢いよく振り返った。


「やっぱり聞いた!」


「何だよ」


「絶対に貴様が聞くと思っていた!」


「バロメッツは食えたぞ」


「だから何だ!」


ティセラが。


少し考える。


「近縁なら可食部分が存在する可能性はあります」


「教授まで乗るな!」


ノアも綿雲虫を眺めた。


「外殻全部じゃなくて、内部に可食部があるタイプかもしれないね」


リーゼが。


聖者を見る。


「聖者まで!」


結局。


安全確認をした。


小さな個体から。


ごく少量。


毒性。


なし。


異常な魔力反応。


なし。


臭い。


少し。


甲殻類っぽい。


リーゼが。


嫌そうな顔をする。


「……まさか」


シズクが。


加熱する。


小さな一切れ。


湯気。


匂い。


スージーの猫耳が。


ぴくっ。


「これ」


ティセラも。


少し驚いた。


「蟹ではありませんね」


エヴァが。


先に食べた。


噛む。


そして。


「あ」


リーゼ。


「何だ」


エヴァ。


もう一口。


「エビだ」


沈黙。


リーゼが。


ゆっくり。


「……エビ?」


「エビ」


シズクも安全確認済みの一切れを口へ入れる。


少し噛む。


「エビですね」


スージーも。


「……エビだわ」


ティセラまで。


「確かに。バロメッツより甘味が強く、食感もこちらの方がエビに近いですね」


リーゼが。


綿雲虫を見る。


一メートル。


巨大昆虫。


草から生えている。


地面へ口吻。


「ジュオー……」


尻。


巨大綿花。


中身。


エビ味。


リーゼは。


しばらく。


黙った。


「……まあ」


スージー。


「まあ?」


「虫がエビ味なのは、そこまでおかしくない」


全員。


少し。


止まった。


ノアが言う。


「そこだけ切り取ればね」


リーゼが力強く頷いた。


「だろう!」


スージーは。


綿雲虫全体を見る。


「草から生えてるけど」


「そこは見るな!」


「尻が綿花だけど」


「そこもだ!」


「大地を吸ってるし」


「エビ味だけ見ろ!」


ティセラが。


静かに記録する。


『綿雲虫。尾部に綿状繊維を形成。植物体との接続あり。バロメッツ近縁種または変異種の可能性。内部可食部――エビに類似した食味』


リーゼが。


横から読む。


「教授」


「はい」


「食材として登録する気か」


「利用可能資源ですから」


エヴァが。


嬉しそうに言った。


「じゃあ今度、焼こう」


リーゼが。


頭を抱えた。


「綿を取りに来ただけだったはずなのに……」



         ◇



結局。


その日の収穫。


綿。


大量。


さらに。


食用可能であることが判明した綿雲虫。


数匹。


いや。


数株。


いや。


数個体。


数え方については。


後日決めることになった。


シズクは大量の綿を確認し、満足そうだった。


「これなら冬服を増やせます」


リーゼが聞く。


「エヴァの分も?」


「十分です」


エヴァ。


「厚めにしてくれ」


リーゼ。


「貴様の一着で他人二人分くらい使うんだぞ!」


「俺、でかいからな」


「知っている!」


ルヴァナが。


採取した綿を持ち上げる。


「これ、布団にも使えそうじゃん」


シズクが頷く。


「はい。余れば寝具も増やせます」


ネイラも言う。


「継続採取できるなら、冬物の供給源としてかなり優秀ね」


そして。


背後。


「ジュオー……」


「ジュオー……」


「ジュオオオー……」


もう。


誰も。


あまり気にしていなかった。



         ◇



帰り道。


スージーが綿袋を背負いながら言った。


「今日、平和だったね」


リーゼも同じくらい大きな袋を背負っている。


「一メートルの巨大昆虫の群れの中を歩き回ったがな」


「でも動かなかった」


「襲われなかった」


「変な臭いもない」


「果汁池もない」


「オホ声もない」


「尻が綿花なだけ」


「地面から生えてるけど」


「大地に口を刺して吸ってるけど」


「バロメッツの近縁種疑惑もあるけど」


「中身はエビ味だけど」


二人。


少し。


考えた。


リーゼが。


満足そうに。


言った。


「普通だな」


スージーも。


頷いた。


「普通ね」


後ろを歩くノアが。


ものすごく。


遠い目で。


二人を見る。


一メートルの巨大虫。


植物から生え。


地面へ長い口吻を突き刺して。


「ジュオー」


と大地の栄養を吸い。


尻に巨大な綿花をつけ。


中身はエビ味。


リーゼが。


振り返った。


「良い資源だったな!」


ノアは。


少し考えた。


そして。


「……みんな、本当に谷底に慣れたね」


それしか。


言えなかった。

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