第百六十話 羊毛と蟹
人数が増えた。
それ自体は、喜ばしい。
問題は。
服だった。
「雪が降る前に、冬物を増やさないといけません」
シズクが、衣類を広げながら言った。
谷底にも季節はある。
今はまだ暖かいが、寒くなれば雪も降る。館には以前から冬物があるものの、住人は増えた。さらに、昔作った衣服には今の人数や体格へ合わないものも多い。
特に。
エヴァ。
シズクが、エヴァの肩へ布を当てた。
足りない。
次。
胸。
足りない。
腕。
足りない。
腰。
やっぱり足りない。
シズクが言った。
「エヴァの分は、作り直した方が早いですね」
エヴァが自分の身体を見る。
「そんなに違うか?」
リーゼが即答した。
「違う」
スージーも頷く。
「大きいもの」
「お前らも食って鍛えろ」
「そういう問題ではない!」
シズクは採寸紐をまとめた。
「それで、羊毛が必要です」
リーゼが少し身構えた。
「羊毛」
「はい」
「……何から取る」
シズクがリーゼを見る。
リーゼもシズクを見る。
スージーも。
ティセラも。
ネイラも。
ルヴァナも。
誰も。
「羊」
とは言わなかった。
しばらく。
沈黙。
ルヴァナが最初に言う。
「木?」
リーゼ。
「可能性は高い」
スージー。
「岩から生えてたり?」
ネイラ。
「水中という可能性もあるわね」
リーゼ。
「巨大な毛虫ではないだろうな」
シズク。
「鳴く植物かもしれません」
リーゼの眉が動く。
「それは嫌だ」
ノアが苦笑した。
「普通に羊かもしれないよ」
全員が。
ノアを見る。
リーゼが言った。
「聖者」
「何?」
「谷底生活が長いのに、まだそんな甘いことを言うのか」
「僕が注意される側なの?」
◇
羊毛が取れる場所については、エヴァが知っていた。
館から少し離れた草原。
林と岩場の間。
そこにまとまって生えているという。
「ただし、狼に気をつけろ」
出発前。
エヴァが言った。
リーゼが頷く。
「普通の狼か?」
「でかい」
「どのくらいだ」
「二メートルくらい」
リーゼが一瞬黙った。
「それを先に言え!」
「今言っただろ」
「二メートル級を狼の一言で済ませるな!」
エヴァは笑った。
「羊毛のところには寄ってくる。気配がしたら固まるなよ」
スージーが長い棒を持つ。
「了解」
ルヴァナも腕を回した。
「狼くらいなら大丈夫っしょ」
ネイラが言う。
「油断しない」
「はーい」
今回。
巨獣たちも一緒だった。
黒。
キマイラ。
鵺。
ユニコーン。
ペガサス。
理由は特にない。
最近、この辺りへ行くと聞いて。
ついてきた。
四メートル級が五体。
リーゼは最初。
「狼除けとしては過剰では?」
と思った。
その判断が。
後で。
少し違っていたと分かる。
◇
目的地へ着いた。
最初に聞こえたのは。
「メー」
だった。
全員。
止まった。
さらに。
「メー」
「メェー」
「メー」
リーゼの顔が。
少し。
緩んだ。
「……羊だ」
スージーも。
猫耳を立てる。
「羊ね」
シズク。
「羊です」
ルヴァナ。
「普通じゃん」
リーゼは。
感動すらしていた。
「最近、おかしなものが続いたからな」
男根筍。
陰毛栗。
陸生アワビ。
温泉卵の木。
白濁石油。
熟れた女魚。
例のマンゴー。
その後。
羊毛を取りに来て。
「メー」
である。
リーゼは胸へ手を当てた。
「……普通だ」
「メー」
「普通の鳴き声だ」
「メェー」
「安心する」
スージーが言った。
「まだ姿見てないけどね」
「鳴き声が羊なら十分だ!」
そして。
草地を抜けた。
リーゼが。
止まった。
「……木だ」
そこにいたのは。
羊ではなかった。
正確には。
羊だけでもなかった。
低い木。
あるいは。
巨大な草本のような植物。
地面から太く柔軟な茎が伸び。
その先に。
羊。
白い羊毛。
四本脚。
頭。
耳。
顔。
「メー」
ただし。
腹の辺りから。
茎。
地面と接続。
羊が歩こうとするたび。
茎が。
ぐにーっ。
と曲がる。
「メー」
リーゼは。
しばらく。
見ていた。
「……まあ」
スージーが見る。
「大尉?」
リーゼは。
意外にも。
落ち着いていた。
「この程度なら普通では?」
全員が。
少し考える。
そして。
最近の谷底を思い出す。
「……普通かも」
スージー。
「かなり普通寄りね」
ルヴァナ。
「全然鳴き声エロくないし」
ネイラ。
「異臭もないわ」
シズク。
「白い汁も吹きません」
リーゼが力強く頷いた。
「合格!」
ノアが言った。
「基準がおかしくなってるよ」
◇
ティセラだけは。
植物を見るなり。
止まっていた。
眼鏡を直す。
そして。
「プランタ・タルタリカ・バロメッツ」
と。
口にした。
リーゼが勢いよく振り返る。
「知っているのか、教授!」
「はい」
ティセラは。
普通に。
頷いた。
「私の世界にもあります」
スージーの猫耳が立った。
「本当に?」
「ええ。寒冷地では、かなり一般的です」
リーゼが。
さらに驚く。
「一般的!?」
ティセラは一本へ近づく。
若い株。
まだ羊になっていない。
茎の先に。
大きな瓢箪のような実がある。
「若い時期には、このような実をつけます」
ぽんぽん。
長い棒で確認。
「この段階で収穫すると、中に子羊肉に似た可食部があります」
シズクが興味を持った。
「お肉なのですか?」
「はい。まだ生きた羊にはなっていません」
ルヴァナ。
「実を割ったら肉?」
「そうです」
リーゼが。
少し考える。
「……まあ、植物肉だな」
スージーが見る。
「それで納得するようになったのね」
「男根筍より遥かに理解しやすい」
否定できない。
ティセラは。
次に。
成熟した株を見る。
「十分に熟すまで残すと、このように羊の姿になります」
「メー」
羊。
草を食べる。
ただし。
茎につながっているため。
届く範囲だけ。
もしゃ。
もしゃ。
「羊毛を取るなら、この段階ですね」
リーゼが近づく。
毛。
触る。
普通の羊毛。
柔らかい。
「……本当に羊毛だ」
「はい」
ティセラが。
足元も指した。
「蹄まで」
リーゼ。
「蹄?」
見る。
蹄。
のはずの部分まで。
毛。
「……羊毛?」
「羊毛です」
リーゼが。
少し。
黙った。
「蹄まで羊毛なのか」
「はい」
「歩きにくくないのか」
「地面を歩き回る生物ではありませんから」
「なるほど」
リーゼが。
妙に。
納得した。
ティセラは続ける。
「ですので、利用時には捨てるところがかなり少ないです」
スージーが聞いた。
「肉も食べるの?」
「もちろん」
「味は?」
ティセラは。
何でもないように。
「蟹に近いですね」
沈黙。
リーゼ。
「……何?」
「蟹です」
「羊なのに?」
「はい」
「植物なのに?」
「はい」
「羊で植物で、肉が蟹?」
「そうです」
リーゼは。
少し。
考えた。
そして。
「まあ、その程度ならいい」
スージーがリーゼを見る。
「完全に谷底に馴染んだわね」
◇
ティセラの世界では。
もっと。
身近らしい。
「寒い時期には鍋へ入れます」
シズクが反応した。
「鍋」
「はい」
「美味しいですか?」
「美味しいですよ」
ティセラは。
ちょっと嬉しそうだった。
「薄く切って煮てもいいですし、大きめに切って煮込んでもいいですね。出汁も出ます。寒い地域では定番の具材です」
ルヴァナが聞く。
「蟹味の羊鍋?」
「羊の形をした植物の、蟹味の肉ですね」
ルヴァナ。
「情報量多っ」
ネイラは。
羊を見る。
「でも、食材としては合理的ね」
「羊毛も同時に取れますから」
「冬物と夕食が同時に確保できる」
「そうなります」
エヴァが嬉しそうに言った。
「じゃあ今日は鍋だな」
シズクも。
すでに調理の顔。
「蟹のお味でしたら、白菜のような葉物があれば合いそうですね」
リーゼが。
周囲を見た。
羊。
「メー」
植物。
普通の匂い。
羊毛。
普通。
肉。
蟹味。
鍋。
「……結構、普通では?」
ノアが。
少し笑う。
「僕も、おとぎ話では知ってた」
リーゼも頷く。
「小官もだ」
スージーも。
「私も。実在するとは思ってなかったけど」
三人とも。
出身世界では。
伝説。
おとぎ話。
ありえない植物。
でも。
谷底で。
実物を見る。
感想。
「ああ、バロメッツか」
だった。
リーゼは。
それに気づく。
「……小官たち、だいぶ駄目になっていないか?」
スージーが言う。
「最近が最近だから」
遠くで。
「メー」
リーゼが頷く。
「かわいい鳴き声だ」
◇
そこで。
黒の耳が。
動いた。
「ぶるるるるっ」
エヴァが。
一瞬で。
顔を変えた。
「来たな」
リーゼ。
「何だ」
「狼」
スージーの猫耳も立つ。
草むら。
左右。
奥。
気配。
複数。
低い位置。
いや。
低くない。
二メートル級。
大きな灰色の狼が。
草の向こうから。
ゆっくり。
姿を現した。
一頭。
二頭。
三頭。
さらに。
後ろ。
リーゼが。
すぐに声を出す。
「配置につけ!」
全員。
動く。
エヴァ。
前。
ルヴァナ。
横。
ネイラ。
後方。
クロエとアスラも。
自然に左右へ散る。
ティセラ。
魔術準備。
スージー。
長い棒。
シズクは。
採取物を守る位置。
ノアも前へ出る。
狼。
低く唸る。
羊。
「メー」
狼たちの視線。
バロメッツ。
やはり。
羊を狙っている。
リーゼが言った。
「来るぞ!」
一頭が。
地面を蹴った。
二メートル級の巨体。
跳躍。
口。
牙。
一直線。
そして。
「いただきまーす!」
横から。
もっと大きな口が。
出た。
ぱく。
狼。
消えた。
リーゼ。
「……え?」
◇
黒。
キマイラ。
鵺。
ユニコーン。
ペガサス。
四メートル級。
五体。
狼が。
飛びかかってきた。
はずだった。
だが。
狼側から見れば。
さらに倍ほどの巨大生物五体の前へ。
自分から。
飛び込んだだけだった。
黒。
「ぶひっ!」
ぱく。
一頭。
キマイラ。
獅子頭。
「いただきー!」
ぱく。
山羊頭。
「そっちウチのー!」
竜頭。
「まだいるじゃん!」
蛇尾。
「お兄ちゃんの分も残してー!」
鵺。
「まあ。こちらにもいらっしゃいましたわ」
ぱく。
「お゙ほ……失礼。美味しゅうございます」
リーゼ。
「今オホ声を抑えただろ」
さらに。
ユニコーン。
「僕もいただきまーす!」
ぱく。
ペガサス。
「くっ……殺せ!」
狼へ。
「ですが、今回は貴方が食材ですわ!」
ぱく。
数秒。
静か。
草。
風。
バロメッツ。
「メー」
リーゼたち。
戦闘配置。
その前。
巨獣五体。
もぐもぐ。
リーゼが。
ゆっくり。
構えを解いた。
「……終わった?」
エヴァ。
「ああ」
ルヴァナ。
「一瞬だったね」
スージーも。
長い棒を下ろす。
「私たち、いらなかったわね」
リーゼが言う。
「というか」
見る。
ユニコーン。
白。
一角。
神聖。
美しい。
空想上。
純潔。
高貴。
その口。
肉。
次。
ペガサス。
白い翼。
天空。
英雄。
神話。
その口も。
肉。
リーゼが聞いた。
「……ユニコーンもペガサスも肉を食べるのか?」
ユニコーンが。
きょとん。
とした。
「何言ってんの?」
「いや」
ユニコーンは。
本当に。
不思議そうだった。
「僕の身体を維持するには、適度な運動と野菜とお肉だよ?」
リーゼ。
「……」
ユニコーン。
「栄養偏ったらよくないじゃん」
リーゼ。
「……」
ペガサスも。
上品に頷く。
「当然ですわ。翼を動かすにも相応の栄養が必要でございますもの」
リーゼ。
「……そうですよねー」
完全に。
受け入れた。
スージーが。
横を見る。
「大尉、諦めた?」
「いや」
リーゼは。
バロメッツ。
見る。
蟹味の植物羊。
次。
肉食ユニコーン。
肉食ペガサス。
さらに。
狼を食べている黒。
「ぶるるるるっ、ぶひひーん」
そして。
「ヴォー」
リーゼは。
静かに。
言った。
「今日は、全部かなり普通だ」
スージー。
「普通?」
「少なくともオホ声マンゴーよりは」
全員。
少し考えた。
「……普通だな」
エヴァ。
「普通ですね」
シズク。
「普通かも」
ルヴァナ。
「普通の範囲ね」
ネイラ。
ティセラまで。
「比較対象を限定すれば、そうですね」
ノアだけが。
少し。
遠い目をした。
◇
その日の収穫。
羊毛。
大量。
蹄部分まで羊毛。
若い瓢箪状の実。
数個。
鍋用。
成熟したものから取れた肉。
蟹味。
夕食。
大鍋。
湯気。
ティセラの世界でよくあるという食べ方を参考に、シズクが味を整えた。
リーゼが一口。
噛む。
蟹。
目の前。
素材。
羊。
植物。
「……蟹だ」
スージーも。
「蟹ね」
シズク。
「美味しいです」
エヴァ。
「もっと入れろ」
ルヴァナ。
「これ冬めっちゃいいじゃん!」
ティセラが。
少しだけ。
誇らしげに。
「ですから、一般的な鍋の具材だと言ったでしょう」
リーゼは。
もう一口。
食べた。
美味い。
普通に。
美味い。
しかも。
羊毛も大量に取れた。
冬服。
寝具。
防寒具。
エヴァ用の大きな衣服。
全部。
少し余裕ができる。
リーゼは。
珍しく。
素直に頷いた。
「有用だ」
そして。
少し考える。
「見た目も、まあ羊だ」
「メーでしたね」
スージーが言う。
「臭くもない」
「はい」
「変な汁も出ない」
「はい」
「妙な場所へ刺さっていない」
「はい」
「鳴き声も普通」
「メーですからね」
リーゼは。
深く。
深く。
頷いた。
「良い植物だ」
最近。
基準が。
著しく下がっていた。
だが。
誰も。
それを指摘しなかった。
今夜の鍋は。
普通に。
美味しかった。




