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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第二十二章 冒険Ⅱ

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第百五十五話 二本の普通の木

大尉は、庭に畑を作った。


畑、と呼ぶにはあまりにも小さかった。


館の周囲には、もっと広い畑がある。水路も通り、作物ごとに区画が分けられ、収穫量まで記録されている。谷底の異常な成長速度へ対応するため、植える量まで管理している、本来ならそちらがリーゼの好む合理的な農地だった。


だが、大尉が自分で作った畑は違った。


館の壁際。


日当たりのいい場所。


ほんの小さな四角形。


そこへ土を入れ、周囲を低い柵で囲い、二本だけ植えた。


普通のバナナ。


普通のマンゴー。


それだけだった。


ティセラが最初に見た時、少し不思議そうに聞いた。


「二本だけですか?」


「二本だけだ」


「空いている場所がありますが」


「植えない」


「混植するなら、他にも――」


「植えない!」


リーゼは妙に強く答えた。


「ここにはバナナとマンゴーしか植えん!」


ティセラは眼鏡を直した。


「理由を聞いても?」


リーゼは二本の木を見る。


普通の葉。


普通の幹。


普通の果実。


鳴かない。


震えない。


オホ声を出さない。


何かを咥えない。


何かに刺さらない。


陰毛状植物繊維もない。


ブルーチーズも生えない。


白い果汁の池も作らない。


ただ。


果物が生る。


「……安全保障上の理由だ」


「果樹二本が?」


「小官の精神に対する安全保障だ」


ティセラは何も言わなかった。


少し考えた後。


「分かりました」


珍しく。


追及しなかった。


         ◇


それから。


大尉は、ときどき小さな畑へ行くようになった。


朝。


仕事を始める前。


昼。


地図を描き直している途中。


夕方。


一日の作業が終わった後。


そして。


谷底が。


また何かをやらかした日。


特に。


そういう日に。


         ◇


「大尉ー!」


遠くからルヴァナの声。


「温泉卵の木、また産んだー!」


リーゼの筆が止まる。


「産んだと言うな!」


遠く。


「ぃ゙ぐぅ゙っー!」


リーゼ。


「自然落果だああああっ!」


数時間後。


小さな畑。


バナナの木の前。


リーゼが座っている。


「……お前は偉いな」


バナナ。


何も言わない。


「そうだ。それでいい」


葉。


さらさら。


「鳴くなよ」


鳴かない。


「絶対に鳴くなよ」


鳴かない。


リーゼは。


少し元気になった。


         ◇


別の日。


「教授!」


「はい」


「何故、切った竹から白い液が出る!」


「貯蔵液と思われます」


「何故イカ臭い!」


「成分分析中です」


竹林。


「ん゛お゙ぉ゙ぉ゙……っ!」


リーゼ。


「しかも鳴るなああああっ!」


その日の夕方。


マンゴーの木の下。


大尉は幹へ背中を預けていた。


「お前も偉い」


マンゴー。


普通。


「熟れても普通」


普通。


「若くても普通」


普通。


「他のマンゴーがどうなっても、お前だけは変わるな」


風が吹く。


葉が揺れる。


それだけ。


リーゼは目を閉じた。


「……優しい」


通りかかったスージーは。


少し離れたところで。


猫耳を伏せた。


笑わなかった。


         ◇


また別の日。


陸生アワビが炭火の上で。


「んお゙ぉ゙……っ!」


と鳴いた。


内部の水分が。


ぴゅっ。


と飛んだ。


ルヴァナが。


「潮吹いた!」


ティセラが。


「加熱による内部圧上昇に伴う体内水分の排出です」


リーゼが。


「言い方を変えても起きてることは同じだああああっ!」


と叫んだ。


その夜。


小さな畑。


リーゼはバナナを見上げていた。


「お前は炭火に載せても変な声を出さないな?」


少し考える。


「いや、載せないぞ。安心しろ」


バナナ。


普通。


「小官もそんな非道なことはしない」


スージーが後ろから言った。


「植物相手だとすごく優しいのね」


リーゼが飛び上がった。


「いつからいた!」


「『安心しろ』の辺り」


「忘れろ!」


「はいはい」


         ◇


スージーは。


そのうち。


大尉がここへ来る時の違いが分かるようになった。


少し疲れた日なら。


立ったまま木を見る。


かなり疲れた日なら。


柵へ腰を下ろす。


本当に駄目な日なら。


二本の木の間。


土の上。


膝を抱えて座っている。


そういう時。


スージーは急かさなかった。


「大尉」


「……何だ」


「迎えに来た」


「まだ帰らん」


「うん」


「小官は忙しい」


「そうね」


「この二本の監視が必要だ」


スージーは普通のバナナを見る。


普通。


普通のマンゴーを見る。


普通。


「異常なし」


「小官自身が確認する」


「じゃあ、隣にいる」


そう言って。


座る。


それだけ。


         ◇


ある日は。


かなりひどかった。


朝から、鶏の木の幼木が増えていた。


昼には、熟れた女魚の刺身について全員が「熟れてる」としか言えなくなった。


午後には、白濁石油を燃やした火から。


「お゙ほぉ゙ぉ゙ぉ゙……っ!」


と聞こえた。


夕方には例の新種マンゴーの森から。


「お゙ほー……」


「んお゙ぉ゙ぉ゙……!」


「いたいぃぃ……!」


「ゆるしてぇぇ……!」


と。


四方向から聞こえた。


リーゼは。


叫ばなかった。


それが。


むしろ危なかった。


黙って仕事を終えると。


小さな畑へ行った。


そして。


二本の木の間で。


膝を抱えた。


スージーが来た時。


大尉は。


俯いたままだった。


「大尉」


返事なし。


「リーゼ」


少しして。


「……何だ」


声が弱い。


スージーは隣へ座った。


「今日は多かったね」


「……四方向だった」


「うん」


「昨日は三方向だった」


「増えてたね」


リーゼの肩が。


少し震えた。


「小官は言ったんだ」


「何を?」


「森がオホ声に呑み込まれると」


「言ってた」


「本当に呑み込まれ始めている」


スージーは否定しなかった。


「明日、教授と分布を確認しよ」


「教授は残す」


「食べられるからね」


「エヴァも残す」


「酒に合いそうだからね」


「みんな残す」


「管理はすると思うけど」


リーゼは。


膝へ顔を埋めた。


「小官しか危機感を持っていない……」


「そんなことないよ」


「ある」


「ないって」


「ある!」


少しだけ。


声が大きくなった。


だが。


すぐに。


小さくなる。


「……もう嫌だ」


スージーの表情が変わった。


今度は。


何も茶化さなかった。


ただ。


リーゼの背中へ。


そっと手を置いた。


ゆっくり。


撫でる。


何度も。


「うん」


リーゼは。


俯いたまま。


「普通のものを見つけたと思ったんだ」


「うん」


「マンゴーだったから」


「そうだね」


「小官は余裕だったんだ」


「多少なら許せる大人だって言ってたね」


「……言った」


「全然許せなかったね」


リーゼの肩が。


少しだけ揺れた。


「……あれは多少ではない」


「それはそう」


ほんの少し。


リーゼが笑った。


でも。


次の瞬間。


遠くから。


「お゙ほー……」


びくっ。


リーゼの身体が震えた。


スージーは何も言わず。


背中を撫で続けた。


「大丈夫」


リーゼが。


スージーを見る。


そして。


とうとう。


堪えていたものが切れた。


「スージー……」


「うん」


抱きついた。


ぎゅっと。


大尉ではなく。


ただの。


疲れた女として。


「小官は普通の果物が欲しかっただけなんだ……!」


「うん」


「バナナみたいな!」


「うん」


「マンゴーみたいな!」


「うん」


「皮剥いたら食えるやつ!」


「うん」


「鳴かないやつ!」


「うん」


「尻に刺さらないやつ!」


「それ大事だね」


「ブルーチーズ生えてないやつ!」


「普通は生えてないね」


「おほーって言わないやつ!」


「この二本は言わないよ」


リーゼは。


泣いた。


声を上げるほどではない。


でも。


スージーの肩へ顔を押しつけ。


少しだけ。


ぼろぼろ。


泣いた。


スージーは。


何も笑わなかった。


片手で背中を撫で。


もう片方の手で。


リーゼの頭を撫でた。


短い金髪を。


ゆっくり。


何度も。


「よしよし」


「子供扱いするな……」


「じゃあ、やめる?」


「……やめるな」


「はいはい」


撫でる。


「大尉、毎日頑張ってるからね」


「……当然だ」


「地図も直すし」


「小官の仕事だ」


「水路も見るし」


「必要だからな」


「変な木が増えたら調べるし」


リーゼの肩が。


びくっ。


「その話はいまやめろ」


「ごめん」


また。


頭を撫でる。


バナナの葉が揺れる。


さらさら。


マンゴーの葉も揺れる。


さらさら。


それだけだった。


鳴かない。


呻かない。


果汁を飛ばさない。


ただ。


風に揺れる。


リーゼは。


しばらく。


スージーに抱きついたままだった。


         ◇


十分ほどして。


リーゼが離れた。


目元を拭う。


鼻をすすった。


深呼吸。


一回。


二回。


そして。


立ち上がった。


スージーも立つ。


リーゼは制服の裾を払った。


髪を整える。


姿勢を正す。


肩を開く。


顔。


戻る。


「……よし」


スージーが笑う。


「復活?」


リーゼは。


もう。


大尉だった。


「明朝、例の新種マンゴーの分布調査を行う」


「うん」


「基準点を置く。確認株数、幼株、根系、発声範囲、周辺植生への影響を記録」


「うん」


「教授には菌体の拡散範囲も確認させる」


「了解」


「果汁池は衛生上放置できん。排水経路も調べる」


「大尉らしくなった」


リーゼは胸を張った。


「当然だ。小官は帝国航空隊大尉だぞ」


スージーが頷く。


「知ってる」


リーゼは二本の木を見る。


普通のバナナ。


普通のマンゴー。


少しだけ。


目が柔らかくなる。


「……ただし」


「何?」


「ここだけは」


小さな畑を見る。


「絶対に普通のまま維持する」


スージーが笑った。


「賛成」


リーゼは頷く。


「異常植物持ち込み禁止」


「はい」


「発声植物禁止」


「はい」


「共生菌も禁止」


「はい」


「オホ声は半径五十歩以内禁止」


「それは音だから難しくない?」


リーゼの眉が跳ねた。


遠く。


「お゙ほー……」


大尉。


びくっ。


スージーが即座に背中を撫でる。


「はいはい。聞こえない」


リーゼは。


数秒。


固まった。


それから。


咳払い。


姿勢を正した。


「……明朝、まず音源位置の測定を追加する」


スージーが笑った。


「大尉に戻った」


「ああ」


リーゼは。


小さな畑から。


館へ歩き始めた。


五歩。


止まる。


振り返る。


普通の二本。


「……明日も普通でいろよ」


バナナ。


さらさら。


マンゴー。


さらさら。


返事はない。


それが。


リーゼには。


何より優しかった。

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