第百五十二話 ギャルマインドだから関係ない
夕方。
谷底が赤く染まっていた。
大瀑布の飛沫が夕日を受けて橙色に輝き、草原には巨大な生き物たちの影が長く伸びている。
リーゼは館の前で、その景色を眺めていた。
少し前。
普通のバナナが見つかった。
普通の形。
普通の匂い。
普通の味。
ただのバナナ。
あれ以来。
リーゼは普通というものを、以前より少し大切に思うようになっていた。
だから。
今日も。
夕焼けくらいは普通に眺めたかった。
どん。
地面が揺れた。
リーゼは目を閉じた。
まただ。
少し間を置いて。
どん。
館の窓が。
かた。
と鳴った。
隣にいたスージーの猫耳が動く。
「黒ね」
「聞く前から分かるようになった自分が嫌だ」
遠くから。
「ぶるるるるっ……ぶひひひーん!」
黒。
そして。
「ヴォオオオオッ!」
リーゼはため息をついた。
「後半まで黒だ」
二人で草原を見る。
そこに。
四メートル級の黒い軍馬。
黒。
そして。
もう一頭。
いや。
一頭と数えていいのかどうか、毎回少し迷う。
四メートル級のキマイラ。
巨大な獅子の身体。
獅子。
山羊。
竜。
三つの頭。
さらに。
独立して動く蛇の尾。
そのキマイラと黒が。
夕焼けの草原で。
交尾していた。
リーゼは。
しばらく。
何も言わなかった。
スージーも。
黙っている。
馬と。
キマイラ。
種として見れば何一つ普通ではない。
だが。
やっていることそのものは。
繁殖行動。
それだけである。
黒とキマイラが。
互いに望んで。
繁殖している。
非常に自然。
ただし。
四メートル級。
どん。
地面が揺れる。
黒。
「ぶひひひーん!」
続いて。
「ガオオオオオッ!」
キマイラ。
三つの頭が。
それぞれ。
違う声を上げている。
獅子頭。
「ちょ、黒っ……マジ、好きなんだけどぉぉぉっ!」
山羊頭。
「やばっ、これもう完全に両想いじゃん! お゙ほぉぉぉっ!」
竜頭。
「ウチ、最初から黒とこうなりたかったし! 遠回りとかいらないって言ったじゃん! お゙ほぉぉぉぉっ!」
リーゼが額を押さえた。
「全員うるさい!」
四メートル級の肺活量。
しかも。
頭が三つ。
それぞれ喋る。
そこへ黒。
「ぶるるるるっ、ぶひひーん!」
「ヴォオオオッ!」
地面。
どん。
どどん。
窓。
かたかた。
リーゼが叫んだ。
「一頭分の繁殖なのに音源が多すぎる!」
◇
当然。
館の中から。
ルヴァナが出てきた。
「何!? また地面揺れて――」
見る。
止まる。
「あ」
少し遅れて。
ネイラ。
「ああ……」
リーゼが言う。
「見なかったことにしろ」
ルヴァナが即答した。
「無理でしょ」
「努力しろ」
「だってキマイラじゃん」
キマイラの山羊頭が。
遠くからルヴァナを見つけた。
「ルヴァナっちー!」
「この状況で話しかけてくるの!?」
「見て見てー! ウチら黒と超ラブラブー!」
リーゼが叫ぶ。
「見せるな!」
獅子頭が。
少し顔を逸らす。
「べ、別に見せたいわけじゃないし!」
ルヴァナが笑う。
「はい出た、ツンデレ」
「違うし!」
竜頭が割り込む。
「別に隠すことなくない? ウチ、黒好きだし!」
「お前は相変わらず全部口から出すな!」
獅子頭が怒鳴る。
山羊頭は楽しそうだった。
「でもさー、黒と付き合って、結婚して、赤ちゃん作ったら最高じゃん?」
リーゼが止まった。
「話が進んでいる」
ルヴァナが笑う。
「早っ!」
山羊頭が当然のように言う。
「恋って勢いじゃん?」
「お前は本当にそれでいいのか!」
「いいじゃん。好きなんだし」
黒。
「ぶひっ」
山羊頭。
「ほら黒もそう言ってる!」
リーゼが叫ぶ。
「今の一音に何を読み取った!」
◇
そこへ。
スージーが。
妙なことを思い出した。
「そういえば」
リーゼが見る。
「何だ」
「キマイラって」
夕焼けの巨大なキマイラを見る。
「私の知ってる象徴だと、部位ごとに意味を当てる話があった気がするのよね」
ルヴァナが食いつく。
「何それ」
スージーが指を立てる。
「獅子は、恋愛における相手への強い衝動」
獅子頭。
「……」
少し。
黒を見る。
そして。
顔を逸らす。
「べ、別に強い衝動とかじゃないし」
山羊頭が即座に言う。
「黒の弁当作るために森ぶっ壊して道作った奴が何言ってんの」
「道を作ったんじゃない!」
「公共事業」
「違う!」
リーゼが横から叫ぶ。
「その言葉を蒸し返すな!」
スージーが続ける。
「山羊は、速やかな恋の成就」
山羊頭。
ぱっと顔が明るくなる。
「それウチじゃん!」
リーゼが嫌そうな顔をした。
「妙に合っているな」
「でしょー?」
山羊頭は黒へ向かって。
大声。
「黒ー!」
黒。
「ぶひひーん!」
山羊頭。
「結婚して、赤ちゃんつくろ!」
リーゼが叫んだ。
「速やかすぎる!」
山羊頭。
「だって恋は成就させるもんじゃん!」
「段階を踏め!」
「もう今ここまで来てるし!」
「それを言うな!」
竜頭が笑う。
「山羊、意外とウチより飛ばすじゃん」
「恋愛ではウチが一番まともだし」
「どこが?」
「ちゃんと付き合って結婚して赤ちゃんって言ってるじゃん」
リーゼが黙った。
順序だけなら。
確かに。
妙にまともだった。
◇
スージーは。
最後に。
キマイラの後ろを見る。
蛇の尾。
夕焼けの中。
独立して首を動かしている。
「それで、蛇は」
少し間。
「失望とか、悔恨」
蛇頭が。
ぴたり。
止まった。
リーゼも見る。
ルヴァナも。
ネイラも。
しばらく。
沈黙。
蛇頭は。
ゆっくり。
黒を見る。
それから。
甘えるように身体をくねらせた。
「お兄ちゃーん」
黒。
「ぶひっ?」
蛇頭。
「結婚したらいっぱい甘やかしてねぇ」
リーゼが叫んだ。
「失望も悔恨もどこへ行った!」
蛇頭が首を傾げる。
「知らなーい」
「知らない!?」
「私、そういう暗いの向いてないし」
スージーが言う。
「でも象徴としては」
蛇頭。
「ギャルマインドだから関係ない」
沈黙。
ルヴァナが。
吹き出した。
「強い!」
蛇頭はさらに続ける。
「失望したら次の日楽しいことすればよくない?」
リーゼ。
「雑だ!」
「悔やんでも時間戻らないじゃん」
リーゼ。
「それはまあ」
「だったら、お兄ちゃんに甘えて忘れればよくない?」
リーゼ。
「最後で全部台無しだ!」
蛇頭が嬉しそうに黒を見る。
「お兄ちゃーん!」
黒。
「ヴォー!」
蛇頭。
「ほらぁ、優しい!」
リーゼ。
「何故それで意思疎通が成立する!」
◇
ティセラも出てきた。
状況を見る。
そして。
リーゼが何か言う前に。
「非常に興味深いですね」
「何も調べるな!」
「まだ何をとは言っていません」
「頭が複数ある状態での繁殖時の感覚共有とか考えただろう!」
ティセラが少し黙る。
図星だった。
ルヴァナがキマイラを見る。
「でもさ」
「何?」
山羊頭が答える。
「赤ちゃんって、どうなるんだろ」
全員。
少し黙る。
リーゼが言う。
「その疑問はまともだな」
獅子頭。
山羊頭。
竜頭。
蛇頭。
全員。
考える。
そして。
山羊頭が言った。
「かわいければよくない?」
リーゼが叫ぶ。
「遺伝を放棄するな!」
竜頭も続く。
「強ければもっとよくない?」
「基準が雑!」
獅子頭が言う。
「別に、黒に似てても嬉しいけど」
顔を逸らす。
「……ウチに似てても、まあ、悪くないし」
ルヴァナ。
「かわいー」
獅子頭。
「うるさい!」
蛇頭はもっと簡単だった。
「お兄ちゃんの赤ちゃんだったら、何でもかわいいよぉ」
リーゼは。
もう。
何も言わなかった。
◇
そこへ。
山羊頭が。
ふと思いついたように言った。
「ていうかさ」
「今度は何だ」
リーゼが聞く。
「黒って、ユニコーンとも仲いいじゃん?」
リーゼの眉が動く。
「……ああ」
「ペガサスとも仲いいじゃん?」
「そうだな」
「鵺とも仲いいじゃん?」
リーゼは。
さらに嫌な予感。
「それがどうした」
山羊頭は。
非常に楽しそうに。
言った。
「じゃあ、皆でママ友だよ!」
沈黙。
リーゼが。
完全に止まった。
ルヴァナが。
先に理解した。
「あー!」
「でしょ?」
「ユニコーンと、ペガサスと、鵺と、キマイラ?」
「そう!」
「黒の子ができたら?」
「皆でママ友!」
竜頭。
「それ楽しそうじゃん」
蛇頭。
「私、お兄ちゃんの赤ちゃん同士で遊ばせたーい」
獅子頭は。
少し顔を赤くするように。
横を向いた。
「べ、別にママ友とか憧れてないし」
山羊頭。
「また始まった」
「うるさい!」
ルヴァナが笑う。
「絶対一番張り切るタイプじゃん」
「違うし!」
リーゼは。
額を押さえた。
「何だ、この繁殖共同体は」
ティセラが言う。
「大型生物間の社会関係としては非常に――」
リーゼが教授を見る。
「研究するな」
「ですが」
「ママ友を学術対象にするな!」
◇
遠く。
黒。
「ぶるるるるっ……ぶひひひーん!」
キマイラ。
獅子頭。
「黒ぉぉぉっ!」
山羊頭。
「結婚しよー!」
竜頭。
「ウチも黒の赤ちゃん欲しいし!」
蛇頭。
「お兄ちゃーん!」
そして。
三つの頭と尻尾。
声が重なる。
「お゙ほぉぉぉぉっ!」
地面。
どん。
館。
かたかた。
夕焼け。
綺麗。
非常に。
綺麗。
リーゼは。
その景色を見ながら。
少し前の。
ただのバナナを思い出した。
黄色い。
皮を剥く。
食べる。
甘い。
それだけ。
象徴について考える必要もない。
人格の数を数える必要もない。
誰と誰がママ友になるかも考えなくていい。
ギャルマインドで神話的象徴を突破することもない。
ただ。
バナナ。
リーゼは。
深く。
ため息をついた。
「普通って」
スージーが見る。
「うん」
「本当に大切なものだったんだな」
ルヴァナが笑う。
「またバナナ食べる?」
「食べる」
即答。
その向こう。
夕日に染まったキマイラが。
黒へ向かって。
山羊頭。
「黒ー! 結婚して、赤ちゃんつくろー!」
竜頭。
「皆でママ友やろー!」
蛇頭。
「お兄ちゃーん!」
獅子頭。
「べ、別に絶対じゃないけど! 黒がどうしてもって言うなら……!」
黒。
「ぶひひひーん!」
そして。
「ガオオオオオッ!」
リーゼは。
もう振り返らなかった。
神話の象徴より。
ギャルマインドの方が。
圧倒的に強かった。




