【一般公開版】第百五十一話 鵺は一頭なのか
夕方。
また地面が揺れていた。
どん。
館の窓が、かたかたと鳴る。
リーゼは夕食前の記録をまとめながら、しばらく無視していた。この程度では、もう立ち上がらない。
「ぶひひひーん!」
続いて。
「ヴォオオオッ!」
リーゼの手が止まる。
「黒か」
窓際のスージーが外を見る。
「でも、相手が違う」
「今度は何だ」
「鵺」
「確認だけする」
館の外へ出ると、四メートル級の黒い軍馬が、同じほど巨大な鵺と綱引きをしていた。
鵺は複数の獣を合わせたような身体を持ち、後ろには独立して動く蛇の尾がある。黒と鵺が引くたび、太い綱が軋み、地面が揺れた。
「黒様、少し手加減していただけますと幸いでございます!」
普段と変わらない、箱入りのお嬢様のような口調だ。
しかし後ろの蛇は騒がしい。
「兄者様ぁぁぁ! ヘビも負けないぃぃぃ!」
リーゼが蛇を見る。
「……尻尾も参加しているのか?」
「綱は本体がくわえているけど、尻尾も地面に巻きついて支えてるわね」
スージーが答える。
蛇の頭は鵺本体とは別に首を振り、黒へ声援を送り、時には本体へ指示まで出していた。
「お姉様、右! もっと右へ踏ん張って!」
「分かっております!」
「遅い!」
「あなたは尻尾でしょう!」
「尻尾だって身体でしょ!」
リーゼとスージーは顔を見合わせた。
そこへティセラがやってきた。
「測るな」
「まだ何も言っていません」
「この状況を見て、何も調べないはずがない!」
「以前から、尾部は独立した発話と意思決定を行っていますね」
ティセラは鵺本体と蛇の尾を交互に観察する。
「意識そのものは、別である可能性が高そうです」
「では身体は?」
「構造としては連続しています」
「なら一頭なのか?」
「本人たちの自己認識を確認した方がいいでしょう」
リーゼは遠くから声をかけた。
「鵺! 貴様と尻尾は別人なのか!」
本体が答えるより早く、蛇が叫ぶ。
「別です! ヘビはヘビです!」
「勝手に答えないでくださいませ!」
「だって別だもん!」
「やはり別意識か」
「間違いなさそうね」
ティセラが記録板へ書き込む。
鵺本体は綱をくわえたまま、どうにか説明した。
「ただし、身体はわたくしの身体でございます」
「ヘビの身体でもあるもん!」
「あなたは尻尾でしょう!」
「尻尾だって身体でしょ!」
鵺が黙った。
スージーが言う。
「正論ね」
「……そうでございますけれども」
次の瞬間、黒が強く綱を引いた。鵺の前脚が滑る。
「きゃっ!」
「わあっ!」
本体と蛇が同時に声を上げた。
ティセラの目が輝く。
「興味深いですね。意識は独立していても、平衡感覚や身体感覚の一部を共有している可能性があります」
「つまり頭が二つあって、考えることは別。でも身体から来る情報は両方へ入る?」
「単純化するなら」
「ややこしい!」
綱引きは続く。
「兄者様、強い!」
「黒様、わたくしどもも負けません!」
「今『ども』って言ったな」
「本体と尻尾の共同参加だからでしょう」
最後は蛇が近くの木へ巻きついたことで、鵺側が一気に盛り返した。黒の前脚が線を越える。
「ヘビたちの勝ち!」
「勝手に代表しないでくださいませ!」
「でも勝ったよ?」
「それは、そうでございますが……」
黒が悔しそうに鳴いた。
「ぶひっ! ガオー!」
いつの間にか隣にいたエヴァが言う。
「細けえこと気にすんな、だと」
リーゼは黒を指差した。
「貴様にだけは言われたくない!」
ティセラは記録へまとめる。
『複数意識、一身体型生物の可能性』
『尾部人格は高度な独立性を有する』
『本体と尾部の間に、一部感覚共有を示唆する反応あり』
リーゼは記録を眺め、うなずいた。
少し前に食べた普通のバナナは、人格が何個あるのか考える必要などなかった。
今、目の前では本体と尻尾が、勝利の名乗りをどちらが上げるかで言い争っている。
リーゼはもう振り返らなかった。




