【一般公開版】第百四十九話 純潔なのは、僕じゃなくて乗る方だよ
夕方。
谷底が赤く染まり、大瀑布の飛沫が橙色に輝いていた。リーゼはバルコニーで記録を整理し、珍しい静けさを味わっていた。
「……こういうのでいいんだ」
「最近、普通に飢えてるわね」
隣のスージーが笑う。
そのとき、どん、と地面が揺れた。
草原の向こうに、四メートル級の巨大な影が二つある。一頭は黒い軍馬、黒。もう一頭は、一本角を持つ真っ白なユニコーンだった。
二頭は地面へ引いた線を挟み、向かい合っている。
「何をしている?」
「競走じゃない?」
合図もなく、二頭が走り出した。黒い巨体と白い巨体が草原を駆けるたび、地面が揺れ、館の窓が鳴る。
黒が鳴いた。
「ぶひひひーん!」
続いて。
「ヴォオオオッ!」
リーゼが叫ぶ。
「やはり後半が分からん!」
ユニコーンも負けじと声を上げる。
「僕ぅぅぅっ! 負けないからねぇぇぇ!」
館の皆が次々と外へ出てきた。ルヴァナは大笑いし、ネイラは振動の周期を数える。エヴァは腕を組んで満足そうにうなずいた。
「黒は元気そうだな」
「元の主人として止めろ!」
「馬が走ってるだけだぞ」
「四メートル級二頭が館の横で全力疾走しているんだ!」
黒とユニコーンは草原を往復し、今度は障害物競走を始めた。倒木を越え、大岩を回り、水路を飛び越える。夕焼けを背負った姿だけなら、神話の一場面のように美しい。
そこでスージーが首を傾げた。
「ユニコーンって、純潔な乙女しか背中に乗せないんじゃなかった?」
皆が白い巨体を見る。
リーゼは遠くへ叫んだ。
「おい、ユニコーン! 貴様、純潔はどうした!」
白い耳がぴくりと動く。
「それ、僕が純潔じゃなきゃいけないって話じゃないよね!?」
「……何?」
「背中に乗る方の話でしょぉぉぉっ!」
スージーが吹き出し、ルヴァナも笑った。
「確かに!」
「いや、しかしユニコーンといえば清らかな――」
「僕だって泥遊びもするし、木の実酒だって飲むよ!」
「堂々と言うな!」
「清らかな乙女を乗せる伝承と、僕の日常は別の話!」
ティセラが真面目にうなずく。
「論理的には正しいですね」
ノアも続けた。
「伝承上の条件は騎手側に掛かっていると考えるのが自然だね」
「ほらぁぁぁ!」
リーゼは言葉に詰まった。
「ユニコーンの勝ち」
ルヴァナが宣言する。
「何の勝負だ!」
すると黒が横から駆け抜け、先にゴール線を踏んだ。
「ぶひひひーん! ガオオオオッ!」
「黒も勝ったって!」
「それだけは絶対に分からん!」
二頭は再戦を始めた。どん、どん、と館が揺れる。
リーゼは美しい夕焼けを見ながら、深くため息をついた。
「……普通を願う時は、規模まで指定しなければ駄目だったらしい」
スージーは、しばらく笑っていた。




