第百四十七話 腐っているのではなく、熟成していた
最初に異変を見つけたのは、スージーだった。
男根筍の竹林。
若いうちは刺身にすると妙に美味く、放っておけば黒く育ち、表面へ縦横無尽に太い道管と師管を浮き上がらせる。
見た目だけなら、どう考えても血管の浮いた巨大な男性器。
だが、材としては軽く、丈夫で、加工しやすい。
最近ではもう、リーゼも黒竹そのものには驚かなくなっていた。
問題は。
その日見つけた二本だった。
「……大尉」
「何だ」
「ちょっと来て」
リーゼは嫌そうな顔をした。
最近。
スージーの「ちょっと来て」で、まともなものが見つかったためしがない。
それでも行く。
竹林の奥。
スージーが一本の黒竹を指差した。
いや。
一本ではなかった。
二本。
互いに近い場所から伸びた成熟した男根筍が、途中から絡み合っていた。
一本が曲がる。
もう一本へ巻き付く。
巻き付かれた方も曲がる。
そのまま。
互いの表面を押しつけながら。
螺旋状に。
ぐるぐる。
絡み合っている。
リーゼは止まった。
「……何故だ」
スージーが言う。
「私もそれを聞きたい」
表面には、例の太い道管と師管。
黒い外皮の上へ、血管のように盛り上がっている。
二本が接触している部分では、その筋同士まで絡み合っているように見えた。
しかも。
接触面。
湿っている。
白っぽい液体。
わずかに粘る。
リーゼが即座に言った。
「よし、離そう」
「待って」
後ろからティセラ。
リーゼが振り向く。
「教授、いつからいた」
「スージーに呼ばれました」
「何故、小官より先に教授を呼ぶ!」
スージーが答える。
「珍しいものだったから」
「小官は安全管理担当か!」
「そうじゃない?」
リーゼは否定できなかった。
◇
まず。
触らない。
棒。
シズクが長い棒を持ってきた。
絡み合った黒竹の間へ。
つん。
何もない。
もう少し。
つん。
竹がわずかに揺れる。
その瞬間。
低く。
「ん゛お゙ぉ゙……」
リーゼが目を閉じた。
「知っていた」
もう一本も揺れる。
「ぐぅ゙ぅ゙……っ」
スージーが言う。
「二本で声違う」
ティセラが記録する。
「内部空洞の大きさに差がありますね」
「そこを研究しなくていい!」
しかし。
問題はそこではなかった。
絡み合った竹の根元。
少し陰になったところに。
何かいる。
一つ。
二つ。
三つ。
さらに。
その奥。
スージーの猫耳が立った。
「アワビ」
陸生アワビだった。
以前見つけた。
成熟した男根筍の黒竹へ吸着し、表面の分泌物を舐めるようにして暮らす、妙な陸生生物。
だが。
今日のものは。
少し違った。
大きい。
明らかに。
肉厚。
色も濃い。
そして。
ほとんど動かない。
黒竹二本が絡んだ隙間へ、身体を押し込むように張り付いている。
リーゼが嫌そうな顔をした。
「……死んでいないだろうな」
ティセラが長い棒で軽く触れる。
ぎゅっ。
陸生アワビがさらに吸着する。
「生きています」
「では何故こんなに動かない」
「分かりません」
スージーが鼻を近づけようとする。
リーゼが襟を掴んだ。
「嗅ぐな」
「まだ嗅いでない」
「最近、白濁液には碌な臭いがない!」
それは経験だった。
白濁石油。
イカ臭い。
黒竹内部の白濁液。
イカ臭い。
今回。
二本の黒竹が接触している場所にも。
白い液。
リーゼは風上へ移動した。
「教授、まず臭気だ」
「はい」
ティセラも直接鼻を近づけない。
布。
棒。
少量採取。
十分離す。
風。
少しだけ。
「……」
教授が止まる。
リーゼが警戒する。
「イカか」
「少し」
「やはり!」
「ですが」
ティセラがもう一度慎重に確認する。
「発酵臭があります」
スージーが言う。
「発酵?」
「はい。酸味があります。それに、少し甘い」
リーゼが嫌な顔をした。
「腐っているのではないだろうな」
◇
それが。
最初の仮説だった。
腐敗。
二本の黒竹。
高湿度。
白濁した植物汁。
そこへ陸生アワビが密集。
しかも個体は動きが鈍く。
色も濃い。
「腐ってる?」
ルヴァナが後から来て、開口一番そう言った。
リーゼが言う。
「小官もそう思っている」
ネイラが陸生アワビを見る。
「でも臭いは強いけど、腐敗した肉の臭いとは違う気がする」
ティセラも頷く。
「組織崩壊も見られません」
一匹だけ。
慎重に採取する。
竹から剥がす。
かなり強い。
ぺり。
「ん゙ぉ……」
リーゼが止まった。
「今、アワビまで鳴いたか」
ティセラが答える。
「圧迫された空気が――」
「もういい。仕組みは分かっている」
採取個体を調べる。
腐敗。
なし。
壊死。
なし。
寄生虫。
問題なし。
むしろ。
通常個体より。
身が厚い。
水分は少し減っている。
内部の旨味成分。
高い。
脂質に近い成分も変化している。
ティセラが数値を見る。
「……これは」
リーゼが言った。
「何だ」
「腐ってはいません」
「では何だ」
ティセラが少し考えた。
「熟成しています」
沈黙。
スージーが言う。
「アワビが?」
「はい」
「竹に吸い付いたまま?」
「はい」
リーゼが絡み合う二本の黒竹を見る。
さらに。
その間に挟まる。
陸生アワビ。
「何故だ」
ティセラが説明する。
「二本の成熟竹が接触し続けることで、互いの表面が擦れています。そこから通常より多量の植物汁が出ています」
スージーが続ける。
「それをアワビが食べる?」
「おそらく」
「でも、普通の黒竹にいるアワビより動かない」
「この隙間は湿度と温度がかなり安定しています」
ネイラが周囲を見る。
「二本が絡んで、日陰もできてる」
ティセラが頷く。
「さらに植物汁そのものが、表面で軽く発酵しています」
リーゼが額を押さえた。
「待て」
嫌な予感がする。
「つまり」
教授。
「はい」
「男根筍が二本絡む」
「はい」
「擦れて白濁した植物汁を出す」
「はい」
「その間へ陸生アワビが入る」
「はい」
「白濁液を食べながら」
「はい」
「そこで熟成する?」
「その可能性が非常に高いです」
リーゼは天を仰いだ。
「何だ、この生態系は!」
◇
当然。
食味試験になった。
リーゼは反対した。
「腐っている可能性を疑ったものを、同じ日に食うな!」
ティセラが答える。
「腐敗していないことは確認しました」
「だからといって!」
エヴァが言った。
「熟成してるんだろ?」
「貴様は黙れ!」
シズクが七輪を用意していた。
リーゼが振り向く。
「シズク!」
「はい」
「何故もう炭を熾している!」
「以前、陸生アワビは七輪焼きが一番美味しかったので」
正しい。
非常に。
正しい。
だから。
腹立たしい。
◇
普通の陸生アワビ。
比較用。
七輪。
じゅう。
「んお゙ぉ゙……っ」
身が縮む。
「お゙ほぉ゙っ!」
ぴゅっ。
ルヴァナが避ける。
「今日も潮吹くね」
「実況するな!」
次。
熟成個体。
網へ。
じゅう。
最初。
何もない。
さらに。
じゅう。
身がゆっくり縮む。
「ん゙……ぉ゙……」
低い。
スージーの猫耳が動く。
「声も低い」
ティセラが言う。
「組織密度が変化しているからかもしれません」
さらに焼く。
じゅう。
「んお゙ぉ゙ぉ゙……っ!」
そして。
ぷく。
液体が溜まる。
リーゼたちは。
一斉に下がった。
ルヴァナも。
今度は学習している。
「お゙ほぉ゙ぉ゙っ!」
ぴゅっ。
少量。
普通の個体より少ない。
ティセラが言った。
「水分量も減っていますね」
香り。
来る。
エヴァが鼻を動かした。
「これ」
ノアも。
「かなりいい匂いだね」
普通の陸生アワビより。
濃い。
炭火。
焦げる表面。
貝類のような香り。
その奥。
少し。
発酵した甘い匂い。
シズクが焼き上がった個体を切る。
断面。
肉厚。
艶。
普通のものより、色が少し濃い。
エヴァが食べる。
止まる。
リーゼが警戒する。
「どうだ」
エヴァはもう一切れ取った。
「うまい」
「普通のと比べて」
「こっち」
即答。
スージーも食べる。
猫耳が立つ。
「……濃い」
ノアも。
「旨味が全然違う」
ネイラも。
「噛んだ後に甘みが残る」
ルヴァナも。
「これ、めっちゃうまい!」
リーゼは。
嫌だった。
非常に嫌だった。
だが。
食べる。
一口。
噛む。
弾力。
普通の陸生アワビより柔らかい。
しかし。
食感は残っている。
旨味。
強い。
さらに。
後から。
甘み。
発酵由来なのか。
少し熟成肉にも似た。
濃い香り。
リーゼは黙った。
スージーが見る。
「大尉」
「何だ」
「美味しい?」
「……うまい」
「熟成した方?」
「……うまい」
「どっち?」
リーゼが机代わりの板を叩いた。
「熟成した方だ!」
◇
調査を続ける。
どうやら。
条件がある。
黒竹が一本だけ。
そこへ陸生アワビ。
普通。
美味い。
二本の成熟黒竹が近接。
絡み始める。
接触部から植物汁が増える。
そこへ陸生アワビ。
少しずつ。
身が厚くなる。
移動量が減る。
数日。
さらに。
水分が適度に抜ける。
旨味が増える。
発酵した植物汁由来と思われる成分も取り込む。
結果。
熟成。
スージーが言う。
「天然の熟成庫みたいになってる?」
ティセラが頷く。
「かなり近いと思います」
リーゼが黒竹を見る。
「これが?」
「はい」
二本。
黒い男根筍。
縦横無尽に道管と師管を浮かせ。
互いに絡み。
接触面を湿らせ。
その隙間。
陸生アワビ。
熟成。
リーゼは頭を抱えた。
「見た目だけなら絶対に食料生産設備ではない!」
ノアが苦笑する。
「自然のものだからね」
「自然の方が問題だ!」
◇
さらに。
問題が一つ。
熟成させすぎると。
本当に腐る。
ティセラが別の個体を調べていた。
「こちらは駄目です」
リーゼが言う。
「何日だ」
「推定では、適熟状態をかなり越えています」
見た目。
少し崩れる。
臭い。
明確な腐敗臭。
リーゼが安心した。
「よし」
全員が見る。
「何だ」
スージーが聞く。
「なんで安心してるの?」
「腐ったら普通に腐ると分かった!」
「そこ?」
「そこだ!」
これで。
一応。
食材としての管理方法が決まった。
男根筍の黒竹二本が絡んだ場所。
そこへ陸生アワビが定着したら。
日付を記録。
状態確認。
適熟前。
まだ普通。
適熟。
非常に美味。
放置しすぎ。
腐る。
リーゼは強調した。
「腐る前に取れ!」
ティセラが頷く。
「熟成期間の標準化が必要ですね」
「必要だ!」
スージーが笑う。
「大尉、もう熟成させる前提になってる」
リーゼが止まった。
「……」
黒竹。
見る。
陸生アワビ。
見る。
昨日食べた。
熟成個体。
思い出す。
「……食料を無駄にする方が悪い」
エヴァが笑った。
「素直じゃねえな」
「うるさい!」
◇
最終記録。
成熟した男根筍の黒竹。
複数個体が近接すると、成長方向が変化し、互いに絡み合う場合あり。
接触部。
摩擦および圧迫により、白濁した植物汁の分泌量増加。
液体。
軽度の発酵。
その周囲。
陸生アワビ様生物が集積する場合あり。
陸生アワビは、安定した湿度と温度、植物汁を利用して長期間留まる。
一定期間。
身の水分量が低下。
旨味成分増加。
肉厚化。
食味向上。
状態。
腐敗ではなく。
熟成。
最適調理。
七輪焼き。
適熟を超えて放置した場合。
普通に腐る。
リーゼは最後の一行を指差した。
「ここは大きく書け」
ティセラが聞く。
「腐敗します、を?」
「そうだ!」
「では」
教授が大きく書く。
『熟成と腐敗は別。放置しすぎないこと』
リーゼは満足した。
「よし」
スージーがその上を見る。
さらに。
ティセラの記録。
『通称候補:男根筍絡み熟成陸生アワビ』
リーゼが叫んだ。
「もっと何とかならんのか、その名前は!」
ルヴァナが横から言う。
「熟れアワビでよくない?」
沈黙。
全員。
考える。
リーゼが即答した。
「それも嫌だ!」
◇
夕方。
黒竹林。
二本の成熟した男根筍が。
今日も。
互いに絡んでいる。
風。
ぎし。
「ん゛お゙ぉ゙……」
もう一本。
「ぐぅ゙ぅ゙……っ」
その隙間。
陸生アワビ。
ぴったり。
動かない。
スージーが記録札を立てた。
『熟成中。あと三日予定』
リーゼは札を見る。
黒竹を見る。
アワビを見る。
「……本当に腐ってないんだよな」
ティセラが答える。
「今は熟成です」
「三日後は?」
「食べ頃でしょう」
「五日後」
「まだ大丈夫かと」
「十日後」
「おそらく腐ります」
リーゼが深く頷いた。
「よし。三日後に食う」
スージーが笑った。
「楽しみにしてるじゃない」
リーゼは。
少しだけ間を置いた。
「……食料管理だ」
黒竹の間から。
陸生アワビが。
「ん゙……」
と。
小さく鳴いた。
リーゼは即座に言った。
「貴様は黙って熟成していろ!」




