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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第二十章 谷底Ⅷ

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第百四十三話 熟れた女魚の刺身と、焼いた若い男魚は美味い!

川の魚がおかしい。


もっと正確に言えば、以前から谷底の魚は十分おかしかったのだが、最近観察するようになった一種は、繁殖から食味まで妙に筋が通っているくせに、その筋の通り方そのものがおかしかった。


最初に目についたのは、一匹の大きな雌だった。


本来なら川を下り、やがて滝壺の方へ向かう種類らしい。少なくとも、これまでリーゼたちが見てきた同種らしき魚は、一定の時期になると下流へ姿を消していた。


ところが、その雌だけは川へ残った。


しかも一匹ではない。


その周囲を、小さな稚魚が何十匹も泳いでいる。


シズクが川岸へしゃがみ込んだ。


「子供を守っているのでしょうか」


ティセラも水面を見つめる。


「そのように見えますね」


稚魚が流れへ持っていかれそうになると、大きな雌が身体を横へ入れて流れを弱める。


別の魚が近づけば、追い払う。


大きな影が水面を横切れば、稚魚を浅瀬へ追い込む。


リーゼも腕を組んだ。


「育児をする魚か」


「珍しくはありますが、それ自体は理解できます」


ティセラが答える。


そこで終われば、普通に興味深い生態だった。


終わらなかった。


         ◇


稚魚が大きくなっても、母魚は川から離れなかった。


小魚。


若魚。


さらに身体が大きくなり、雌雄の違いも分かるようになる。


それでも。


母魚は残る。


そして外から雄が来た。


追い払う。


別の雄。


追い払う。


また雄。


これも追い払う。


ところが。


ある若い雄だけ。


母魚は追い払わなかった。


スージーの猫耳が動いた。


「今のだけ通した」


「はい」


ティセラが記録する。


「何が違うのでしょう」


観察は続いた。


やがて、かなり奇妙な傾向が見えてきた。


繁殖経験があるらしい雄。


追い払う。


別の繁殖経験済みの雄。


追い払う。


まだ交尾経験のない若い雄。


通す。


そして一度繁殖行動を終えた雄が再び群れへ戻ろうとすると。


母魚が追い払う。


リーゼは長いこと川を見つめていた。


「……初めての雄しか入れないのか」


ティセラが頷く。


「少なくとも、現在までの観察ではそう見えます」


「どうやって見分けている」


「分かりません。臭気、体表成分、行動、あるいは複数の要因が考えられます」


スージーが若魚を見る。


「それに、子供が小さいうちは雄を全部追い払ってた」


「はい」


「大きくなってから、初めての雄だけ通し始めた」


「はい」


リーゼの表情が険しくなる。


「まさか」


ティセラが答えた。


「若魚が繁殖可能になるのを待っている可能性があります」


沈黙。


川の中。


母魚。


その周囲を泳ぐ、もう稚魚とは呼びにくい大きさまで育った子供たち。


少し離れた場所には、母魚に追い払われた雄。


さらにその向こうに、これから群れへ近づこうとしている若い雄。


リーゼが額を押さえた。


「育児の範囲を越えていないか」


「繁殖集団の形成まで含めた行動かもしれません」


ティセラが言う。


少し考えてから、さらに付け加えた。


「生存戦略でしょうか」


リーゼの顔が引きつった。


「その言葉で全部片づけるな!」


         ◇


ところが。


この魚がおかしいのは、生態だけではなかった。


ある日。


群れから少し離れて泳いでいた若魚を、シズクが数匹捕った。


もちろん、母魚が守っている群れを無理に崩したわけではない。周辺へ分散していた個体のうち、十分な数がいることを確認した上での少数採取だった。


安全確認。


寄生虫。


毒。


異常な魔力反応。


問題なし。


最初は普通に焼いた。


シズクが軽く塩を振る。


網へ載せる。


じゅう。


皮から脂が出る。


香ばしい匂い。


その時。


「んっ……!」


全員が止まった。


リーゼが網を見る。


「……今、誰か声を出したか」


誰も答えない。


もう一度。


じゅう。


「ぁ……んっ……!」


スージーの猫耳が立った。


「魚?」


ティセラが真面目に答える。


「魚ですね」


シズクが裏返す。


「んっ……あぁ……っ!」


リーゼが叫んだ。


「何故、焼かれて若い男の声で喘ぐ!」


ティセラは魚を観察する。


「加熱によって内部の空気が押し出され、発声器官に近い構造を通過している可能性があります」


「音が出る理由ではない! 何故その声なのかを聞いている!」


「そこは不明です」


「うがあああっ!」


それでも。


焼き上がった魚は。


美味かった。


非常に。


皮はぱりっと香ばしい。


身は柔らかい。


脂があるのに重くない。


塩を振っただけなのに、旨味が強い。


スージーが食べる。


猫耳が立った。


「これ、かなり美味しい」


エヴァも一口。


「うめえな」


シズクも頷く。


「塩焼きが一番合いそうです」


ティセラは複数の成長段階を比較した。


小さすぎる。


身が薄い。


完全に成熟した雄。


少し身が硬く、脂の質も変わる。


一番美味い。


繁殖可能になる、その少し前。


リーゼが記録を見る。


「つまり」


「はい」


ティセラが答える。


「繁殖可能直前の若い雄が、食味としては最良です」


リーゼは嫌そうな顔をした。


「若い男魚か」


スージーが笑った。


「分かりやすいじゃない」


「分かりやすさが最悪なんだ!」


         ◇


卵も妙だった。


自然死した雌の腹の中から、成熟途中の卵が見つかったことがある。


安全確認後。


少量を調理。


不味い。


苦い。


えぐい。


妙な生臭さまである。


ところが。


実際に産み落とされた卵。


こちらは。


美味い。


ぷちぷちしている。


旨味が強い。


軽く塩を当ててもいい。


少し漬けてもいい。


リーゼが記録を見比べる。


「同じ卵だろう」


ティセラが答える。


「産卵を境に、内部成分が大きく変化するようです」


「腹の中では不味い」


「はい」


「産んだら美味い」


「はい」


「何故だ」


「生存戦略――」


「言うな!」


         ◇


そして。


最後に。


熟れた女魚。


育児を終えたらしい大型の雌が一匹、少し下流の浅瀬で自然死しているのをシズクが見つけた。


死後、それほど時間は経っていない。


安全確認。


腐敗。


寄生虫。


毒性。


問題なし。


解体する。


シズクが包丁を入れたところで、手を止めた。


「……身が違います」


リーゼが聞く。


「若い男魚と?」


「はい」


切り身を見る。


若い魚の身は、瑞々しく締まっている。


こちらは。


違う。


柔らかい。


だが、崩れてはいない。


包丁へ少しまとわりつくような粘りがある。


表面は艶めいている。


スージーが覗き込む。


「ねっとりしてる」


エヴァが言った。


「熟れてるな」


リーゼが振り向く。


「魚にその言葉を使うな」


「でもそう見えるぞ」


ティセラが成分を調べる。


そして。


しばらく黙った。


リーゼが嫌な予感を覚える。


「何だ」


「旨味成分が高いです」


「どの程度」


ティセラは記録を見る。


「かなり」


「それでは分からん」


「では訂正します」


教授は少し考えた。


「異常に高いです」


リーゼが止まった。


「異常?」


「複数の旨味に関係する成分が、若魚とは比較にならないほど高濃度です」


スージーが聞く。


「何で?」


「分かりません」


「また?」


「ただ、産卵と育児を終えた後に、身の組成そのものが大きく変わっている可能性があります」


エヴァが切り身を見る。


「だから熟れてんだろ」


リーゼは反論しようとした。


だが。


他に適切な言葉が浮かばなかった。


         ◇


まず。


焼いた。


美味い。


煮た。


美味い。


汁まで恐ろしく美味い。


表面だけ炙った。


これも美味い。


だが。


シズクが言った。


「生で試します」


薄く切る。


刺身。


淡い色。


わずかな艶。


何もつけず。


まず一切れ。


シズクが食べた。


止まった。


リーゼが見る。


「どうした」


返事がない。


シズクはもう一切れ取った。


エヴァが笑う。


「そんなにか?」


自分も食べる。


止まる。


「……」


スージーも。


「何よ」


一切れ。


猫耳が。


ぴん。


と立った。


そのまま。


動かなくなった。


「……何これ」


ノアも食べる。


黙る。


ティセラまで。


一切れ。


そして。


二切れ目。


リーゼが叫んだ。


「全員、説明しろ!」


誰も答えない。


エヴァがようやく言った。


「……熟れてる」


スージーも。


「うん」


シズクも。


「熟れています」


リーゼが苛立つ。


「それは味の説明になっていない!」


そこで。


自分も食べた。


一切れ。


口へ入れる。


そして。


リーゼも。


黙った。


         ◇


ねっとりしている。


だが。


粘つくのとは違う。


舌へ乗った瞬間から。


味がある。


噛む。


旨味。


さらに。


旨味。


その奥から脂。


甘み。


また旨味。


どれか一つではない。


全部が重なる。


濃い。


とにかく濃い。


だが。


嫌なしつこさがない。


飲み込む。


まだ終わらない。


舌。


口の奥。


鼻へ抜ける香り。


喉。


余韻が。


残る。


魚である。


間違いなく魚。


だが。


「脂が乗っている」


では足りない。


「旨味が強い」


でも足りない。


「甘い」


でもない。


「濃厚」


それだけでもない。


全部が。


長い時間をかけて。


最後のところまで。


回りきったような味。


リーゼは。


もう一切れ取った。


スージーが見る。


「大尉」


「……何だ」


「二切れ目」


「黙れ」


さらに。


三切れ目。


スージーが笑った。


リーゼが刺身を睨む。


「何なんだ、これは」


ティセラが答える。


「熟している、としか」


「教授まで!」


エヴァが頷く。


「熟れてる」


シズクも。


「はい」


スージーも。


「他の言い方が出てこない」


リーゼは悔しそうに一切れを食べた。


そして。


結局。


「……熟れている」


と。


自分でも言った。


         ◇


その日の記録。


母魚。


産卵後も川へ残留。


子群を保護。


若魚が繁殖可能になるまで群れを維持する。


外部雄については、交尾経験のない若い雄のみ接近を許す傾向。


一度繁殖した雄は排除。


産み落とした後の卵。


食味良好。


腹腔内では食味不良。


若い男魚。


繁殖可能直前。


塩焼きが最良。


加熱中。


若い男性の高音域に類似した特徴的な発声あり。


そして。


熟れた女魚。


産卵、育児を終えた成熟大型雌。


身質。


ねっとり。


旨味関連成分。


異常高濃度。


最適調理。


刺身。


食味。


ティセラの筆が止まった。


リーゼが言う。


「極めて良好でいいだろう」


ティセラは首を横に振った。


「それでは足りません」


「教授が食味記録で諦めるな」


「では大尉なら、どう書きます?」


リーゼは記録板を見る。


刺身を見る。


一切れ食べる。


考える。


もう一切れ。


考える。


そして。


諦めた。


ティセラが記録へ書く。


『食味――熟しているとしか言い表しようのない旨さ』


リーゼは。


今度は。


訂正しなかった。


川では。


母魚が今日も若魚の周囲を泳いでいる。


少し離れたところには、追い払われた雄。


さらにその向こうには、まだ群れへ入ることを許されていない若い雄。


リーゼは水面を見ながら言った。


「教授」


「はい」


「絶対に生存戦略と言うな」


ティセラは少し考えた。


「では、繁殖戦略でしょうか」


「うがああああああっ!」

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