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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第二十章 谷底Ⅷ

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第百四十一話 白濁

異変に最初に気づいたのは、リーゼだった。


館から少し離れた場所には、生活用の系統とは別に、試験用として設置した水槌ポンプが一基ある。予備設備として水路を分けてあるため、仮に何か起きても飲料水や調理用水には影響しない。


その判断は正しかった。


問題は、設置した本人たちが想定していなかった方向からやってきた。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


リーゼは歩みを止めた。


いつもの水槌ポンプなら、聞こえるのは乾いた衝撃音だけだ。


ばん。


少し間を置いて。


ばん。


水流の力で弁が閉まり、その衝撃で水を持ち上げる。ただそれだけの、実に分かりやすい機械音である。


だが、試験用の一基から聞こえているのは違った。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


何かが内部を通っている。


しかも水ではない。


液体なのは間違いないが、明らかに粘性が高い。細い管の中を、重い何かが無理やり押し進められているような、湿って粘ついた音が混じっている。


リーゼは眉間に皺を寄せた。


「……嫌な予感しかしない」


近づく。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


そして吐出口。


本来なら、一定量ずつ水が送られてくる場所から。


「ゴボッ」


白い液体が出た。


「ゴボゴボッ」


続けて溢れる。


リーゼは固まった。


水ではない。


白く濁っている。


しかも、さらさらではない。吐出口の縁へまとわりつきながら、重そうに垂れていく。


表面には油膜のような光沢まであった。


そして次の瞬間。


風が吹いた。


臭いが来た。


「くさっ!」


リーゼは反射的に数歩下がった。


油臭い。


そう判断するより先に、もっと強烈なものが鼻腔へ突き刺さった。


イカ臭い。


非常にイカ臭い。


生臭い海産物を濃縮したような、鼻の奥へ直接ねじ込まれるような臭いだった。単なる腐敗臭とも違う。妙に鋭く、湿っていて、一度吸い込むと鼻の奥にへばりついて離れない。


しかも白濁している。


粘性も高い。


ゴボゴボと吐き出される。


リーゼは数秒だけ観察した。


そして、落ち着いた声で言った。


「よし、破壊しよう」


「待ってください」


後ろからティセラの声がした。


リーゼが勢いよく振り向く。


教授は既に記録板、手袋、採取器具を持っていた。


「何故いる」


「異音がしましたので」


「なら見ただろう」


リーゼは白濁液を指差した。


「壊す」


ティセラは首を横に振った。


「調べます」


「嫌だ」


「まだ何が起きているか分かりません」


「だから壊すんだ!」


「危険物だった場合、破壊して飛散させる方が危険です」


リーゼは止まった。


もう一度、白濁液を見る。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


「ゴボッ」


また出る。


風が少し変わった。


臭いが来る。


リーゼは顔をしかめた。


「……正論なのが腹立たしい」


「ありがとうございます」


「褒めていない!」


         ◇


当然、調査班が集まった。


ノア。


ティセラ。


クロエ。


アスラ。


そして、何故かスージーまでいる。


リーゼがスージーを見る。


「貴様は呼んでいないぞ」


「教授が、未知の白濁液体が出たって」


「教授!」


ティセラは平然としている。


「事実です」


「もっと言い方があっただろう!」


スージーは風上に立ち、少し離れたところから吐出口を観察した。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


「ゴボッ」


白濁液が受け容器へ溜まっていく。


スージーの猫耳が少し後ろへ倒れた。


「……何これ」


リーゼが答える。


「小官も知りたい」


「見た目もひどいけど」


スージーが鼻を押さえた。


「臭いがもっとひどい」


ノアも少し離れた場所から頷く。


「油っぽい匂いもあるけど、その前に生臭さが来るね」


スージーが言った。


「生臭いっていうか、ものすごくイカ臭い」


リーゼが強く頷いた。


「それだ!」


ティセラも慎重に臭気を確認する。


一度だけ吸う。


止まる。


眼鏡の奥の目が少し細くなった。


「……かなり強烈ですね」


リーゼが言った。


「教授ですら顔に出たぞ!」


「揮発成分の調査が必要です」


「何故それで研究意欲が増す!」


クロエは冷静だった。


「強い生臭系揮発成分」


リーゼがクロエを見る。


「その冷静な表現と現物の落差が嫌だ」


アスラが言う。


「魔力汚染の可能性は?」


ティセラが首を横に振る。


「まだ調べます」


「近づきすぎるなよ」


「分かっています」


ティセラは長い棒の先へ布片を取り付けた。


スージーがそれを見る。


「やっぱり棒なんだ」


リーゼが言った。


「谷底では棒が最初だ」


「合理的ね」


「そこはもう貴様も理解しただろう」


白濁液へ布を触れさせる。


引き上げる。


白い。


粘る。


容器へ移すと、表面に薄い油膜が浮かんだ。


ノアが言った。


「やっぱり油に近いね」


スージーも覗く。


「水と混ざって白くなってる?」


クロエが解析する。


「単純な乳化ではない」


リーゼが聞く。


「では何だ」


「不明」


「よし、破壊しよう」


ティセラがすぐ言った。


「まだです」


「まだなのか!」


         ◇


調査は慎重に進められた。


まず毒性。


次に腐食性。


揮発性。


魔力反応。


生物由来の異常反応。


そして引火性。


その途中。


ティセラが採取容器を持ち上げた時、風が変わった。


全員。


同時に顔をしかめた。


「くさっ!」


ルヴァナなら絶対に大声でそう言っただろうと、リーゼは思った。


実際、スージーは言った。


「これ、鼻の奥から消えない!」


「小官はさっきからずっとそうだ!」


ノアも苦笑する。


「服にも付きそうだね」


リーゼが即答した。


「絶対に館へ持ち込むな」


ティセラが言う。


「研究試料は必要です」


「密閉しろ!」


「もちろんです」


「二重にしろ!」


「分かりました」


「三重でもいい!」


調査が進むにつれて。


奇妙な事実が出てきた。


クロエが分析結果を見て言う。


「炭化水素主体」


リーゼが顔を上げる。


「何?」


ノアも反応した。


スージーが先に言う。


「石油?」


クロエが頷く。


「かなり近い」


ティセラが補足する。


「完全に既知の石油と同一ではありません。ただ、性質としては非常に近いです」


リーゼは白濁液を見る。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


「ゴボッ」


白い。


粘る。


イカ臭い。


「……これが?」


ノアが答える。


「見た目だけなら僕も信じたくない」


スージーも頷く。


「私のところの石油もこんな色じゃない」


リーゼが言った。


「小官のところもだ!」


ティセラが容器を見ながら言う。


「白濁の原因はまだ不明です。微細な成分が分散している可能性はありますが、単純な水分混入では説明しきれません」


リーゼが即答した。


「では原因不明の白濁石油だな」


スージーが笑った。


「分かりやすい」


「名前にするなよ!」


         ◇


さらに調べると。


もう一つ。


非常に厄介な特徴が見つかった。


いや。


性能だけ見れば、非常にありがたい。


この白濁した石油様物質は。


分離が異様に容易だった。


リーゼとスージーが並んで容器を見る。


「こんなに分かれる?」


スージーが聞く。


リーゼも首を傾げた。


「普通はもっと手間が掛かる」


加熱。


静置。


簡単な分離。


それだけでも、かなりはっきりと成分が分かれていく。


重い成分。


中程度。


軽い成分。


さらに揮発しやすい成分。


クロエが順に確認する。


「重油相当」


次。


「軽油相当」


さらに。


「ガソリン相当」


リーゼの目が変わった。


「待て」


ノアも真剣な顔になる。


スージーが言った。


「これ、本当に燃料として使えるなら大きいわよ」


「ああ」


リーゼも否定しない。


谷底では電気利用が始まっている。


小型発電機。


電動機。


送風機。


回転機構。


これまで燃料が必要な機械は避けてきた。


だが。


安定した液体燃料が手に入るなら。


技術の幅が変わる。


クロエが言う。


「分離効率が高い」


ティセラも頷く。


「既知の原油より、かなり簡単な処理で各燃料相当成分へ分けられます」


リーゼは嫌そうな顔をした。


「性能だけ良い」


ノアが苦笑する。


「最近多いね」


「鶏の木もそうだった! あの温泉卵の木もそうだ! 何故、見た目と挙動がひどいものほど実用品として優秀なんだ!」


ティセラが言う。


「では燃焼試験を」


リーゼが指を立てた。


「屋外!」


「はい」


「少量!」


「はい」


「風向き確認!」


「はい」


「消火手段!」


「準備します」


「あと臭い対策!」


スージーが頷く。


「そこ一番重要かも」


「実際重要だ!」


         ◇


燃焼試験は、館から十分離れた場所で行われた。


周囲の可燃物を除去。


砂。


水。


消火用の布。


距離。


風向き。


全部確認する。


まず。


最も重い成分。


金属皿へほんの少量。


着火。


ぼっ。


普通に火がついた。


リーゼが少しだけ安心した。


「燃えるな」


ティセラが記録する。


「安定しています」


次の瞬間。


炎が揺れた。


「お゙ほぉ゙ぉ゙ぉ゙……」


全員が止まった。


リーゼがゆっくり炎を見る。


「……今のは」


ティセラが答える。


「燃焼音です」


「それは分かっている!」


炎が揺れる。


「んお゙ほぉ゙……っ!」


スージーが口元を押さえた。


「ちょっと待って」


「笑うな」


「無理」


「研究者だろう!」


「考古学者!」


「どちらでもいい!」


クロエは炎を見ている。


「燃焼は安定」


アスラも言う。


「熱量も十分」


ティセラが測定値を記録する。


「煤は多少ありますが、重油相当燃料としては使用可能でしょう」


炎。


「お゙ほぉ゙ぉ゙ぉ゙……っ!」


リーゼが頭を抱えた。


「何故、燃える時までオホ声なんだ!」


誰も答えられなかった。


         ◇


次。


軽油相当。


着火。


ぼっ。


「お゙ほっ……お゙ほぉ゙ぉ゙っ!」


スージーがとうとうしゃがみ込んだ。


「駄目、これ笑う!」


リーゼが指差す。


「立て!」


「音が悪い!」


「小官もそう思っている!」


ノアも横を向いている。


肩が少し揺れていた。


リーゼが見る。


「貴方も笑っているだろう」


「笑ってないよ」


「肩!」


「咳」


「嘘をつけ!」


次。


ガソリン相当。


さらに少量。


全員、距離を取る。


着火。


ぼっ!


炎が一気に立った。


「ア゙ッ、お゙ほぉ゙ぉ゙ぉ゙っ!」


沈黙。


数秒。


リーゼが言った。


「……軽くなると声が高くなるのか?」


ティセラが真面目に答えた。


「現時点の試験では、その傾向があります」


「記録するな!」


「重要な識別特性かもしれません」


「そんな識別方法があってたまるか!」


スージーが笑いながら言う。


「でも火をつければ、どの留分か耳で分かる可能性はあるわね」


リーゼが振り向いた。


「実用化するな!」


クロエが言う。


「聴覚識別は可能」


「貴様まで!」


アスラも炎を見る。


「便利ではある」


「便利だから困っているんだ!」


         ◇


試験が終わる頃。


風向きが変わった。


遠くの予備水槌ポンプから。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


さらに。


「ゴボッ」


「ゴボゴボッ」


白濁液が溢れている。


風に乗って。


非常に強烈なイカ臭さが流れてきた。


スージーの猫耳が一気に伏せる。


「うわっ、来た!」


ノアも鼻を覆う。


ティセラは記録板を守りながら風上へ移動する。


リーゼは即座に叫んだ。


「全員風上へ!」


全員が移動する。


燃料の方では。


「お゙ほぉ゙ぉ゙ぉ゙……っ!」


と炎が鳴いている。


遠くでは。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


白濁石油。


非常にイカ臭い。


燃やせばオホ声。


リーゼは長い時間、何も言わなかった。


やがて。


「……よし」


ティセラが警戒する。


「何をするのです?」


「破壊しよう」


「しません」


「一回くらい壊させろ!」


         ◇


最終的な記録には、次のようにまとめられた。


試験用水槌ポンプ系統に原因不明の異常発生。


通常の水に代わり、白濁した高粘度液体を送出。


吐出時。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


という特徴的な異音。


吐出口からは。


「ゴボッ」


「ゴボゴボッ」


と粘性を伴って流出。


液体は強く白濁。


非常に強い臭気を有する。


特に、鼻腔を強烈に刺激するイカ臭さが顕著。


油臭、炭化水素系臭気も確認されるが、生臭さの方が先に知覚される。


臭気は鼻腔内へ長時間残留しやすく、風下での作業は非推奨。


成分は石油に類似する炭化水素系物質。


通常の原油より分離が容易。


比較的簡単な処理で、


重油相当。


軽油相当。


ガソリン相当。


それぞれの燃料成分へ分離可能。


燃焼性能。


良好。


問題。


燃焼時。


「お゙ほぉ゙ぉ゙ぉ゙……っ!」


という特徴的な音を発する。


リーゼは記録を最後まで読んだ。


「教授」


「はい」


「本当に『問題』と書いたのか」


「問題でしょうか」


「問題だ!」


スージーが横から覗き込む。


「臭気のところ、すごく詳しい」


「安全管理上重要ですから」


「『鼻腔内へ長時間残留』」


「事実です」


リーゼが鼻を押さえた。


「まだ残っている!」


ノアも苦笑する。


「僕も少し」


クロエが言う。


「対策として密閉配管化を推奨」


リーゼが振り向いた。


「待て」


アスラも続ける。


「燃料保管庫も離して作った方がよい」


「待て!」


ティセラが言う。


「分留設備も必要になりますね」


「待てと言っている!」


スージーが記録板へ書き込もうとする。


リーゼがその手を止めた。


「何を書く気だ」


「仮称」


「嫌な予感がする」


スージーが笑った。


「白濁石油」


「そのまますぎる!」


「分かりやすいじゃない」


「分かりやすさが最悪なんだ!」


その時。


遠くから。


ぱん。


「んお゙ぉ゙……」


「ヌボボ」


ゴボッ。


ゴボゴボッ。


白濁した石油様液体が、今日も予備水槌ポンプから吐き出される。


風が吹いた。


リーゼが叫ぶ。


「風上へ!」


全員が一斉に移動した。


そして試験皿では。


「お゙ほぉ゙ぉ゙ぉ゙……っ!」


と。


非常に嫌な声を上げながら。


非常に優秀な燃料が。


今日もよく燃えていた。

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