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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第三章 世界壁Ⅰ

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第十四話 世界壁から落ちてきた翼

「バルトリがなかったら、私はこの館を出ていたかもしれません」


朝食の時、シズクはエヴァに言った。


館内の卓についているのは、シズクとエヴァだけだった。大きな戸は開け放してある。


そのずっと向こう、館から離れた場所にノア用の巨大な机が置かれている。ノアはそこで一人、朝食を食べていた。


声を張れば会話はできる。だが、近くはない。それがこの家では当たり前だった。


「その程度でか?」


エヴァがパンを噛みながら言う。


「その程度?」


「洗濯は水がしてくれるだろ」


「誰が洗濯場まで運ぶと思っているのですか」


「シズク」


「分かっているではありませんか!」


遠くからノアが言う。


「僕も運ぶよ」


「聖者は一度に持てる量が違いすぎます」


「それは……そうだね」


「あと、聖者」


「何?」


「昨夜も洗濯物を増やしましたね」


沈黙。


エヴァが笑う。


「増やしたな」


「エヴァは黙っていてください」


「俺も増やしたぞ」


「だからです!」


遠くのノアが困ったように言う。


「少し控えようか」


エヴァが即座に振り返る。


「何を?」


「エヴァ」


「俺と聖者が仲良くすることか?」


「言い方だけ綺麗にしないでください!」


ノアの笑い声が遠くから聞こえた。シズクは二人を睨んだ。エヴァは平然とパンをちぎる。


「でもな。洗えば綺麗になるだけ、ここは随分ましだぞ」


シズクは嫌な予感を覚えた。


「……何と比べているのですか」


「捕虜だった頃」


やはり。


「汚れた寝床を、替えてくれる奴なんぞいなかったからな。今は自分で好きにして、自分で汚して、自分で洗える。大した出世だ」


「それを出世と呼ぶのですか」


「呼ぶ」


エヴァは笑った。


「昔は嫌でも汚された。今は好きで汚してる。この差はでかいぞ」


シズクは返事に詰まった。エヴァはそんな顔を見ると、さらに続ける。


「それに捕虜生活のおかげで、寝具が多少ひどいことになったくらいじゃ動じなくなった」


「それを長所として数えないでください」


「使える経験は全部使うんだよ」


「エヴァは本当に何でもそうしますね」


「ああ。人生、元を取らんとな」


遠くからノアが言った。


「エヴァ、それは元を取るって言わないと思う」


「細かいこと言うな、聖者」


「かなり大事なところだと思うけど」


シズクは頭を抱えた。けれど、もう本気で困っているわけではない。この二人はこういう二人なのだ。


エヴァが嫌なら止まる。ノアも止まる。二人ともが望んでいるなら、シズクが口を挟むことではない。


問題は洗濯物である。たぶん。


朝食を終える頃、エヴァが川の方を見た。


「今日は漂着物を見に行くぞ」


「昨日も見ませんでしたか」


「水が増えてる」


シズクも川を見る。確かに、いつもより少しだけ流れが強い。


「雨ですか?」


「多分な」


「昨日は降っていませんでした」


「ここじゃなくて上だ」


エヴァが指を上へ向ける。もちろん、見上げても地上など見えない。


巨大な壁。


大瀑布。


遥か上は水煙と霞の向こうだ。


「しばらく前に、上のどこかで雨が降ったんだろ。それがようやくここまで回ってきた」


「しばらく前?」


「ああ」


「雨が降ってから、ここへ届くまでそんなにかかるのですか」


「どれだけ上にあると思ってる」


シズクは大瀑布を見上げた。


上。


自分が落とされた場所。


今は見えないどころか、雨水ですら流れてくるまで長い時間がかかる場所にある。


「では、今この瞬間に地上で雨が降っていても」


「俺たちには分からん」


「何日かして?」


「水が増えて、初めて気づくこともある」


エヴァが川を顎で示した。


「水が増えた後は、流れてくる物も増える。だから見に行く」


シズクは立ち上がった。


「では棒を持ってきます」


「覚えたな」


「十二日も毎日言われれば覚えます」


「じゃあ今日は俺が言う前に、拾う物の裏まで見るんだぞ」


「黒い虫がびっしりついているものはエヴァがお願いします」


「なんでだ」


「嫌だからです」


そんな話をしていた時だった。


低い音がした。遠い。それなのに、急速に近づいてくる。


ぶうううううううう――。


シズクが足を止めた。


「何ですか?」


鳥ではない。獣でもない。雷でもない。巨大な虫が、どこか遠い空で唸っているような音。


エヴァも顔を上げる。


少し離れたところで食器を片づけていたノアも、同時に空を見ていた。


大瀑布。水煙。その遥か上。


黒い点。


「鳥?」


シズクが目を細める。点は少しずつ大きくなる。


翼のようなものがある。だが羽ばたかない。鳥の羽毛のようなものも見えない。細長いものの左右へ、真っ直ぐな翼が伸びている。生き物には見えない。なのに、空を飛んでいる。


「……何ですか、あれ」


ノアの顔色が変わった。


「飛行機だ」


「ひこうき?」


初めて聞く言葉だった。


エヴァが目を細める。


「あれか」


「知っているのですか?」


「見たことはない」


エヴァは空を指す。


「聖者が前に話してた。人間が作る、空を飛ぶ金属の塊」


「金属の?」


シズクはもう一度見る。


「……あれが?」


自分には材質など全く分からない。ただ、奇妙な形のものが空を飛んでいる。それだけだ。


「中に人が乗ってる」


エヴァが言った。


シズクは振り返る。


「人が?」


「ああ」


「空に?」


「そういう乗り物らしい」


「乗り物……」


人が乗る。空を飛ぶ。金属の塊。


言葉を一つずつ理解しても、全部をつなげると理解できない。そんなものを人間が作る。そんなものに人間が乗る。


シズクの国には、考え方そのものが存在しなかった。

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