第百三十六話 鶏の木
翌朝。
「コケケッコォォォォォー!」
館の外から、朝を告げる声が響いた。
少し遅れて。
「ピヨ!」
「ピヨピヨ!」
「ぴよー!」
幼木たちまで鳴き始める。
スージーの目が開いた。
猫耳が立つ。
布団の中で数秒止まり。
そして。
起き上がった。
「今日こそ調べる」
隣の部屋からリーゼの声がした。
「朝一番から言うな!」
◇
朝食。
鶏の木から採れた卵のような果実が、目玉焼きになって並んでいる。
スージーは皿を見る。
白身。
黄身。
匂い。
どう見ても卵。
一口食べる。
「……卵ね」
ティセラが訂正した。
「果実です」
スージーが教授を見る。
「これが、あの鳴く木になるの?」
「正確には、この果実から直接発芽するわけではないようです」
「じゃあ種は?」
「現在まで明確な種子は確認できていません」
スージーの猫耳が立った。
リーゼが嫌そうな顔をした。
「始まった」
ティセラは続ける。
「地下茎で増殖します」
スージーが止まる。
「地下茎?」
「はい」
「じゃあ、この卵みたいなのは?」
「食用果実です」
「繁殖用じゃない?」
「少なくとも主要な増殖手段ではないようです」
「鶏みたいに鳴く必要は?」
「不明です」
「幼木がひよこみたいに鳴く必要は?」
「不明です」
「朝だけ雄鶏みたいに大声で鳴く理由は?」
「気流との関係までは確認しています」
スージーが身を乗り出す。
「そこ!」
リーゼが机を叩いた。
「食べてからにしろ!」
二人が見る。
「朝食だ!」
スージーは目玉焼きのような果実を見る。
食べる。
「卵ね」
ティセラ。
「果実です」
「そこはどっちでもいい!」
リーゼの声が食堂へ響いた。
◇
朝食後。
結局、調査へ行くことになった。
参加者は。
スージー。
ティセラ。
リーゼ。
シズク。
ネイラ。
そしてルヴァナ。
ルヴァナは別に研究へ興味があるわけではない。
「キマイラ来るかもしれないし」
とのことだった。
鶏の木までの道は、以前よりさらに分かりやすくなっている。
幅十メートル近く。
低木は左右へ押し倒され。
若木も何本か折れている。
地面は巨大な足によって踏み固められていた。
スージーは道の中央で立ち止まった。
「やっぱりこれ、初見だと道路だと思うわ」
ルヴァナが笑う。
「キマイラ道」
「正式名称みたいに言わないで」
リーゼが言った。
「地図上では鶏の木方面経路だ」
「大尉がちゃんとした名前つけてくれて安心した」
「当たり前だ!」
「でも作ったのはキマイラ」
「それは言うな」
歩く。
遠くから。
「コケッ」
「ピヨ」
声が聞こえ始める。
スージーの猫耳が左右へ動いた。
「やっぱり鳥の声に聞こえる」
シズクが頷く。
「最初は私もそう思いました」
「鳴いてる場所まで特定できる?」
「耳で?」
リーゼが聞く。
「できると思う」
スージーは立ち止まった。
目を閉じる。
耳だけを動かす。
風。
葉。
枝。
水の音。
遠くの生き物。
そして。
「コケッ」
右耳が動く。
「そこ」
一本の木を指す。
少し離れた場所から。
「ピヨ」
左耳が動く。
「あっち」
幼木。
ティセラが興味深そうに見る。
「音源定位の精度がかなり高いですね」
スージーが目を開く。
「猫耳だから」
「測定しても?」
リーゼが即座に言った。
「スージー本人を研究対象に切り替えるな!」
ティセラは少し残念そうだった。
「後でならいいわよ」
「許可するな!」
◇
鶏の木が見えてきた。
成木。
太い幹。
大きく広がる枝。
そこから、白や薄茶色の卵形の果実がぶら下がっている。
その周囲。
幼木。
さらに小さな芽。
数日前より明らかに増えている。
「ピヨ」
「ピヨピヨ」
スージーが足を止めた。
「……可愛いのが腹立つわね」
リーゼが深く頷いた。
「分かる」
「切らなきゃいけない時、嫌じゃない?」
リーゼの表情が変わった。
「聞くな」
「何?」
ルヴァナが答える。
「間引く時、絶命の声出すよ」
スージーが固まった。
「絶命?」
ルヴァナが真似をした。
「ぴ……よ……」
「やめて!」
「本当にこんな感じ」
「聞きたくなかった!」
ティセラが言う。
「ただし、それが苦痛表現かどうかは分かっていません」
スージーが教授を見る。
「音が止まるタイミングが悪すぎるのよ!」
リーゼが言った。
「だから後味が悪いんだ!」
スージーは幼木へ近づいた。
しゃがむ。
触る前に。
一瞬止まる。
近くにあった棒を取る。
つん。
幼木。
「ピヨ?」
スージーの動きが止まった。
幼木がもう一度。
「ピヨ?」
「……返事した?」
ティセラが答える。
「刺激に応じて発音しました」
「私を見て?」
「視覚認識の有無は不明です」
スージーは棒をもう一度近づける。
幼木の葉へ触れる。
「ピヨ」
少し強く押す。
「ピヨッ」
スージーが棒を引いた。
「触った強さで声変わってない?」
ティセラが記録する。
「可能性があります」
リーゼが聞く。
「以前調べなかったのか?」
「調べました。ただ、音の再現性にばらつきがありました」
スージーが幼木を見る。
「風で鳴くのと、刺激で鳴くのは別?」
ティセラが頷く。
「その可能性を考えています」
猫耳が立つ。
「面白い」
リーゼが額を押さえた。
「その言葉を聞くたび嫌な予感がする」
◇
まず。
風による発音を調べた。
成木の葉。
枝。
幹。
ティセラが以前確認した通り、一部には空洞がある。
スージーは細い枝を一本見る。
「楽器みたいな構造?」
「近いです」
ティセラが答える。
「風が穴へ入ることで発音します」
「じゃあ偶然?」
「それだけなら可能性があります」
「でも、ニワトリの声に似すぎてる」
リーゼが言う。
「そこだ」
スージーは枝を覗く。
「空洞の形が自然にできたとは思えないくらい整ってる」
ティセラが頷く。
「成長に伴って形成されます」
「切って断面を見た?」
「落枝では確認しました」
「生きてる枝は?」
「必要以上に傷つけていません」
スージーが教授を見る。
少し意外そうだった。
「ちゃんと自制するのね」
リーゼが即座に言った。
「教授を何だと思っている!」
ティセラが眼鏡を直す。
「必要なら切ります」
「やっぱり!」
成木の枝へ風が通る。
「コケッ」
スージーの猫耳が動く。
「今、ここの穴」
次。
「コケコケッ」
「今度は二本」
さらに太い枝。
「コォォォ」
スージーが顔を上げる。
「複数の空洞を通って一つの鳴き声になってる?」
ティセラが記録する。
「その可能性は高いです」
リーゼが言う。
「仕組み自体は、笛の集合体みたいなものか」
「なら」
スージーは成木を見上げた。
「何で鶏なの?」
全員が黙った。
「そこが分からない」
リーゼが答えた。
「環境に鶏はいないんでしょ?」
「少なくとも我々は見ていない」
「じゃあ擬態?」
ティセラが言う。
「何に対する擬態なのかが不明です」
「捕食者?」
「鶏の声を嫌う捕食者がいる可能性」
「繁殖相手?」
「植物です」
「分かってるわよ!」
リーゼが笑いそうになる。
スージーが続ける。
「他の生物を呼ぶため?」
ティセラが顔を上げた。
「それは検討する価値があります」
「果実を食べてもらう?」
「しかし地下茎で増えます」
「果実に種がないなら、食べてもらう意味が薄い」
「栄養交換?」
「動物を呼んで糞を落とさせる?」
ティセラが記録速度を上げる。
リーゼが二人を見る。
「始まった」
ネイラが聞く。
「何がです?」
「教授とスージーが互いに仮説を投げ始めた」
ルヴァナが笑う。
「止めなくていいの?」
「まだ害はない」
「まだ、なんだ」
◇
次は幼木だった。
成木とは違う。
風が吹いても。
「ピヨ」
「ピヨピヨ」
高い音。
スージーが耳を澄ます。
「空洞が小さいから音が高い?」
ティセラが頷く。
「おそらく」
「成長すると空洞も大きくなって、音程が下がる」
「はい」
スージーが固まった。
リーゼも同じことに気づく。
「待て」
スージーが幼木を見る。
次に成木。
また幼木。
「幼木だから、ひよこみたいに高い声になるんじゃない」
ティセラが顔を上げる。
「空洞が小さいため高い音になり、その結果としてひよこの声に似ている?」
「そう」
リーゼが少し安心した。
「なら説明できるではないか」
スージーが続ける。
「でも」
リーゼの顔が曇る。
「何だ」
「何で成木の音が雄鶏に似るところまで都合よく空洞が成長するの?」
沈黙。
「やっぱり分からん!」
リーゼが叫んだ。
◇
そして。
地下茎。
ティセラが印を付けていた場所を少し掘る。
成木から延びた太い地下茎。
途中で枝分かれ。
そこから幼木。
さらに先へ。
また芽。
スージーが地面へしゃがみ込む。
「これ、かなり増えるわよ」
リーゼが答える。
「もう増えている」
「間引いてる?」
「している」
「追いついてる?」
全員が幼木を見る。
「ピヨ」
「ピヨ」
「ピヨピヨ」
リーゼが遠い目をした。
「……今のところは」
スージーは地下茎を確認する。
「成長速度は?」
ティセラが記録を見せる。
スージーの顔が変わる。
「早すぎる」
「谷底ですから」
「その説明、何にも説明してない!」
リーゼが強く頷いた。
「そうだろう!」
スージーが立ち上がる。
「この速度なら、放置したら鶏の森になるわよ」
ルヴァナが笑う。
「それちょっと見たい」
リーゼが即座に言う。
「見たくない!」
「朝めっちゃうるさそう」
「それが問題だ!」
スージーが想像する。
数百本。
数千本。
朝。
一斉に。
「コケケッコォォォォォー!」
猫耳が伏せた。
「駄目ね」
「だろう!」
「猫耳には特にきつい」
「そこか!」
◇
調査が終わった。
分かったこと。
成木の鳴き声は、枝や幹内部の空洞へ風が通ることで生じる。
幼木は空洞が小さいため、より高い音を出す。
物理的刺激でも発音する。
地下茎で急速に増える。
卵状の果実は食用になる。
長期保存が利く。
果実を収穫しても木の増殖には大きな影響がない。
そして。
分からなかったこと。
なぜ鶏に似た声なのか。
なぜ成長段階によって雄鶏とひよこのように聞こえるのか。
刺激に反応して鳴く意味。
果実が卵に似ている理由。
地下茎で増えるのに、卵状果実を作る生態的意味。
そもそも。
この植物が何を目指して進化したのか。
スージーは記録板を見る。
「分かったことより、分からないこと増えてない?」
ティセラが頷く。
「良い調査でした」
リーゼが叫んだ。
「何故それで良い調査なんだ!」
スージーが言う。
「分からない場所が分かったから」
ティセラも続ける。
「次に調べるべきことが明確になりました」
二人が頷き合う。
リーゼは二人を見た。
「やっぱり同類だ!」
◇
帰る途中。
道の向こうから。
どどどどどど。
地面が揺れた。
ルヴァナが顔を上げる。
「あ、来た」
スージーの猫耳が立つ。
木々の向こうから、巨大な影。
キマイラだった。
四メートル級の身体で、鶏の木への道をさらに踏み固めながら歩いてくる。
獅子頭。
山羊頭。
竜頭。
そして蛇の尻尾。
山羊頭がルヴァナを見つけた。
「ルヴァナっちー!」
「おー!」
ルヴァナが手を振る。
キマイラが近づく。
スージーは一歩だけリーゼの後ろへ入った。
リーゼが気づく。
「まだ怖いか」
「理屈では大丈夫」
「感情は?」
「四メートル」
「そうだな」
獅子頭がスージーを見る。
少し得意そうな顔。
「あ、起きた猫」
スージーが言う。
「猫じゃなくてスージー」
山羊頭が笑う。
「スージーっち!」
「いきなりっち付けるの?」
「ルヴァナっちの友達でしょ?」
「まだ来たばっかりだけど」
「じゃあ友達候補!」
スージーは少し困った。
悪意がない。
本当にない。
むしろ。
自分を助けてくれた。
スージーは獅子頭を見る。
「この前は……ありがとう」
獅子頭が一瞬止まった。
それから横を向く。
「別に」
山羊頭がすぐ笑った。
「照れてるー!」
竜頭も言う。
「めちゃくちゃ心配してたくせに」
「してないし!」
蛇の尻尾がスージーの横から顔を出す。
「お姉ちゃん、お兄ちゃん知らない?」
スージーが固まる。
「お兄ちゃん?」
ルヴァナが答える。
「黒」
「誰?」
「でっかい黒い馬みたいなやつ」
「また新しいの!?」
リーゼが言った。
「説明すると長い」
スージーが頭を抱える。
「この谷底、本当に何種類いるのよ……」
ティセラが言う。
「未確認種を含めれば、かなり」
「教授、それ嬉しそうに言わないで」
キマイラは鶏の木の方へ向かった。
歩くたび。
道の端の低木が。
ばき。
ばきばき。
押し倒される。
スージーが見る。
「……やっぱりこの道、あの子が作ったのね」
リーゼが頷く。
「主にキマイラだ」
「遺跡の古道だと思った私が馬鹿みたい」
「初見なら仕方ない」
スージーは、巨大なキマイラの後ろ姿を見る。
その向こうから。
「ピヨ!」
幼木。
そして。
「コケッ!」
成木。
キマイラが歩く。
「ピヨ!」
ばき。
「ぴ……」
スージーが止まった。
「今、一本踏んだ?」
リーゼが遠い目をした。
ルヴァナが言う。
「たぶん」
遠くで獅子頭が叫んだ。
「ごめーん!」
スージーは両手で顔を覆った。
「調べた直後に見たくなかった……」
ティセラが記録板を出した。
リーゼが取り上げた。
「記録するな!」
「大型生物による自然間伐の――」
「今日はもう終わりだ!」
◇
館へ戻る。
夕方。
スージーは食卓で鶏の木の卵果実を見た。
茹でてある。
殻を剥く。
白い。
切る。
黄色い。
どう見てもゆで卵。
スージーはしばらく見た。
「今日一日調べたのよね」
リーゼが答える。
「ああ」
「仕組みも少し分かった」
「ああ」
「地下茎も見た」
「ああ」
「でも」
スージーはゆで卵のような果実を持ち上げた。
「何でこれが木に生るのか、余計に分からなくなった」
リーゼが大きく頷いた。
「ようこそ谷底へ」
スージーは一口食べた。
「……卵ね」
ティセラが言った。
「果実です」
リーゼが机を叩いた。
「もう卵でいいだろう!」
外から。
「コケッ」
鶏の木が鳴いた。
続いて。
「ピヨ」
幼木。
スージーの猫耳が動く。
少し考え。
そして。
動かなくなった。
リーゼが警戒する。
「何を考えている」
「明日は――」
「駄目だ」
「まだ言ってない!」
「言わせん!」
ティセラが静かに尋ねた。
「何を調べたいのです?」
スージーの猫耳が立つ。
「卵果実の内部構造と、地下茎の栄養移動」
「興味深いですね」
「教授!」
谷底へ。
今日もリーゼの声が響いた。




