第百三十話 帝国の軍人
スージーが次に目を覚ました時、最初に見えたのは木の天井だった。
しかも、やたらと高い。
自分が寝かされている寝台も大きかった。掛けられている布は清潔で、身体は乾いている。濡れていた服も脱がされ、代わりに柔らかな上衣を着せられていた。
スージーはしばらく天井を見たあと、勢いよく身体を起こした。
「秘宝!」
頭がくらりとした。
「まだ急に起きない方がいいです」
すぐ近くから声がした。
スージーの猫耳が立つ。
黒髪の女が椅子へ座っていた。落ち着いた顔立ちで、見慣れない服を着ている。傍らには水差しと器が置かれていた。
「ここは?」
「館です」
「館?」
「はい。谷底にある、聖者の館です」
谷底。
その言葉で記憶が戻る。
果ての見えない断崖。
空から落ちるような巨大瀑布。
鳥のような巨大生物を、水中から飛び出した魚のような巨大生物が食べた。
漂着物の下から溢れた黒い虫。
幅十メートルほどの奇妙な道。
どこからともなく聞こえたニワトリの鳴き声。
そして。
四メートルほどの。
三つ頭の。
喋る化け物。
スージーの顔から血の気が引いた。
「化け物!」
「キマイラでしたら、外にいます」
「いるの!?」
「はい」
黒髪の女は普通に答えた。
「あなたをここまで運んでくれました」
スージーは固まった。
「運んだ?」
「獅子頭が、あなたの服を咥えて」
「咥えられた!?」
「傷つけないよう、かなり気をつけていたそうです」
「そこじゃない!」
黒髪の女が少し首を傾げる。
「はい?」
スージーは両手で顔を覆った。
自分は、あれに拾われたらしい。
しかも食われたわけではない。
救助された。
理解が追いつかない。
「……あなたは?」
「あ、申し遅れました。シズクと申します」
「シズク」
「はい」
「人間?」
シズクは自分の身体を見た。
「人間です」
「よかった……」
スージーは心の底から言った。
シズクが少し困ったように笑う。
「ここでは、それほど重要ではないかもしれません」
「どういう意味?」
その時、部屋の外から声がした。
「起きたか?」
次に入ってきた女を見て、スージーは少し安心した。
金髪。
長身。
凄まじく鍛えられた身体。
人間に見える。
「エヴァです」
シズクが紹介する。
エヴァは寝台の近くまで来ると、スージーを上から下まで見た。
「顔色は戻ったな」
「あなたも人間?」
「まあな」
「よかった……」
「その確認、何人までやるつもりだ?」
「さっき四メートルのキマイラに会ったばっかりなの!」
「なるほど」
エヴァは納得した。
それから廊下へ向かって言う。
「大丈夫そうだぞ」
続いて何人か入ってくる。
まず金髪の短い髪の女。
きっちりした立ち方。
その次に眼鏡をかけた女。
さらに褐色の肌と銀髪の尖った耳を持つ女。
青い肌と紫色の髪を持つ女。
その後ろから若い女が二人。
スージーの猫耳が忙しく動いた。
「ちょっと待って」
全員が止まる。
スージーは一人ずつ指差した。
「人間」
シズク。
「たぶん人間」
エヴァ。
「人間」
金髪の短髪。
「……人間?」
眼鏡の女。
ティセラが答えた。
「人間です」
「ダークエルフ?」
クロエが頷く。
「そうだ」
「魔族?」
アスラが答える。
「そうだ」
「この二人は?」
ネイラが答えた。
「ネイラです」
ルヴァナが続く。
「ルヴァナでーす」
スージーは二人を見る。
「種族を聞いたんだけど」
ルヴァナが笑う。
「そこからなんだ」
ネイラも少し笑った。
「説明すると長くなるので、今は人型と思っていただければ」
スージーの耳が横へ寝た。
「既に長くなりそうなんだけど」
最後に。
扉の向こうから男の声がした。
「僕は入らない方がいいかな」
スージーが振り向く。
扉の外。
廊下に大きな影がある。
角。
黒髪。
金色の目。
人間より明らかに大きい。
スージーの猫耳が一気に立った。
「今度は何!?」
男は困ったように笑った。
「ノア。オーガだよ」
「オーガ!?」
「やっぱり外にいるね」
「待って! いや、待たなくていい! そこでいい!」
ノアはそのまま廊下へ下がった。
リーゼが額を押さえる。
「キマイラの直後に聖者は刺激が強すぎたか」
「聖者?」
スージーが聞き返す。
シズクが説明する。
「この館を建てた方です」
スージーはもう一度、巨大な部屋を見る。
太い丸太。
高い天井。
巨大な扉。
大きな家具。
そして廊下の向こうにいるオーガ。
「……なるほど」
少し納得した。
「それなら、この大きさは分かる」
リーゼが言った。
「そこは皆、一度通る」
スージーは改めて自分の身体を見る。
「私の服は?」
「洗っています」
シズクが答える。
「持ち物は?」
ネイラが小さな革袋と筆記具を持ってきた。
「確認できたのはこちらだけです」
スージーの表情が変わった。
「円盤は?」
「円盤?」
「これくらいの大きさで、輪が何重にも重なってて、中央に透明な石が入ってる。金属みたいで、でも普通の金属じゃなくて――」
全員の顔を見る。
誰も心当たりのある顔をしていない。
スージーは寝台から降りようとした。
リーゼが止める。
「待て」
「探さないと!」
「どこで失くしたか分かるのか?」
「分からない!」
「なら今飛び出しても見つからん!」
「でも!」
リーゼの声が少し強くなる。
「まず状況を話せ。探すにしても、それからだ」
スージーは金髪の女を睨んだ。
言い方はきつい。
だが正しい。
そして何より。
その立ち方。
命令口調。
周囲を見ながら話す癖。
「……あなた」
「何だ」
「軍人?」
リーゼは胸を張った。
「帝国航空隊大尉、リーゼロッテ・ヴァイスだ」
スージーの猫耳が、ぴん、と立った。
「帝国?」
「そうだ」
「航空隊?」
「そうだ」
「大尉?」
「だからそう言っている!」
スージーの目が細くなる。
一歩。
寝台の奥へ下がる。
リーゼが眉を寄せた。
「何だ、その反応は」
「……ドイス残党?」
「何だそれは!」
即答だった。
シズクが首を傾げる。
「ドイスというのは?」
スージーはリーゼから目を離さない。
「滅んだ軍事国家。今も残党が各地で活動してるの」
エヴァがリーゼを見る。
「大尉。疑われてるぞ」
「見れば分かる!」
クロエもリーゼを見る。
「帝国軍人だからか」
「貴様まで話をややこしくするな!」
アスラが腕を組む。
「確かに新参者から見れば、帝国、軍人、大尉と揃っている」
「事実を並べるな!」
ルヴァナが吹き出した。
「大尉、めっちゃ怪しいじゃん」
「貴様まで!」
ネイラだけが冷静だった。
「スージーさんの知る帝国と、リーゼさんの帝国が同じとは限りませんよね」
スージーがネイラを見る。
「それはそうだけど」
「確認すればいいと思います」
「そうね」
スージーはリーゼを見る。
「ドイスの首都は?」
「知らん!」
「旧政権の紋章は?」
「知らん!」
「南方軍総司令部は?」
「知らんと言っている!」
「ドイス語は?」
「そもそも今初めてその国の名を聞いた!」
スージーは少し考える。
「残党なら、知らないって言うわよね」
「どう答えても駄目ではないか!」
リーゼの声が館へ響いた。
廊下の向こうでノアが笑いを堪えている。
エヴァは完全に笑っている。
「お前、谷底へ落ちてきた時は俺たちを警戒してたのにな」
「それとこれとは別だ!」
「今度は新入りに敵扱いされてる」
「うるさい!」
スージーの猫耳が少し下がった。
本当に知らないらしい。
それに、周囲の反応を見る限り、この女が嘘をついている可能性は低そうだった。
少なくとも。
ドイス残党の潜伏員としては、あまりに隠す気がない。
「……ごめんなさい」
「分かればいい」
「でも、まだ完全には信用してない」
「何故だ!」
クロエが静かに言った。
「現時点では無関係ということだな」
リーゼが振り向く。
「現時点では、を付けるな!」
スージーは思わず笑った。
少しだけ緊張が抜ける。
リーゼは不満そうだったが、椅子を一つ引き寄せて座った。
「では、最初からだ。名前」
「スージー」
「それだけか?」
「スージーでいいわ」
「職業」
「考古学者」
ティセラの目が変わった。
スージーはすぐ気づいた。
「何その顔」
「考古学者」
ティセラが繰り返す。
「古代文明を研究する?」
「そうだけど」
「遺物の年代測定、碑文解読、発掘層の記録などを?」
「やるわよ」
「後で話を」
リーゼが割り込む。
「教授!」
「はい」
「今は事情聴取だ!」
「分かっています」
ティセラは少し残念そうに黙った。
スージーは眼鏡の女を見る。
「この人も学者?」
「教授です」
シズクが答える。
「何の?」
「魔術科学」
スージーは止まった。
「魔術?」
ティセラが頷く。
「はい」
スージーはアスラを見る。
青い肌。
魔法陣のような意匠。
「……本当にあるの?」
アスラが片手を上げる。
掌の上に小さな魔法陣が開いた。
淡い光。
スージーの猫耳がまた立つ。
「あるんだ……」
リーゼが深く頷いた。
「その反応だけは小官も分かる」
「あなたのところにも魔術ないの?」
「ない」
スージーがリーゼを見る。
「やっぱりドイスじゃないわね」
「そこが決め手なのか!?」
エヴァがまた笑った。
リーゼは諦めたように手を振る。
「続けろ。何を探していた?」
スージーの表情が少し真面目になる。
「ラシアホ」
シズクが聞く。
「らしあほ?」
「理想郷よ」
今度は全員が聞く側になった。
スージーは水を一口飲んだ。
喉を潤してから話し始める。
「霧に覆われた秘境、チキトン。その奥にラシアホという土地があるって伝承が残ってるの。古い話では、飢えも病も戦争もない。水と実りに恵まれて、失われた知識が今も残っている場所」
エヴァが聞く。
「本当にあるのか?」
「それを確かめるのが私の仕事」
「ないかもしれないのか」
「だから探すのよ」
リーゼが少し頷いた。
「学者らしいな」
スージーの猫耳が少し誇らしげに動いた。
「ラシアホへの道を残したと言われているのが、ウテキト文明。私が長年追ってた古代文明よ」
ティセラがすぐ聞く。
「年代は?」
「地域ごとの編年がまだ完全に一致してないから断定できない。少なくとも現在知られている王朝群より古い」
「文字体系は?」
「独自。時代によって字形が変わるけど、読める」
「記録媒体は?」
「石碑、粘土板、金属板――」
リーゼが二人を見る。
「教授」
「はい」
「後だ」
ティセラはまた黙った。
スージーが少し笑う。
「学者ってどこでも同じなのね」
「全員が教授ほどではない」
リーゼが言った。
ティセラは否定しなかった。
スージーは話を戻す。
「ウテキトの記録には、ラシアホへ至るための鍵が何度も出てくる。それがウテキトの秘宝。私は何年も探して、ようやくチキトンの遺跡で見つけた」
ネイラが尋ねる。
「それが先ほどの円盤ですか?」
「そう」
「どんな力があるものなんです?」
スージーは答えかけて。
止まった。
「分からない」
ルヴァナが首を傾げる。
「秘宝なのに?」
「見つけた直後に遺跡が崩れたの!」
「調べる暇なかったんだ」
「全然!」
スージーは頭を抱えた。
「ドイス残党まで追ってきてたし、銃は撃つし、水路は壊すし、秘宝は動き出すし、遺跡全部揺れるし!」
リーゼが少し引っ掛かった。
「秘宝が動いた?」
「外側の輪が回った。中央も光った。そのあと古い水門まで動いた」
クロエの視線も鋭くなる。
「機械式か?」
「分からない。歯車らしいものは見えなかった」
アスラが聞く。
「魔術では?」
「私のところに魔術という学問はないわよ」
「なら未知の技術か」
クロエが言う。
「可能性はある」
リーゼが二人を見る。
「貴様らも後だ!」
今度はクロエとアスラが黙った。
スージーは続ける。
「崩壊の途中で仲間と離れた。私は地下へ落ちて、水へ流された。最後に秘宝を持っていたところまでは覚えてる。でも目が覚めたら、あの滝壺の砂浜だった」
シズクが静かに尋ねた。
「お仲間は一緒ではなかったのですね」
スージーの猫耳が少し伏せる。
「いなかった」
「では、遺跡から逃げられた可能性もありますね」
スージーがシズクを見る。
シズクは続ける。
「スージーだけが水へ落ちたのでしたら、お仲間までこちらへ来たとは限りません」
スージーは少し黙った。
「……そうね」
その可能性を信じたい。
仲間二人は出口側にいた。
自分が手を離したことで、巻き込まれずに済んだかもしれない。
ルヴァナが聞く。
「で、滝壺で起きてからキマイラに会ったの?」
「その前にも色々あったの!」
スージーの耳がまた立つ。
「まず断崖よ! 何なの、あれ!」
リーゼが答える。
「分からん」
「分からないの!?」
「我々もそれぞれ別の場所から落ちてきた」
スージーが全員を見る。
「全員?」
エヴァが手を上げる。
「俺は崖から」
シズクも。
「私は大瀑布から」
リーゼ。
「小官は飛行機ごと墜落した」
ティセラ。
「私は捕食された状態で漂着しました」
スージーが止まる。
「最後の人、ちょっと待って」
「後で話します」
ティセラは平然としていた。
クロエが言う。
「私は分かつ河から流された」
アスラも。
「私もだ」
スージーは頭を押さえた。
「ここ、何なの?」
エヴァがあっさり答える。
「俺たちの家」
「そういう意味じゃない!」
「住むには悪くないぞ」
「四メートルのキマイラが散歩してて、巨大鳥を巨大魚が食べる場所で!?」
シズクが言った。
「慣れます」
「慣れたくない!」
ルヴァナが笑う。
「でもあたしも最初、滝壺見た時はびっくりしたよ」
ネイラも頷いた。
「生態系については、今でも驚くことがあります」
「それが普通の反応よ!」
スージーは息を整えた。
そして、ふと思い出す。
「そうだ。ニワトリ」
全員が少し止まる。
「途中でニワトリの声がしたの。人がいると思って探したのに、一羽もいなかった」
ルヴァナが笑い始めた。
「鶏の木だ」
「何それ」
シズクが説明する。
「木です」
「それは聞けば分かる!」
「鶏のように鳴きます」
「分からなくなった!」
ネイラが補足する。
「幼木は『ピヨ』と鳴きます」
「何で!?」
ティセラが答える。
「現在調査中です」
スージーは教授を見る。
初めて少し仲間意識を感じた。
「調査するわよね、そこは!」
「もちろんです」
「よかった。ここにも正常な学者がいた」
リーゼが言った。
「教授を正常側へ置く判断は早いぞ」
「何があったの?」
「長くなる」
「この館、長くなる話多すぎない?」
その時。
外から大きな声がした。
「ルヴァナっちー! お姉ちゃん起きたー?」
スージーが硬直した。
聞き覚えがある。
あの声。
山羊頭。
猫耳が完全に伏せた。
ルヴァナが窓の方へ向かう。
「起きたよー!」
「よかったー!」
続いて獅子頭らしい声。
「別に心配してなかったけど!」
山羊頭。
「めっちゃ心配してたじゃーん」
「してない!」
竜頭まで聞こえる。
「咥える場所を三回変えていた」
「言うな!」
ルヴァナが笑っている。
スージーは寝台の上で固まったままだった。
シズクが優しく言う。
「悪い方々ではありませんよ」
「分かってる」
「助けてくれましたし」
「分かってるの」
「では?」
スージーは窓の外を見る。
四メートル級のキマイラの頭が、少しだけ窓から見えている。
「理解と感情は別なの!」
リーゼが深く頷いた。
「それも小官にはよく分かる」
スージーはもう一度寝台へ座り直した。
ラシアホ。
ウテキト。
ドイス残党。
失った秘宝。
逃げ切ったかもしれない仲間。
果ての見えない谷底。
巨大生物。
鳴く木。
喋るキマイラ。
そして、何故かドイス残党に見えてしまった帝国航空隊大尉。
情報が多すぎる。
それでも一つだけは分かった。
ここがラシアホなのかどうかは、まだ分からない。
だが。
少なくとも自分が長年想像していた理想郷とは、かなり違う。
スージーは深く息を吐いた。
「……とりあえず」
リーゼが聞く。
「何だ」
「もう一回寝てもいい?」
シズクが微笑んだ。
「どうぞ」
スージーは布団へ倒れ込んだ。
猫耳までぺたりと寝る。
外では鶏の木が鳴いていた。
「コケッ」
幼木が続く。
「ピヨ」
さらに遠くでは水車が回り、水槌ポンプが、ばん、と鳴った。
山羊頭の声も聞こえる。
「ルヴァナっちー、あとで遊ぼー!」
「いいよー!」
スージーは目を閉じたまま呟いた。
「……やっぱり理想郷じゃない気がする」
エヴァが笑った。
「だから、俺たちの家だって」
スージーは返事をしなかった。
今は、その説明が一番分かりやすい気がしていた。




