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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第十八章 冒険Ⅰ

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第百二十八話 理想郷の伝説

最初に聞こえたのは、水の音だった。


川ではない。


雨でもない。


もっと大きい。


途切れることなく、低く、高く、何重にも重なった轟音が、地面そのものを震わせている。


スージーは砂の上で目を開いた。


眩しかった。


目を閉じる。


もう一度、ゆっくり開く。


青い空。


白い水煙。


その向こうに、黒いものがそびえていた。


「……生きてる?」


声が出た。


喉は痛い。


身体も重い。


だが、動く。


右手。


左手。


脚。


首。


猫耳も動く。


スージーは仰向けのまま、自分の身体を順番に確かめた。


骨が折れている感じはない。


激痛もない。


全身ずぶ濡れで、服のあちこちが擦り切れている程度だった。


「いやいやいや……」


最後に覚えているのは、遺跡だった。


ウテキトの秘宝。


ドイス残党。


崩れ始めた地下遺跡。


押し寄せる水。


仲間の手。


そして、自分からその手を離した。


暗い穴へ落ちた。


その後は水だった。


激流。


上下も分からない。


何かへ何度もぶつかったような気もする。


そこから先は何も覚えていない。


スージーはゆっくり身体を起こした。


砂浜だった。


細かな砂と、小石。


流木。


遠くには打ち上げられた木箱らしいものまである。


水際からそれほど離れていない場所に、自分は転がっていたらしい。


すぐに両手を見る。


何もない。


「……秘宝」


スージーは立ち上がった。


ふらつく。


だが倒れない。


周囲を見る。


「秘宝!」


ない。


ウテキトの秘宝。


あの円盤。


あれだけは、最後まで持っていたはずだった。


少なくとも、落ちる瞬間には腕の中にあった。


砂を掻く。


水際を見る。


流木の間を見る。


ない。


「嘘でしょ……」


革鞄も見当たらない。


記録帳。


測量道具。


採取道具。


縄。


予備の食料。


ほとんど失っている。


腰へ残っていた小さな革袋と、衣服の内側へ入れていた筆記具だけが辛うじて残っていた。


スージーは額を押さえた。


「秘宝どころか、研究資料まで全部……」


だが。


すぐに顔を上げる。


「みんなは?」


今度は秘宝より大事だった。


仲間。


遺跡で一緒にいた二人。


スージーは砂浜を走った。


「おーい!」


声が轟音に飲まれる。


「誰かー!」


返事はない。


砂浜には、自分以外の人間が流れ着いた痕跡も見当たらない。


足跡もない。


血もない。


衣服の切れ端さえない。


「……先に外へ出られた?」


そうであってほしい。


自分が手を離した時、二人は出口側にいた。


遺跡の崩壊へ巻き込まれず逃げ切った可能性はある。


なら、自分だけが地下水路へ落ちた。


そして。


どこかへ流された。


そこまで考えて。


スージーは、ようやく目の前の景色をまともに見た。


口が開いた。


「……何、ここ」


巨大な岩壁があった。


山ではない。


どこにも頂がない。


左右を見ても、その端が見えない。


右。


ずっと岩壁。


左。


やはり岩壁。


黒く、切り立った壁が、世界そのものを区切るようにどこまでも続いている。


そして上。


見上げる。


さらに見上げる。


首が痛くなるほど見上げても、上端は見えなかった。


岩肌は遥か上方で白い霧へ消えている。


雲なのか。


水煙なのか。


その両方なのか。


判別できない。


そして、その巨大な壁の一角から。


水が落ちていた。


滝。


そう呼ぶには大きすぎる。


上が見えない場所から、白い水の帯が延々と落ちている。


幅も尋常ではない。


水が落ちる音だけで空気が震え、細かな飛沫がここまで届いている。


スージーは猫耳を伏せた。


音が大きすぎる。


「チキトン……じゃない」


少なくとも、自分の知っているチキトンにこんな場所はない。


霧に覆われた秘境ではある。


断崖もある。


滝も多い。


だが。


こんなものではない。


これほど巨大な断崖も。


これほど巨大な滝も。


知らない。


さらに問題なのは、その下だった。


水面。


広い。


あまりにも広い。


スージーが立っているのは砂浜。


その先には水が広がり、反対側の岸が見えない。


滝壺。


そのはずだ。


目の前に滝が落ちている。


なら、ここは滝壺なのだろう。


だが、スージーの知っている滝壺という言葉と、大きさがまったく合わない。


「湖……?」


水平線のように水が続いている。


しかし遠くには水煙が立っている。


巨大な流木が浮かんでいる。


そのさらに向こうでは、何かが飛んでいた。


スージーは目を細めた。


「鳥?」


鳥のように見える。


翼。


胴。


尾。


羽ばたいている。


ただ。


「……でかくない?」


距離がおかしい。


かなり遠い。


それなのに、形がはっきり見える。


普通の鳥ではない。


大型の猛禽。


いや。


それよりさらに大きい。


鳥のような生物は水面すれすれを飛んでいた。


何かを探しているのか、時折首を下へ向ける。


スージーは呆然と眺めた。


「新種……?」


考古学者である。


生物学者ではない。


それでも、見たことがないということくらいは分かる。


鳥が旋回した。


その下。


水面に。


黒い影が現れた。


「ん?」


影が大きくなる。


鳥の後ろを追っている。


魚。


魚だと思う。


水中にいるのだから、おそらく魚のようなもの。


だが。


影が。


大きい。


「待って待って」


鳥の方も十分大きかった。


それを追っている水中の影は、さらに大きい。


「何あれ」


水面が盛り上がった。


次の瞬間。


ばしゃあああああんっ!


巨大な魚のようなものが、水から飛び出した。


スージーの猫耳が完全に伏せる。


「はあ!?」


口。


巨大な口。


それが空中で開いた。


鳥のようなものへ食らいつく。


翼がばたつく。


だが逃げられない。


鳥の半分ほどが魚の口へ消え、そのまま二匹まとめて水へ落ちた。


どおん、と遅れて音が届いた。


巨大な水柱。


波。


しばらくして、水面だけが残った。


スージーは動かなかった。


口も閉じない。


「…………」


何か言おうとした。


声が出なかった。


もう一度、さっきまで鳥が飛んでいた場所を見る。


何もいない。


水面だけ。


「……あれを食べるの?」


ようやく声が出た。


「魚が?」


誰も答えない。


当然だった。


スージーは自分一人しかいない。


「何なの、ここ……」


理想郷ラシアホ。


頭へその言葉が浮かんだ。


ウテキトの秘宝は、ラシアホへ至る鍵だと言われていた。


その秘宝を手にした。


遺跡が動いた。


自分は落ちた。


そして、見知らぬ場所にいる。


順番だけなら。


あり得る。


「……ラシアホ?」


スージーはもう一度、巨大魚が消えた水面を見る。


「いや、理想郷であんなのが泳いでる?」


伝承には聞いたことがない。


豊かな水。


豊かな実り。


病も飢えもない土地。


古代の知識が残る場所。


巨大魚が巨大鳥を丸呑みにするとは、どの碑文にも書いていなかった。


「判断保留」


考古学者らしく結論を保留した。


まず生きる。


仲間を探す。


現在地を知る。


秘宝のことは、その後。


スージーは砂浜を歩き始めた。


漂着物が多い。


流木。


板。


壊れた樽。


縄。


布。


何かの骨。


形の分からない金属片。


上流から流れてきたのか。


滝から落ちたのか。


それだけでは分からない。


だが、人の作ったものがある。


少なくとも、この水系のどこかには文明がある。


「よかった」


初めて少しだけ安心した。


人がいる可能性がある。


スージーは近くに落ちていた木箱へ近づいた。


半分壊れている。


蓋も外れかけている。


側面には文字らしきものがあるが、泥で読めない。


「何か使えるもの……」


手を伸ばす。


箱を持ち上げようとした。


その瞬間。


箱の下が動いた。


「え?」


黒いものが一匹。


二匹。


三匹。


違う。


もっといる。


ざわっ。


箱の下から黒い虫が溢れた。


「うわっ!」


スージーは飛び退いた。


黒い虫。


甲虫に似ている。


だが大きい。


指ほどあるものも混じっている。


何十。


何百。


壊れた箱の下から一斉に這い出し、砂の上へ広がっていく。


スージーはさらに後ろへ下がった。


「何よこれ!」


一匹がこちらへ向かってきた。


スージーは反射的に足を上げる。


踏もうとして。


止めた。


毒があるかもしれない。


潰した体液が危険かもしれない。


群れが刺激されるかもしれない。


「触らない!」


自分へ言い聞かせ、そのまま距離を取った。


虫たちはしばらく箱の周囲を動き回った後、砂の下や流木の陰へ散っていった。


スージーは十分に離れてから立ち止まった。


「なるほど」


もう漂着物へ無闇に触らない。


一つ覚えた。


「ここ、景色は綺麗なのに全然安全じゃない」


巨大魚。


黒い虫。


他に何がいるか分からない。


水際から離れた方がいい。


森の中も危険かもしれない。


だが、砂浜の真ん中に立ち続けるのもよくない。


日差しを避けられる場所。


水が確保できる場所。


そしてできれば人。


「安全地帯を探そう」


スージーは歩き始めた。


滝壺を背にしすぎないよう、時々水面を見る。


鳥がいる。


何か泳いでいる。


近づかない。


漂着物も今は拾わない。


砂浜が終わる場所から、低い草地へ入る。


そこから少し進んだ時。


スージーは足を止めた。


「……道?」


目の前を、左右へ太い空間が伸びている。


明らかに周囲と違う。


幅。


十メートル近い。


草が低い。


一部は完全に踏み潰されている。


土も固い。


低木は左右へ押し退けられ、若い木には折れた跡まである。


所々、地面には長く続く窪みが残っている。


スージーはしゃがんだ。


指で土へ触れる。


「最近使われてる」


古道ではない。


少なくとも表面は新しい。


何度も何かが通っている。


大きな荷車。


あるいは複数の車両。


車輪のようなものが通った跡にも見える。


ただし。


「十メートル?」


広すぎる。


軍用の輸送路でも、こんな幅は必要ない。


それでも自然にできた場所とは思えなかった。


低木が同じ方向へ押されている。


枝も切られたように開いている。


地面は帯状に踏み固められている。


「文明の跡……」


いや。


跡ではない。


現在も利用されている。


スージーは立ち上がった。


胸が少し高鳴る。


人がいる。


少なくとも、この場所を利用する何者かがいる。


「ラシアホ?」


また言葉が出る。


もし本当に。


そうなら。


だが。


まだ決めない。


スージーは道の左右を見た。


どちらへ行くか。


風が吹いた。


その瞬間。


猫耳が動く。


何か聞こえた。


「……コケ?」


風に乗って、かすかな声。


もう一度。


「コッコッ」


スージーが顔を上げる。


「ニワトリ?」


今度はもっと小さい声。


「ピヨ」


「ピヨピヨ」


スージーの表情が明るくなった。


「ニワトリ!」


家禽。


つまり人間。


野生化した可能性もあるが、ニワトリの群れがいるなら、人が近くにいる可能性が高い。


「こっち!」


スージーは声のする方向へ歩き始めた。


道から少し外れる。


草地。


低木。


また声。


「コケッ」


近い。


「いる!」


走る。


木々の間を抜ける。


だが。


ニワトリはいなかった。


人もいない。


小屋もない。


柵もない。


代わりに。


木があった。


普通の木。


少なくとも遠目には。


その周辺から。


「コッコッ」


声がする。


スージーは止まった。


「……?」


耳を澄ます。


「ピヨ」


小さい声もする。


だが。


鳥の姿が見えない。


「どこ?」


木の周囲を回る。


いない。


枝。


いない。


根元。


いない。


声だけ。


「コケッ」


スージーが固まる。


まさか。


木から。


いや。


そんなわけがない。


「疲れてる」


自分へ言い聞かせる。


水へ流された。


身体も疲れている。


耳がおかしくなっていても不思議ではない。


「あとで確認」


今は人を探す。


スージーは来た方向へ戻った。


幅十メートルほどの道。


とりあえず、こちらを進む。


道があるなら、どこかへ続いている。


館。


集落。


畑。


橋。


何でもいい。


人のいる場所へ辿り着ければいい。


しばらく歩いた。


やはり道は奇妙だった。


整備されているようで、整備されていない。


石畳ではない。


側溝もない。


轍に見えた窪みも一定ではない。


場所によっては巨大な足跡にも見える。


「……車じゃない?」


スージーは一つの窪みへ自分の靴を置いてみた。


靴が何足も入る。


「何が通ったのよ」


その時。


後ろから。


声がした。


「ねえねえ」


スージーが止まった。


人の声。


聞き間違いではない。


すぐ後ろ。


「お姉さーん?」


人がいる。


助かった。


スージーは振り返った。


そして。


視線を上げた。


さらに上げた。


そこにいた。


獅子の身体。


四メートルほどの巨体。


獅子の頭。


山羊の頭。


竜の頭。


そして、後ろで蛇が動いている。


三つの頭が。


こちらを見ていた。


山羊頭が口を開いた。


「大丈夫ー?」


スージーの猫耳が、ぴん、と立った。


「…………」


喋った。


化け物が。


喋った。


巨大鳥を巨大魚が食べる場所で。


木からニワトリの声がして。


十メートル幅の謎の道を歩いた先で。


四メートルの化け物が。


自分へ。


普通に。


話しかけてきた。


スージーは一歩後ろへ下がった。


「……ラシアホ」


獅子頭が首を傾げた。


山羊頭も首を傾げる。


竜頭まで首を傾げた。


蛇の尻尾が横から覗き込んできた。


スージーは思った。


違う。


たぶん。


ここ。


理想郷じゃない。


そこで意識が切れた。


倒れる寸前。


獅子頭が慌てて身体を低くするのだけが見えた。

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