表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第十八章 冒険Ⅰ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

127/193

第百二十七話 失われた秘宝

チキトンは、地図に描くことのできない土地だと言われていた。


場所が分からないからではない。


地図へ線を引いても、その通りに歩けないからだ。


一年の大半を濃い霧に覆われた山岳と密林。切り立った崖の間を縫うように川が流れ、雨が降るたびに道が変わる。昨日まで通れた谷が土砂で塞がれ、逆に何百年も埋もれていた石段が姿を現すことさえある。


その霧の中を、スージーは走っていた。


猫耳がぴんと立っている。


背負った革鞄が跳ね、腰の道具がぶつかって音を立てる。片手には古びた記録帳。もう片方には、先端へ鉤を付けた長い縄を握っていた。


後ろから銃声が響く。


ぱんっ。


近くの木の幹が弾けた。


「撃つなら遺跡に当てないでよ!」


スージーは振り返りもせず叫んだ。


後ろを走る仲間が怒鳴る。


「相手に言え!」


「考古学者として言ってるの!」


「聞くと思うか!」


「聞かないから腹が立つのよ!」


さらに銃声が響いた。


霧の向こうから現れたのは、灰色がかった軍服の男たちだった。


肩には古い紋章。


既に滅びたドイスの印。


国そのものは戦争に敗れ、政権も軍も解体された。それでも全員が武器を捨てたわけではない。軍人、情報部員、研究者、資産家。各地へ逃げた者たちが小さな組織を作り、今でも密かに活動している。


ドイス残党。


彼らが探しているのは、金銀財宝だけではなかった。


古代文明の兵器。


失われた技術。


神話の中にしか残っていない力。


そして今、スージーと同じものを追っている。


ウテキトの秘宝。


スージーは倒木を飛び越え、苔に覆われた石壁の前で急停止した。


仲間たちも続いて止まる。


「行き止まりだぞ!」


「違う」


スージーは石壁へ近づいた。


猫耳が小さく動く。


霧の向こうでは、ドイス残党が枝を踏み折りながら近づいてくる。


時間はない。


それでもスージーは壁を見た。


蔓を払う。


苔を剥がす。


石の表面に、細い線が現れた。


「ウテキト文字だ」


仲間が息を切らしながら聞く。


「読めるのか?」


「読めるからここまで来たの。読めなかったら、今頃大学で学生相手に土器の年代を教えてるわよ」


「そっちの方が安全だったんじゃないか?」


「今それ言う?」


スージーは指で文字をなぞった。


古い。


少なくとも千年以上。


だが刻線はまだ残っている。


上段。


太陽。


下段。


水。


中央。


開いた手。


その横に短い文。


スージーは呟いた。


「光を閉じ、水を開け。持つ者ではなく、求める者へ道を示す……」


「意味は?」


「今考えてる!」


石壁の周囲を見る。


太陽を示す円盤。


水を表す波形。


何かを差し込むような穴。


スージーは足元を見る。


地面の脇に細い水路がある。


土に埋もれているが、完全には塞がっていない。


「水を使うんだ」


「どこから?」


「上」


スージーが見上げる。


仲間も見上げた。


石壁のかなり上に、小さな石樋が残っている。


「届かないぞ」


「だから縄持ってるの」


スージーは鉤付き縄を振った。


一度。


二度。


投げる。


鉤が石樋の横へ引っかかった。


引く。


固定されている。


スージーは登った。


「おい!」


「下で撃たれたくなかったら手伝って!」


猫耳が動いた。


後方。


枝の折れる音。


革靴。


金属。


近い。


スージーは石壁を蹴り、縄を登る。


石樋へ到達すると、中へ詰まっていた泥と根を小さな道具で掻き出した。


最初は何も起きない。


さらに掘る。


奥で。


ごぽっ。


音がした。


「来る!」


水が流れ出した。


細い水。


それが石樋を進み、壁面の溝へ落ちる。


下で仲間が叫ぶ。


「何か動いた!」


石壁の太陽紋が沈んだ。


代わりに水の紋が浮き出る。


ごごごご、と低い音が響き、巨大な石壁が横へずれ始めた。


「当たり!」


スージーは縄を滑り降りた。


開いた隙間へ仲間たちと飛び込む。


直後、霧の向こうからドイス残党が現れた。


「止まれ!」


「止まる考古学者がいると思う!?」


「普通の考古学者は銃撃戦しない!」


仲間が叫んだ。


「私だってしたくてしてるんじゃないわよ!」


三人が遺跡内部へ入る。


石壁が閉まり始めた。


だが完全に閉じる直前、外側から銃身が差し込まれた。


何発か撃たれる。


弾丸が石壁へ当たり、火花を散らした。


スージーたちは通路の奥へ走った。


遺跡内部は、外より乾いていた。


壁にはウテキト文明特有の浮彫。


太陽。


雨。


山。


人。


そして、何度も現れる奇妙な図柄。


円環の中心へ向かって歩く人々。


スージーは走りながら見る。


「やっぱり同じだ」


「何が!」


「ラシアホ伝承の図柄!」


理想郷ラシアホ。


病もない。


飢えもない。


争いもない。


豊かな水と実りに満ち、古代文明の知識が今も残る場所。


伝承によって内容は違う。


ある地域では山の向こう。


ある地域では霧の奥。


別の地域では地下。


さらに古い記録では、


『ウテキトの鍵を持つ者のみ、道を見る』


と記されていた。


学界では昔から議論されている。


実在する失われた都市なのか。


宗教上の死後世界なのか。


単なる寓話なのか。


スージーは実在すると考えていた。


正確には。


実在するかどうかを確かめたかった。


だから十年以上追った。


断片的な碑文。


盗掘された石板。


古文書。


口伝。


崩れた神殿。


そしてようやく、チキトンの奥にあるこの遺跡へ辿り着いた。


「ここまで来て空振りだったら、教授連中に一生笑われるわ」


「今そこを気にするのか!」


「大事よ!」


前方が開けた。


大きな空間。


中央に、石橋が一本だけ延びている。


その下は暗く、底が見えない。


仲間の一人が石を落とした。


何も聞こえない。


「深いな」


「落ちないでね」


「言われなくても分かる」


三人は石橋を渡る。


途中。


スージーの猫耳が動いた。


かち。


小さな音。


「止まって」


仲間たちが止まる。


「何だ?」


「今、何か動いた」


壁を見る。


穴。


細い穴が並んでいる。


床を見る。


仲間の足元の石が、わずかに沈んでいる。


「足を動かさないで」


「まさか」


「たぶん罠」


「たぶん!?」


「千年以上動いてない装置の保証なんてできないわよ!」


スージーはしゃがんだ。


石橋の縁を見る。


沈んだ床石から細い継ぎ目が延びている。


側面。


内部へ続く細い棒。


圧力式。


古典的だ。


問題は、何が飛んでくるか。


スージーは鞄から小さな鏡を出し、壁の穴を確認する。


「矢かな」


「かな?」


「毒が塗ってあったら嫌ね」


「もっと嫌な情報を追加するな!」


スージーは長縄を出した。


「私が向こうへ行く。合図したら足を上げて」


「それで?」


「代わりに石を乗せる」


「最初から石を乗せればよかったのでは?」


「今踏んでるんだから仕方ないでしょ!」


慎重に横を抜ける。


石を拾う。


縄で縛る。


引く。


床石の上へ載せる。


「今!」


仲間が足を上げた。


石が落ちる。


床は沈んだまま。


何も飛ばない。


三人が息を吐く。


その直後。


壁から、ばしゅっ、と大量の細い針が飛び出した。


全員が固まった。


針は反対側の壁へ突き刺さる。


スージーが言った。


「遅れて動くみたい」


「先に言え!」


「今知ったの!」


後方から扉が壊れる音が響いた。


ドイス残党が入ってきた。


「急ぐわよ!」


三人は走った。


遺跡は深くなるにつれて奇妙になっていく。


外から入ったはずなのに、途中から水音が増えた。


地下水路。


石造りの樋。


巨大な水門。


何百年、何千年と止まっているはずなのに、一部はまだ水を流している。


ウテキト文明は、水を使って遺跡を動かしていたらしい。


やがて通路は、巨大な円形広間へ繋がった。


スージーが足を止めた。


中央。


石造りの台座。


その上に。


何かがあった。


「……見つけた」


誰もすぐには動かなかった。


台座の上に置かれているのは、両手に収まるほどの円盤だった。


金属のようにも見える。


石のようにも見える。


外周には幾重もの輪。


その一つ一つにウテキト文字が刻まれている。


中央には、透明な石。


その奥で、ごく弱い光が揺れている。


スージーはゆっくり近づいた。


「ウテキトの秘宝……」


仲間が聞く。


「本物なのか?」


「本物かどうかを調べるために来たの」


「今の時点では?」


「ものすごく本物っぽい」


「学者らしくない答えだな」


「感動してるの!」


猫耳までまっすぐ立っていた。


スージーは台座の周囲を見る。


文字がある。


読める。


いや。


今まで見つけた碑文より古い。


文法が少し違う。


「道は、地の下を巡り、水の下を巡り……」


仲間が待つ。


スージーは続きを読む。


「……持つ者を、ラシアホへ導く」


三人が黙った。


仲間の一人が言った。


「本当にあるのか」


「少なくとも、これを作った人たちはそう考えてた」


「じゃあ持って帰れば」


「待って」


スージーは台座を見る。


秘宝の下。


細い溝。


周囲へ伸びる線。


ただ置かれているだけではない。


遺跡そのものと繋がっている。


「これ、外したら何か起きる」


「罠?」


「分からない」


「じゃあ触るな」


「でも持って帰らないと調べられない」


「考古学者って何でこうなんだ」


「私だけみたいに言わないで」


その時。


後ろから声がした。


「そこまでだ」


三人が振り返る。


円形広間の入口。


ドイス残党。


数人。


銃を構えている。


その中央にいる男は、他とは少し違う軍服を着ていた。


胸には、失われたドイスの鷲を模した徽章。


「秘宝から離れろ」


スージーがため息をついた。


「遺跡の中で銃を撃たないでって言ったでしょ」


「誰が貴様の命令を聞く」


「命令じゃなくて常識!」


男は秘宝を見る。


表情が変わる。


「ついに見つけた。これさえあれば、ドイスは再び――」


「その台詞、古代遺物を兵器にしようとする人って全員同じなの?」


男の顔が歪んだ。


「黙れ」


「考古学者に黙れって言うの、一番無理な注文よ」


銃口が向く。


仲間たちも武器へ手を伸ばす。


スージーは台座を見る。


秘宝。


ドイス残党。


仲間。


そして天井。


嫌なひびがある。


「撃たない方がいいわよ」


男が笑う。


「命乞いか?」


「違う。この広間、水圧で支えてる部分がある」


男は一瞬だけ周囲を見る。


スージーは続けた。


「壁を壊したら、たぶん全部崩れる」


「脅しにはならん」


「だから撃つなって――」


銃声。


石壁が弾けた。


スージーは両耳を伏せた。


直後。


低い音がした。


ごご。


全員が止まる。


天井から砂が落ちる。


ごごごごご。


壁の亀裂から水が噴き出した。


「ほらあああああっ!」


広間が揺れた。


床の一部が割れる。


ドイス兵が倒れる。


別の銃が暴発する。


弾丸が台座へ当たった。


秘宝の外周が、一度回った。


かちり。


スージーが見る。


「……え?」


中央の透明な石が光った。


外周。


二つ目の輪。


三つ目。


次々に回転する。


壁のウテキト文字が淡く光った。


地下のどこかで、巨大な水門が開く音。


どおおおおおおっ。


「何したの!?」


ドイスの男が叫ぶ。


「こっちが聞きたいわよ!」


水が広間へ流れ込んだ。


もう戦っている場合ではなかった。


「撤退!」


スージーが仲間へ叫ぶ。


入口側の床が崩れる。


ドイス兵の何人かが逃げる。


別の者は水に流される。


スージーは台座を見る。


秘宝はまだ光っている。


置いていく。


それが正しい。


遺物は現場に残す。


状況を記録する。


それが考古学の基本。


だが。


広間そのものが崩れる。


次にここへ来られる保証はない。


そしてドイス残党が生き残れば、必ず回収する。


「スージー!」


仲間が叫ぶ。


「分かってる!」


スージーは台座へ飛びついた。


秘宝を掴む。


外れない。


「ちょっと!」


両手で捻る。


円盤の外周が回る。


がちん。


何かが外れた。


秘宝を持ち上げる。


その瞬間。


遺跡全体が震えた。


「やっぱり何か繋がってたああああっ!」


仲間が叫ぶ。


「何で取った!」


「ドイスに渡すよりいいでしょ!」


「遺跡ごと壊れてるぞ!」


「それは撃った奴に言って!」


三人は走った。


帰り道はもう使えない。


スージーは壁の図柄を見る。


水路。


円環。


下へ向かう線。


「こっち!」


「そっちは下だぞ!」


「上は崩れてる!」


地下へ続く階段を降りる。


後ろから大量の水。


逃げる。


階段。


石橋。


狭い通路。


スージーの猫耳は、崩壊音の中から水の流れを拾っていた。


右は大量。


左は少ない。


「左!」


曲がる。


直後、右側の通路が水で埋まった。


仲間が息を切らす。


「何で分かった!」


「耳!」


「便利だな!」


「今だけはね!」


さらに進む。


前方に光。


出口。


三人が走る。


だが、その直前。


床が割れた。


スージーの足元。


仲間の一人が腕を掴む。


「スージー!」


身体が宙へ出た。


下には水。


暗い。


流れが速い。


スージーは片手で仲間の腕を掴み、もう片方でウテキトの秘宝を抱えていた。


床の亀裂が広がる。


仲間の足元まで崩れる。


「離すな!」


「そっちが落ちる!」


「引き上げる!」


「無理!」


スージーは上を見る。


仲間は二人。


このままなら三人とも落ちる。


さらに後方から水が迫っていた。


「先に行って!」


「馬鹿言うな!」


「出口まであと少しでしょ!」


「お前も来い!」


「行くわよ!」


スージーは笑った。


猫耳が少し伏せる。


「後から!」


そして。


掴んでいた手を離した。


「スージー!」


最後に聞こえたのは、仲間の声だった。


猫耳は、それを崩壊音の中でもはっきり拾った。


身体が落ちる。


暗い縦穴。


壁。


水。


秘宝の光だけが、手の中で淡く揺れている。


スージーは落ちながら、それを見る。


「……ラシアホへ導くって」


さらに下で、水音が轟いた。


「こういう意味じゃないでしょうねえええええっ!」


そのまま。


スージーは暗い水の中へ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ