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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
断章Ⅴ

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第百二十一話 米

朝の谷底へ、鶏の声が響いていた。


「コケケッコォォォォォー!」


もちろん、鶏はいない。


少し離れた林で、朝方の風を受けた鶏の木が鳴いている。卵そのものにしか見えない実をつけ、朝になると鶏そっくりの声まで上げる、リーゼが考えることを放棄した木だった。


その声を聞きながら、シズクは共同調理場で朝食を作っていた。


卵の実を割って焼き、昨日採った野菜を刻み、汁物の鍋を火へかける。九人分となれば量は多いが、最近は役割分担も決まり、食事の準備そのものにはかなり慣れてきていた。


館の外では、別の音がしている。


どん。


ざっ。


どん。


時々、ルヴァナの声。


「うわっ!」


さらに、エヴァの笑い声。


「腰が高い!」


「分かってるって!」


「分かってる奴は今ので浮かねえ!」


「もう一回!」


シズクは窓の外を見る。


バルコニーの前にある開けた地面で、エヴァとルヴァナが組み合っていた。


少し前から、ルヴァナはエヴァを「師匠」と呼ぶようになった。


理由は単純である。


力で勝てない。


真正面からぶつかって勝てない。


押しても動かない。


持ち上げようとしても持ち上がらない。


そして何より、ルヴァナ自身がかなり強いからこそ、自分より遥かに強い相手が面白くて仕方がなかった。


「師匠!」


「何だ!」


「今度こそ!」


「来い!」


ルヴァナが踏み込む。


速い。


低く入る。


エヴァの腰へ腕を回し、そのまま脚と背中を使って持ち上げようとする。


動いた。


ほんの少し。


「おお!」


ルヴァナの顔が明るくなる。


次の瞬間。


「まだ甘い!」


エヴァが腰を落とした。


ルヴァナの身体が止まる。


そこから逆にエヴァが身体を入れ替えた。


「え?」


ルヴァナの視界が回る。


どさっ。


土の上へ仰向けになった。


エヴァが見下ろす。


「今のは良かった」


「負けたのに?」


「前より動いた」


ルヴァナは寝転がったまま笑った。


「じゃあ、もう一回」


「いいぞ」


立ち上がる。


また組む。


押す。


引く。


足をかける。


エヴァはほとんど動かない。


ルヴァナは何度倒されても立つ。


そのうち、調理場からシズクの声がした。


「朝ごはんですよー」


ルヴァナはエヴァへ組みついたまま止まった。


「……師匠」


「何だ」


「お腹すいた」


「俺もだ」


二人は同時に離れた。


勝負は終わった。


食事の方が優先だった。


         ◇


ルヴァナは朝食をものすごい勢いで食べていた。


「おいしい」


シズクが笑う。


「たくさん動いていましたからね」


「めっちゃお腹すいた」


エヴァも隣で食べている。


こちらも速い。


ルヴァナが肉を取る。


エヴァも取る。


根菜。


二人とも取る。


卵の実。


同時に取る。


リーゼが向かいから二人を見る。


「貴様ら、朝から何を競っている」


ルヴァナが卵を口へ入れる。


「競ってないよ」


エヴァも食べる。


「腹減ってんだ」


「食卓でまで相撲をするなよ」


「してねえよ」


ルヴァナはさらに飯を口へ運んだ。


そこで。


止まった。


椀の中を見る。


もう一口。


噛む。


そしてシズクを見る。


「シズクさん」


「はい?」


「そういえばさ」


「はい」


「お米って、どこで作ってるの?」


リーゼの手が止まった。


「米?」


ルヴァナが頷く。


「うん。これ」


自分の椀を指す。


リーゼも見る。


シズクが時々炊く、白い穀物。


リーゼの国には米を主食とする文化はない。


谷底へ来てから食べたことはある。シズクやノアから穀物だということも聞いている。


だが。


どう育てているのかまでは、気にしていなかった。


「穀物畑ではないのか?」


「田んぼじゃなくて?」


「田んぼ?」


今度はルヴァナがリーゼを見る。


「水張って作るじゃん」


リーゼの眉が寄った。


「水を張る?」


「うん」


「畑に?」


「田んぼに」


「何が違う」


「えーっと……」


ルヴァナが困ってシズクを見る。


シズクが答える。


「私の知る米は、水を張った田で育てることが多いですね」


リーゼの顔が止まった。


「待て」


全員が見る。


リーゼはシズクを見る。


「水が必要なのか?」


「かなり」


「かなり?」


「はい」


リーゼの頭の中で、最近作った設備が一斉に浮かんだ。


水槌ポンプ。


高所貯水槽。


円筒分水。


畑への水路。


作物ごとの分水量。


そのどこにも。


水田。


という項目はない。


リーゼが卓へ両手をついた。


「何故、今まで話に上がっていない!」


シズクが少し困った。


「必要ありませんでしたので」


「米を食っているだろう!」


「食べています」


「なら作っているのではないのか!?」


「作っています」


「どこで!」


ルヴァナも頷く。


「それ、あたしも知りたい」


リーゼはさらに考える。


「それに麦もだ」


シズクを見る。


「以前から穀物畑があると言っていたな」


「はい」


「麦なら刈る。脱穀する。選別する。粉にするなら挽く。最近になって脱穀の手間を問題にしたが、今までその作業をどこでやっていた?」


シズクが首を傾げた。


「そこまで大変ではありませんよ」


リーゼの嫌な予感が急速に大きくなった。


「……どういう意味だ」


ティセラが朝食を食べながら顔を上げた。


「見に行けば早いのでは?」


リーゼは教授を見る。


「知っているのか」


「見たことはあります」


「何故、黙っていた!」


「聞かれませんでしたので」


クロエが小さく笑った。


リーゼが振り向く。


「そこ! 忍者と同じ答えをするな!」


         ◇


朝食の後。


穀物畑へ向かったのは、シズク、リーゼ、ティセラ、ルヴァナだった。


エヴァも来ようとしたが、ルヴァナに、


「師匠、あとでまた相撲ね」


と言われ、


「おう」


と答えて別の仕事へ行った。


穀物畑は、日常の野菜畑から少し離れたところにある。


シズクが主に管理している場所だった。


ルヴァナも畑仕事を手伝っている。


だから場所そのものは知っている。


近づく。


そして。


ルヴァナが止まった。


「あれ?」


リーゼも見る。


地面から。


色とりどりの葉が生えている。


その下。


土から少し頭を出しているのは。


太い根。


赤。


橙。


黄。


白。


紫。


青みがかったものまである。


どう見ても。


「ここって、カラフルなニンジン畑だよね?」


ルヴァナが言った。


リーゼの足が止まった。


何か。


覚えがある。


形は違う。


状況も違う。


だが。


以前。


白い楕円形の実を見て。


卵だと思った。


割っても卵。


焼いても卵。


食べても卵。


なのに。


木の実だった。


その木は鶏の声で鳴いた。


リーゼは色とりどりのニンジンを見る。


そして。


ものすごく嫌そうな顔でシズクを見た。


「シズク」


「はい」


「先に聞く」


「はい」


「これはニンジン畑か?」


シズクは普通に答えた。


「いえ。穀物畑です」


リーゼは目を閉じた。


「やはりか……」


ルヴァナが叫ぶ。


「いやいやいや、ニンジンじゃん!」


「私も最初はそう思いました」


「根っこだよ!?」


「はい」


「穀物どこ!?」


シズクは畑へ入った。


橙色の一本を選ぶ。


普通のニンジンのような葉を掴む。


「この中です」


ルヴァナが畑を見る。


リーゼも見る。


ティセラだけは静かに観察している。


シズクは土からその一本を抜いた。


どう見てもニンジンだった。


太さも。


形も。


葉も。


少し大きいが、ニンジンの範囲である。


リーゼが言う。


「それはニンジンだ」


「穀物です」


「ニンジンだろう」


「中身が穀物なんです」


「その説明がもうおかしい!」


シズクはニンジンの葉の根元へ指をかけた。


「ここを抜きます」


きゅっ。


そして。


ポン!


軽快な音がした。


リーゼの眉が跳ねた。


ルヴァナの目が丸くなる。


シズクはすぐ横に置いてあった笊を取り、そのニンジンを逆さまにした。


さらさらさらさら。


白い粒が落ちた。


笊の中へ積もる。


ルヴァナが覗き込む。


「……米」


シズクが頷く。


「お米です」


リーゼも覗く。


白い粒。


以前から食卓で見ているものと同じ。


「待て」


ニンジンを見る。


米を見る。


もう一度ニンジン。


「何故だ」


シズクが答える。


「そういうものですので」


「説明を諦めるな!」


ティセラが横から補足する。


「内部は成熟するまでかなり安定した閉鎖構造になっています。外皮そのものが保存容器の役割を兼ねているようですね」


リーゼが教授を見る。


「米がニンジンから出てくる理由を聞いている!」


「そこはまだ分かっていません」


「教授にも分からないのか!」


「はい」


リーゼは少し安心した。


谷底には、教授にも分からないものがある。


それだけで少し救われる。


ルヴァナは別の色の一本を指差した。


「じゃあ、こっちは?」


シズクが黄色に近いものを抜く。


葉の根元を引く。


ポン!


笊へ逆さまにする。


ざらざらざら。


今度は薄茶色の粒。


リーゼが見る。


「麦か?」


「小麦です」


「小麦まで!」


ルヴァナが紫色のものを見る。


「じゃ、これ!」


自分で抜いた。


シズクが止めるより先に、葉の根元を引く。


ポン!


「わっ」


白いものが舞った。


ルヴァナの顔。


髪。


服。


周囲。


真っ白な粉。


数秒。


誰も動かなかった。


ルヴァナがゆっくり口を開く。


「……粉?」


シズクが答える。


「小麦粉ですね」


リーゼが叫んだ。


「加工済みまであるのか!」


ルヴァナが粉まみれの顔で笑い始めた。


「何これ!」


シズクは布を渡す。


「こちらは笊ではなく、袋へ入れてから開けた方がいいですよ」


「先に言って!」


「ルヴァナさんがすぐ抜いてしまいましたので」


「だって米、小麦って来たら次も見たいじゃん!」


ティセラは白い粉を指先で確認する。


「確かに粉砕済みですね」


リーゼが額を押さえた。


「麦を刈って」


「はい」


「乾燥させて」


「はい」


「脱穀して」


「はい」


「選別して」


「はい」


「挽いて」


「はい」


「粉にする」


「普通なら」


リーゼは紫のニンジンを見る。


「これは?」


シズクが答える。


「抜いて、開ければ小麦粉です」


「工程が消えすぎだろう!」


         ◇


そこからは。


色の確認になった。


白に近いもの。


米。


黄色。


小麦。


紫。


小麦粉。


少し青いもの。


別の穀物。


赤いもの。


粗く挽かれた粉。


同じ種類でも色合いが少し違えば、中身の加工状態まで違うものがある。


ルヴァナは完全に面白くなっていた。


「これ、ガチャみたい」


リーゼがすぐ言う。


「色で分かるのだろう!」


「分かるけど」


「ならガチャではない!」


「でも開ける時、ポンってするじゃん」


一本。


ポン!


米。


もう一本。


ポン!


麦。


袋の中で。


ポン!


小麦粉。


ルヴァナが笑う。


「楽しい」


リーゼは楽しくない。


「何故、穀物の収穫に娯楽性があるんだ……」


シズクは慣れた手つきで収穫したものを分けていく。


「必要な分だけ開ければいいんです」


リーゼが顔を上げた。


「必要な分だけ?」


「はい。開けずにそのまま置いておけば、かなり長く保存できます」


リーゼが止まった。


「どのくらいだ」


シズクが少し考える。


「正確には分かりません。ただ、館へ来た頃に収穫したものでも、状態の良いものはまだ問題ありません」


リーゼの顔が変わった。


軍人の顔になった。


「保存設備なしで?」


「乾いたところには置いていますが、特別なことはしていません」


「虫は?」


「中へは入りにくいようです」


「湿気は?」


「外側が傷んでいなければ、中はかなり安定しています」


リーゼが一本持ち上げる。


先ほどまでニンジン扱いしていたものを見る目ではなかった。


「携行できるな」


ティセラが頷く。


「容器と食料を兼ねていますね」


「落としても?」


シズクが答える。


「多少なら平気です」


「非常食として優秀すぎるだろう」


ルヴァナが言う。


「でも見た目ニンジンだよ?」


「そこはもう諦めた!」


リーゼは一本を手にしたまま考える。


穀物を刈り取る必要がない。


脱穀も。


場合によっては製粉すらいらない。


しかも開封前なら長期保存。


水田も必要ない。


畑で育つ。


水は普通の作物と同程度に管理すればいい。


最近。


水槌ポンプを作った。


円筒分水を作った。


脱穀の手間を減らそうとした。


送風機で選別しようという話までしている。


リーゼは静かにシズクを見た。


「……シズク」


「はい」


「この前、穀物の脱穀が大変だという話をした時」


「はい」


「何故これを言わなかった」


シズクは少し考えた。


「こちらとは別の穀物についてのお話だと思っていましたので」


リーゼの顔が引きつる。


「別?」


「普通に穂へ実るものもありますよ」


「あるのか!」


「はい」


「では何故、こっちだけで済ませない!」


シズクは困ったように笑った。


「味が違いますので」


リーゼが黙った。


それは。


正しい。


非常に正しい。


「……食事は効率だけではないか」


「はい」


「分かった」


珍しく素直に納得した。


         ◇


ところで。


問題が一つ残っていた。


中身を出した後のニンジンである。


リーゼが、空になった一本を持っていた。


持った感じでは。


軽い。


中に米が詰まっていた部分は空洞になっている。


外側はどう見てもニンジン。


リーゼが聞く。


「これは捨てるのか?」


シズクが驚いた顔をした。


「食べられますよ」


「食えるのか!?」


「はい」


ルヴァナがすぐに一本取った。


「生で?」


「大丈夫です」


かじる。


しゃくっ。


ルヴァナが噛む。


もう一口。


「ニンジンだ」


リーゼが言う。


「ここまで来て普通なのか!?」


ルヴァナは笑う。


「めっちゃニンジン味」


シズクも頷く。


「煮ても焼いても使えます」


リーゼは自分でも少しかじった。


しゃく。


甘い。


ニンジン。


何のひねりもない。


「米を出した後なのに……」


ティセラが言う。


「外殻部分は根菜としての組織を維持しています」


「教授」


「はい」


「もう分類しなくていい」


「ですが興味深いですよ」


「興味深すぎて疲れた」


するとシズクが、さらに言った。


「食べない場合は、樽へ入れておくこともできます」


リーゼの動きが止まる。


「何になる」


もう予想したくなかった。


シズクが答える。


「糠です」


リーゼは無言だった。


ルヴァナも止まった。


ティセラだけが普通に頷いた。


数秒後。


ルヴァナが聞く。


「……ニンジンが?」


「はい」


「米を出した後の?」


「はい」


「置いとくと?」


「糠になります」


ルヴァナは腹を抱えて笑い始めた。


リーゼは笑えなかった。


「待て。米糠とは」


「普通なら、お米を精米した時に出ますね」


「それを何故、ニンジンが担当する!」


シズクは少し考えた。


「便利だからでしょうか」


「誰に聞いている!」


         ◇


その日の昼。


共同食事場には。


米。


小麦を使ったパン。


野菜。


そして。


中身を抜いた後のニンジンを使った料理が並んだ。


ルヴァナは朝の相撲で腹を空かせていたこともあり、よく食べた。


隣のエヴァも食べる。


「これうまいな」


「それ、米出てきたニンジン」


「そうなのか」


エヴァがもう一つ食べる。


「うまけりゃいいだろ」


リーゼが遠い目をした。


「貴様は強いな」


「何が?」


「精神が」


エヴァは意味が分からないまま食べ続けた。


クロエは話を聞き、実物を一つ持ち上げていた。


「長期保存できるのか」


シズクが頷く。


「はい」


アスラも別の色を見る。


「粉の状態でも?」


「開けなければ」


ネイラが興味深そうに外皮を見る。


「天然の密閉容器になっているのね」


ティセラが頷く。


「種類によって内部加工まで異なります」


ルヴァナが笑いながら言う。


「姉ちゃん、紫のやつ開ける時は袋の中でやった方がいいよ」


「どうして?」


「こうなるから」


自分の髪を指す。


洗ったはずなのに、まだ少し白い粉が残っていた。


ネイラが笑った。


「分かった」


リーゼは食卓を見る。


米。


パン。


ニンジン料理。


全部。


同じ畑に生えていた、色違いのニンジンのようなものから来ている。


外では。


「コケケッコォォォォォー!」


遅れて吹いた風に、鶏の木が鳴いた。


リーゼは箸を止めた。


卵は木になる。


穀物はニンジンに詰まっている。


小麦粉は収穫した時点でもう粉。


空になった殻はニンジンとして食べられる。


食べなければ糠になる。


リーゼは静かに言った。


「この谷底では」


ノアが見る。


「うん?」


「農業を学び直した方がいい気がしてきた」


ノアは少し考えた。


「僕もそう思う」


「貴方もか」


「前世の知識がそのまま使える植物ばかりじゃないからね」


ティセラが嬉しそうに言う。


「では、全作物の構造と生育特性を一度――」


リーゼが即座に止めた。


「教授」


「はい」


「一覧だけでいい」


「研究は?」


「必要になったものからだ!」


ティセラは少し残念そうだった。


ルヴァナは茶碗の米を見た。


それから、朝見たカラフルな畑を思い出す。


「でもさ」


「何だ」


リーゼが見る。


ルヴァナは米を一口食べた。


「田んぼ作らなくていいなら、楽じゃん」


リーゼは答えようとして。


止まった。


水を張る必要がない。


田を作る必要もない。


脱穀もない。


精米の一部まで済んでいる。


長期保存できる。


外側まで食べられる。


確かに。


「……楽だな」


シズクが笑った。


「はい」


リーゼはもう一口、米を食べた。


外ではまた、鶏の木が鳴いている。


「コケッ」


リーゼは何も言わなかった。


卵の木に比べれば。


米がニンジンから出てくる程度。


もう少しで、普通だと思えるところまで来ていた。

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