第百二十話 農作
畑への水やりをほとんど自動化して、数日。
水槌ポンプは今日も一定の間隔で鳴っている。
ばん。
少し待って。
ばん。
高い場所の貯水槽へ水が送られ、そこから円筒分水へ流れ、日常の畑、薬草と育苗、予備貯水、大型生物水場へ分かれていく。
畑の中では細い水路へさらに分けられ、必要なところまで水が届く。
人が桶を担ぐ必要は、ほとんどなくなった。
シズクは朝食の後、畑を見回った。
水量を見る。
土を触る。
昨日抜いた雑草がまた生えていないか確認する。
野菜を見る。
そして。
止まった。
「……あ」
隣を歩いていたリーゼが振り向く。
「どうした」
シズクは畑を指差した。
「育っています」
「それは畑だからな」
「そうではなく」
シズクは少し困った顔をした。
「また収穫できます」
リーゼも見る。
葉物。
根菜。
豆。
いくつもの作物が、ちょうど食べ頃になっている。
数日前に収穫したばかりだった。
リーゼが黙った。
谷底の植物は成長が早い。
それ自体は以前から知っている。
問題は。
畑が以前より広いことだった。
人数が増えた。
食べる量が増えた。
だから畑を広げた。
さらに水やりが楽になった。
乾きやすかった場所にも安定して水が来るようになった。
その結果。
育つ。
ものすごく育つ。
シズクが言った。
「昨日もかなり採りましたよね」
「採ったな」
「一昨日も」
「採った」
「今日も」
リーゼは畑を見る。
「……採らないと駄目か?」
シズクが葉物の一つを確認する。
「このまま置くと育ちすぎます」
リーゼは額を押さえた。
「仕事を減らすために水やりを自動化したのではなかったか?」
「水やりは減りました」
「その分、収穫が増えたぞ!」
シズクは少し考える。
「たくさん食べられますね」
「そういう問題なのか?」
そこへエヴァが来た。
「何してんだ?」
リーゼが畑を指す。
「収穫だ」
「じゃあ採ればいいだろ」
「量を見ろ!」
エヴァが見る。
広い。
そして実っている。
「多いな」
「今気づいたのか!」
エヴァは少し考えた。
「九人で採れば早い」
リーゼが止まる。
「……それはそうだな」
「じゃあ呼ぼうぜ」
「貴様が合理的だと調子が狂う!」
「何でだよ」
◇
結局。
朝から全員で収穫することになった。
ノア。
エヴァ。
シズク。
リーゼ。
ティセラ。
クロエ。
アスラ。
ネイラ。
ルヴァナ。
九人。
もっとも、ティセラは途中から自分の薬草区画へ行き、クロエとネイラは収穫道具の構造を見始め、アスラは魔術で一気に抜こうとしてリーゼに止められた。
「根菜ならまとめて引き抜けるぞ」
「畑ごと持ち上げる気だろう!」
「土は戻せる」
「エヴァと同じことを言うな!」
エヴァが根菜を抜きながら振り向く。
「俺は手でやってるぞ」
「貴様も昨日、土ごと抜いた!」
「今日は加減してる」
エヴァが一本抜く。
今度は綺麗だった。
シズクが頷く。
「上手になりましたね」
エヴァが得意そうに笑う。
「だろ」
リーゼが言う。
「何故、根菜を抜くだけで成長を感じなければならんのだ」
ルヴァナも根菜区画へいる。
一本掴む。
引く。
綺麗に抜けた。
「ほら」
エヴァが見る。
「うまいじゃねえか」
「でしょ?」
「二本いけるぞ」
「いける」
リーゼがすぐ反応する。
「だから競争にするな!」
二人は左右の手で一本ずつ抜いた。
「できた」
「できるな」
「四本いけそう」
「指の間に挟めばな」
「やってみよ」
「やめろ!」
畑にリーゼの声が響いた。
◇
ネイラは葉物を収穫していた。
最初は。
一枚ずつ状態を見る。
大きさを見る。
傷を見る。
必要なところだけ切る。
非常に丁寧だった。
シズクが近くで見る。
「綺麗ですね」
「ありがとうございます」
ネイラは次の株を見る。
また丁寧に切る。
さらに次。
リーゼが遠くから見ていた。
しばらくして。
「ネイラ」
「はい」
「その速度で、この畑全部終わると思うか?」
ネイラが畑を見る。
広い。
自分が終えたところを見る。
狭い。
「……終わりませんね」
「少し基準を緩めろ」
「でも傷んだ葉が」
「後で仕分ければいい!」
ネイラは少しだけ残念そうだった。
その横へクロエが来た。
「刈り取り用の刃を長くするか」
リーゼが振り返る。
「また機械か!」
「まだ機械とは言っていない」
「顔が機械だ!」
クロエが首を傾げる。
「どういう意味だ」
「最近の貴様の顔を見ていれば分かる!」
ネイラは手に持った小さな鎌を見る。
「確かに、もう少し幅があれば一度に切れます」
クロエが頷く。
「往復式でもいい」
「電動?」
「できる」
リーゼが叫ぶ。
「今日は手で採れ!」
◇
一方。
ティセラのところは別の意味で進まなかった。
薬草を一つ採る。
記録する。
重さを量る。
状態を見る。
香りを確認する。
切断面を見る。
次。
リーゼが近づいた。
「教授」
「はい」
「収穫だぞ」
「しています」
「研究ではない」
「収穫したものの状態記録です」
「全部に必要か?」
ティセラは少し考えた。
「研究用だけなら、三分の一でも」
「一割にしろ!」
「少なすぎませんか?」
「今日は食料の収穫もある!」
ティセラは不満そうだった。
「では二割」
「交渉するな!」
アスラが横から笑う。
「教授と大尉は相性がいいな」
二人が同時にアスラを見る。
「どこがだ!」
「どこがですか!」
今度はアスラが少し下がった。
「息も合っているぞ」
リーゼが頭を抱えた。
◇
昼になる頃。
収穫物が、共同食事場の横へ積まれていた。
葉物。
根菜。
豆。
瓜のような実。
香草。
穀類。
果実。
まだ畑には残っている。
シズクが山を見る。
「多いですね」
リーゼも見る。
「食えるのか、これ」
エヴァが即答する。
「食える」
「貴様一人でではない!」
「聖者もいる」
ノアが苦笑した。
「さすがに全部は無理だよ」
ルヴァナが野菜の山を見る。
「向こうに持って帰れたらいいのにね」
ネイラが頷く。
「アバターから実体へ物は移せないから無理ね」
クロエも言う。
「情報なら持ち帰れるが、野菜は無理だ」
アスラが腕を組む。
「向こうの私へ『野菜が余っている』と伝えても意味はないな」
ルヴァナが笑う。
「自慢になるくらい?」
リーゼは収穫物を見る。
「問題は保存だ」
ノアも頷いた。
「そうだね」
館には保存設備がある。
冷たい水を使う場所。
風通しのいい乾燥場所。
魔宝石を使った冷蔵保存。
塩漬け。
乾燥。
燻製。
発酵。
それなりに揃っている。
だが。
収穫量そのものが増えれば。
洗う。
仕分ける。
切る。
干す。
漬ける。
煮る。
保存容器へ入れる。
そこにも人手がいる。
リーゼが呟く。
「またか」
シズクが聞く。
「何がです?」
「食事と同じだ。増えたのは物だけではない。処理する仕事も増える」
ノアが笑う。
「便利になると、次の詰まりが見えるんだよね」
リーゼが睨んだ。
「貴方は楽しそうだな」
「ちょっと」
「小官は今日だけで何度野菜を見たと思っている!」
◇
午後。
保存作業が始まった。
シズクは手慣れている。
葉物を分ける。
今日食べるもの。
明日まで。
乾燥させるもの。
漬けるもの。
家畜ではなく、大型生物へ回しても問題ないもの。
傷んだもの。
ノアも手伝う。
リーゼは量を記録する。
ティセラは薬草を別にする。
ここまではいい。
問題は。
穀物だった。
実った穂が大量に積まれている。
リーゼが一本持ち上げる。
「これも今日処理するのか?」
シズクが答える。
「できれば」
「脱穀は?」
「手で」
リーゼが穂を見る。
量を見る。
もう一度穂を見る。
「……手で?」
「はい」
クロエの目が変わった。
リーゼはすぐ気づいた。
「待て」
「まだ何も言っていない」
「脱穀機だろう!」
「そうだ」
「やはりな!」
ネイラも穂を見る。
「回転を使えそうですね」
ノアが頷く。
「使えるね」
リーゼは天井を仰いだ。
「小型電動機を一つ作っただけで、何台作る気だ……」
クロエが指を折る。
「送風機。ポンプ。研磨。穴開け。刈り取り。脱穀」
エヴァが言う。
「肉回し」
「それはまだ入っていない!」
「入れろよ」
ルヴァナが穂を手で揉んでみる。
粒が落ちる。
「これ全部やるの?」
シズクが頷く。
「そうですね」
ルヴァナは山を見る。
「機械作ろ」
リーゼが振り向く。
「貴様まで!」
「だってこれ手でやる方が嫌だよ!」
リーゼは反論しようとした。
山を見る。
黙る。
また山を見る。
「……作るか」
クロエがすぐ立った。
「工作室へ行く」
「待て!」
「作ると言っただろう」
「設計からだ!」
ネイラも立つ。
「構造は簡単だと思います」
「貴様らは完成を急ぎすぎる!」
ノアも穂を一本持って考える。
「棒で叩く方式でもできるけど、この量なら回転式を考えた方がいいかな」
リーゼがノアを見る。
「貴方まで工作室へ行く顔をするな!」
「でも今日中に試作品くらいなら」
「今日中!?」
◇
結局。
大がかりな機械は作らなかった。
ノアが簡単な木枠を組む。
中へ回転する筒を置く。
筒の表面へ短い突起をつける。
穂を直接巻き込まない程度の隙間。
手回し。
まずはそれだけ。
リーゼが言った。
「今日は手で回す」
クロエが不満そうに言う。
「電動機がある」
「まず構造が正しいか確認する!」
ネイラが穂を入れる。
ルヴァナが取っ手を回す。
「これ?」
「ゆっくり」
「はーい」
ぐるぐる。
穂が筒へ触れる。
粒が外れる。
下へ落ちる。
藁は別側へ残る。
シズクが驚く。
「取れています」
ルヴァナが速度を上げる。
「もっといけそう」
リーゼが言う。
「ゆっくりと言っただろう!」
「でも平気」
さらに回す。
粒が次々と落ちる。
ネイラが次の穂を入れる。
クロエが隙間を見る。
「もう少し狭くできる」
リーゼが止める。
「今日はこれでいい!」
シズクは下へ溜まった粒を見る。
「手よりずっと早いです」
エヴァが来た。
「俺が回そうか?」
リーゼが即座に言う。
「駄目だ」
「まだ何もしてないぞ」
「取っ手が折れる!」
「折らねえよ」
ルヴァナが笑う。
「エヴァ、あたしでも回せるよ」
「じゃあ交代」
「うん」
リーゼが言う。
「何故、力自慢二人で順番に回す!」
だが。
エヴァは本当に加減した。
ぐるぐる。
速い。
しかし壊れない。
穀粒が大量に落ちていく。
シズクの顔が明るくなる。
「早いです」
リーゼは認めざるを得なかった。
「……貴様、こういう時だけ便利だな」
エヴァが笑う。
「いつも便利だろ」
「否定はしない!」
◇
脱穀が終わる。
今度は。
粒の中へ細かな殻や藁くずが混じっている。
シズクが言った。
「次は、これを分けます」
リーゼが嫌な予感を覚える。
「どうやって」
「風で」
全員が止まった。
クロエがゆっくり小型電動機を見る。
ネイラも見る。
ノアも。
リーゼが両手を上げる。
「分かった!」
全員がリーゼを見る。
「分かったから、何も言うな!」
クロエが言った。
「送風機」
「言うなと言った!」
ノアが笑う。
「ちょうど次に作る予定だったね」
「全部つながっているのが腹立たしい!」
ティセラが粒を指先で見る。
「風量を調整できれば、重い穀粒だけ落として軽い夾雑物を飛ばせますね」
リーゼが教授を見る。
「教授まで機械側へ来るな!」
「合理的ですので」
シズクは穀粒の山を見た。
「風があれば、とても助かります」
リーゼは黙った。
シズクの一言が一番強かった。
「……作ろう」
クロエがまた立つ。
「工作室へ」
「今日は行かん!」
「何故だ」
「夕飯だからだ!」
全員が外を見る。
いつの間にか、かなり日が傾いていた。
◇
夕食。
今日採れた野菜が大量に並んだ。
汁物。
煮物。
焼き物。
漬物。
肉。
魚。
新鮮な葉物。
ルヴァナが皿を見る。
「今日、野菜多くない?」
シズクが答える。
「たくさん採れましたから」
エヴァが肉を食べながら言う。
「肉もあるぞ」
「エヴァは肉しか見てないじゃん」
「野菜も食ってる」
エヴァが根菜を一つ食べる。
リーゼが少し感心する。
「本当に食うようになったな」
「シズクに言われたから」
シズクが微笑む。
「ありがとうございます」
エヴァが妙に誇らしそうになる。
ノアは今日の作業を思い返していた。
「水を運ばなくてよくなった」
リーゼが頷く。
「その結果、収穫が増えた」
「収穫が増えたから、保存作業が増えた」
「脱穀機が欲しくなった」
クロエが続ける。
「次は送風機だ」
ネイラが言う。
「その後、選別機も作れそう」
リーゼが止まった。
「何だ選別機とは」
「粒の大きさを揃えるものです」
「増やすな!」
ルヴァナが笑う。
「大尉、もう機械作るの諦めた方がいいんじゃない?」
「逆だろう! 作らなければ仕事が減らん!」
「じゃあ作るんじゃん」
リーゼが黙った。
アスラが面白そうに笑う。
「負けたな」
「誰にだ!」
「生活に」
リーゼはしばらく考えた。
そして。
「……それは否定できん」
珍しく素直に認めた。
◇
食後。
九人で片づける。
以前より早い。
もう慣れてきている。
終わった頃。
シズクが調理場の隅に置かれた収穫籠を見る。
まだ野菜がある。
保存蔵にも入れた。
乾燥用にも回した。
漬けた。
それでも残る。
シズクはノアへ尋ねた。
「聖者」
「何?」
「畑、少し減らしますか?」
リーゼが振り向いた。
クロエも。
ティセラも。
全員が少し黙った。
これまで。
人が増える。
畑を広げる。
もっと作る。
そういう方向ばかり考えてきた。
ノアは少し考える。
「それもありだね」
リーゼも頷いた。
「必要以上に作る意味はない」
ティセラが言う。
「不作へ備える余裕は必要ですが、現在の成長速度なら過剰生産になっています」
エヴァが聞く。
「余ったら黒たちに食わせれば?」
シズクが答える。
「食べられるものなら、それもできます」
リーゼは考える。
「だが、それを前提に畑を増やし続けるのは違うな」
ノアも頷いた。
「必要量を一回測ろう」
「九人が一日に食べる量」
「大型生物へ回す量」
「保存する分」
「種として残す分」
「予備」
ティセラがすぐ記録板を持ってきた。
リーゼが顔をしかめる。
「教授」
「必要でしょう?」
「……必要だ」
ティセラが少し嬉しそうに座る。
クロエが言った。
「また役所だな」
リーゼが即座に叫ぶ。
「違う!」
アスラも笑う。
「今度は農政か」
「違うと言っている!」
ルヴァナが言う。
「農業大尉」
「貴様は官職を増やすな!」
◇
翌朝。
畑へ行くと。
昨日、全員で収穫した場所には。
もう小さな新芽が出ていた。
シズクがしゃがみ込む。
リーゼも隣へ来る。
二人で見る。
新芽。
昨日採ったばかり。
シズクが言った。
「また育ちますね」
リーゼが遠い目をした。
「……水をやりすぎたか?」
「適量です」
「土が良すぎる?」
「以前からです」
「谷底だから?」
「おそらく」
二人はしばらく新芽を見ていた。
後ろからティセラが来る。
「生育状況を測りましょう」
リーゼが振り返る。
「教授」
「はい」
「今日は測らなくていい」
「何故です?」
「見れば分かる!」
新芽は。
既に昨日の朝より大きくなっていた。
リーゼは畑全体を見渡す。
それから。
大きく息を吸った。
「育つのが早すぎるんだああああっ!」
朝の谷底へ。
いつもの声が響いた。
その日の食料管理表には、新しく一項目が追加された。
『作りすぎない』
その横へ、シズクが小さな字で書いた。
『ただし、勝手に育つ分は仕方ありません』
リーゼはそれを見て。
しばらく何も言えなかった。




