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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第十六章 谷底Ⅴ

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第百十九話 草取り

水やりを楽にしたら、雑草まで元気になった


円筒分水に四つ目の行き先が増えた翌朝、谷底の畑では誰も水桶を持っていなかった。


水槌ポンプは、館より少し高いところに置かれた貯水槽へ、夜通し水を送り続けている。


ばん、と鳴る。


少し間を置いて、また、ばん、と鳴る。


その水は貯水槽から自然に下り、小さな円筒分水へ入る。中心から湧き上がった水が全周から均等にあふれ、それぞれ幅の違う区画へ落ちていく。


一番広いところから日常の畑。


次が薬草と育苗。


もう一つが予備の貯水。


そして最後に追加された、かなり幅の広い水路。


『黒』


リーゼは、その札を見るたびに妙な敗北感を覚えていた。


「何故、灌漑設備の正式な分水先に馬の名前があるんだ……」


隣でエヴァが笑う。


「黒だからだろ」


「それは分かっている!」


黒用の水路は畑から少し離れたところへ延び、その先に大きな水槽が置かれている。


大きい。


普通の馬用などではない。


黒が頭を下げても楽に飲める高さと幅を確保し、ノアが丸太と石で組んだものだった。


昨日まで黒が狙っていた高所の貯水槽には蓋が付き、その周囲からも飲めないようになっている。


今朝、黒は新しい水場を見つけると、しばらく匂いを嗅いだ。


そして飲んだ。


ごくごくごくごく。


リーゼが腕を組んで見守る。


「どうだ」


エヴァが黒の様子を見る。


「気に入ったみたいだぞ」


「ならよし」


「水、減ってるぞ」


「分かっている!」


黒用の水槽はかなり大きい。


それでも水面が目に見えて下がっていく。


だが。


飲んでいるそばから、水路を通って新しい水も流れ込んでいた。


黒が飲む。


水が入る。


黒が飲む。


水が入る。


飲む量の方がまだ多い。


リーゼの眉間に皺が寄る。


「……分水比をもう少し増やすか」


エヴァが笑った。


「一番多くなりそうだな」


「認めたくないが、実需だ!」


その横ではルヴァナが黒の巨大な頭を撫でていた。


「よかったねー。専用じゃん」


黒が鼻を鳴らす。


少し離れたところにキマイラ、鵺、ユニコーン、ペガサスもいる。


四匹とも水槽を見る。


リーゼが止まった。


「待て」


ユニコーンが先に水槽へ近づく。


ペガサスも。


鵺も。


キマイラも。


「待て待て待て」


四匹が飲み始めた。


黒も飲む。


巨大生物五匹。


水面が一気に下がる。


リーゼが円筒分水の方を振り返った。


「黒ではない!」


エヴァが首を傾げる。


「何が?」


「分水先の名前だ! 『黒』では足りん!」


ルヴァナが笑う。


「じゃあ『黒たち』?」


「設備台帳へそんな名前を書くな!」


         ◇


結局。


札は変更された。


『大型生物水場』


リーゼはそれを見て満足そうに頷いた。


「これならいい」


クロエが言う。


「最初からそうすればよかったな」


「貴様は昨日言え!」


「面白かったから」


「忍者はそういうところだぞ!」


その騒ぎをよそに。


畑の方では、水が静かに流れ続けている。


今までの水やりは、かなり人力だった。


水路が近い場所なら小さな溝へ流す。


離れたところなら桶で運ぶ。


新しく植えた場所なら、一株ずつ様子を見ながら水をやる。


雨が多ければ減らす。


乾けば増やす。


谷底は水そのものには困らない。


しかし、必要な場所へ持っていく仕事は消えなかった。


今は。


水槌ポンプが高い場所へ水を送り。


貯水槽へ貯め。


円筒分水が大まかな量を分け。


そこから細い水路へ流れる。


シズクは畑の畝の間にしゃがみ込み、流れてくる水を指で触った。


「ちゃんと来ています」


リーゼが横から確認する。


「多すぎないか?」


「今のところは大丈夫だと思います」


ティセラも土を触る。


「こちらは少し減らした方がいいですね」


薬草区画である。


リーゼが円筒分水を見る。


「分水比そのものを変えるか?」


ティセラは首を振った。


「今すぐそこまでしなくてもいいでしょう。こちらの水路入口で少し絞れば十分です」


ノアが頷く。


「円筒分水は大まかな割合を決めるところにして、畑の中では小さな調整をした方がいいね」


「細かく分け始めたら、円筒が巨大になるからな」


リーゼも納得する。


ネイラが円筒分水を見ながら言った。


「外周を可変にできませんか?」


リーゼの顔が嫌そうになる。


「また改造か」


「季節によって必要な水量は変わるでしょう?」


「それは正しい」


「植える作物が変わっても」


「正しい」


「なら、仕切り位置を動かせるようにすれば」


クロエがすぐ加わった。


「円周に沿って溝を切り、仕切り板を移動式にする」


ネイラが頷く。


「目盛りも付けましょう」


リーゼが二人を見る。


「……便利だな」


クロエが言う。


「だろう」


「その得意げな顔が腹立つ!」


それでも改良案は採用された。


円筒分水の外周へ目盛りを付ける。


仕切りをある程度動かせるようにする。


日常畑何割。


薬草何割。


予備何割。


大型生物水場何割。


数字で決めれば、後から変更した時にも分かりやすい。


ティセラが記録板へ書く。


リーゼも覗き込む。


「大型生物が五匹になった分、水場を増やす」


「はい」


「日常畑は今のところ維持」


「はい」


「薬草は少し減らす」


「はい」


エヴァが後ろから言った。


「役所だな」


リーゼが振り返る。


「違う!」


「水利役所」


「違うと言っている!」


クロエも言う。


「分水管理官」


「官職を作るな!」


ルヴァナが笑う。


「水の大尉」


「意味が分からん!」


         ◇


昼前。


水やりがほぼ自動になったことで、シズクは珍しく手が空いていた。


畑へ行く。


水桶を持たない。


水を汲まない。


運ばない。


畝へ流れている水を確認するだけ。


シズクは少し不思議そうに自分の両手を見る。


「……楽ですね」


ノアが笑う。


「いいことじゃない?」


「はい。ただ、今までこの時間は水を運んでいましたので」


「他のことができるよ」


「そうですね」


シズクは畑を見渡した。


野菜はよく育っている。


谷底では、とにかく植物の成長が早い。


普通なら何日もかかる変化が、目に見えて進む。


種を蒔いたと思えば芽が出る。


芽が出たと思えば葉が増える。


収穫した場所にも、すぐ次が育つ。


人数が増えた今ではありがたい。


畑を広げても、食べる量へ追いつける。


シズクは満足そうに頷いた。


そして。


少し離れた畝を見る。


「……あ」


ノアも見る。


「どうしたの?」


シズクは指差した。


「雑草も元気です」


ノアが黙った。


昨日までは小さかった草が。


増えている。


かなり。


水路の周囲など特にひどい。


新しく水を流し始めた場所へ、まるで待っていたように草が生えている。


ノアがしゃがむ。


「早いなあ」


「昨日、ここは抜きましたよね?」


「抜いたね」


「全部?」


「かなり」


シズクは草を見る。


ノアも見る。


しばらくして。


「水が来るようになったからかな」


シズクが頷く。


「元気になったのでしょうね」


「野菜だけ元気になるわけじゃないからね」


二人でしばらく黙った。


シズクが言う。


「抜きましょうか」


「抜こうか」


そこへルヴァナが来た。


「何してんの?」


シズクが答える。


「草取りです」


「水やり楽になったんじゃなかった?」


「水やりは楽になりました」


ルヴァナが畑を見る。


「……増えてない?」


「増えています」


「昨日こんなんだった?」


「違いました」


「早っ」


ルヴァナもしゃがむ。


一本抜く。


根まで長い。


「うわ」


シズクが別の一本を抜く。


「こちらもですね」


ノアも抜く。


「水路の近くはかなりすごいな」


ルヴァナが笑った。


「仕事減った分、別の仕事増えてんじゃん」


シズクが少し考える。


「そうですね」


「意味なくない?」


シズクは首を振った。


「水を運ぶより、こちらの方が楽です」


「そうなの?」


「はい。草は皆で抜けますから」


ルヴァナが納得する。


「じゃあ抜こ」


三人で始めた。


         ◇


十分後。


エヴァが参加した。


「引っこ抜けばいいんだな」


「根からお願いします」


シズクが言う。


エヴァが草を掴む。


引く。


ぼこっ。


草だけではなく、その周囲の土ごと大きく持ち上がった。


シズクが固まる。


「エヴァ」


「ん?」


「もう少し優しく」


「根から抜いたぞ」


「畑まで抜けています」


「戻せばいいだろ」


「そういう問題ではありません」


エヴァは土塊を戻した。


手で押す。


どん。


シズクが言う。


「もっと優しく」


「難しいな」


リーゼもやって来た。


畑を見る。


「何だこれは」


ルヴァナが草を抜きながら答える。


「水やったら雑草も喜んだ」


リーゼの顔が固まる。


「自動灌漑の初日に?」


「初日に」


「早すぎるだろう!」


ティセラも来る。


畑を見る。


眼鏡を直す。


「当然ですね」


リーゼが振り向く。


「当然なのか!?」


「この谷底の植物成長速度を考えれば、水分条件が改善された雑草も成長します」


「教授、分かっていたなら先に言え!」


「野菜の成長も改善されます」


「そちらだけ聞きたかった!」


クロエとネイラも見に来た。


クロエが草を見る。


「刈る機械を作るか」


リーゼが即答する。


「待て」


ネイラは畝の間を見る。


「回転刃?」


「貴様も待て!」


クロエは真面目だった。


「電動機がある」


「昨日はポンプ、今日は草刈り機か!」


ネイラが言う。


「用途としては自然です」


「自然に機械を増やすな!」


ノアが笑いながら草を抜いている。


「でも、そのうちあってもいいかもね」


リーゼがノアを見る。


「聖者まで」


「畑がもっと広がったらね」


リーゼは周囲を見る。


確かに。


九人いる。


大型生物もいる。


畑は拡張している。


成長速度は異常。


収穫も早い。


その分、草も早い。


「……候補にだけ入れる」


クロエが満足そうに頷く。


「よし」


「今は作らん!」


         ◇


しかし、雑草だけならまだよかった。


ティセラが管理している薬草区画の方から。


「皆さん」


教授の声がした。


全員が振り向く。


ティセラは妙に落ち着いている。


それが逆に怖い。


リーゼが聞く。


「何だ」


「少し問題があります」


「教授が『少し』と言う時は信用できん」


「失礼ですね」


「第五管理区域を作った人間だぞ!」


ティセラは薬草区画の端を指差した。


そこには。


蔓があった。


昨日より長い。


明らかに長い。


しかも。


水路へ向かって伸びている。


シズクが長い棒を持ってきた。


もう習慣だった。


知らないもの。


怪しいもの。


動く植物。


まず棒。


シズクが遠くから蔓をつつく。


ぴく。


蔓が動いた。


シズクはすぐ棒を離した。


「動きます」


リーゼが言う。


「見れば分かる!」


ティセラは冷静だった。


「水へ反応しているようです」


「何の植物だ」


「以前から管理している魔物植物の一種です」


「何故、普通の薬草区画の近くにある!」


「近くではありませんでした」


全員が蔓を見る。


確かに根元はかなり離れている。


伸びたのだ。


一晩で。


ルヴァナが言う。


「水欲しくて来たの?」


ティセラが頷く。


「その可能性があります」


アスラが近づく。


「切ればいいだろう」


「待ってください」


ティセラが止める。


アスラが見る。


「何だ」


「水へ誘導できるなら、管理しやすくなるかもしれません」


リーゼの顔が嫌そうになる。


「教授」


「はい」


「増やす気ではないだろうな」


「管理するだけです」


「その言葉は信用していいのか?」


ティセラは少し考えた。


「研究はします」


「やはり駄目ではないか!」


         ◇


結局。


薬草区画への分水は、さらに少し減らされた。


魔物植物側には直接水を流さない。


必要な分だけ、人が確認して与える。


ティセラは不満そうだった。


「自動化できると思うのですが」


リーゼが即答する。


「人を捕まえる植物へ自動で餌を与えるな!」


「水です」


「同じことだ!」


アスラが蔓を見ながら言う。


「水を欲しがるなら、水場へ固定すれば逃げないのでは?」


ティセラがアスラを見る。


「その発想はあります」


リーゼが二人を見る。


「組むな!」


クロエが横から言う。


「根元へ水量計を」


「貴様まで参加するな!」


ネイラが言う。


「一定以上伸びたら切断する仕組みも」


「娘まで!」


ルヴァナは笑いながら草を抜いている。


「大尉、大人気じゃん」


「相談窓口ではない!」


         ◇


昼過ぎ。


畑の草取りはどうにか終わった。


水路の流量も調整。


円筒分水の比率も少し変更。


大型生物水場には十分な水が届いている。


高所の貯水槽も、黒に飲まれなくなった。


水槌ポンプは。


ばん。


ばん。


と変わらず動き続けている。


シズクは縁側へ腰を下ろし、手を洗った。


ルヴァナも隣へ座る。


「疲れたー」


「お疲れさまでした」


「水やり自動になったのにね」


「はい」


「結局畑いたね」


「はい」


二人で畑を見る。


水は静かに流れている。


誰も桶を運んでいない。


シズクが言った。


「ですが、昨日までなら、草を抜いた後に水も運ばなければなりませんでした」


ルヴァナが少し考える。


「あー」


「今日は草だけです」


「じゃあやっぱ楽?」


「とても」


ルヴァナも笑った。


「そっか」


エヴァが近くで手を洗いながら言う。


「だったら成功だろ」


リーゼが答える。


「そういうことだ」


珍しく、素直に同意した。


水やりがなくなったから。


仕事がなくなるわけではない。


空いた時間には、別の仕事が見える。


草を抜く。


収穫する。


設備を直す。


食事を作る。


服を繕う。


記録を取る。


研究をする。


誰かと話す。


それでも。


一つずつ、人がしなくてもいい仕事を増やしていけば。


その分だけ。


人が別のことへ使える時間が増える。


ノアが畑を見る。


「明日は水量をもう一回確認しようか」


リーゼが頷く。


「朝と夕方で記録する」


クロエが言う。


「円筒分水の仕切りも改良する」


ネイラも。


「目盛りを付けます」


ティセラが言う。


「薬草区画の成長量も」


リーゼがすぐ止める。


「魔物植物を増やす記録ではないだろうな」


「比較です」


「嫌な予感しかしない!」


その時。


大型生物水場の方から大きな水音がした。


全員が見る。


黒が飲んでいる。


キマイラも。


鵺も。


ユニコーンも。


ペガサスも。


五匹並んで飲んでいる。


水槽には、それでも水が流れ込み続けていた。


リーゼは少しだけ満足そうに腕を組んだ。


「よし。足りているな」


エヴァが横から言う。


「水場、もう一匹来てもいけそうだな」


リーゼの表情が消えた。


「来る予定があるのか?」


「知らん」


「では言うな!」


エヴァが笑う。


その日の夕方。


リーゼは水利管理の記録へ、今日の変更を書き込んだ。


日常畑。


薬草・育苗。


予備貯水。


大型生物水場。


そして一番下へ。


『魔物植物への自動給水は禁止』


翌朝。


ティセラがその下へ小さく書き足していた。


『許可を得た試験を除く』


リーゼはしばらく文字を見つめた。


それから教授を探して館へ走った。


「教授うううううっ! 勝手に例外規定を作るなああああっ!」


朝の谷底へ。


また、いつもの声が響いた。

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