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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第十六章 谷底Ⅴ

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第百十八話 灌漑

小型電動機が回るようになった翌朝、リーゼは当然のように次の仕事へ進むつもりでいた。


昨日、棒を回した。


なら今日は、その回転で水を動かす。


館の生活用水路の脇には、ノアが作り始めた木製のポンプと、クロエが持ち出してきた小型電動機が並べられている。ネイラは既に接続部分を覗き込み、ティセラは記録板を用意していた。


「まずは低いところから水を吸って、高い桶へ送る」


リーゼがそう言うと、シズクは二つの桶を見比べた。


「昨日作った、回るものを使うのですね」


「そうだ。回転を水を動かす力へ変える」


「電気で、水を上へ流す」


「そういうことだ」


シズクは納得しかけてから、水路の方を見た。


館へ来る水は、今日も勢いよく流れている。


谷底では水に困ることがない。巨大な滝があり、そこから延びる流れがあり、館の生活用水も高いところから引いてある。


シズクは少し考えてから尋ねた。


「ですが、リーゼ」


「何だ」


「水は、もう流れていますよね」


「流れているな」


「その力で、水を上げることはできないのですか?」


リーゼが止まった。


クロエも止まった。


ネイラが水路を見る。


ノアだけが「あ」と声を漏らした。


リーゼが振り返る。


「聖者」


「何?」


「今、何か思いついただろう」


「うん」


「言え」


ノアは水路の上流を見る。それから下流を見る。


館へ引いてきた水には、まだ高低差がある。流れも十分に速い。


「電動ポンプを作る前に、別のものを試してもいいかも」


リーゼが眉を寄せる。


「別の?」


「水槌ポンプ」


シズクが首を傾げた。


「水を、叩くのですか?」


「水が自分で自分を叩くようなものかな」


「余計に分からなくなりました」


ノアは笑った。


「流れている水を急に止めると、その勢いが圧力になるんだ。その圧力を使って、水の一部だけをもっと高いところへ送る」


リーゼの顔が変わった。


「水撃か」


ノアが見る。


「知ってる?」


「配管の弁を急に閉じた時に衝撃が出る現象なら知っている。航空隊でも配管設備で問題になることがある」


「それを、問題じゃなくて仕事に使う」


リーゼは水路を見る。


次に、作りかけの電動ポンプを見る。


もう一度、水路を見る。


「……電気がいらない?」


「いらない」


「電動機も?」


「いらない」


「人も?」


「動き始めれば、基本的には」


リーゼの目が細くなる。


クロエも興味を示した。


「構造は?」


「弁が二つ。それと圧力を受ける容器。流れてくる水の大部分はそのまま下へ逃がして、その勢いで一部を高い場所へ押し上げる」


ネイラがすぐに水路の落差を見た。


「では、水源より上には?」


「上げられる。ただし、上げる量は減る」


「全部の水を上げるわけではない?」


「うん」


シズクが言った。


「残った水はどうするのですか?」


ノアが下流を指す。


「この谷なら、そのまま下の水路へ戻せばいいと思う」


リーゼはしばらく黙っていた。


そして、作りかけの電動ポンプを指した。


「これは一旦止める」


クロエが言う。


「作らないのか?」


「作る」


「どちらだ」


「使い道が違う。電動ポンプは必要な時に必要な量を動かせる。消火や臨時給水には向いている。だが、畑へ毎日少しずつ水を上げるために電気を使う必要がないなら、使わない」


ノアが頷く。


「僕もそれがいいと思う」


アスラが少し離れた場所から言った。


「私が上げれば一瞬だぞ」


リーゼが振り返る。


「貴様は毎日そこへ立っていろと言われたら嫌だろう!」


「嫌だ」


「なら黙って見ていろ!」


アスラは不満そうだった。


その横でルヴァナが笑う。


「アスラ母さん、また機械に負けた?」


「まだ何も動いていないだろう!」


「でも毎日水運びは嫌なんでしょ?」


「それとこれは別だ!」


クロエが小さく笑った。


「既に負けているな」


「貴様は黙れ!」


リーゼが頭を抱えた。


「始める前から喧嘩するな!」


水槌ポンプの試作は、その日のうちに始まった。


必要なのは、上流から水を導く頑丈な管。


流れてきた水を一度逃がす弁。


圧力が上がった時だけ揚水側へ開く弁。


そして、衝撃を和らげながら水を押し出すための空気室だった。


問題は、材料だった。


「柔らかい管では駄目だな」


クロエが言う。


ノアも頷く。


「水撃の力で管自体が膨らむと、その分だけ力が逃げる」


リーゼは保管されていた金属管を見る。


「なら、こっちだ」


「重いよ」


「動かすのは最初だけだ」


ルヴァナが金属管を持ち上げた。


「これ?」


「……そうだ」


「どこ置く?」


リーゼは少し黙った。


最近、この娘がいるせいで重量物の運搬計画を考える必要がなくなりつつある。


「上流側だ」


「はーい」


ルヴァナはそのまま肩へ担いで歩いていった。


エヴァが後ろから来て、それを見た。


「一本だけか?」


「一本だけ」


「もう一本持てるだろ」


「持てる」


「なら二本」


リーゼが叫ぶ。


「貴様らは工事を筋力競争にするな!」


結局、管は二人が運んだ。


ノアとクロエが弁を組む。


ネイラが弁の動きを確認する。


ティセラは水圧を測るための簡単な目盛りを用意する。


シズクは作業そのものより、水がどう動くのかをずっと眺めていた。


最初に水を流す。


排水側の弁は開いている。


水が勢いよく流れ出す。


「これでは、ただ水を捨てているだけに見えます」


シズクが言った。


「今はそう」


ノアが答える。


流れが速くなる。


弁が水の勢いを受ける。


ばん。


弁が閉じた。


金属管の中で、鈍い衝撃音が響く。


シズクが驚いて一歩下がった。


「叩きました!」


「それが水槌」


圧力が上がる。


揚水側の逆止弁が開く。


少量の水が空気室へ押し込まれる。


流れが止まる。


圧力が下がる。


排水弁が再び開いた。


また水が流れる。


勢いが増す。


ばん。


閉じる。


水が押し込まれる。


再び開く。


ばん。


ばん。


ばん。


一定の間隔で、装置が音を立て始めた。


ルヴァナが目を丸くする。


「勝手に動いてる」


ネイラも弁を見る。


「本当に弁だけですね」


クロエは腕を組んだ。


「電動機より単純だ」


リーゼが言う。


「それを嬉しそうに言うな。昨日一日かけて電動機を作ったばかりだぞ」


「単純な方が壊れにくい」


「それは否定できん」


シズクは揚水管を見る。


最初は何も出なかった。


だが。


少し待つ。


ちょろ。


水が出た。


さらに。


ちょろちょろ。


下を流れていた水の一部が、誰も触れていないのに、かなり高い場所まで上がってきた。


シズクは目を丸くした。


「電気を使っていないのに」


「使っていない」


「魔術も?」


「使ってない」


アスラが不満そうに言う。


「確認する必要があるか?」


シズクは嬉しそうだった。


「水だけで水を運んでいるのですね」


リーゼも揚水管を見る。


「正確には、高いところから低いところへ落ちる水の一部の力を集めて、別の水をより高く押し上げている」


「でも、ずっと動く?」


「水が流れている限りはな」


装置は答えるように音を立てた。


ばん。


しばらくして。


ばん。


また。


ばん。


ルヴァナが笑う。


「なんか心臓みたい」


ネイラも少し笑った。


「確かに」


クロエは揚水量を見る。


「少ない」


リーゼが言う。


「そこは電動ポンプと同じ感想だな」


ノアは頷いた。


「水槌ポンプは、たくさん入れた水の一部を高く上げるものだからね」


下流側には、かなりの量の水が排出されている。


だが、捨てているわけではない。


その水は下流の水路へ戻る。


そこから洗濯場や別の畑へ流すこともできる。


谷底には水が大量にある。


ならば。


少量でも。


昼も。


夜も。


誰もいなくても。


勝手に高所へ水を送り続けてくれる方が価値があった。


リーゼが上の斜面を見る。


「貯水槽を作る」


ノアも見る。


「かなり上に?」


「上の畑より高くする。そこまで水を上げられれば、後は自然に落とせる」


シズクが頷いた。


「高いところへ一度貯めて、そこから畑へ流すのですね」


「そうだ」


「でも」


シズクが畑を見る。


「畑がいくつもあります」


リーゼも見る。


今まで小さかった畑は、住人が増えるたびに拡張してきた。


普通の野菜。


根菜。


穀類。


薬草。


ティセラが管理している区画。


さらに、危険な植物を隔離している場所もある。


水の必要量は同じではない。


水路を単純に枝分かれさせれば。


流れやすい方へ多く流れる。


高さが変われば量も変わる。


途中で土が詰まれば、さらに変わる。


ノアが少し考えた。


「なら、分水まで作ろうか」


リーゼが見る。


「どうやる」


「円筒分水」


「また貴方の前世か」


「うん」


地面へ円を描く。


その中心へ、貯水槽から来る管を置く。


周囲を円形の壁で囲む。


「真ん中から水を上げる」


ノアが指で中心から外へ線を引く。


「水面が上がったら、全部の方向へ同じ高さの縁を越えて流れる」


さらに円周をいくつかに区切る。


「外側を、必要な割合で仕切る」


リーゼがすぐ理解した。


「なるほど」


ネイラもしゃがみ込む。


「円周の長さで分水量を決める?」


「基本はそう」


「四割欲しい水路なら、外周の四割をそちらへ落とす」


「そういうこと」


ティセラが興味を示す。


「水量そのものが多少変動しても、比率を維持しやすい?」


「そこが利点」


リーゼは地面の図を見る。


「しかも、どこへどれだけ送っているか見れば分かる」


クロエが言う。


「勝手に一つの水路だけ増やしにくい構造だな」


リーゼがクロエを見る。


「ここには水争いをする村はないぞ」


「アスラなら自分の区画へ増やす」


アスラが睨む。


「何故私がそんなことをする!」


クロエが答える。


「魔術植物へ水を増やすため」


「私は教授ではない!」


ティセラが顔を上げた。


「私も勝手には増やしません」


全員が教授を見る。


少し沈黙する。


ティセラが言った。


「……必要なら相談します」


リーゼが言う。


「その間は何だ!」


円筒分水の試作品は、貯水槽より早く完成した。


石と木材で小さな円形の槽を作り、中心から水を出す。


外周の高さはできるだけ揃える。


その外を三つに区切った。


一番広い区画は、日常の畑。


次が薬草と育苗。


残りが予備貯水槽。


最初は試験なので、正確な必要量ではない。


まず、割合通りに水が分かれるかを見る。


ルヴァナが円筒を覗き込む。


「これ、噴水みたい」


中心から水が湧く。


水面が上がる。


円筒の縁を越える。


全周から薄く水が落ちる。


その外側で仕切られ。


三本の水路へ分かれて流れていく。


シズクが歩いて一つずつ確認する。


「こちらが一番多いです」


「そこが一番幅が広いからな」


リーゼが答える。


「こちらは少ない」


「その分だけ狭い」


「最後はこちらへ」


「貯水用だ」


シズクは円筒へ戻った。


しばらく水を見る。


「誰も弁を動かしていません」


「必要ない」


「水が増えても?」


「全体の量は増えるが、同じ割合で外へ落ちる」


「減っても?」


「流せる範囲なら同じだ」


シズクは感心したように言った。


「水に、水を分けさせているのですね」


リーゼが少し笑う。


「今日はその言い方でいい」


アスラが円筒を覗く。


「私なら魔術で直接三つに分けられる」


クロエが言う。


「一晩続けろ」


アスラがクロエを見る。


「またそれを言うのか!」


「明日も」


「貴様!」


「明後日も」


「殺す!」


リーゼが叫ぶ。


「だから自動設備と人間を勝負させるな!」


その日の夕方、高所の仮設貯水槽へ向かう揚水管からは、まだ細い水が流れ続けていた。


ばん。


水槌ポンプが鳴る。


少し待って。


ばん。


また水が送られる。


大きな量ではない。


人が桶で運べば、短時間でもっと運べる。


電動ポンプを大型化すれば、さらに速いだろう。


アスラなら数秒で済ませる。


エヴァとルヴァナなら、大桶を担いで走ればいい。


それでも。


誰も運んでいない。


誰も魔術を使っていない。


電気さえ使っていない。


水が流れているだけで、少しずつ高い場所へ水が貯まっていく。


夜の食事中にも。


ばん。


遠くから音がする。


エヴァが肉を食べながら顔を上げた。


「まだやってるな」


リーゼが答える。


「水が流れているからな」


「夜も?」


「動く」


「朝まで?」


「動く」


ルヴァナが笑った。


「働き者じゃん」


シズクも嬉しそうだった。


「私たちが寝ている間にも、水を運んでくれるそうです」


エヴァは少し考えた。


「便利だな」


リーゼが珍しく満足そうに頷く。


「そうだろう」


「でも俺ならもっと早い」


「だから張り合うな!」


翌朝。


全員で上の貯水槽を見に行った。


昨日はほとんど空だった大きな槽へ、かなりの水が貯まっている。


そこから少しずつ円筒分水へ流す。


中心から水が湧く。


外周を越える。


三つの水路へ、決めた割合で流れていく。


一つは畑へ。


一つは薬草区画へ。


一つは予備槽へ。


シズクが畑の端まで歩いて、流れてくる水を見た。


「全部、勝手に来ています」


リーゼも隣へ立つ。


「ああ」


「水槌ポンプが上まで運んで」


「ああ」


「貯めて」


「ああ」


「丸いところが分けて」


「ああ」


「ここまで来る」


「そうだ」


シズクは少し考えてから笑った。


「人がすることがなくなりましたね」


リーゼも笑った。


「それが目的だ」


ところが。


その直後。


遠くから重い足音が聞こえた。


全員が振り向く。


黒だった。


巨大な黒い身体が、畑の外側から近づいてくる。


黒は高所の貯水槽を見る。


昨日までなかった大量の水。


エヴァが嫌な予感を覚えた。


「おい、黒」


黒が槽へ近づく。


「待て」


巨大な頭を下げる。


リーゼが叫ぶ。


「待て待て待て!」


黒は貯水槽へ口を入れた。


ごくごくごくごく。


一晩。


水槌ポンプが。


ばん。


ばん。


ばん。


と働き続けて貯めた水が。


猛烈な勢いで減っていく。


シズクが呟いた。


「よく飲みますね」


「感心するな!」


ごくごくごく。


ほとんど空。


黒は満足そうに顔を上げた。


鼻を鳴らす。


そして何事もなかったように歩いていく。


リーゼは空になった貯水槽を見る。


円筒分水から流れる水も、すぐに細くなった。


やがて止まる。


長い沈黙の後。


リーゼの肩が震えた。


「一晩……」


シズクが頷く。


「はい」


「一晩かけて……」


「はい」


「電気すら使わず、誰にも迷惑をかけず、水だけでこつこつ上げたのに……」


「はい」


リーゼが黒の背中へ向かって叫んだ。


「全部飲むなああああっ!」


谷底の朝へ、いつもの声が響いた。


その日のうちに。


貯水槽には頑丈な蓋が付いた。


ノアが作った。


さらに、その周囲には柵まで作られた。


エヴァがそれを見て言った。


「黒なら柵越しに届くぞ」


リーゼが止まる。


柵を見る。


貯水槽を見る。


黒の大きさを思い出す。


そしてノアを見る。


「……もっと離して作り直すぞ」


「うん」


「それから、黒用の水場を別に作る」


エヴァが笑った。


「結局、黒にも分水するのか」


リーゼが円筒分水を見る。


しばらく考え。


大きく息を吐いた。


「……四つ目の水路を増やせ」


こうして円筒分水には。


畑。


薬草。


予備貯水。


そして。


『黒』


という四つ目の行き先が加わることになった。


クロエがそれを見て言った。


「分水比は?」


リーゼは黒を見る。


かなり飲む。


もう一度見る。


「……多めだ」


ルヴァナが笑った。


「一番多かったりして」


リーゼは答えなかった。


谷底では、水そのものは余っている。


問題は。


必要なところへ。


必要な量を。


どうやって運ぶかだった。


水路。


高低差。


水槌ポンプ。


円筒分水。


電動ポンプ。


魔術。


そして、どうしても必要ならエヴァとルヴァナ。


使えるものを組み合わせればいい。


ただし。


黒の飲む量だけは。


まだ誰も正確には把握できていなかった。

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