第百十七話 回転
小型電動機を作ることになった翌朝、クロエの電装工作室には、すでに人が集まっていた。
ノア。
リーゼ。
クロエ。
ネイラ。
ティセラ。
そして当然のようにアスラ。
ルヴァナは見物と言いながら、壁際の椅子へ座っている。
シズクは朝食後の片づけを終えてから顔を出し、エヴァは「肉を回せるようになったら呼べ」とだけ言い残して畑へ行った。
リーゼは工作台の上に並べられた材料を見る。
銅線。
鉄片。
磁性を持つ石。
木材。
軸に使えそうな金属棒。
留め具。
絶縁用の布と樹脂。
谷底へ流れ着いた道具から回収した部品も混ざっている。
「……作れるのか?」
クロエが即答した。
「作れる」
「貴様の世界の部品を使わずにだぞ」
「だから昨日から材料を見ている」
クロエは磁性体を一つ持ち上げた。
「磁力は十分。銅線の質も悪くない。軸受けだけ少し面倒だな」
ネイラが金属棒を指で転がす。
「これ、少し曲がっています」
リーゼが見る。
肉眼ではほとんど分からない。
ノアも受け取って転がした。
「あ、本当だ」
リーゼがネイラを見る。
「貴様、また分かるのか」
「回した時の動きが少し変でした」
「まだ回していないだろう」
「机の上で転がしました」
「そこまで見るのか……」
クロエが娘を見る。
「使えない?」
「低速なら。高速だと振動が出ると思う」
「削るか」
「はい」
リーゼが二人を見る。
「母娘で話が早すぎる!」
クロエは気にしない。
「大尉は巻線を頼む」
「小官に命令するな!」
「では、巻線をお願いできるか?」
「言い直せばいいという話ではない!」
それでもリーゼは銅線を受け取った。
ノアが苦笑する。
「結局やるんだ」
「必要だからだ!」
◇
最初に作るのは、極端に強いものではない。
卓上で軸が回る。
その程度でいい。
壊れても大きな事故にならない。
触って構造を確認できる。
次に改良できる。
ノアとリーゼの意見はそこでは一致していた。
クロエだけが少し不満そうだった。
「最初からもう少し出力を上げてもいい」
リーゼが却下する。
「駄目だ」
「理由は?」
「貴様がいるからだ」
「意味が分からない」
「絶対に限界を試すだろう!」
クロエが黙った。
リーゼが指差す。
「今、否定しなかったな!」
ネイラが静かに言う。
「クロエ母さんなら試すと思います」
「ネイラ」
「私も見たいですが」
「娘まで!」
ルヴァナが笑った。
「姉ちゃん、こういう時だけ欲望隠さないよね」
ネイラが振り返る。
「構造を確認したいだけ」
「回転数上げたい顔してるよ」
「していないわ」
「してるって」
クロエが言う。
「回せるなら回した方がいい」
リーゼが叫んだ。
「親子で出力を上げる方向へ行くな!」
ティセラはその横で、磁性体を測っていた。
「こちらは興味深いですね」
リーゼが嫌な予感を覚える。
「教授。何がだ」
「魔力反応がほとんどありません」
「天然の磁石だからだろう?」
「はい。ですから、魔術を介さずに力を発生させる装置を比較できます」
アスラが壁から身体を離した。
「つまり私の方と勝負できるわけだな」
リーゼが即座に言う。
「勝負ではない!」
クロエがアスラを見る。
「負ける気はない」
「貴様も乗るな!」
アスラが笑った。
「昨日、匙一つなら私の方が先に回したぞ」
クロエの眉が動く。
「匙を回す程度なら子供でもできる」
「では、それ以上を見せてやろう」
「やってみろ」
「やめろ!」
リーゼの声が工作室へ響いた。
ノアが二人の間に入りはしない。
ただ、工作台の上にある材料を少し奥へ移した。
「壊すなら外でやろうね」
リーゼがノアを見る。
「聖者まで勝負を認めるな!」
「いや、工作室が壊れるの困るから」
「そこではない!」
◇
電動機は、少しずつ形になった。
鉄心へ銅線を巻く。
磁石を配置する。
軸を通す。
回転部分が固定側へ触れないよう間隔を取る。
電気を流す部分を作る。
谷底で手に入る材料に合わせ、構造はできるだけ単純にする。
ノアが部品を削る。
リーゼが寸法を見る。
クロエが組み立てる。
ネイラが軸の動きを確かめる。
ティセラは横で、電力と魔力の両方を測る準備をしている。
ルヴァナは途中から退屈した。
「まだ回らないの?」
リーゼが答える。
「まだだ」
「さっきも聞いた」
「さっきもまだだった!」
「一時間くらいずっと巻いたり削ったりしてない?」
「機械とはそういうものだ!」
ルヴァナは作業台を見る。
「完成品買った方が早くない?」
全員の手が止まった。
ルヴァナが気づく。
「……あ」
リーゼがゆっくり顔を上げる。
「店があるならな」
「ないね」
「ここは谷底だ」
「知ってる」
「だから作っている!」
ルヴァナは小さくなった。
「ごめん」
ネイラが笑いを堪えている。
「姉ちゃん、笑った?」
「笑っていないわ」
「絶対笑った!」
クロエが軸を差し込みながら言う。
「完成品に慣れているとそうなる」
ネイラが頷く。
「向こうでは、電動機そのものを一から作る機会なんてほとんどありませんから」
リーゼが少し意外そうに見る。
「貴様らほど技術が進んでいても?」
「進んでいるからです」
ネイラは答えた。
「必要な規格のものを選んで使います。壊れれば交換します。特別な用途なら設計しますが、材料から全部手作業で作ることは普通ありません」
ノアが頷いた。
「僕の前世も近かったな」
リーゼは作りかけの電動機を見る。
「文明が進むと、機械を作れる人間でも、その機械の中身を一から作らなくなるのか」
クロエが言う。
「全部一人で作っていたら何も進まん」
「それはそうだ」
ノアが笑った。
「ここでは全部やるしかないけどね」
リーゼも小さく笑った。
「随分と贅沢な工作だな」
「不便だからやってるんだけど」
「分かっている」
◇
昼前。
ようやく形になった。
工作台の中央に、小さな電動機が固定される。
金属の軸。
簡素な筐体。
巻かれた銅線。
磁石。
まだ何かの機械へ組み込んだわけではない。
ただ回るだけの装置。
リーゼが全員を見る。
「いいか。最初は低い電圧からだ」
クロエが頷く。
ネイラも計器を見る。
ノアは配線を確認する。
ティセラが記録板を構える。
アスラだけが腕を組んだまま少し離れている。
ルヴァナが身を乗り出す。
「回る?」
「今からそれを確認する」
「爆発しない?」
「不吉なことを言うな!」
「クロエ母さんの機械だし」
クロエが娘を見る。
「どういう意味だ」
「たまに爆発するじゃん」
「戦闘用だ」
「やっぱするんじゃん」
リーゼが頭を抱える。
「今日は爆発させるなよ!」
クロエが答える。
「努力する」
「保証しろ!」
ノアが電源側を操作した。
低い電圧。
まだ動かない。
少し上げる。
軸が。
かすかに震えた。
ルヴァナが声を上げる。
「動いた!」
「まだ回っていない」
リーゼは計器を見る。
もう少し。
軸が動く。
一度引っ掛かる。
止まる。
ネイラがすぐ言った。
「軸が少し触っています」
クロエが電気を切る。
「どこだ」
ネイラが指を差す。
「こっち」
分解。
削る。
戻す。
もう一度。
電気を流す。
今度は。
くるり。
軸が一回転した。
そして止まる。
ルヴァナが拍手する。
「回った!」
リーゼも少しだけ顔が明るくなった。
「一回だがな」
クロエは満足していない。
「弱い」
「最初だからだ!」
また調整。
巻線。
接点。
軸。
磁石の位置。
少しずつ直す。
そして。
もう一度電気を流した。
軸が回る。
今度は止まらない。
小さな音を立てながら、連続して回転する。
ルヴァナが身を乗り出した。
「おおー!」
シズクもちょうど茶を持って入ってきた。
「回っていますね」
ノアが笑う。
「回ったね」
リーゼは計器を見ながらも、口元が緩んでいた。
「まだ効率は悪い。熱も出ている。軸受けも雑だ。だが」
クロエが言う。
「回った」
「そうだ」
ネイラは軸をじっと見る。
「もう少し芯を出せます」
リーゼが即座に止める。
「今日は一度成功を喜べ!」
「でも振動しています」
「分かっている!」
「直せます」
「分かっていると言っている!」
クロエが娘を見る。
「後で直そう」
「はい」
リーゼが叫んだ。
「もう改良予定を立てるな!」
◇
シズクは回る軸をしばらく見ていた。
「これだけなのですね」
リーゼが振り返る。
「何がだ」
「今は、ただ棒が回っているだけです」
「そうだ」
「ですが、これが風を作ったり、水を送ったりする?」
ノアが頷く。
「先に何を付けるかで変わるよ」
「不思議ですね」
シズクは回る軸を見る。
「同じ回る力なのに」
リーゼが言う。
「そこが便利なんだ」
シズクは少し考えた。
「包丁を付ければ切る?」
クロエが頷く。
「そうだ」
「石を付ければ削る?」
ネイラが答える。
「はい」
「羽根を付ければ風?」
ノアが頷く。
「そう」
シズクはさらに考えた。
「肉を付ければ」
廊下からエヴァの声がした。
「焼ける!」
リーゼが振り返る。
「いつから聞いていた!」
エヴァが入ってくる。
「肉って聞こえた」
「そこだけ拾うな!」
「回ったのか?」
「回った」
「じゃあ肉付けよう」
「最初の実用試験を肉にするな!」
エヴァは不満そうだった。
「食えるぞ」
「試験装置に脂を垂らすな!」
◇
その時。
アスラが前へ出た。
「終わったか?」
リーゼの顔から喜びが消えた。
「何だ」
「次は私だろう」
「忘れていた……」
アスラは工作台の横に、木製の軸を一本置いた。
リーゼが見る。
「それを回す?」
「そうだ」
「壊すなよ」
「この程度で壊れるか」
アスラが指を動かす。
魔法陣が現れる。
軸の周囲を包む。
ティセラの眼鏡が光を反射した。
「測定します」
「教授が一番やる気ではないか!」
「比較試験ですから」
アスラが魔力を流す。
軸が回った。
最初から。
かなり速い。
ルヴァナが声を上げる。
「速っ!」
クロエの目が細くなる。
「雑だな」
「何?」
「回転が揺れている」
「回っているだろう」
「精度が悪い」
「速い」
「速さしか見ていないのか」
アスラの額に青筋が浮かぶ。
リーゼが嫌な予感を覚えた。
「待て。出力を上げるなよ」
アスラが魔力を増やした。
「聞け!」
軸の回転が一気に上がる。
ぶうん、と低い音がする。
ルヴァナが喜ぶ。
「すご!」
クロエが言う。
「まだ揺れている」
「黙れ!」
さらに速くなる。
リーゼが叫ぶ。
「止めろ!」
次の瞬間。
木製の軸が耐えきれなくなった。
ぱきん。
折れた。
先端が飛んだ。
ノアが片手で受け止める。
沈黙した。
アスラが魔法陣を消す。
リーゼがゆっくり振り返った。
「……何と言った」
「少し上げすぎた」
「小官は何と言った!」
「壊すな、と」
「うがあああっ!」
いつもの叫び声が工作室へ響いた。
ルヴァナが笑う。
「アスラ母さん、負け?」
「負けていない」
クロエが即座に言う。
「壊した方の負けだ」
「貴様のは遅い!」
「回転を維持している」
「弱い!」
「実用品は壊れない方がいい」
アスラがクロエを睨む。
「もう一度だ」
リーゼが間へ入った。
「やらせん!」
「何故だ!」
「材料が減る!」
ティセラは淡々と記録している。
「非常に分かりやすい結果ですね」
リーゼが教授を見る。
「何が分かった」
「魔術式は初動から高い回転力を得やすい。一方、術者が直接制御しているため、アスラの感情によって出力が変動しました」
アスラが眉を寄せる。
「私のせいか?」
「はい」
即答だった。
クロエが笑う。
アスラが睨む。
ティセラは続ける。
「電動機は出力こそ小さいですが、電力が安定していれば回転も比較的安定しています。そして術者が側にいる必要がありません」
リーゼが頷く。
「そこは大きいな」
ノアも言う。
「ずっと扇風機を回すために、アスラが横で魔法を使い続けるのは大変だしね」
アスラは少し考えた。
「魔力を蓄積する術具へ接続すればいい」
ティセラが頷く。
「可能です」
クロエが言う。
「では電気と同じになるな」
「違う!」
「何がだ」
「魔術だ!」
「そこだけではないか」
「貴様!」
リーゼが叫ぶ。
「比較試験中に宗派争いを始めるな!」
◇
ティセラは二つの方式を記録した。
電気。
魔術。
どちらにも利点がある。
どちらにも欠点がある。
リーゼはその記録を見て言った。
「なら、用途で分ければいい」
クロエとアスラが同時に見る。
「分ける?」
「どういう意味だ」
「長時間、一定速度で回し続けたいものは電気。短時間で大きな力が必要なら魔術。そうすればいいだろう」
ティセラが頷く。
「合理的です」
ノアも頷く。
「ポンプでも、普段は電気で回して、詰まった時だけ魔術で補助するとかできるかも」
ネイラがすぐ反応した。
「同じ軸へ?」
「できるように作れば」
クロエの目が変わる。
「混ぜるのか」
アスラも笑う。
「面白い」
リーゼの嫌な予感が戻る。
「待て」
クロエが紙を取る。
アスラが横から覗く。
「ここへ魔術回路を」
「磁石に干渉するな」
「なら外周」
「起動時だけ?」
「過負荷時もだ」
ネイラも参加する。
「回転検出があれば自動で補助へ入れられるかもしれません」
ティセラも言う。
「魔力変換側で閾値を設定できます」
ノアが図を見る。
「でも最初から全部やると複雑になるよ」
リーゼがノアを指差した。
「それだ!」
全員がリーゼを見る。
「今日は小型電動機が回った。それで終わりだ!」
クロエが不満そうに言う。
「まだ時間はある」
「あるから終わる!」
「何故だ」
「貴様らを放っておくと、夕食までに別の機械になる!」
ネイラが小さく言う。
「たぶんなりますね」
「貴様も認めるのか!」
◇
結局、その日の実用試験はさらに単純なものになった。
軸の先へ、小さな羽根を付ける。
回す。
風が出る。
それだけ。
ルヴァナが正面へ立つ。
「おおー」
髪が少し揺れる。
「風!」
リーゼが呆れる。
「見れば分かる」
「でも電気で風出てる!」
シズクも手をかざした。
「本当に風が来ますね」
「弱いがな」
「これでも十分涼しいです」
シズクの反応を見て、リーゼは少し考える。
「調理場なら、もう少し大きくすれば使えるか」
ノアが言う。
「羽根の形も考えよう」
ネイラが羽根を見る。
「今の形だと効率が悪いです」
クロエが頷く。
「角度を変える」
リーゼが言う。
「明日だ!」
アスラが手を出す。
「私ならもっと強い風を――」
「貴様は触るな!」
「何故だ!」
「さっき軸を折ったからだ!」
エヴァが再び顔を出した。
「肉は?」
全員がエヴァを見る。
「まだだ!」
リーゼの声が揃った。
エヴァが少し驚く。
「何で全員で言うんだよ」
◇
夕方。
小型電動機は止められた。
熱を確認。
軸を確認。
巻線を確認。
大きな損傷はない。
ネイラが名残惜しそうに見る。
「分解して確認していい?」
リーゼがじっとネイラを見る。
ネイラは待つ。
以前なら、気づいた時にはもう開いていたかもしれない。
リーゼは少しだけ考えた。
「……いい」
ネイラの顔が明るくなる。
「本当に?」
「ただし小官も見る。クロエもだ。摩耗と焼けを確認したら元へ戻す」
「はい」
クロエが娘を見る。
「よかったな」
「うん」
ルヴァナが笑う。
「姉ちゃん、機械開ける許可もらっただけなのにめっちゃ嬉しそう」
ネイラは否定しなかった。
「楽しいから」
リーゼがため息をつく。
「そこまで素直に言われると怒りにくいな……」
ノアが笑う。
「じゃあ明日は中を見て、それから送風機かな」
「そうだな」
クロエが言う。
「その後に研磨機」
ネイラが続ける。
「旋盤」
ティセラ。
「ポンプも」
アスラ。
「魔力補助」
エヴァが廊下から。
「肉」
リーゼが頭を抱えた。
「一つ回っただけで、何故こんなに仕事が増えるんだ……」
シズクが笑う。
「使い道が多いからでは?」
リーゼはシズクを見る。
少し考え。
「……その通りだ」
小さな軸が一本回っただけだった。
だが。
その一本から。
風を送る。
水を運ぶ。
物を削る。
穴を開ける。
食事を楽にする。
新しい機械を作る。
いくつもの次が見え始めていた。
そして、谷底では電気だけが答えではない。
魔術もある。
水力もある。
人の力もある。
エヴァやルヴァナのように、そもそも機械が必要なのか疑いたくなるほど力のある者までいる。
どれか一つへ統一する必要はなかった。
使えるものを。
必要なところへ。
一番楽な形で使う。
それでいい。
翌朝。
リーゼが工作室へ来ると。
机の上には、すでに分解された小型電動機が綺麗に並んでいた。
その前にネイラが座っている。
「おはようございます」
リーゼが止まった。
「……小官も見ると言ったな?」
「はい」
「何故もう開いている」
「起きるのが遅かったので」
「小官が悪いのか!?」
クロエが隣から言う。
「構造は覚えたから問題ない」
ネイラも頷く。
「構造は覚えましたから問題ありません」
リーゼは母娘を見る。
「そこで同じことを言うなああああっ!」
朝からまた。
館へ、いつもの叫び声が響いた。




