第百十六話 動力
館へ電灯を増やした翌日、リーゼは朝食を終えると、共同食事場の長机へ一枚の大きな紙を広げた。
紙の中央には、大きく一言だけ書かれている。
『電気を何に使うか』
エヴァが肉を食べながら紙を覗き込んだ。
「昨日、灯りに使っただろ」
「それで終わりなら、水車まで作った意味が薄い」
「明るくなったぞ」
「それは十分な成果だ。だが、発電量にはまだ余裕がある。ならば次に、何へ使えば生活が楽になるかを決める」
ノアが紙を見る。
「優先順位を決めるんだね」
「そうだ。貴方の前世なら、電気で動く物はいくらでもあったのだろう?」
「多すぎるくらいあったよ」
リーゼの目が鋭くなった。
「挙げろ」
「全部?」
「生活に使えそうなものからだ」
ノアは少し考えた。
「照明。送風機。水を汲み上げるポンプ。冷蔵庫。洗濯機。掃除機。調理器具。工作機械。通信機器。計算機……」
リーゼが途中で手を上げた。
「待て」
「うん」
「最後の方は今すぐ作れるものなのか?」
「無理だと思う」
「最初から分けろ!」
エヴァが笑った。
「聖者は知ってる物を聞かれると全部言うからな」
「聞かれたから」
「小官は作れる物を聞いている!」
クロエが紙を自分の方へ引き寄せた。
「なら、まず動力だ」
リーゼが見る。
「動力?」
「電気を光に変えるだけではもったいない。回転運動へ変えれば、応用先が増える」
ネイラも頷いた。
「電動機ですね」
シズクだけが二人を見比べた。
「電気で、物が回るのですか?」
ノアが説明する。
「うん。電気と磁石を使って、軸を回すことができるんだ」
シズクは少し考え、昨日増えた電灯を見る。
「水車が回ると電気ができて、その電気で別の物を回す?」
「そう」
シズクはさらに考えた。
「では、水車の回る力を、そのまま棒や縄で運ぶのでは駄目なのでしょうか」
リーゼが止まった。
クロエもシズクを見る。
ノアが笑う。
「駄目じゃないよ。むしろ近ければ、その方が簡単な場合もある」
「では、何故一度電気にするのです?」
今度はリーゼが答えた。
「運びやすいからだ」
シズクがリーゼを見る。
「力を?」
「そうだ。回転する軸を館の中まで延ばすなら、長い軸や歯車や帯が必要になる。曲がり角も面倒だ。だが電線なら比較的細い線を引けばよい」
ノアも頷く。
「必要な場所で、また回転へ戻せる」
シズクは感心したように紙を見る。
「力を細い線の中へ入れて運ぶのですね」
リーゼが少し考えた。
「厳密には違うが、今はそれでいい」
エヴァが言う。
「じゃあ力を運べるなら、俺の力も線に入れられるか?」
「無理だ!」
「何でだよ」
「貴様を発電設備へ接続するな!」
ルヴァナが笑った。
「エヴァなら水車直接回せそう」
「やってみるか?」
「やめろ!」
リーゼは朝から頭を抱えた。
それでも話は進んだ。
まず候補に上がったのは、送風だった。
屋根付きの共同食事場はもともと風が抜けるよう作られている。ノアが長く同席しても影響が籠もりにくいよう、開放面を広く取ってあるからだ。
しかし、館の内部には空気が動きにくい場所がある。
クロエの工作室。
ティセラの研究室。
物を保存している部屋。
雨の日の洗濯物を一時的に置く場所。
そして調理場。
シズクが言った。
「暑い日に風があれば、料理は少し楽になります」
エヴァも頷く。
「肉焼いてる時は暑いな」
リーゼが紙へ書く。
「送風機。候補一」
ティセラが続ける。
「乾燥にも使えますね」
「洗濯物か?」
「それもあります。試料や薬草など、風を当てながら乾燥させたいものがあります」
シズクも頷いた。
「雨が続いた時にも使えそうです」
リーゼはさらに大きく丸をつけた。
「有用だな」
次に出たのは水だった。
ルヴァナが手を上げる。
「水を汲むやつは?」
「ポンプだな」
ノアが答えた。
「でも館の生活用水は、今は高いところから水路で引いてるから、普段は必要ないよ」
リーゼも頷く。
「わざわざ電気で上げる必要はない。水が自然に流れてくるなら、それを使うべきだ」
ルヴァナは少し残念そうだった。
「じゃあいらない?」
「いや」
ノアは考える。
「低い場所の水を高いところへ移したい時には便利だよ。畑を広げた時とか、水槽へ水を入れたい時とか」
ティセラが言う。
「火災時にも使えるのでは?」
リーゼの手が止まった。
「それだ」
全員がリーゼを見る。
「館は木造だ。調理場もある。工作室もある。魔術工房もある。電気まで増えた。火が出た時、桶で水を運ぶより、一定量の水を継続して送れる方がいい」
クロエが頷いた。
「消火用か」
「普段使わなくてもいい。非常時に動けば価値がある」
ノアも紙を見る。
「水路から取水できる場所を決めて、ホースみたいなものを用意できればいいかも」
シズクが尋ねる。
「ほーす?」
「長い管」
「水を運ぶ?」
「うん」
「それなら分かります」
リーゼは『消火用ポンプ』と書き、その横へ大きく印をつけた。
エヴァが紙を見る。
「火が出たら俺が壁ごと外すぞ」
「最後の手段としては頼る!」
「頼るんじゃねえか」
「館全部燃えるよりましだ!」
次にクロエが、自分の案を出した。
「工作室へ小型の電動機が欲しい」
リーゼが嫌そうな顔になる。
「何を回す」
「まず研磨」
「まず?」
「穴開け。切断。研削。送風。小型旋盤にも使える」
ネイラの顔が明らかに変わった。
「旋盤まで?」
「出力と精度が出ればな」
リーゼが二人を見る。
「顔が同じだぞ」
クロエが首を傾げる。
「何がだ」
「新しい玩具を見つけた顔だ!」
ネイラは否定した。
「玩具ではありません。工作精度が大きく上がります」
「その目で言っても説得力がない!」
ノアはむしろ興味を示した。
「旋盤が使えるようになると、軸とか円筒部品を作るのがかなり楽になるね」
「聖者まで!」
「いや、これは本当に便利だよ」
リーゼも分かっている。
だからこそ困る。
設備を作るための設備。
一つ作れば、その設備で次の設備を作りやすくなる。
工作能力が上がれば、水車の修理も、発電機の改良も、ポンプも送風機も作りやすくなる。
リーゼはしばらく考えた後、『工作用電動機』にも大きな印をつけた。
クロエが満足そうに頷く。
「決まりだな」
「候補だ!」
ネイラが聞く。
「いつ作ります?」
「まだ決まっていない!」
「必要な部品を確認しておきます」
「もう始める気ではないか!」
さらに話題は冷蔵へ移った。
ノアの館には、すでに保存手段がある。
冷たい水を使った簡易保存。
魔宝石を使った保存蔵。
だから電気式の冷蔵設備は、急いで必要なものではなかった。
リーゼが言う。
「これは後だな」
ノアも頷く。
「今の保存蔵が使える間は、そっちの方がいいと思う」
ティセラが言う。
「ただし、魔宝石への依存を減らす研究としては価値があります」
「研究課題には残す」
「分かりました」
洗濯機も候補から外れた。
シズクが即座に言ったからだ。
「バルトリがあります」
全員が納得した。
水流で洗う巨大な洗濯設備は、電気を使わない。
寝具までまとめて洗える。
九人に増えた今でも十分使える。
リーゼが紙へ線を引く。
「洗えるものを、わざわざ別の方法で洗う必要はない」
エヴァが言う。
「聖者の前世の洗濯機より、バルトリの方が強そうだな」
ノアが笑う。
「毛布とか大物なら、こっちの方が向いてるかも」
その後、掃除機は説明だけでシズクが首を傾げ、エヴァが「箒でよくないか」と言ったため保留。
調理器具については、エヴァが「肉を自動で回して焼く物」を欲しがった。
リーゼは少し考えてから、それだけは否定しなかった。
「回転肉焼き機か」
「いいだろ」
「……人数が多いなら、意外と使える」
エヴァが勝ち誇る。
「ほらな」
「貴様の案が初めて役に立ったような顔をするな!」
シズクが静かに言う。
「エヴァは以前から肉については役に立っていますよ」
「シズク!」
「何でしょう」
「そこは慰めなくていい!」
最後に、紙の上にはかなりの候補が残った。
送風機。
工作用電動機。
消火用ポンプ。
将来的な給水ポンプ。
一部の調理機械。
冷蔵設備は研究のみ。
それ以外は必要が出てから。
リーゼは一覧を眺めた。
「全部同時にはやらん」
クロエが言う。
「まず電動機だ」
ティセラは言う。
「消火設備も重要です」
シズクは言う。
「調理場に風があると嬉しいです」
エヴァは言う。
「肉を回す」
ルヴァナが言う。
「あたし、動くやつなら何でも見たい」
ネイラはクロエを見る。
「電動機ですね」
クロエが頷く。
「電動機だ」
リーゼが頭を抱える。
「意見が割れたな」
ノアが紙を見る。
「でも、最初に電動機を作るのはいいんじゃないかな」
「何故だ」
「送風機にもポンプにも工作機械にも、結局は回す力がいるから」
リーゼが止まった。
クロエが小さく笑う。
「だから最初に動力と言った」
「分かっている!」
ネイラも言う。
「一つきちんとした電動機を作って構造を固めれば、用途に合わせて増やせます」
リーゼは二人を見る。
そしてノアを見る。
「作れるのか?」
ノアは少し考えた。
「原理は分かる。でも精度の高いものを一発で作れるとは思わない」
「小官も同じだ。電動機自体は知っているが、ここにある材料で一から作った経験はない」
クロエが言う。
「私は作れる」
沈黙した。
リーゼがゆっくりクロエを見る。
「……貴様、今まで黙っていたな」
「聞かれなかった」
「そういう技術があるなら最初に言え!」
「私の世界では珍しいものではない」
「貴様らはいつもそれだ!」
ネイラが横から付け加える。
「ただ、クロエの世界で使う材料や部品を、こちらでそのまま用意できるわけではありません」
「そこだ」
クロエも頷いた。
「設計はできる。だが材料はここのものに合わせる必要がある」
リーゼの怒りが少し引いた。
「なら、全員でやるしかないな」
ノアが頷く。
「銅線はある程度ある」
「磁石は?」
ティセラが言う。
「魔力を使わない天然の磁性体なら、保管している試料にいくつかあります」
リーゼが教授を見る。
「何故そんなものを持っている」
「面白かったので」
「教授らしい理由だな!」
エヴァが立ち上がった。
「じゃあ決まったか?」
「ああ」
リーゼは紙の一番上へ、新しく書いた。
『最初に小型電動機を作る』
その下へ。
『壊れても困らない規模から』
さらに。
『ネイラは勝手に分解しない』
ネイラが即座に言った。
「最後の一行は必要ですか?」
リーゼは顔を上げる。
「必要だ」
「完成後なら?」
「許可を取れ」
「分かりました」
「何故少し残念そうなんだ!」
クロエが笑っている。
ルヴァナも笑う。
アスラは途中から聞いていたらしく、壁際で腕を組んでいた。
「電気で回る物を作るのか」
リーゼが頷く。
「そうだ」
「魔力で回せば早いぞ」
リーゼの顔が固まった。
アスラが指を動かす。
小さな魔法陣が現れ、卓上に置かれていた木の匙がくるくる回り始めた。
全員がそれを見る。
リーゼの眉間に深い皺が寄る。
「……教授」
「はい」
「魔術で回転させる場合の効率も測るぞ」
ティセラの目が輝いた。
「比較試験ですね」
アスラが笑う。
「面白そうだな」
クロエも腕を組む。
「負ける気はない」
「何故勝負になる!」
ネイラも興味深そうに回転する匙を見る。
ルヴァナは笑っている。
ノアは嫌な予感を覚えた。
「リーゼ」
「何だ」
「小型でやろうね」
リーゼはクロエとアスラを見る。
すでに二人とも、どちらの方式で強く速く安定して回せるかという顔になっている。
「……そうする」
シズクも匙を見る。
「ところで」
全員がシズクを見る。
「これほど話している間、匙をずっと回しておく必要はあるのでしょうか」
アスラが指を止めた。
匙が止まる。
少しだけ沈黙した後、リーゼが大きく息を吐いた。
「まずは、必要な時だけ動かすというところから覚えよう」
電灯を増やした翌日。
谷底の館では、電気を使う目的がまた一つ増えた。
光らせる次は、回す。
回せるようになれば、風を作れる。
水を送れる。
物を削れる。
食事の手間も減らせるかもしれない。
その最初の小さな電動機を作るため。
午後から、工作室の長机へノア、リーゼ、クロエ、ネイラ、ティセラが集まった。
少し遅れてアスラも来た。
ルヴァナは見物。
シズクは途中で茶を持ってくる。
エヴァは肉を回す機械がいつできるのかだけ聞きに来た。
リーゼは集まった面々を見渡した。
「……ただ小さな軸を回したいだけなのだが」
ノアが笑う。
「人数が増えたね」
「技術者まで増えすぎだ!」
そして、まだ何も作っていないうちから。
電気派と魔術派の言い争いが始まった。




