第百十四話 食事
正確には、谷底に肉体としている人数と、遠隔でこちらへ来ている人数を同じように数えてよいのかという問題はある。
だが。
少なくとも、食卓へ座る頭数は九人になった。
そして、その事実を最初に痛感したのは。
食料ではなかった。
朝。
館の共同調理場。
シズクは、長机の上へ並べられた野菜を見つめていた。
大きな葉物。
根菜。
豆。
昨日採った茸。
保存蔵から出してきた肉。
水場で冷やしてあった魚。
以前なら、十分すぎる量だった。
今も食料そのものとしては十分である。
問題は。
「……増えましたね」
シズクが呟いた。
隣にいたエヴァが頷く。
「ああ」
リーゼも腕を組んでいる。
「九人だからな」
シズクは野菜を見る。
魚を見る。
肉を見る。
そして。
その向こうに積まれている皿を見る。
「食べる量もですが」
「うん?」
「作る量も増えました」
エヴァが首を傾げた。
「そりゃそうだろ」
リーゼが叫んだ。
「そこを今からどうにかするという話だ!」
エヴァがリーゼを見る。
「何怒ってんだ」
「朝からシズク一人で九人分作らせる気だっただろう!」
「俺も肉焼くぞ」
「それは料理の一部だ!」
「肉焼けば食えるだろ」
「野菜も食え!」
シズクが静かに頷いた。
「野菜も食べてください」
エヴァが二人を見た。
「分かったよ」
妙に素直だった。
◇
九人分の朝食を作る。
言葉にすれば、それだけである。
だが。
まず野菜を洗う。
泥を落とす。
皮を剥く。
切る。
魚を処理する。
肉を切る。
鍋へ水を入れる。
火を起こす。
煮る。
焼く。
味をつける。
皿を出す。
盛る。
運ぶ。
それを九人分。
リーゼは途中まで見てから、腕を組んだ。
「分担するぞ」
シズクが振り返る。
「よろしいのですか?」
「よろしいも何もあるか! 人数が増えたのだから、仕事も分ける!」
エヴァが手を上げた。
「肉」
「分かった。貴様は肉だ」
「よし」
「ただし焦がすな」
「炭になる前なら食える」
「基準を上げろ!」
次。
リーゼがネイラを見る。
「貴様、包丁は使えるか?」
ネイラは頷いた。
「はい」
「では根菜を頼む。同じくらいの厚さに切れ」
「分かりました」
ネイラは包丁を取った。
一本。
切る。
次。
切る。
さらに。
切る。
しばらくして、リーゼが横を見る。
止まった。
「……何をしている?」
「切っています」
「それは見れば分かる」
並んでいる根菜。
全部。
ほぼ同じ厚さだった。
それどころか、幅まで揃っている。
ネイラは一枚を持ち上げ、隣のものと重ねる。
少しだけずれている。
眉を寄せた。
「これは少し厚いですね」
切り直す。
リーゼが言った。
「そこまで揃えなくていい!」
ネイラが顔を上げる。
「ですが、同じ厚さの方が加熱時間が揃います」
「正しい!」
リーゼは一瞬止まった。
「正しいが、朝飯だ!」
「はい」
「そこまで精密作業にするな!」
クロエが横からネイラの切った野菜を見る。
「綺麗だな」
ネイラの顔が少しだけ嬉しそうになる。
「ありがとう、クロエ母さん」
リーゼが頭を抱えた。
「褒めるな! ますます精密になる!」
◇
ルヴァナは大鍋担当になった。
正確には。
大鍋を運ぶ担当だった。
聖者仕様の調理場には、当然ながら鍋も大きい。
ノアが一人だった頃から使っているものなので、人間一人が持ち上げるには少し面倒な大きさである。
リーゼが言った。
「聖者、そちらの鍋を――」
ルヴァナが先に持った。
片手で。
「これ?」
リーゼが止まった。
「……それだ」
「どこ置くの?」
シズクが示す。
「こちらへお願いします」
「はーい」
そのまま歩く。
どん。
調理台へ置いた。
リーゼが見る。
ルヴァナを見る。
鍋を見る。
もう一度ルヴァナを見る。
「貴様」
「ん?」
「今の重くないのか?」
「ちょっと重い」
「ちょっとなのか」
アスラが嬉しそうに言った。
「私に似たな」
「そこは前にも聞いた!」
ルヴァナが鍋の中を見る。
「水入れる?」
「お願いします」
シズクが答える。
ルヴァナは水桶を二つ持った。
左右に一つずつ。
普通に歩いていく。
リーゼが額を押さえた。
「便利ではある……」
アスラが胸を張る。
「だろう」
「何故貴様が誇る」
「娘だからだ」
「それは分かる!」
◇
アスラは火を任された。
これが間違いだった。
シズクが薪を積みながら言う。
「弱めの火でお願いします」
「分かった」
アスラが指を動かした。
紫色の魔法陣が現れる。
リーゼが嫌な予感を覚えた。
「待て」
「何だ」
「何をする気だ」
「火を出す」
「普通の火だろうな?」
「火は火だ」
「その答えが怖い!」
魔法陣が光る。
ぼっ。
薪へ火がついた。
普通だった。
リーゼが少し安心する。
「……普通にできるではないか」
アスラが得意そうに言う。
「当たり前だ」
鍋を置く。
少しして。
アスラが炎を見る。
「弱いな」
指を動かした。
魔法陣が二重になる。
リーゼが叫んだ。
「増幅するな!」
「湯が沸くのが遅い」
「朝食へ戦闘用の火力を持ち込むな!」
「戦闘用ではない」
「では何だ!」
「焼却用」
「もっと駄目だ!」
シズクが鍋の中を見る。
「もう十分です」
「そうか」
アスラが術を弱める。
素直に従った。
リーゼが疲れた顔をした。
「貴様ら、言えば止まるのが余計に腹立つな」
◇
クロエは。
最初は普通に野菜を洗っていた。
途中から、洗っていなかった。
調理台の端へ座り、何か描いている。
リーゼが近づく。
「何をしている」
「改善案」
「何の」
クロエは紙を見せた。
円筒。
刃。
軸。
歯車。
水車からの動力。
投入部。
排出口。
リーゼは数秒見た。
「……野菜切り機か?」
「そうだ」
「今作るな!」
「今困っているだろう」
「だからといって朝食の途中で設計を始めるな!」
クロエは紙を見る。
「毎日九人分なら、手作業を減らした方がいい」
ティセラが横から覗く。
「厚み調整ができれば便利ですね」
「教授!」
「安全機構は必要ですが」
「参加するな!」
クロエが続ける。
「回転刃を複数」
ネイラが聞く。
「幅も揃えられる?」
「できる」
ネイラが目を輝かせた。
リーゼが叫ぶ。
「親子で食いつくな!」
◇
そのティセラは。
食材を量っていた。
「教授」
「はい」
「何をしている」
「必要量の記録です」
秤。
記録板。
九人分の野菜。
肉。
魚。
穀物。
調味料。
すべて記録している。
リーゼは少し考えた。
これは。
役に立つ。
非常に役に立つ。
人数が増えた以上、一日でどれくらい食べるか分かれば、畑の作付けや保存量も決めやすい。
「……続けろ」
ティセラが眼鏡を押し上げる。
「ありがとうございます」
クロエが言う。
「役所だな」
リーゼが即座に振り向いた。
「違う!」
アスラも言う。
「食料管理まで始めたぞ」
「生活管理だ!」
「役所では?」
「違うと言っている!」
シズクが真面目に尋ねる。
「ですが、食料の帳面はあった方がよいのでは?」
リーゼが止まった。
「……いる」
「では、リーゼが管理なさるのですか?」
「小官が?」
全員が見る。
リーゼが一歩下がった。
「何故だ」
エヴァが肉を焼きながら言う。
「得意そうだから」
クロエ。
「記録好き」
アスラ。
「命令好き」
ティセラ。
「集計にも向いています」
シズク。
「お願いいたします」
ネイラ。
「よろしくお願いします」
ルヴァナ。
「大尉、がんばって」
リーゼが叫んだ。
「勝手に決めるなああああっ!」
ノアが遠くから言う。
「でも助かるよ」
「聖者まで!」
結局。
リーゼが食料帳をつけることになった。
◇
ノアは何をしていたか。
ずっと働いていた。
薪を運ぶ。
水を運ぶ。
高い棚から物を取る。
大鍋を移動させる。
調理台を拭く。
足りない椅子を持ってくる。
九人分の皿を運ぶ。
本人にとっては普通である。
だが。
シズクが振り返るたびに、何かしら巨大なものが移動している。
「聖者」
「何?」
「少し休まれては?」
「まだ大丈夫」
「朝からずっと動いていらっしゃいます」
エヴァが言う。
「放っとけ。聖者は家のこと始めると止まらん」
ノアが苦笑する。
「昔、一人だったからね」
クロエが聞く。
「全部一人でやっていたのか?」
「うん」
アスラが鍋を見る。
「この量を?」
「昔は一人分」
「今は九人だぞ」
「だから楽しいよ」
少しだけ。
皆が黙った。
リーゼが咳払いする。
「なら、なおさら分担するぞ」
ノアが頷く。
「うん」
◇
問題のエヴァ。
肉担当。
非常に分かりやすい。
大きな肉を切る。
焼く。
裏返す。
また焼く。
火を見る。
さらに焼く。
シズクが来た。
「エヴァ」
「ん?」
「焼きすぎです」
「まだ黒くないぞ」
「黒くなる前に止めてください」
「分かった」
シズクが戻る。
少しして。
リーゼが来る。
「何故全部同じ大きさに切らない」
「食いたい大きさで取ればいいだろ」
「配る時に困る!」
「大きいの欲しい奴は大きいの取れ」
「そういう問題ではない!」
エヴァは考えた。
「じゃあ聖者用は大きい」
「それは分かる」
「俺も大きい」
「まあ分かる」
「教授は普通」
「うむ」
「リーゼは小さい」
「何故だ!」
「身体小さいから」
「小官は成人女性だ!」
ルヴァナが横から言う。
「じゃああたし大きいの」
エヴァが頷く。
「よし」
ネイラが言う。
「私は普通で」
「おう」
クロエ。
「大きいのでいい」
アスラ。
「私も」
リーゼが止まった。
「……意外と成立している」
シズクが笑った。
「では、それで配りましょう」
「小官だけ納得できん!」
◇
どうにか朝食が完成した。
屋根付きの共同食事場所。
九人。
長い卓。
湯気の立つ大鍋。
焼いた肉。
魚。
野菜。
穀物。
保存していた漬物。
シズクが作った汁物。
全員が席につく。
以前なら。
ノアは距離を取って一人で食べることが多かった。
今は風の通る屋根の下。
広い卓。
距離を取れる。
だから同じ食事場所へいる。
ルヴァナが料理を見る。
「これ、毎日やるの?」
シズクが答える。
「はい」
「朝も?」
「はい」
「昼も?」
「簡単に済ませる日もありますが」
「夜も?」
「食べますので」
ルヴァナは黙った。
「……大変じゃん」
シズクが少し笑う。
「人数が増えましたから」
ネイラが自分の皿を見る。
「今までシズクさんたちがしていたんですよね」
「皆でしていました」
リーゼが肉を切りながら言う。
「していない奴もいたがな」
全員がエヴァを見る。
エヴァが肉を食べながら顔を上げる。
「何だ」
「貴様だ!」
「今日は焼いたぞ」
「今日から続けろ!」
「分かった」
リーゼが止まった。
また素直だった。
「……調子が狂う」
エヴァが笑う。
「飯食ってる時くらい怒るなよ」
「誰のせいだ!」
◇
食事は終わった。
九人分。
皆よく食べた。
特にエヴァとノアとルヴァナ。
料理はほとんどなくなった。
満足。
腹も満たされた。
さて。
リーゼが席を立とうとして。
止まった。
卓を見る。
「……待て」
シズクも見た。
「あ」
ネイラも見る。
ルヴァナも見る。
ティセラが眼鏡を直す。
クロエとアスラも見る。
ノアはすでに事情を理解していた。
食器。
九人分。
皿。
椀。
杯。
匙。
箸。
調理に使った鍋。
包丁。
まな板。
大鍋。
小鍋。
器。
さらに。
調理場にまだ残っている道具。
山だった。
リーゼが呟く。
「食った後にも仕事があるのか」
シズクが真面目に答える。
「あります」
その時。
エヴァが立った。
リーゼが振り向く。
「貴様、どこへ行く」
「食ったから少し休む」
「座れ」
「何でだ」
「洗うからだ!」
「何を」
リーゼが食器の山を指差した。
「これをだ!」
エヴァが山を見る。
少し考えた。
「多いな」
「今気づいたのか!」
◇
洗い場。
九人並ぶ必要はなかった。
だから、流れ作業にした。
汚れを落とす。
洗う。
すすぐ。
拭く。
片づける。
最初にノアが大鍋を持つ。
エヴァが粗く汚れを落とす。
シズクが洗う。
ルヴァナがすすぐ。
ネイラが拭く。
クロエが棚へ運ぶ。
アスラも運ぶ。
ティセラは途中で食器の使用量まで記録しようとして、リーゼに止められた。
「教授! 今日はもう記録しなくていい!」
「ですが、一食当たりの――」
「明日でいい!」
「分かりました」
リーゼ自身も洗う。
水路から引いた水が流れ続けているため、作業は早い。
一人でやるより遥かに早い。
エヴァが言う。
「これ、九人いると楽だな」
リーゼが皿を洗いながら答える。
「最初からそのための分担だ!」
ルヴァナが器をすすぎながら言う。
「学校の行事みたい」
ネイラが拭きながら頷く。
「共同作業ね」
アスラが棚へ皿を置く。
「忍者学園でもやっただろう」
ルヴァナが嫌そうな顔をする。
「あれは野営訓練じゃん」
クロエが言う。
「似たようなものだ」
リーゼが叫ぶ。
「家だ! ここは家だ!」
全員が少し止まった。
リーゼ自身も止まった。
シズクが笑った。
「はい」
ノアも笑う。
「家だね」
リーゼが少し顔を赤くした。
「……そういう意味で言ったのではない」
エヴァが笑う。
「どういう意味だよ」
「うるさい!」
◇
最後の皿が棚へ戻った。
調理場も片づいた。
水も流した。
布も干した。
朝食。
準備。
調理。
食事。
片づけ。
全部終わった。
リーゼは長椅子へ座り込んだ。
「……朝飯だけで、どれだけ働かせるんだ」
シズクが答える。
「ですが、今日は早かったですよ」
「九人でやったからな」
ティセラが記録板を見る。
「今後、担当を固定せず交代制にすれば負担も偏りません」
クロエが言う。
「野菜切り機も作る」
リーゼが顔を上げる。
「まだ諦めていなかったのか!」
「毎日使えるぞ」
ネイラが頷く。
「厚さを調整できるようにしてください」
「任せろ」
リーゼが叫ぶ。
「親子で開発計画を進めるな!」
アスラが言う。
「火も自動化できるぞ」
「貴様まで!」
ルヴァナが手を上げる。
「鍋運ぶのはあたしやるよ」
シズクが笑う。
「助かります」
エヴァも言う。
「俺は肉」
リーゼが睨む。
「野菜も覚えろ」
「じゃあ肉と野菜」
「魚もだ!」
「多いな」
「料理とはそういうものだ!」
ノアが笑った。
「人数が増えると大変だね」
リーゼは天井を見上げた。
「食べる時間より、その前後の方が長いではないか……」
ノアが頷く。
「人数が増えると、そうなるよ」
エヴァが周囲を見る。
「でも館は広いから――」
リーゼが即座に立ち上がった。
「食事の話にまで『広いから』を持ち込むなああああっ!」
朝の館へ。
いつもの叫び声が響いた。
九人分の食事は、食料が九倍必要になるだけではない。
洗う量も。
切る量も。
運ぶ量も。
皿の数も。
片づける量も増える。
人数が増えるとは、そういうことだった。
そして。
その日の昼食から。
誰が何をするかを決める紙が、調理場の壁へ一枚増えた。
リーゼが作った。
クロエがそれを見て言った。
「やはり役所だな」
「違うと言っているだろおおおおっ!」




