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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第十五章 娘達Ⅲ

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第百十話 帰ることはできない

翌朝、ティセラは再び娘たちの部屋にいた。


昨夜は雑談の輪へそのまま居残っていたが、今日は違う。記録板を膝に置き、ネイラとルヴァナ、それぞれのアバターを交互に見ている。


ネイラは椅子へ座り、ルヴァナは巨大寝台の端へ腰掛けていた。


クロエとアスラもいる。


リーゼは入口近くで腕を組んでいた。


「教授。今日は本当に研究なのだな?」


「はい」


「昨日のように、途中から家族の昔話を聞いているだけにはならないな?」


「保証はできません」


「保証しろ!」


ティセラは気にせず、ネイラへ視線を戻した。


「確認します。現在ここにいるネイラは、向こう側にいる本体とは別個に動いている存在ではないのですね?」


「はい」


ネイラが自分の手を見る。


指を曲げる。


開く。


「この身体を動かしているのは私です。向こうの身体から、こちらへ意志を送っています」


ルヴァナも片手を上げる。


「こっちに別のあたしがいるんじゃなくて、今しゃべってるのもあたし」


リーゼが眉を寄せた。


「意志を送る、というのがまだ小官には分かりづらい」


クロエが説明した。


「操縦に近いが、操縦桿を握っているわけではない。ネイラ自身の意思決定をこちらの身体へ通している」


「遠隔操作か?」


「近い。ただし、視覚、聴覚、触覚、身体感覚も戻る。本人からすれば、こちらの身体を自分の身体として使っている状態だ」


リーゼはネイラを見る。


「つまり、貴様は今、向こう側にある自分の身体ではなく、この身体を自分だと感じている?」


「はい」


ネイラは迷わず答えた。


「少なくとも接続している間は」


ルヴァナも頷く。


「普通にこっちにいる感じだよ。歩くのも、食べるのも、痛いのも、全部あたし」


シズクが不思議そうに二人を見る。


「では、眠る時はどうなるのです?」


アスラが答えた。


「方法はいくつかある。向こうの身体の睡眠へ合わせて接続を切ることもできるし、こちらのアバターだけを休止させることもできる」


「だから寝台も置いたんですね」


「そういうことだ」


ルヴァナが巨大寝台を振り返った。


「でかすぎるけどね」


リーゼがすぐ言う。


「それについてはもう諦めろ。小官も諦めた」


「大尉が諦めた!」


「嬉しそうに言うな!」


ティセラは記録板へ何かを書いた。


「では、娘二人は意志そのものを継続的にこちらへ送っている。一方で、クロエとアスラは違う」


クロエが頷いた。


「違う」


アスラも腕を組む。


「私たちの側は、向こうにいるものを直接動かしているわけではない」


シズクが首を傾げた。


「向こうにも、お二人がいるのですか?」


ネイラが答えた。


「います」


リーゼがネイラを見る。


「いる?」


「クロエ母さんのバックアップから動いているアバターと、アスラ母さんの魔術核から動いているアバターが、向こう側にいます」


「待て」


リーゼがクロエを見る。


こちらにもクロエがいる。


次にアスラを見る。


こちらにもアスラがいる。


「貴様らが、向こうにもいるのか?」


クロエは少し考えてから言った。


「私そのもの、と言うと正確ではない」


「では何だ」


「私のバックアップ情報を基準に起動した別個体だ。私が今ここから操作しているわけではない」


アスラも続ける。


「私の方も似たようなものだ。魔術核に保存された情報を基礎にして、向こうで動ける身体を作ってある。あちらの私は、あちらの判断で動く」


リーゼの眉間に皺が寄る。


「つまり、貴様らは二人ずついる?」


「そう単純でもない」


「もう十分複雑だ!」


ルヴァナが笑った。


「でも、普通に家にいるよ。クロエ母さん側のアバターも、アスラ母さん側のアバターも」


「普通に?」


「うん。話すし、ご飯も一緒にいるし、家のこともするし」


ネイラが補足した。


「ただし、ここにいる二人と経験を完全に共有しているわけではありません」


ティセラの手が止まった。


「そこです」


全員が教授を見る。


「それを確認したかったのです。完全な別個体なら、向こう側にいるクロエとアスラは、こちらの状況を知らないはずです」


「でも知ってるよ」


ルヴァナが言った。


「全部じゃないけど」


クロエが頷いた。


「情報の一部は通る」


「どの程度です?」


「安定しない」


クロエは自分のこめかみを指で叩いた。


「短い情報。強く残った記憶。現在の身体状態。そういうものなら、断片的に向こうへ届くことがある」


アスラも言う。


「私も同じだ。魔術核との繋がりが完全に切れているわけではない。ここで私が生きていることや、最近あった出来事の一部は向こう側のアバターへ流れている」


ネイラが言った。


「だから私たちは、母さんたちが生きていること自体は分かっていました」


ルヴァナも頷く。


「向こうのクロエ母さんとアスラ母さんが教えてくれるからね。今日も生きてる、怪我してない、なんか変なことしてる、って」


アスラが眉を寄せる。


「最後は何だ」


「だいたい合ってるじゃん」


「否定しづらいな」


リーゼがクロエを見る。


「では、黒のことも向こうへ伝わったのか?」


クロエはネイラを見る。


ネイラが少し笑った。


「『巨大な黒い馬が来た』程度でした」


ルヴァナが即座に言う。


「あれ、全然足りなかったからね!」


エヴァが笑った。


「馬だぞ」


リーゼが振り返る。


「貴様は黙れ!」


ルヴァナもエヴァを指差す。


「あたし、こっち来る前は、でかい馬って聞いても普通に大きい馬だと思ってたから!」


「黒は大きいぞ」


「家よりでかいとは聞いてない!」


「そこまで送れなかったんだろ」


クロエが頷いた。


「情報量を増やすほど崩れる。大まかな意味だけなら比較的通るが、細部ほど雑音に埋もれる」


ティセラは今度はアスラを見る。


「魔術側も?」


「ああ」


「電気的な通信だけの問題ではない」


「違うな」


クロエが即答した。


「私の方式とアスラの方式は原理が違う。それでも同じ方向で同じような問題が出ている」


リーゼが腕を組み直した。


「ならば、娘二人がこちらへ来る方はどうなのだ」


ネイラが答える。


「安定しています」


「今見ているから、それは分かる」


「情報量もかなり多いです。少なくとも、こちらで生活する程度なら問題ありません」


ルヴァナが自分の腕を振る。


「走れるし、食べられるし、風呂も入れるし、黒にびっくりできるし」


「最後は機能ではない」


「ちゃんとびっくりしたから必要な機能だよ」


リーゼは無視した。


「娘たちの側から谷底へは通る。谷底から娘たちの側へは、情報の断片しか通らない」


「そうなります」


ティセラが答えた。


リーゼはクロエを見る。


「なら、貴様自身の意志を向こうのアバターへ送れば帰れるのではないか?」


部屋の空気が少し変わった。


クロエはすぐには答えなかった。


代わりにアスラが鼻を鳴らす。


「それができれば、とっくに試している」


「できないのか」


「できない」


クロエが答えた。


「試した」


ネイラの表情が少し硬くなる。


リーゼも気づいた。


「危険だったのか?」


「危険というより、成立しなかった」


クロエは淡々としている。


「こちらから向こうへ自分の意志を連続して送ろうとすると、雑音が多すぎる。短い情報なら届く。だが、自分自身として動き続けるための情報量を送ると崩れる」


リーゼが顔をしかめる。


「途中で別人になる?」


「そこまで行く前に切った」


「切って正解だ」


ノアが静かに言った。


クロエも頷いた。


アスラが続ける。


「私も魔術核へ戻ろうとしたが同じだ。術式そのものは繋がる。短い記憶も渡せる。だが、自我を連続させようとするとノイズが増え、術式が維持できなくなる」


ルヴァナが少し不満そうに言った。


「だから、こっちからは会いに来れるのに、母さんたちは帰ってこれない」


ネイラも静かに頷く。


「今のところは」


シズクはその言葉を聞いて、しばらく考えていた。


「不思議ですね」


リーゼが答える。


「不思議で済ませていい話ではないがな」


「でも、方向が決まっています」


シズクは手を使って示した。


「向こうから、こちらへは来られる。こちらから、向こうへは戻れない」


ティセラが頷いた。


「そこが重要です」


エヴァが、それまで黙って聞いていたノアを見る。


「聖者」


「何?」


「前に言ってたやつ」


ノアは少し考えた。


「受け止める力?」


「ああ、それ」


シズクがエヴァを見る。


「受け止める力?」


エヴァがシズクへ向き直った。


「前に、お前が自分の落ちた滝を見に行った時に話しただろ。谷底には、落ちてくる者を受け止めるものがあるって」


シズクは思い出した。


「はい。エヴァは、その時は詳しく教えてくれませんでした」


「あれ、正確には聖者の推測だ」


「推測なのですか?」


「俺が知ってるわけねえだろ。俺も落ちた側だ」


リーゼがノアを見る。


「どういう考えだ?」


ノアはしばらく言葉を選んだ。


「僕にも何があるのかは分からないよ。ただ、ずっとおかしいとは思ってる」


「何が?」


「高さ」


ノアは窓の外を見る。


谷底からは、巨大な断崖の上端を見ることすらできない。


「シズクもそうだけど、みんなあまりにも高いところから落ちてきている」


リーゼが頷く。


自分自身も飛行機ごと落ちてきた。


クロエとアスラも、巨大な裂谷へ落ちた。


エヴァも魔界大穴へ投げ込まれている。


ノアは続けた。


「水へ落ちたから助かった、だけでは説明できないと思うんだ」


シズクが聞く。


「水では駄目なのですか?」


「低いところなら助かることはある。でも、あれほど高い場所からなら、水だって柔らかい布団みたいには受け止めてくれない」


ノアは自分の掌へ反対の拳を軽く落とした。


「速すぎれば、ぶつかる瞬間の衝撃が大きすぎる。治癒する水があったとしても、その前に身体がもっと壊れていないとおかしい」


エヴァが頷く。


「俺なんか落ちる前からボロボロだったしな」


「だから僕は、どこかで落下の勢いを弱める何かがあるんじゃないかと思ってる」


リーゼが眉を寄せる。


「空気?」


「分からない」


「魔力?」


「それも分からない」


ティセラが口を挟む。


「確認できた現象ではなく、状況から必要になる仮説ですね」


「うん。そういうこと」


ノアはすぐ認めた。


「滝の途中に何かあるのか。谷全体なのか。もっと別の仕組みなのかも分からない。ただ、みんながここへ落ちてきて生きている以上、どこかで勢いが削られているんじゃないかって」


エヴァが笑う。


「だから俺はシズクに、受け止めるものがあるって言った」


シズクは巨大な滝を思い出していた。


自分がそこから落ちた。


今でも、あの高さを見れば生きていること自体が信じられない。


リーゼは少し考えた後、娘二人を見る。


「それと、この通信が関係していると?」


ノアはすぐには頷かなかった。


「分からない。ただ、似て見えるとは思う」


「似ている?」


「外から谷底へ来るものは、何かに受け止められる。娘たちの意志も、向こうからこちらへは安定して届く」


ノアはクロエを見る。


「でも、ここから外へ戻そうとすると崩れる」


クロエが目を細める。


「谷底側が受ける方向へ働いている?」


「そういう性質があるなら、だけどね」


ティセラがすぐに言った。


「現時点では関連性を示す証拠はありません」


「うん。そこは大事」


リーゼが教授を見る。


「珍しく聖者より先に釘を刺したな」


「仮説と観測結果は分けるべきです」


「教授らしい」


クロエは腕を組んだ。


「だが、電気系統でも魔術系統でも同じ方向性が出る理由としては、検討する価値がある」


アスラも頷く。


「少なくとも、私とクロエの術式だけの欠陥ではない可能性は高い」


ルヴァナが手を上げる。


「つまり、谷底って来るのは歓迎するけど、帰るのは嫌がるってこと?」


リーゼが即座に答えた。


「場所に人格を持たせるな!」


エヴァが笑う。


「分かりやすいけどな」


「貴様まで乗るな!」


ネイラは少し考えてから言った。


「でも、実用上はそう整理しておいた方がよさそうですね」


「貴様まで!」


「来る方向の通信は安定。出る方向は不安定。原因は未確認。現時点では親側の意志転送は禁止」


クロエが頷く。


「それでいい」


アスラも珍しく素直に同意した。


「無理に戻ろうとして壊れるくらいなら、試さない方がいい」


ルヴァナが二人を見る。


「母さんたち、本当に帰ってこないの?」


アスラが娘を見る。


「帰らない、ではない。今の方法では帰れないだけだ」


クロエも言う。


「向こうには、私たちの代わりに動けるものがいる。完全ではないが、こちらの情報も送れる」


ネイラが小さく頷く。


「私たちも、こちらへ来られます」


「なら今はそれでいい」


クロエの言葉は短かった。


ルヴァナは少しだけ不満そうだったが、アスラが頭を撫でると何も言わなくなった。


ティセラは記録板へ最後の一行を書いた。


リーゼが横から覗く。


「何と書いた?」


「現在確認されている接続は、方向によって性質が異なる。娘二人は本体から谷底側アバターへ意志を転送できる。クロエとアスラは、向こう側に独立したアバターを維持し、一部情報のみを送信できる。ただし谷底側からの意志転送は、強いノイズにより成立しない」


「今回はまともだな」


「いつもまともです」


「それは議論の余地がある」


エヴァが笑った。


ノアは娘二人の部屋を見回した。


接続設備。


電線。


魔法陣。


巨大寝台。


ネイラの図面。


ルヴァナの服や手袋。


この部屋では、向こうから谷底へ来ることが、もう日常になり始めている。


帰る道は、まだ同じようには通らない。


それでも完全に切れているわけではない。


向こうには、クロエとアスラの情報から動く二人がいる。


こちらには、本物のクロエとアスラがいる。


娘たちはその間を、自分の意志で行き来できる。


そして、細く、途切れ途切れではあっても、親たちが元気でいるという情報は向こうへ届く。


シズクが静かに言った。


「不思議な家族ですね」


リーゼが頷く。


「それについては、今さらだ」


クロエとアスラが同時にリーゼを見る。


「何だ」


「何か言いたいのか」


リーゼはすぐ首を振った。


「今日は言わん。これ以上話を増やすと、教授がまた記録を始める」


ティセラはすでに記録板へ手を伸ばしていた。


リーゼが叫ぶ。


「言ったそばから書くな!」


部屋に笑い声が広がった。


帰れないことは変わらない。


だが、少なくとも今は、互いが生きていることを知る方法がある。


そして娘たちには、会いに来る方法がある。


それなら無理に答えを急ぐ必要はない。


谷底では、分からないものを無理にこじ開けるより、使えるものを安全に使う。


それもまた、ここで暮らすために身についたやり方だった。

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