第百九話 娘たちの部屋
娘二人の部屋は、二人が谷底へ来る前から用意されていた。
館の一角に並ぶ三つの大部屋。その左がクロエの電装工作室、右がアスラの魔術工房。そして中央が、ネイラとルヴァナのアバター設備室である。
部屋の奥には、クロエ側から引いた電力と演算設備、アスラ側から引いた魔力供給と遠隔接続術式がまとまっている。ネイラ用には人間の高さに合わせた大きな作業机が置かれ、ルヴァナ側の家具や床は、本人の力を考えて少し頑丈にしてあった。
そして部屋の中央寄りには、明らかに二人用ではない巨大な寝台が置かれている。
もともとはエヴァの旧個室にあったものだった。エヴァの部屋を正式な衣装室へ変えた際に不要となり、捨てる理由もないので、そのまま娘二人の部屋へ移された。
聖者仕様。
ノアが自分で使うために作った規格なので、ネイラとルヴァナが二人で横になっても、まだかなり余る。
昼過ぎ、リーゼはその寝台を見ながら腕を組んでいた。
「何度見てもでかいな」
ルヴァナは寝台の上で大の字になっていた。
「快適だよ?」
「貴様一人が手足を伸ばしても、まだ半分近く余っているではないか」
「姉ちゃんも来るし」
机に向かっていたネイラが振り返る。
「二人でも十分余りますよ」
「知っている。聖者本人が、二人で使っても大きいかもしれないと言っていたからな」
入口にいたノアが苦笑した。
「人間用を作った方がよかったかな」
「今さら作り直す必要はない。使える物をわざわざ増やす方が無駄だ」
「じゃあ問題ないじゃん」
ルヴァナが笑う。
リーゼは寝台を睨んだ。
「問題はない。納得しづらいだけだ」
最初、この部屋には生活感がほとんどなかった。
接続設備。
計器。
机。
棚。
寝台。
娘二人がこちらへ来ても困らないように、母親たちが先に用意した物ばかりだった。
それが、実際にネイラとルヴァナが過ごすようになってから、少しずつ変わっている。
まず、ネイラの机に物が増えた。
水車発電機を調べた時に描いた構造図。
リーゼやノアから借りた電気関係の資料。
ティセラから渡された魔力変換の記録。
谷底で見つけた設備を、自分なりに描き直した図。
小さな工具。
分類された留め具や金属片。
そして、ノアから正式に分解してよいと渡された壊れた道具。
リーゼは机を見た。
「昨日より増えていないか?」
「増えています」
「迷いなく認めるな」
「勝手に持ち込んだものではありません。聖者に確認しています」
リーゼがノアを見る。
「本当か?」
「うん。壊れていて使っていないものだけね」
ネイラも続ける。
「分解前に許可を取っていますし、終わったら戻しています」
「それならよい」
「いくつかは、戻した後の方が動きがよくなりました」
リーゼの眉が動いた。
「またか」
「少し調整しただけです」
「何故貴様は、壊れた物を渡すと改良して返してくるんだ」
隣の工作室からクロエが顔を出した。
「良いことだろう」
「そこで得意げな顔をするな」
クロエは否定しなかった。
一方、ルヴァナの側には違う物が増えていた。
髪飾り。
服。
シズクからもらった小さな布袋。
エヴァと力仕事をした時に使った手袋。
滝壺の岸で拾った、妙な模様の石。
どこから持ってきたのか分からない飾り。
読者モデルの仕事で使うらしい小物や紙類。
そして寝台の端には、脱いだ上着が何枚か積まれている。
リーゼはそれを見つけた。
「ルヴァナ」
「なに?」
「服を寝台へ置くな」
「まだこんなに空いてるじゃん」
リーゼの表情が固まった。
少し離れたところにいたエヴァが吹き出す。
「言ったな」
リーゼはゆっくりルヴァナを見る。
「今、何と言った?」
「空いてるから置いてもよくない?」
「またそれか! 小官が何度『広さを収納の代わりに使うな』と言えば分かる!」
ルヴァナが目を丸くする。
「え、そんな怒る?」
リーゼはエヴァを指差した。
「そこの女と同じことを言ったからだ!」
「俺を巻き込むなよ」
「貴様が元祖だ!」
エヴァは寝台を見る。
端に服がある。
反対側には、まだ広大な空間がある。
「でも置けるぞ」
「だから置けるかどうかの話ではない!」
ルヴァナが笑いながら起き上がった。
「クロエ母さんも、邪魔じゃないならいいって言ってたよ」
リーゼがクロエを見る。
クロエは普通に頷いた。
「合理的だ」
「貴様までそちらへ行くな!」
今度はアスラが魔術工房から出てきた。
「何を騒いでいる」
「大尉が、ベッドに服置くなって」
アスラは寝台を見る。
服を見る。
まだ余っている場所を見る。
「別にいいだろう」
「増えた!」
リーゼは頭を抱えた。
ネイラが机から静かに言う。
「私は寝台へ物を置いていませんよ」
「そこは偉い」
「机にまだ置けますから」
リーゼは机を見た。
半分近くが紙と部品で埋まっている。
「貴様も時間の問題ではないか」
「分類されています」
「整理されていれば増やしてよいという話でもない!」
シズクが洗い終えた布を抱えて入ってきた。
「ルヴァナ、こちらは棚へ入れておきますね」
「ありがと、シズク」
「ネイラの分はこちらです」
「ありがとうございます」
シズクは何の迷いもなく、それぞれの棚へ物を収めていく。
リーゼがその様子を見る。
「シズクは完全に二人の部屋として扱っているな」
シズクは不思議そうに首を傾げた。
「お二人の部屋ですから」
「いや、そうなのだが」
リーゼ自身、何に引っ掛かっているのか分からなくなってきた。
正式にはアバター設備室。
だが、もう設備だけの部屋ではない。
二人はここで着替える。
作業する。
休む。
物を置く。
本体側の生活に合わせて接続を落とすこともあれば、アバターだけ休止させることもある。
こちらで休む時は巨大寝台を使う。
設備室という名前の方が、だんだん実態から離れ始めていた。
その日の夜。
リーゼが廊下を歩いていると、娘たちの部屋から何人もの声が聞こえた。
扉は開いている。
中を見る。
巨大寝台の上にネイラとルヴァナがいた。
そこまでは普通だった。
クロエもいる。
アスラもいる。
さらに寝台の脇には、記録板を持ったティセラまで座っていた。
リーゼは入口で止まった。
「……何故教授までいる」
ティセラが顔を上げる。
「アバターが休止へ移る前に、二人の状態を確認していました」
「確認は終わったのか?」
「終わりました」
「では何故まだいる」
ティセラは少し考えてから答えた。
「話が興味深かったので」
「研究ではないのか?」
「今は雑談です」
リーゼは少し驚いた。
「教授が雑談のために残っているだと?」
「私も雑談くらいします」
「記録板を持ったまま言われても説得力がない!」
ルヴァナが笑う。
「教授、さっきまで向こうの学校の話聞いてたよ」
ネイラも頷く。
「大学の制度について質問されました」
ティセラが説明する。
「魔術と機械技術が併存する社会で、専門教育がどのように分かれているかは興味深いので」
リーゼが指差す。
「やはり研究ではないか!」
「雑談から得られる知識もあります」
「雑談を調査方法へ組み込むな!」
ティセラは記録板へ手を伸ばしかけた。
リーゼが睨む。
「教授」
「はい」
「今の家族の会話まで記録するな」
「まだ書いていません」
「書こうとしただろう」
「習慣です」
「今夜くらい止めろ!」
ティセラは少し残念そうに記録板を伏せた。
寝台の上では、アスラがルヴァナへ話している。
「そういえば、向こうの庭の石柱はまだずれているぞ」
「戻したじゃん」
「戻っていない。傾いている」
ネイラが口を挟む。
「私が最後に見た時点で、三度ほど傾いていました」
ルヴァナが姉を見る。
「何でそんなの覚えてるの!」
クロエが満足そうに言う。
「ネイラだからな」
アスラはルヴァナの頭を軽く撫でた。
「だが、一人で持ち上げられるようになったのは大したものだ」
「そこ褒める?」
「私の娘だからな」
クロエが即座に言う。
「私の娘でもある」
「分かってるって」
ルヴァナが笑った。
普通の親子の会話である。
基準だけが少しおかしい。
そこへエヴァがやってきた。
「何だ、集まってんな」
部屋を覗く。
寝台にはネイラ、ルヴァナ、クロエ、アスラ。
横にティセラ。
エヴァは巨大寝台を見て笑った。
「まだ乗れるな」
リーゼが即座に振り返る。
「何故、乗れるかどうかで判断する!」
エヴァは構わず寝台の端へ腰を下ろした。
五人。
まだかなり余っている。
ティセラは寝台の脇なので数に入らない。
シズクも廊下の向こうから来た。
「皆さん、こちらにいらしたのですね」
ルヴァナが手招きする。
「シズクも来なよ」
「はい」
シズクも座った。
六人。
それでも余る。
リーゼは巨大寝台を見つめた。
「……何故六人乗っても余っている」
ノアの声が後ろから聞こえた。
「何が?」
リーゼが振り返る。
「聖者。貴方の規格だ!」
ノアも部屋を覗く。
「もう僕の寝台じゃないよ」
「元は貴方用だろう!」
「そうだけど」
ノアは六人が乗っている寝台を見る。
「本当に大きいね」
「今さら気づいたような顔をするな!」
エヴァが寝台を叩いた。
「聖者も来いよ」
ノアは首を振る。
「僕はここでいいよ。長くいるなら近づきすぎない方がいいし」
開いた扉の近く。
風が通る位置。
ノアがいつもの距離を取るのは、もう誰も気にしなかった。
ティセラだけがノアと寝台の距離を目で追っていた。
リーゼが気づく。
「教授、測るな」
「癖です」
「今夜はその癖が多すぎる!」
結局、リーゼも部屋へ入った。
ただし寝台には座らず、ネイラの机の横にある椅子を使う。
「小官はここでいい」
ルヴァナが笑う。
「大尉だけ離れてない?」
「寝台へ六人も乗っている方がおかしい!」
「まだ空いてるよ」
「空いているかどうかではない!」
ティセラも記録板を置き、別の椅子を寝台の近くへ寄せた。
気づけば、九人全員が同じ部屋にいた。
誰かを助けるためでもない。
設備を作るためでもない。
危険な生物が現れたわけでもない。
ただ夜になり、娘二人の部屋へ一人ずつ集まった結果だった。
話題も大したものではない。
ネイラは向こうの大学の話をした。
ルヴァナは読者モデルの仕事について話した。
リーゼは相変わらずそれを宣伝用の仕事に近いものだと理解しており、ルヴァナに何度も訂正された。
クロエとアスラは娘たちの昔話を挟む。
エヴァは面白そうなところだけ拾って余計なことを言う。
シズクは知らない制度について尋ねる。
ティセラは最初こそ教育制度を聞いていたが、途中からは普通に笑い、普通に話へ加わっていた。
ノアは入口近くで聞きながら、時々自分の前世と似たものについて補足する。
リーゼはその光景を眺めていた。
最初、この部屋にあったのは設備だった。
電線。
計器。
魔法陣。
机。
棚。
そして、大きすぎる寝台。
まだ本人たちがいない頃から、クロエとアスラが娘たちを安全に呼ぶために用意した場所だった。
今は違う。
ネイラの図面がある。
ルヴァナの手袋がある。
二人の服がある。
読みかけの資料がある。
拾ってきた石がある。
使った寝具がある。
そして今夜は、その部屋に館の住人が全員いる。
ティセラが周囲を見回した。
「面白いですね」
リーゼが少し警戒する。
「今度は何だ」
「ここは、もともとアバター設備室として作られた部屋です」
「そうだな」
「ですが現在は、館の中でも人が集まりやすい場所になっています」
クロエが娘二人を見る。
「部屋に集まっているわけではないだろう」
アスラも頷く。
「娘たちがいるから来ているだけだ」
ルヴァナが少し照れた。
「なにそれ」
ネイラもわずかに笑う。
シズクが静かに言った。
「でも、本当にそうなのかもしれませんね」
リーゼは部屋を見回した。
「……娘たちの部屋になった、ということか」
ネイラが首を傾げる。
「最初から私たちの部屋ですよ?」
「そういう意味ではない」
ルヴァナがにやりとする。
「大尉、なんか最近お母さんみたい」
「誰がだ!」
エヴァが吹き出した。
ティセラまで笑った。
リーゼが教授を見る。
「教授まで笑うな!」
「今の発言は記録しません」
「当たり前だ!」
その夜は、誰もすぐには部屋を出なかった。
向こう側にも、ネイラとルヴァナそれぞれの暮らしがある。
本体の帰る家がある。
大学がある。
仕事がある。
母親たちとの生活がある。
それでも谷底には、別の机があり、別の棚があり、大きすぎる寝台がある。
自分たちの物を置き、休み、話し、誰かが自然と訪ねてくる場所がある。
最初は、娘二人をこちらへ呼ぶために作った部屋だった。
いつの間にか。
谷底にも、二人が帰ってくる自分たちの部屋ができていた。




