第百八話 力仕事
工作室でネイラが発電機を分解し、組み直し、リーゼの胃を痛めていた頃。
館の外では、別の問題が起きていた。
「足りねえな」
エヴァが積み上げられた木材を見て言った。
館そのものは十分に大きい。ノアが自分の体格に合わせて作った巨大な屋敷なので、人が九人になった程度で狭くなるような建物ではない。
問題は、必要な場所が増えたことだった。
洗濯物を一時的に置く場所。
乾燥場。
工作用の材料置き場。
水車周辺の屋根。
黒たちの巨大水浴び場へ続く足場。
さらに、黒、キマイラ、鵺、ユニコーン、ペガサスのための屋根付き休憩場所まで拡張し続けている。
広い館を雑に使っていた二人暮らしの時代とは違い、今は「何をどこへ置くか」まで考えなければならない。
その結果。
木材が要る。
かなり要る。
ルヴァナは積まれた丸太を見上げた。
「これ運ぶの?」
「ああ」
エヴァが答えた。
「森の端からここまで。聖者が切って、枝を落としてある。今日は運ぶだけだ」
「へえ」
ルヴァナは腕を回した。
昨日は姉が工作室を占領した。
今日は自分の番である。
ネイラのように機械を見て構造を覚えるのは得意ではない。
だが。
運べと言われたなら話は簡単だった。
「何本?」
「とりあえず、あそこにある分全部」
ルヴァナは森の端を見る。
かなりの量が積んである。
普通なら、何人かで縄をかけ、ころを使うか、荷車へ載せるところだろう。
ルヴァナは笑った。
「楽勝」
近くで帳面を持っていたリーゼが顔を上げた。
「待て」
「なに、大尉?」
「貴様、まさか担ぐ気ではないだろうな」
「その方が早くない?」
「丸太だぞ?」
「丸太だね」
「太いぞ?」
「太いね」
「長いぞ?」
「長いね」
リーゼは眉間を押さえた。
「何故、忍者の娘までエヴァ側の生き物なのだ……」
「側って何!」
ルヴァナは笑いながら一本へ近づいた。
腰を落とし、両腕を回し、一気に持ち上げる。
太い丸太が地面から離れた。
リーゼの顔が引きつった。
「……持った」
「持ったよ」
ルヴァナは肩へ担ぎ直した。
多少重そうではある。
だが、普通に歩ける。
シズクも見ていた。
「お強いのですね」
「まあね」
ルヴァナは得意げだった。
「家でも力仕事はあたしの担当多かったし。庭の石とかも動かしてたから」
リーゼが丸太とルヴァナを交互に見る。
「大学生と読者モデルの姉妹ではなかったのか?」
「姉ちゃんが大学生。あたしが読モ」
「読者向けの宣伝をする娘が何故丸太を担いでいる!」
「忍者学園卒業してるし」
「その一言で全てを説明するな!」
ルヴァナは笑いながら歩き始めた。
数十歩ほど進んだところで、背後からエヴァの声がした。
「それ一本だけか?」
ルヴァナが振り返る。
「え?」
エヴァは丸太を二本まとめて持ち上げていた。
一本を肩。
もう一本を反対側。
それでも足取りは変わらない。
ルヴァナは自分の丸太を見る。
エヴァの二本を見る。
「……二本いくの?」
「行けるだろ」
「まあ、行けるけど」
ルヴァナは少し考えた。
負けた気がした。
一度丸太を下ろす。
もう一本へ手を伸ばす。
リーゼが嫌な予感を覚えた。
「待て。何故張り合う」
「張り合ってないし」
「なら一本で行け!」
「二本の方が効率いいじゃん」
「今の貴様は完全にエヴァを見て決めただろ!」
ルヴァナは二本目を持ち上げようとした。
持ち上がる。
だが、一人で二本を安定して担ぐのは少し難しい。
「あ、待って。これ持ち方悪い」
エヴァが横から見る。
「先に下を抱えろ。上を肩へ乗せてから二本目だ」
「なるほど」
「教えるな!」
リーゼの叫びを無視して、エヴァが持ち方を教える。
ルヴァナはやり直した。
今度は二本を抱えられた。
「おお!」
「いけるじゃねえか」
「いける!」
リーゼは頭を抱えた。
「何故そこで師弟関係が成立する!」
二人はそのまま木材置き場へ歩いていった。
シズクがリーゼの横へ来る。
「ですが、早く終わりそうですね」
「効率だけならな!」
「それは良いことでは?」
「良いのだが、何か納得できん!」
一往復。
二往復。
三往復。
ルヴァナは完全に楽しくなっていた。
「これ、筋トレにもなるね!」
「きんとれ?」
シズクが首を傾げる。
「身体を鍛えること!」
「ああ。鍛錬ですね」
「そう、それ!」
ルヴァナは次の丸太を持ち上げた。
エヴァも横で持ち上げる。
しばらくすると、ルヴァナは額に汗を浮かべていた。
エヴァはほとんど変わらない。
ルヴァナが横目で見る。
「エヴァ、疲れないの?」
「まだこれくらいじゃな」
「何本目?」
「知らん」
「数えてないの?」
「運べば減るだろ」
「そういう考え方なんだ……」
その時。
森側からノアが戻ってきた。
切った木の枝を束ね、太い縄でまとめている。
ルヴァナが声をかけた。
「聖者ー!」
ノアが顔を上げる。
「どうしたの?」
「これ、あと何本くらい?」
「丸太?」
「うん」
ノアは森の方を見る。
「今日使う分なら、あと十五本くらいかな」
ルヴァナの顔が少し引きつった。
「十五」
「無理しなくていいよ。荷車も使えるから」
エヴァが言う。
「十五ならすぐだろ」
ルヴァナがエヴァを見る。
ノアを見る。
自分を見る。
「……あたし、今まで結構力ある方だと思ってたんだけど」
「あると思うよ」
ノアが素直に答えた。
「普通の人よりかなり強いよね」
「だよね?」
「うん」
ルヴァナは少し安心した。
そこへエヴァが言う。
「まあ、俺よりは弱いけどな」
「分かってるし!」
リーゼが遠くから叫ぶ。
「比較対象をエヴァにするな!」
ルヴァナは次の一本を取りに戻った。
すると。
黒が来た。
森の向こうから巨大な黒い身体が現れ、木材の近くで止まる。
「ぶひひひひーん」
エヴァが顔を上げる。
「おう、黒」
黒が木材を見る。
エヴァを見る。
もう一度木材を見る。
「ヴォ?」
「ああ、運んでんだ」
黒が首を伸ばした。
縄でまとめてあった丸太の束を咥える。
ルヴァナが止まった。
「……え?」
黒はそのまま歩き始めた。
丸太が十本近く、地面を滑っていく。
リーゼも止まった。
シズクも止まった。
ノアだけが苦笑した。
「手伝ってくれるみたいだね」
エヴァが笑う。
「さすが黒だ」
ルヴァナは、自分が抱えている二本を見る。
黒が引いている束を見る。
もう一度、自分の二本を見る。
「…………」
エヴァが肩を叩いた。
「気にすんな」
「慰められた!」
「黒と張り合うな」
「エヴァに言われたくない!」
黒は丸太の束を目的地まで引いていった。
しかも戻ってきた。
もう一束を見る。
「ぶひひん?」
エヴァが答える。
「それも頼む」
黒がまた咥えた。
ルヴァナの表情から、だんだん戦意が消えていく。
「大尉」
「何だ」
「あたし、荷車使っていい?」
リーゼは目を丸くした。
「急に文明へ帰ってきたな」
「黒見たら馬鹿らしくなった」
「その判断は正しい!」
ところが。
荷車のところまで行くと、今度はエヴァが首を傾げた。
「それ使うなら、一気に積むか」
ルヴァナが嫌な予感を覚える。
「どれくらい?」
「載るだけ」
「その言い方、怖いんだけど」
二人で丸太を積んでいく。
荷車は、もともとノアが自分で使うために作った大型のものなので相当に頑丈だった。
五本。
六本。
七本。
リーゼが止める。
「もういい! 重量を考えろ!」
エヴァが荷台を押す。
少し動いた。
「まだいける」
「いくな!」
ルヴァナが笑う。
「じゃ、あと一本」
「貴様まで!」
最終的に八本載った。
リーゼは頭を抱えている。
「それをどうするつもりだ」
ルヴァナが綱を持つ。
「引く」
エヴァも横へ立つ。
「俺は押す」
「何故そうなる!」
二人で動かす。
荷車が進んだ。
ルヴァナの足が地面を踏みしめる。
さすがに重い。
かなり重い。
だが進む。
「うおおおっ!」
「いいぞ、そのまま!」
エヴァが後ろから押す。
ルヴァナは笑い始めた。
「これ楽しい!」
「だろ!」
「何故力仕事で意気投合するんだ!」
リーゼの声が飛ぶ。
シズクは少し笑っていた。
「お二人とも楽しそうです」
「シズクまで肯定するな!」
しばらくして、必要な木材は全部運び終わった。
予想していたよりずっと早かった。
ノアが積み上がった丸太を見る。
「助かったよ。ありがとう」
ルヴァナは腕を振った。
「いやー、疲れた!」
エヴァはまだ元気だった。
黒は草地で普通に草を食べている。
ルヴァナは地面へ座り込んだ。
そこへネイラが工作室から出てきた。
「終わりましたか?」
「終わったー」
「早かったですね」
「エヴァと黒がいたから」
ネイラは積まれた大量の木材を見る。
「なるほど」
ルヴァナが姉を見上げる。
「姉ちゃんは?」
「発電機を少し直しました」
リーゼが後ろから言う。
「少しではない! 勝手に性能を上げた!」
ルヴァナは姉を見る。
「姉ちゃんは機械壊して直して性能上げるし」
「壊していません。分解しただけです」
「クロエ母さんは機械忍者だし」
クロエが近くで頷く。
「そうだな」
「アスラ母さんは魔法で何でもやるし」
アスラが笑う。
「何でもではない」
「エヴァは丸太何本持っても疲れないし」
「何本でもは無理だぞ」
「聖者はそもそもこのでっかい館一人で作ってるし」
ノアが苦笑する。
「何年もかけてだけどね」
ルヴァナは黒を見る。
黒は丸太の束を何度も引いた後なのに、何事もなかったように草を食べている。
さらにその向こうでは、キマイラが黒へ寄っていき、鵺までついてきた。
ルヴァナはしばらく考えた。
そして、ぽつりと言った。
「……あたし、ここだと普通じゃない?」
リーゼが即座に答えた。
「違う!」
「でも丸太二本しか持ってないよ?」
「『しか』と言うな!」
「黒は十本くらい引いてたし」
「あれと比較するな!」
「エヴァはずっと二本ずつだったし」
「エヴァとも比較するな!」
「じゃあ聖者」
「聖者とも比較するな!」
ルヴァナが首を傾げる。
「じゃあ誰と比較すればいいの?」
リーゼは迷わずシズクを指差した。
「シズク!」
突然指差されたシズクが驚いた。
「私ですか?」
「この館で身体能力の基準にしていいのは、もうシズクしかいない!」
シズクは少し考えた。
「私は丸太を一本でも持てませんね」
ルヴァナが満足そうに笑う。
「じゃあ、やっぱあたし強いじゃん!」
「最初からそう言っている!」
「でもエヴァより弱い」
「比較するな!」
「黒より弱い」
「当たり前だ!」
「聖者よりも――」
「もういい!」
ルヴァナは笑いながら立ち上がった。
「じゃ、明日も力仕事あったら呼んでよ」
ノアが頷く。
「助かるよ。でも無理はしないでね」
「はーい」
エヴァがルヴァナの肩を叩いた。
「明日は石運ぶか?」
ルヴァナの目が輝く。
「やる!」
リーゼが叫んだ。
「休ませろ!」
「大丈夫だって」
「貴様は今日、自分が普通かもしれないと言い始めたばかりだろう!」
ルヴァナは笑った。
「だって、ここだとあたし普通だし」
リーゼは積まれた丸太を見る。
エヴァを見る。
黒を見る。
そして、ルヴァナを見る。
「この谷底の連中を基準にして自分を普通だと思うなあああっ!」
「うがあああっ!」
なぜか最後は、いつものようにリーゼ自身の叫び声が谷底へ響いた。




