第百六話 朝顔
夕食後のバルコニーで、クロエとアスラが娘たちの学生時代について話していた。
最初のうち、リーゼは聞き流していた。クロエとアスラが昔の忍務や拷問訓練の話をすることなど、今では珍しくもない。
問題は、それが娘たちの教育方針の話へ移ったことである。
「私は今でも、肉触手はまとめた方がいいと思っている」
アスラが腕を組んだ。
クロエは即座に否定した。
「雑だ。個別の方がいい」
「何が雑だ」
「何本もまとめて動かしたら、結局は一本の太い拘束具と変わらん。一本ずつ別に動かしてこそ、相手の判断を散らせる」
「実戦でそんなちまちましたことをしてどうする。まとめて押さえ込めば早い」
「だから貴様は訓練と実戦を混同する」
「実戦で使えない訓練に何の意味がある!」
ネイラが静かに茶を飲んだ。
ルヴァナは果物を食べながら、姉へ小声で言う。
「また始まった」
「いつものことです」
リーゼは我慢できずに振り返った。
「待て。何について教育方針を争っている?」
アスラが平然と答える。
「肉触手だ」
「聞こえていた! だから聞いているんだ!」
クロエが説明する。
「アスラは束ねる派。私は個別制御派だ」
「派閥を作るな!」
アスラは納得していない。
「一本ずつなんて面倒だろう」
「面倒だから訓練になる」
「だったら感度十万倍をかけてまとめてやればいい」
リーゼが机を叩いた。
「数字まで盛るな!」
ネイラが首を傾げる。
「十万倍は別課程ですよ」
「課程を分けているのか!?」
「はい」
「はい、ではない!」
クロエとアスラは、リーゼの叫びなど気にしていなかった。
話題はすでに次へ移っている。
「卵なら、ウズラ程度から始めるべきだ」
クロエが言った。
アスラが鼻で笑う。
「小さすぎる。ダチョウくらいでいい」
リーゼの動きが止まった。
「……何の卵だ」
二人ともリーゼを見た。
「訓練用だが?」
クロエの返答は平然としていた。
「いや、それは分かった。分かりたくはなかったが分かった。小官が聞いているのは、なぜウズラとダチョウという両極端しかないのかだ!」
クロエは指を一本立てる。
「ウズラは数を増やせる。小さいからこそ、複数を正確に管理する訓練になる」
「なるほど」
リーゼは思わず頷いた。
そして自分で気づいた。
「いや、なるほどではない!」
アスラが笑う。
「だから面倒なんだ。最初からダチョウでいい。大きい方が分かりやすい」
「何が分かりやすいんだ!」
「大きさが」
「それは見れば分かる!」
アスラはネイラを見る。
「ネイラ、お前はダチョウ派だったよな?」
「私は段階式を推奨しています」
「裏切ったな」
「教育論で親子の裏切りを語らないでください」
クロエが満足そうに頷いた。
「さすがネイラだ。合理的だ」
ルヴァナがむっとする。
「また姉ちゃんばっか褒めてる」
「お前はウズラを面倒がって、一気に数を増やして失敗しただろう」
「それ今言う!?」
アスラが笑い出した。
「ルヴァナは数を数えなくなるんだよな」
「だって途中から全部同じに見えるんだもん!」
リーゼは両手で顔を覆った。
「小官は何の家族団欒を聞かされているんだ……」
ところが、さらに悪い話題が残っていた。
クロエが言った。
「卵といえば、ゆで卵の教育法についてもアスラとは意見が合わなかったな」
リーゼは顔を上げなかった。
「聞きたくない」
アスラが続ける。
「私は出す方から教えるべきだと思う」
「私は入れる方からだ」
リーゼの顔がゆっくり上がった。
「…………」
クロエ。
「入れる」
アスラ。
「出す」
クロエ。
「入れる方を先に覚えれば、構造が理解できる」
アスラ。
「逆だ。まず出せなければ実戦で困る」
「入れ方を知らずに出し方だけ覚えてどうする」
「出せれば生き残れる」
「理屈が雑だ」
「貴様が細かすぎる」
リーゼが両手を上げた。
「待て待て待て!」
二人が見る。
「何だ、大尉」
「主語と目的語を言うな!」
クロエが眉を寄せる。
「まだ何も言っていないが」
「だからそのままでいろ!」
アスラが楽しそうに笑う。
「大尉、気になるのか?」
「ならん!」
「入れる方か?」
「聞くな!」
クロエ。
「出す方?」
「二択にするな!」
ルヴァナが笑い始めた。
「大尉、顔真っ赤」
「貴様らが夕食の席で『入れる』『出す』を連呼するからだ!」
ネイラが真面目に言う。
「でも、ゆで卵は重要ですよ」
リーゼが固まった。
「貴様まで入ってくるな」
「熱処理後でも術式反応が残る種類がありますから」
「……ああ、そういう意味もあるのか」
「はい」
リーゼが少し安心したところで、ルヴァナが目を逸らした。
クロエがそれを見逃さなかった。
「ルヴァナは一度、ゆで卵を苗床にした」
「クロエ母さん!」
アスラが吹き出す。
「あったな!」
「忘れてよ!」
リーゼの安心が消えた。
「ゆで卵苗床とは何だ!」
ルヴァナが嫌そうに説明する。
「実習で回収した卵をさ、加熱したら安全になると思って、ゆでたの」
「そこまでは普通だ」
「翌朝、実習室が蔓だらけになってた」
「どこが普通だったんだ!」
ネイラが補足する。
「卵自体が本体ではなく、内部に魔植物の種子が入っていたんです。加熱によって中身が柔らかくなり、逆に発芽に適した苗床になりました」
リーゼはルヴァナを見る。
「貴様、ゆで卵を作ったつもりで温室を作ったのか」
「だから違うって!」
アスラは涙を浮かべて笑っている。
「しかも本人が蔓の真ん中で絡まってた」
「それ言わないで!」
「クロエが帰ってくるまでそのまま」
「言うなー!」
クロエが淡々と言う。
「私は帰宅して最初に、入れたのか出したのか確認した」
リーゼが即座に机を叩いた。
「その表現に戻るな!」
親二人はまだ止まらなかった。
アスラが腕を組む。
「だから出す訓練を先にしろと言ったんだ」
クロエも譲らない。
「そもそも入れる段階の確認を怠ったから起きた事故だ」
「出せれば事故にはならなかった」
「入れなければ事故そのものが起きない」
「それでは訓練にならん」
「だから段階を踏めと言っている」
リーゼは頭を抱えた。
「貴様ら、子育ての教育方針で『入れる派』『出す派』に分かれるな!」
ネイラとルヴァナは顔を見合わせた。
「昔からこうですよ」
「うん。卵の話になると絶対揉める」
「卵の話で毎回揉める家庭って何だ!」
リーゼはとうとう気になっていたことを確認することにした
「貴様らも忍者学園に通っていたと言っていたな」
「はい」
「卒業してるよ」
そこまでは知っている。
問題はそこからだった。
リーゼは腕を組んだ。
「その、なんだ。これは上官としての確認だ。各自の能力、教育歴、人的資産を把握しておくことは、組織運営上きわめて重要であってだな……」
アスラが怪訝そうに見る。
「大尉、どうした」
「うるさーい!」
リーゼが机を叩いた。
「いいか! 貴様らの娘たちが忍者学園に通っていたということは、つまり、その……エロの五巻も知っているということなのか!?」
ネイラとルヴァナが顔を見合わせた。
そして、ほぼ同時に首を傾げる。
「それを学ばないで、何を学ぶのです?」
「そこから疑問に思われるとは思わなかった」
リーゼの口が開いた。
「…………」
クロエが補足する。
「忍者だぞ」
「それはもう聞いた!」
アスラはむしろ娘を褒める機会が来たと思ったらしい。
「ネイラはエロ拷問の成績がずっとトップだったんだぞ」
「アスラ母さん、そこを誇らしげに言わないでください」
「首席は首席だ」
クロエも頷く。
「実際、ネイラは耐性訓練も施術側も優秀だった」
リーゼが頭を抱える。
「その両方を採点するな!」
クロエは次にルヴァナを見る。
「ルヴァナはエロ行為の成績がよかったな。あとはエロ植物か」
ルヴァナが果物を置いた。
「ちょっと待って。ネイラと比較しないでよ」
「比較していない。得意分野が違うと言っている」
「それが比較じゃん!」
アスラが何かを思い出したように手を叩いた。
「あ、でもルヴァナの昼顔は酷かったな」
ルヴァナの顔が固まった。
「アスラ母さん」
「何だ」
「それ言わなくてよくない?」
リーゼだけが別のところへ引っ掛かった。
「昼顔?」
アスラがもう笑い始めていた。
「こいつがまだ学園に通ってた頃な。家のバルコニーで昼寝してたんだよ」
「やめて」
「そこに育ててた昼顔が伸びてきて」
「やめてって!」
「気づいた時には捕まって、三点責め食らってた」
「言ったあああ!」
ルヴァナが両手で顔を覆った。
アスラは腹を抱えて笑っている。
「しかもクロエが帰ってくるまでずっと抜けられなくてな。いやあ、思い出しても笑える」
「恥ずいし! もう忘れてよ!」
リーゼは笑わなかった。
それどころではなかった。
「待て」
「何だ、大尉」
「貴様らの世界の昼顔は襲ってくるのか?」
ネイラが当然のように答えた。
「昼顔ですから」
「その説明で納得できると思うな!」
ネイラは少し考えてから、丁寧に説明し直した。
「昼顔は、昼下がりの情事を好む性質があります。日が高くなってから活性化して、近くにいる成人を見つけると絡んできます」
「植物だよな!?」
「はい」
「何で情事を好むんだ!」
「昼顔ですから」
「戻った!」
ルヴァナはまだアスラの肩へ顔を押しつけている。
「もうやだ……姉ちゃんまで説明しないでよ……」
「事実を説明しただけです」
「そういうとこだよ!」
リーゼは頭の中で、昼顔という植物についての自分の知識を一度捨てた。
そして。
嫌な予感がした。
「おい」
「はい?」
リーゼの嫌な予感は止まらない。
「まさかとは思うが……夕顔までそういうものではないだろうな」
ネイラの表情が少し変わった。
クロエも黙る。
アスラが目を逸らした。
リーゼの顔が引きつる。
「おい、何だ、その反応は」
ネイラが控えめに言う。
「夕顔は……まあ、夕方ですので」
「やっぱり時間帯で分けているのか!」
クロエが腕を組む。
「夕顔までなら、まあ、仕方ない」
「何が仕方ないんだ!」
「野生にもいる」
「駆除しろ!」
「有用植物でもある」
「何に使うんだ!」
クロエが口を開きかけた。
リーゼはすぐ止めた。
「いや、やっぱり言わなくていい!」
「そうか」
「その顔で普通に答えようとするな!」
そしてリーゼは、最後の名前を口にしてしまった。
「では朝顔は――」
空気が止まった。
ネイラが目を逸らす。
ルヴァナはアスラへしがみつく。
アスラまで少し顔を赤くする。
そしてクロエは、珍しく露骨に視線を逸らした。
「大尉」
「何だ」
「その……朝顔は、娘たちの前では勘弁してもらえないだろうか」
リーゼが目を丸くする。
「え?」
「夕顔までなら、まだ教育上仕方ない。しかし朝顔は刺激が強すぎる」
ルヴァナがアスラの肩へ顔を埋める。
「アスラ母さん! 大尉が朝顔とか言った!」
「よしよし。聞かなかったことにしろ」
「何で慰められてるんだ!?」
ネイラまで微妙に視線を逸らしている。
「リーゼさん」
「な、何だ」
「さすがに朝顔を食卓で口にするのは、少し……」
リーゼは親子四人を順番に見た。
肉触手を束ねるか個別にするかで喧嘩した。
感度十万倍を誤差扱いした。
卵はウズラかダチョウかで教育論を戦わせた。
ゆで卵は入れるか出すかで派閥が分かれた。
娘がゆで卵を苗床にした話で大笑いした。
その一家が。
朝顔だけで赤くなっている。
リーゼは震える指で四人を指した。
「貴様らの羞恥心はどこにあるんだ!」
クロエが真顔で答える。
「普通にある」
「普通ではない! 朝が」
「大尉!」
クロエが珍しく大きな声を出した。
リーゼがびくりとする。
「何だ!」
「それ以上はいけない」
「何でだ!」
「娘がいる」
「成人した娘だろ!」
「それでも娘だ!」
アスラまで力強く頷く。
「そこはクロエに同意する」
「貴様ら、普段あれだけエロ拷問の話をしているのに!?」
「それとこれとは別だ」
ネイラは真面目な顔で言った。
「文化の違いですね」
「便利な言葉で片づけるな!」
クロエがようやくリーゼを見る。
「大尉」
「今度は何だ」
「知らない方が幸せなこともある」
リーゼは絶句した。
サイバー忍者。
魔術忍者。
殺し合い。
蘇生。
成人忍者へのエロ拷問教育。
昼下がりに人を襲う昼顔。
そして。
その家族全員が話題にするだけで気まずくなる朝顔。
リーゼは両手で頭を抱えた。
「貴様らの世界、忍者学園で何を教えているんだ……」
ネイラが即答する。
「忍者に必要なことを一通りです」
ルヴァナも頷く。
「戦闘、潜入、偽装、拷問耐性、エロ拷問、植物対策とか」
「後半だけ別の学校にしろ!」
アスラが笑う。
「大尉も少し学んでみるか?」
「断る!」
クロエが淡々と続ける。
「基礎だけなら教えられる」
「教えるな!」
ネイラまで。
「初等課程からなら資料がありますよ」
「持っているのか!」
クロエが少し考える。
「ところで大尉」
「何だ」
「ウズラとダチョウなら、どちらから始めるべきだと思う?」
リーゼは両手を振り上げた。
「小官を教育方針の採決に巻き込むなあああっ!」
アスラが横から付け足した。
「肉触手はまとめる方だよな?」
「聞くな!」
クロエ。
「ゆで卵は入れる方だ」
アスラ。
「出す方だ!」
「うがあああっ!」




