2・2 デートに必要なもの
「え、嘘でしょ。私服を持っていないの?」
向かいにすわるエマの手からフォークがするりと落ちた。お皿の上で、カランと高い音を立てる。
エマは魔法局の同僚。二歳年上だから先輩に当たるのだけど、友達のような間柄だ。
私たちぐらいの歳になると、働く女性はぐんと減る。
学生時代に仲の良かった友達はみな結婚して子供を持って、家庭で女主人としての役割を果たすようになる。
それで友情が消えることはないけれど、やはり関係性は変わってしまう。
だから今はエマが一番気心の知れた仲だ。
彼女も既婚で母親でもあるけれど。婚家はエマの仕事を応援してくれているそうだ。
すてきなご家族で羨ましい。
そんな彼女に食堂に入ったところで声をかけられて、一緒にランチを取っている。
悲しいことに今日のメニューにアクアパッツァはなかったので海老とアスパラのトマトクリームパスタを食べている。それとコンソメスープとサラダ。
「私服くらいもちろんあるわよ。屋敷に帰れば」
「それ、いつ作ったやつ⁉」
「しばらく帰っていないから……。一年くらい?」
「本気で言ってる? 私が知る限りフリーデ、あなたは二年、魔法局に住んでいるわよ!」
「じゃあ、二年かしら」
エマが額に手を当て、ため息をついた。
――最近他人のため息をよく見るきがする。気のせいかしら。
「デートはいつなの?」
「……ええと?」
マリウス様とやりとりした手紙を思い返す。仕事が立て込んでいたから、少し先にしてもらった。
「次の日曜だった気がする。今日って何曜日かしら」
「金曜日! ぎりぎりセーフね」
「そうね。家から服を取り寄せるわ」
「ダメ!」
エマがバンとテーブルを叩いた。眉を吊り上げ怖い顔をしている。
「世の中には流行っていうものがあるの。婚活を成功させたいんでしょ? だったら古い型の服なんてもってのほか。男性に『自分はおしゃれをするような相手と思われていない』と判断されてしまうのよ」
「へえ……」
婚活、めんどくさい。おととしの服だって、伯爵家できちんと仕立てたものだから品は悪くないはず。それでもダメだなんて。
けれど婚活をすぐに終わらせるためには努力は必要だし、がんばろうと腹も決めていた。
「わかったわ。新しいものを用意する」
本当はそんなことのために、時間を使うのはイヤだけど。仕方ない。
「明日、買いに行きましょう。仕立ては間に合わないもの。既製品にするしかないわ」
「エマが一緒に行ってくれるの? 助かるわ。服のことなんて、全然わからないのよ」
「そうでしょうね」エマが大きく頷く。「着られるものが制服と下着しかないなんて、年頃の女性とは思えないわ」
だって私服なんて必要ないもの。でもそれを言ったら、エマがまた呆れるだろうから黙っておく。
「――ちょっと待って。フリーデ、夜着は? 夜着くらい持っているわよね⁉」
「ないけど」
「なにで寝ているのよ⁉ 制服⁉」
「し――」
「待って、やっぱりいい! 食堂でする話じゃなかった!」
エマが両手を突き出して首を横にぶんぶんと振る。
まあ確かに、伯爵令嬢が夜着を買うのを億劫がって、下着だけで寝ているというのは外聞が悪いかもしれない。
そもそも魔法局に泊まり込んでいる時点で、よくないだろうけど。
「でもそうか。私、もう二年も帰っていなかったのね」
これでは、両親も魔法局長に文句をつけるのは当然かもしれない。思い返してみれば、局長に家に帰りなさいと何度か叱られたことがある。
「……まあね。フリーデは苦労しているわよね」
エマがようやくフォークを手にして、食べかけのパスタを巻き取り始める。
「家が安心できる場所ではないのは、つらいもの。そういう意味でも、結婚はいいんじゃない? フォイゲ伯爵令息は温厚な方だというし」
「情報通のエマのお墨付きなら安心ね」
「私は情報通なんかじゃないわ。あなたが知らなさすぎるだけ」
「興味がないし、聞いても全部忘れちゃうのよ」
「魔法のことしか頭にないものねえ」
苦笑するエマ。
でもね、魔法は素晴らしいのよ。
魅了されたのは六歳のときで、あれからずっと私の心をとらえて離さない。
学んでも学んでも、学びたいことが尽きない。
このまま学び続けるためには、やはり国家公認魔術師でいることが必要だし、よりよい環境をと望むなら魔法局が一番だ。魔法局は魔法に関して、我が国でトップの権限を持つ機関なのだから。
◇
カランカランと鳴るドアベルと、丁寧に頭を下げる店員に見送られて、エマと並んで仕立て屋を出た。
エマ御用達のお店で、既製品も売っている。ここで私に似合う服を、シーンに合わせて五セットも買った。しかも靴も一緒に。
おかげで山のような大荷物になった。幸いのちほど店が魔法局に届けてくれるという。
昼下がりの大通りは人であふれかえり、賑わっている。こういう場所に来るのも、だいぶ久しぶりだ。買い物なんて面倒だと思っていたけれど、思いのほか楽しいひとときだった。
すべては優しい同僚のおかげね。
「ありがとう、エマ。あなたがいなければ、なにがなんだかわからなかったわ」
「そうね。フリーデったら死んだ魚の目をしていたもの」
楽しそうにころころと笑うエマ。
「あ、そうそう。届けられる品物の中に、私からのプレゼントがひとつ入っているから。受け取ってね」
「ええ⁉」
プレゼント――というか、お礼の品を贈るべきは私のほうなのに。
困惑した私が口を開く前に、エマが笑う。
「夜着よ。お願いだから、下着で寝るのはやめてね」
「――わかったわ。ありがたくいただくわね」
エマと私は足を止めて、目前の馬車を見る。
「じゃあ、ここで」
別れの挨拶をしようとしたら、エマが「は?」と目を吊り上げた。
「まだアクセサリーを買っていないし、そうじゃなくてもこんな街中にあなたを置いていくはずがないでしょう!」
「でも、せっかくの休日よ」
エマには子爵家嫡男の夫と、ふたりの子どもがいる。今日は家族との時間を割いて、私に付き合ってくれているのだ。
「あまりつき合わせては、ご家族に申し訳ないもの」
「大丈夫よ。あなたの買い物に付き合うと言ったら、エールと共に気持ちよく送りだしてくれたから」
「ちょっと! それってどういう意味よ!」
彼女の家で、私はどんな人間だと思われているのだか。大抵の人の評価は気にならないけれど、友人家族の印象はよくしておきたい。
でもまあ、もう手遅れみたいね……。
がっくりと肩を落とす私を、「心配ないわよ」とエマが励ましてくれる。
確かに気のいい彼女の家族は、度量も広いかも。
次の目的地はすぐそこだというエマと、連れ立って歩く。
この辺りは高級品を扱う店が並ぶ一角らしく、行き交うひとも裕福そうな服装のひとが多い。
そんな人波の中から飛びぬけている頭が目についた。癖のある黒髪で――
「あれって……」
思わず足を止めると、すぐに見覚えのある顔が向こうからやってきた。
私を見て顔をしかめる。失礼なヤツね。
「フリーデ……とエマ」
癖のある黒髪に平均よりも背の高い男、ライナルトが私たちの顔を見比べる。
「こんなところで奇遇ね」
「お買い物の最中なの」とエマが言う。
なぜか顔をしかめるライナルト。
「女性だけで街中を徒歩は危ないんじゃないか」
「馬車も従者もそこにいるわ」
エマが後方を指さす。
「あなたこそ危ないでしょ」
腐っても侯爵令息なのに、一人きりに見える。けれど私は、すぐに気がついた。
ライナルトは庶民のような服装で、耳に高級魔道具のイヤーカフをつけている。遠隔地と通信ができるものだ。
「もしかして――仕事?」
声をひそめて尋ねると、ライナルトは「ああ」と、小さい声で肯定した。
「そう。ご苦労様」
無言でうなずいたライナルトは、わずかに首をかしげた。
「女性というものは、なにを買うんだ?」
エマと私は顔を見合わせた。これはいったいどういった趣旨の質問? 不思議に思っていたら、エマが答えてくれた。
「今日の目的はフリーデの服とアクセサリー。デート用の可愛いものをね」
ライナルトが再び眉間にしわを寄せ、私を上から下へとなめるように見た。
「な、なに?」
「……いや。言い方が悪かったな。テオフィル殿下に、気になる令嬢に手紙とともにプレゼントを贈れと言われたんだ。だから――」
「ああ、なるほど。女性がほしがるものを知りたかったのね」エマがポンと手を打つ。「それだったら、最初はお花とか軽いものがいいわ。いきなり服やアクセサリーは贈らないで。気持ち悪がられるわよ」
「そうか。助かる」
ほっとしたように答えたライナルトだったけれど、すぐに表情を引き締め、イヤーカフに軽く手を添えた。
通信が入ったらしい。
私たちは小声で「じゃあ、また」と挨拶をして、彼から離れようとした。
「待て」
ぱしり、と腕を掴まれる。驚いてライナルトを見ると、珍しくひどく真剣な表情をしていた。
「知っているだろう? オレの派遣内容」
ライナルトが低い声で言う。
私はエマと顔を見合わせた。
彼の派遣先である合同捜査本部が追っているのは、人身売買だ。しばらく前から都下では行方不明者が多発しており、彼らは闇で取引されていると予想されている。
「高級街でも事例は出ている」
なるほど。だから彼は、ここで通信機をつけて仕事をしているわけね。
「ふたりとも気を付けてくれ」
「……わかったわ。あなたこそ、気をつけて」
頷いたライナルトは私の手を放し、ふたたび人波の中に消えて行った。




