2・3 扉をあける前に服装チェック
「んあっ」
ずるりと頭が落ちる感触で目が覚めた。間を置かず、頬をビタンと打ちつける。
目前には広げられた本、顔の下には恐らく紙片、煌々と照る魔石のランプ。
魔術書を解読中に、腕を枕にして寝てしまっていたみたいだ。
まずい、涎で書きつけ中のメモをダメにしたかも。
――そう思って確認しようとしたとき、ドンドンッと扉を叩く音に気がついた。
どうやらこの音に体が反応して、頭が落ちたらしい。
「やっぱりこの時間じゃいないか」
扉越しにくぐもった声が聞こえてきた。
「……待って、今開ける」
乾いた喉からなんとか声をひねり出し、凝り固まった体を伸ばしつつ、立ち上がる。
働かない頭で、入浴を終え部屋に戻ったのが……と懸命に考える。
「今は深夜に近い時間かな」
来訪者には心当たりがある。『魔法局に戻ったら何時でもいいから絶対に部屋に来てほしい』と伝言を残しておいたから。
扉の前に辿り着くと壁の魔道具を作動させ、廊下で待つ客の顔を確認。予想どおりだったので、開錠の呪文を唱えた。
夜は特に厳重な魔法錠をかけてある。扉を覆うように青白く光る魔法陣が現れ、一瞬で消える。
「どうぞ」
この部屋に彼を迎えるのは初めてだな、と思いながら扉を開ける。
「深夜に悪い。どうかとは思ったんだが、必ず来いと――」
昼間と同じ私服を着たライナルトは、そこまで話すと唐突に口をつぐんだ。
どうしたのかな?
「おまっ!」
薄暗闇の中でもはっきりわかるほど、ライナルトの顔が赤くなった。
「なんていう格好をしているんだ! そんなんで人前に出るな!」
「んん? そんな格好って――」
ちゃんと魔法局の制服を着ているはずだ。寝るときにはしわ防止のために脱ぐけれど、今日はまだ寝ていない。寝落ちしていただけだから。
そう思いながら自分の体を見下ろす。
――制服は着ていなかった。代わりに着ていたのは、オーガンジーの薄いネグリジェ。襟ぐりが広く、丈は膝が隠れるくらい。下は素足……。
「あ、エマがくれた……」
サッと顔から血の気が引く。
そうだ。入浴から戻ったあと、せっかくエマがプレゼントしてくれたからと、この夜着に着替えて魔術書を読んでいたのだ。
「ち、違うっ!」
急いで扉を閉める。バタンと激しい音が夜闇に響き渡った。
「寝ぼけていた、ごめん! ちょっと待って!」
いや、さすがにこれはない。ドレスで長椅子にダイブする私でも、これはない。
こんな格好で人前に出るなんて、ただの痴女だ。私だって、それぐらいはわかる。
部屋の奥へ駆け込み、制服に着替える。
いくらライナルトが好きでなくても、彼にネグリジェで同僚を待ち構える変態女だと認識されるなんて……
ものすごく屈辱!!
ああ、もう自分の愚かさが情けない。
大急ぎで着替えを終えると、改めて扉を開いた。
「お見苦しいものを見せて申し訳ありませんでしたっ!!」
こんな男に頭を下げるのも屈辱だけれど、事故だと思われないほうがもっと耐えがたい。
床に頭がつきそうなほどに深々と頭を下げる。
「いや、別に見苦しくはないが、女性としては、その、あまりあの格好で男の前に出るべきではないというか……」
んん?
なんだかライナルトにしては声が上ずってるし、歯切れが悪い。
顔をあげてみると、私の前ではいつも仏頂面をしているライナルトが、おどおどと視線を泳がしている。
これはもしや……動揺している? こんなことで? 意外すぎる。
てっきり嫌味を言われると思ったのに……
極度に挙動不審になっているライナルトを見ていたら、気持ちが落ち着いてきた。
私は大事な用件があって、彼を呼んだのだ。ひとまず彼を部屋に通し、作業台に案内しながらもう一度謝る。
「ライナルト。本当にごめんなさい。寝落ちしたせいで、自分がなにを着ているか忘れていたの。入浴後はいつもなら制服だから」
「……いや待て、意味がわからない」
「どうして?」
「一、なぜ魔法局で入浴をしている? 二、なぜ入浴後に制服なんだ?」
なるほど。一のほうは魔法局員の誰もが知っていると思っていたのだけど、そうではなかったらしい。
「一の答えは、ここに寝泊りしているから」
ライナルトが目を見開く。
「寝泊りって。は? 『フリーデは魔法局に棲息している』って話は誇張じゃなくて、まさか本当に?」
「そうよ。寝床がそこにあるでしょ?」
部屋の隅にある長椅子を指さす。その上には置きっぱなしにした寝具。
「食事は食堂。入浴は近衛隊の女性隊員用風呂を借りているの」
それから洗濯サービスも同じく女性隊員に混ぜてもらっているし、これらの対価も渡している。
「どうしてだ? いくら魔法が好きでも、あんな寝床じゃ休めないだろうが」
「家に帰りたくないんだもの。早く仕事を辞めて嫁げってうるさいから」
だというのに、私が魔力を込めた魔石は通常の品より持ちがいいからと、ほしがる。
家族なのだから、無料でもらえて当然だと考えているのだ。
たぶん私が嫁いでも、魔石は要求され続けるだろう。両親は魔法に興味がないから、製作するのにどれほどの労力と費用がかかるかわかっていない。
「幸い、無理やり辞めさせることはしないでくれているけどね。それをやると、私が魔力を提供しなくなるとわかっているみたいだから。でもまあ、ひどいものなのよ。あの寝床でも実家よりずっと快適なの」
家族のことは嫌いではないけれど、共に過ごすのは憂鬱すぎる。
――本音を言えば、かなり苦しい。
ライナルトは「なるほどな」とため息をついた。
「テオフィル殿下が、オレたちが似ていると言った意味がわかったよ」
「殿下がそんなことを言ったの?」
「ああ。うちも両親に、魔術師になることは反対されていたからな」
聞いたことがある、と思ったけれどあいまいに頷くだけにとどめる。噂は噂に過ぎないし、ライナルトの言葉は過去形だったから。
「ん……?」と、ライナルトが私の寝床を見ながら首をかしげた。
どうしてだろう。
なにか変なところでもある?




