5・4 交換条件
ライナルトの部屋を訪れるとロイドさんがいた。ふたりでなにやら作業中だったらしい。作業台の上に幾つかの魔道具が出ている。
急な訪問が邪魔だったみたいで、ライナルトは目に見えて困った表情になった。
でも、私にはタイミングがよかったかもしれない。したくもない相談を先延ばしにできる。
「テオフィル殿下に書類を渡すよう頼まれたの。すぐ行くわ」
そう言ってファイルを渡して帰ろうとしたのだけど。
私が踵を返すよりも早く、ロイドさんが「ちょうどよかった。休憩にしよう!」と言って部屋を出て行ってしまった。
きっちりと閉められた扉を呆然と見て、次にライナルトを見る。
「邪魔……したわよね?」
「いや」
ライナルトは私から目をそらして、大きく息を吐いた。ぞんざいに髪をかきあげる。
やっぱり邪魔なのでは、と思ったところで彼は振り向いてにっこりとした。
「ちょっと根をつめすぎていたみたいだ。助かったよ。昼休憩もとっていないんだ」
「今三時よ!」
「どおりで腹が減っているはずだ」
いつもどおりにライナルトは笑うと、執務机の上に放り出されていた紙包みを手にした。
「午前中は町に出ていてさ。これ、屋台で買ったサンドイッチ。フリーデも食べるか?」
「いらないわ」
「そう。――座れよ。今お茶をいれる」
執務机の横に出されたいすを勧められて、仕方なくすわる。
「私服ってことは、今日は休みだったんだな?」
「うん。マリウス様に謝罪してきた」
部屋の隅でお茶の用意を始めていたライナルトが、ちらりと振り返った。
「円満に解決できたのか?」
「もちろん。ちょっと課題を出されてしまったけれど」
「なんだそれは」
もにょもにょと言葉を濁し、ごまかすように部屋の中を見渡す。
ライナルトの部屋を訪れるのは初めてだ。イメージ通りと言うかなんというか。とても整理整頓されて埃のひとつもなく、もちろん毛布や着替えが放置されているなんてこともない。
かちゃり、と目の前にお茶が置かれた。温かな湯気と芳醇な香りが漂ってくる。器はソーサー付きの繊細なデザインのもので、相当な高級品だとみた。
侯爵令息様は私なんかとは職場の環境もまるきり違う。
ライナルトはテオフィル殿下からのファイルを一瞥すると、机の端に置いた。代わりに引き出しから別のファイルを取り出す。けれどそれも中をちらりと見ると、閉じて先ほどのものの上に重ねた。
「それでフォイゲ伯爵令息の課題ってなんなんだ?」
あ、やはりごまかされていなかったのね。
ライナルトはサンドイッチの包みをお皿に乗せながらも、まっすぐに私を見ている。
私はお茶をこくりと一口飲むとカップをソーサーに戻した。
「それが私の結婚相手がよくない、って」
ライナルトが手を止めた。目が険しくなった。
「ほらな! 誰が見てもそうなんだ。考え直せ!」
「考え直す気はないのだけど、マリウス様はあなたに相談しろと」
「オレ……?」
「そうなの。あなたなら信頼がおけるからという理由みたい。ライナルト、マリウス様に私の結婚後の仕事について確認したんですって?」
そう尋ねたとたんに、ライナルトの顔がカッと赤くなった。素早く横を向き、大きな手で口元を隠す。まるで恥ずかしがっているかのように見える。
「……どうしたの?」
「己の愚かさが情けない」
「はい?」
「いや、気にしないでくれ」
「でも」
「……友人気取りで暴走するなんて、愚かとしか言いようがないだろ」
「そうね。ちょっと意外だとは思ったけれど。でも同僚として心配してくれたのよね。一昨日の夜も。ありがとう」
ライナルトがようやく私を見る。口元を隠したままだったけれど、大きくうなずく。それからようやく手をはずした。まだいくらか顔は赤いものの、表情は引き締まっている。
「で、オレに相談ってことなんだな。彼の意見を聞いて、というのは腹立たしいが。フリーデが考えを改めてくれたことは歓迎する」
「ごめんなさい、改めてはいないの」
「んん?」
「『ライナルトに相談した』という実績だけほしい、かなって……」
話している最中にライナルトの表情がどんどん険しくなり、それに反比例して私の声は小さくなった。
「フリーデ」
普段よりも低い声には、苛立ちがにじんでいる。 どうしてライナルトがそんなに私の結婚について怒るのだろう。
クビを回避できれば誰だっていいと思わない? 目的はそれなんだから。
「子爵との結婚はテオフィルも反対している。それで勝手にで悪いとは思ったんだが、殿下の命を受けて調べさせてもらった」
やたらに『殿下』を強調したライナルトは、先ほど引き出しから出したファイルを手に取り開き、私に向けて置いた。数枚の書類が挟まっていて、一番上は子爵のフルネームが書かれた紙だった。
「件の子爵には結婚歴はないが、常に愛人を切らしたことはなく、庶子がわかっているだけで三人いる」
「……」
これ、は。思っていた以上に子爵は残念な結婚相手らしい。
こんな人物を嬉々として押し付けてきた両親のことを考え、胸が苦しくなる。
「それから――」
ライナルトが手を伸ばし、ファイルの書類を何枚か外した。その下に現れたのは私の名前と表だった。
「これもテオフィルの許可を得て調べた。フリーデが購入した魔石の数と、フリーデが魔法局外に持ちだすと申請した魔力補填済み魔石の数の表だ。入局当時からのデータがある。で、ここが――」とライナルトは表の一部を指さした。「購入費の欄で、こっちが補填済み魔石の基本販売価格欄。そしてそれぞれの七年半の総額」
それらに書き込まれた数字は、かなり大きい。予想していたよりも、ずっと。
「フリーデ。この総額は魔法学園の学費どころじゃない。お前を育てるために使った金額を軽く超えるだろう」
……それは大袈裟なんじゃないかな、と思ったけれど言い返すことはできなかった。
「フリーデ。フリーデはもうキューネル家への義理は果たしている。そもそも、これほどのものを子供に負担させる親のために、フリーデががんばる必要もない」
「……別にがんばってはいない。私はそれでいいと思っているのよ。さすがに子爵は残念すぎるとは思うけど面倒だからもういいの。私のことは放っておいて」
ライナルトは険しい顔で大きなため息をついた。
「無理だよ。さすがに見過ごせない」
「それならライナルトも両親に反抗して」
「え……?」
虚を突かれたような顔をするライナルト。
「魔術師を辞めない、定年まで勤めあげると約束するなら、私も考えるわ」
「それは……」
「私だって、見過ごせないの。なんとかして回避できないか、力になれないかって考えていたのよ」
目を見開いたライナルトの表情が、ゆっくりと変わっていく。どことなく締まりのない、そう、まるで喜んでいるかのような表情に。
「……そうか」
「そうよ」
「ありがとう、フリーデ」
ものすごく良い笑顔で言われて、なんとなく恥ずかしさがこみ上げる。
私の恋心はバレていないわよね?
同僚としての思いだけだと考えてね?
気持ちをごまかすようにコホンと咳ばらいをして、「どういたしまして」と答える。
「だがオレは引かない」
「どうしてよ! そこは考えを改めるところでしょう?」
「こちらにも事情がある」
「なんのよ。私の結婚なんて、ライナルトにはなんの関係もないじゃない」
「そうでもないんだ。テオフィルも反対しているし、ヨーゼフ先輩も心配している。エマさんが知ったらきっと、彼女も心を痛める」
う……ん。それは否定できないところだ。
ましてや子爵に愛人やら隠し子やらの問題点があるとなると、エマは絶対に怒り狂うと思う。
「じゃ、そういうことで決まりな」
「待って、私は納得は――」
「前にフリーデに頼んだ件。覚えているか?」
ライナルトは私の話を遮ると、にこりとした。
彼に頼まれたこと。もちろん覚えている。
話をそらすのが無理やりすぎるとは思ったけれど、続けたとしても平行線のままの気がする。
仕方なく、話に乗ってあげることにした。
「あなたの研究を手伝う話よね」
でも忙しいから合同捜査本部が解散してから、という約束だった。
けれどライナルトは「そうだ」とうなずいた。気のせいか笑顔が翳っている。
「実は、解きたい呪いがある」




