5・2 幕間・ライナルトは自覚する
ヨーゼフ先輩からのフリーデに関するメモを見つけて。家族によるあまりに理不尽な仕打ちに、彼女の力になろうと急いで会いに行った。それなのに。
「ライナルトにこれ以上踏み込んでほしくない」
彼女から発せられたのは、きっぱりとした拒絶だった。
その言葉を聞いたとたん、頭を殴られたような衝撃を受けた。
オレは彼女に必要とされていない。
信頼に値すると思われていない。
その事実に目の前が暗くなる。
だが、きっと当然なのだ。ほんの少し前まで、お互いに嫌いあっていた仲なのだから。そんな相手にプライベートなことに立ち入られたくないと思うのは自然……なのだろう。
それに。すべてを拒絶されているわけじゃない。フリーデはオレの体調を気遣って回復魔法をかけてくれた。
オレはただ、超えてはならない一線を、彼女に引かれただけのこと。
別にたいしたことじゃない。
――なのにオレはどうしてこんなに堪えているんだ?
時間外の合同捜査本部の仕事はもう済んだ。魔法局に戻ったのは忘れ物を取りにきただけで、それも回収した。時間も遅い。
彼女の言うとおり、早く屋敷に帰って休むべきだ。
だけれど、足が錘でもつけたかのように重い。
しかもこんなときに謎の病が発症している。胸が痛くてどうにかなりそうだ。
暗くしんと静まり返った廊下で、ついに足が動かなくなった。
胸の痛みはひどくなるばかりだ。
それを打ち消すかのように――
「オレが心配したら悪いのかよ!」
気づいたら、内から湧き上がる感情のままに叫んでいた。
怒りなのか不満なのか、自分でもわからない。
拒絶されたことも、彼女が理不尽な扱いを受け入れることも、納得できない。
「なんでだよ……」
脳裏に『気持ちは嬉しい』と言ったときのフリーデの作り笑いが浮かぶ。
あれを見たとき、フリーデを遠く感じた。仲が悪かったときよりも、ずっと。
「ライナルトか?」
聞きなれた声がして、顔を上げると書類を手にしたテオフィルが立っていた。
「どうした。お前が荒れるなんて珍しいな。聞くぞ?」
テオフィルが返事も聞かずに歩き出す。たぶん局長室に向かう気だ。
「どうした。来ないのか? フリーデのことなのだろう?」
「っ! なぜわか!? そうか、結婚のことを聞いたんだな?」
「……とにかく来い。廊下で話すことじゃない。――彼女のためにも」
テオフィルが知っているのなら、解決策が見つかるかもしれない。
無言で彼のあとに続く。
思った通りテオフィルは局長室に入った。暗かった部屋に魔法で灯りを灯すと、執務机に腰を乗せオレの顔を見た。
「で? なにがあった。『結婚』と言っていたな。フリーデがフォイゲ伯爵令息との結婚を決めたのか?」
「違う。聞いていないのか」
それならなぜ彼女のことだとわかったのかと不思議に思いながら、知っていることすべてとフリーデのオレへの対応を説明した。
「――なるほど。確かに酷い話だ。君でなくともこの結婚はやめるべきだと言いたくなる」
「だろう?」
「でもフリーデも子供じゃない。彼女の判断を部外者がとやかう言う権利はないんじゃないか」
冷ややかに告げられた言葉に、瞬間的に怒りが沸いた。
「冷淡すぎる! お前が結婚しなければクビだなんて言い出さなければ、こんなことにはならなかったんだぞ!」
「ライナルト」
テオフィルが静かにオレの名を呼んだ。真剣な目がまっすぐにオレを見つめている。
「ライナルト。君がそんなに感情的に怒るのはなぜだろう」
「なぜって……あまりに理不尽だからに決まっているじゃないか。同僚として見過ごせない」
「だとしても彼女には『これ以上踏み込むな』と言われたのだろ? ならば今君がしていることは、彼女にとっては迷惑行為でしかない」
ぐっと言葉につまる。
「とはいえフリーデの頑なさは気になるな。心境の変化でもあったのかな」
さあ。オレは知らない、と答える。彼女はなにも教えてくれなかった。
「ここにきて、恋しい人でもできたかな」
どくん、と胸が鳴った。そこから鈍い痛みが広がる。
「『思う相手はいるけれど叶うことはないから』という理由で政略結婚を受けるのは、恋愛小説の定番展開だよね」
「そう、なのか……?」
「そうだとも。フリーデの性格を考えるとこのパターンだと納得できるんだよ。恋しい人がいるからこそ、自分に好意的な相手――つまりフォイゲ伯爵令息だけど――そういう人物との結婚は、申し訳なさが先に立ってできなくなってしまう。で、政略だと割り切れるどうでもいい相手を選ぶんだ」
……なんだそれは。
本当にそんなケースがあるのかどうか、オレにはわからない。
それ以前に、あのフリーデに恋しく思う相手ができるなんて、ありうるのか? それこそマリウス・フォイゲならばともかく。
ズキン、と胸に鋭い痛みが走った。
気分も悪い。吐きそうだ。
「ライナルト。心当たりはあるかな。フリーデのつらい恋の相手に」
「つらい恋……?」
フリーデの笑顔が脳裏に浮かぶ。
「つらい恋」
もう一度声に出してみたが、しっくりこない。
「……恋につらいなんてあるのか?」
だが確かに、親のせいで思う相手と結ばれないのなら、それはつらいだろう。
「んん? ちょっと待って、ライナルト。君、今なんて言った? 『恋につらいなんてあるのか?』って聞こえたんだけど」
「そう言ったが?」
「いやいや、恋なんてつらいことが山ほどあるだろう!」
「お前こそなにを言っているんだ! そんな負の感情はありえない」
そう反論したものの、思いもよらない指摘に不安になる。
「ライナルト、君はいったい恋をどんなものだと思っているんだい!?」
「温かくて嬉しくて幸せになれるものに決まってるじゃないか」
幼き日の初恋相手――イルザ先生が心の中によみがえる。
先生は子供のころに魔術を教えてくれた女性魔術師だ。彼女と過ごす時間は幸せと喜びに溢れていた。
「それは間違いないけれど、でも…‥‥。いや、待て。そう思う理由はなんなんだ?」
「……イルザ先生」
ぼそりと彼女の名前をあげると、テオフィルは「なるほど」とうなずいた。わかってくれたようで、ほっとする。
「わかった、ライナルトの恋は十二歳で止まっているんだな。そりゃ子供のころの初恋なんて、きれいな感情しかないだろうさ」
止まってなどいないと反論しようとしたが、先生を失って以来魔術のことだけを考えていたのは事実だ。
恋愛も異性も興味がなかったし、友人たちのそういった話も遠い国の出来事のような気持ちで聞いていたところはある。
なぜなのか、さきほど感じた不安が大きく膨れ上がる。
「恋なんて醜いものだよ、ライナルト」
テオフィルの目がまっすぐにオレを見る。
「相手のささいな言動で感情が揺れ動くし、ライバルが現れれば嫉妬に狂う。理性は消え感情のままに動いてしまうし、思うとおりにいかねば怒りも沸く。触れたいなんてあさましい欲はとどまることを知らないで、貪欲になるばかりだ」
なんだ、それは。
……なにか言葉を返したいのに、のどが見えない手に掴まれているかのように痛く、うまく息が吸えない。
「そんな感情を、君は本当に知らないのかい?」
……オレ、は。
「嫉妬や惨めさやそういった負の感情で胸には刺すような痛みが走り、自分の想いが相手に届かないことで苦しむ。それも恋なんだよ」
どれもこれも、覚えがある。
ならば、オレは――
「オレはフリーデを……好きなのか?」
すがるような思いでテオフィルを見る。
違うと言ってほしい。
だってフリーデにとってオレは、真に大切なことは相談できない程度の相手なのだ。
テオフィルが僅かに微笑んだ。
「『違うよ』とぼくが答えたら、君は楽になれるのかい?」
はっ、と短い短い息が口から洩れる。
まるで悪寒を感じているかのように震える体。
急激に様々な感情が膨れ上がり、それに反して思考がクリアになる。
テオフィルの言うとおりだ。
否定されたところで、楽になれないのは明白じゃないか。
オレはフリーデの結婚に理不尽さを感じたから、友人として力になろうとしたんじゃない。
彼女をほかの男と結婚させたくない。誰にも渡したくない。
こんなもの、ただの己の欲なのだ。
目をつむり、長く息を吐く。
しばらくすると、震えは収まった。
目を開き、古くからの親友を見据える。
「オレはフリーデを好き……だ」
そうだね、とテオフィルは静かにうなずいた。




