3・7 《幕間》ライナルトと胸の病
「ちょっといいかな」という声と共に、テオフィルが部屋に入って来た。
「見てわからないか。出直せ」
「ひどいな、ぼくは局長代理だよ?」
そう言うテオフィルの手には書類の束がある。
横目でそれを見ながら、これ以上仕事が増えたらさすがに手が回らないなと考えた。
作業台の上には数種類の分析結果。それから分析途中と分析待ちの食品、山ほど。
すべて今日、集められた屋台で販売していた飲食物だ。分析は本来は魔法院の仕事だけれど、あちらでは時間がかかる。オレやロイド先輩がやったほうが、ずっと早く結果を出せる。
「んん? 分析を君がやっているのかい? これは本部に抗議だな。魔法院の仕事じゃないか」
「それじゃ遅いんだ。速やかに特定して逮捕しないと」
また容疑者に死なれたら、困る。麻薬販売組織に繋がる大事な手がかりなのだ。
「つまり魔法院は役立たずってことか。技量の差とはいえね。この貸しはきっちり返してもらうから、安心しろ」
そう言ってテオフィルは出て行った。すぐに局員ふたりを連れて戻り、分析待ちの食品を分配した。
「ロイド先輩のところにも――」
「局員を向かわせたよ」
「助かる。だが、捜査本部以外にやらせて問題にならないか?」
「なるかもね」にこりと微笑むテオフィル。「そうしたら貸し出している魔道具をすべて引き上げるさ。王族警護用の高性能品を無償で出しているんだよ? まったく、騎士団も魔法院も自分たちの能力だけじゃ不便なくせに、いっちょ前に口だけはうるさいんだから腹が立つ」
局員たちが苦笑しながら、部屋を出て行った。
「テオフィル。その発言、局長代理としてはいいが、第二王子としてはまずいんじゃないか」
「構わないさ。ぼくは魔法局員だ」
そう言うとテオフィルは、オレと向かい合う形で書き物机に腰かけた。
「試薬を作っている最中? 話はできるよね」
「ああ、大丈夫だ」
改まってなんの話なのだろう。
薬草をすりこ木ですり潰しながら、テオフィルが机上に置いた書類を見る。
「それで、デートはどうだった?」
「――は?」
思わず手が止まる。
テオフィルを見ると、目を輝かせて身を乗り出していた。
「まさかと思うが、そんなくだらない話をするためにオレの仕事の邪魔をしにきたのか」
「くだらなくないよ。君の一生のことが関わってくるんだから」
ため息をついて、再び手を動かす。
「くだらないし、彼女を巻き込むのはやめろ」
脳裏に楽しそうに笑うフリーデの笑顔が浮かんだ。
それからオレの手にすっぽりと収まる、ひんやりとした小さな手。
「でもさあ、予定より帰って来るのが遅かったじゃないか」
「アクシデントがあったと説明しただろう?」
「それは聞いた。アクシデントの内容は聞いていない。それに、君――」
ごりごりと薬草をする音だけになる。
しばらく待ったが、テオフィルは黙ったままだ。
どうしたのかと思い彼を見ると、珍しく笑顔を消して真剣な顔でオレを見つめていた。
「時間はないんだよ、ライナルト」
「わかっている、あと二ヶ月な」
オレがどこかの誰かと婚約するまで。
もしくは――
「それはお前が提案した期限であって、ぼくはフリーデと結婚するのが最適だと思っているんだよ」
「またその話か。いい加減にしろ」
「クラッセン侯爵夫妻はきっと伯爵令嬢――しかも適齢期を過ぎた令嬢との結婚は認めない。認められるのは、この数ヵ月のうちだ。婚約をして式を挙げて。容易に解消できない関係まで進むのには、ギリギリの期間だ」
「容易にって……」
思わずまた手が止まった。
「なのに君ってば、信じられないぐらいにダメだ。恋愛経験ゼロだから、多少は覚悟をしていたけれど……」
「ゼロじゃない!」
反射的に言い返せば、テオフィルは鼻で笑った。
「幼いころの年上女性への淡い初恋なんて、恋愛には入らないね」
素敵な経験だとは思うけど、とテオフィルは付け加えた。
「ライナルトが恋愛を後回しにして魔法にすべてを捧げてきた気持ちはわかるし、否定するつもりもないよ。だけど今のままじゃ手遅れになる。わからないかな?」
「ああ、わからないよ。オレはどうしてお前がそんなにお節介を焼くのかな」
テオフィルは肩をすくめると、書類の束の中から一枚を抜きオレに向けて放った。オレンジ色の光をまとい、ふわふわとオレのもとへやってくる。
手に取るとそれは、フリーデの写真だった。場所は魔法局のエントランス。彼女は公園を訪れたときの服装で手に大きな花束を持ち、はにかんでいる。その前に立つのは、彼女が婚活相手としてターゲットに据えているマリウス・フォイゲだ――
「彼、風邪をひいてデートをキャンセルしたんだってね。そのお詫びに来たらしいよ。改めてデートをする日を決めるためにもね」
「……職場に来るなんて非常識だな」
「フリーデはここに住んでいるのだから、非常識ではないよね」
「お前もだ、テオフィル。ひとのプライベートを隠し撮りするなんて最低だぞ」
肩をすくめたテオフィルが呪文を唱える。オレが手を放すと、写真は燃え上がり灰も残さず消えさった。
「こうでもしないと君はわからないだろ?」
「なにがだ」
びしり、とテオフィルがオレに指をつきつけた。
「ライナルト・クラッセン。君が今感じている不快感がなんであるか、詳細に説明したまえ」
オレは驚いて胸に手を当てた。
「なぜわかった。最近疲労がたまっているせいか、胸がひどくもやつこことがあるんだ。時間ができたら診察を受けようとは思っているんだが……」
テオフィルがガクリと頭を落とし、手で額を押さえる。
「どうした。お前も調子が悪いのか」
「……ああ、そうだよ。フリーデの婚活は順調に進んでいる。君は進展がないうえに、胸の不調を抱えている。悲しくてやりきれないよ」
テオフィルは本当にオレを案じているのだろう。情けない声だ。
「お前の心配はありがたいよ。だが問題ない。不調は激務のせいだし、結婚は相手を選ばなければすぐにできる。もともと親が決めた結婚をすると思っていたんだから、なんてことはないさ。少し早まっただけのことだ」
ふわり、と脳裏に笑顔のフリーデが浮かぶ。
同じ適齢期を逃した人間でも、彼女はオレと違って、自分が選んだ相手と幸せな結婚をするのだろう。
そしてこの先も魔法に携わり続け、オレが魔法局を辞めたあともきっと、ここで活躍し続けるに違いない。
――正直に言えば、フリーデにはずっと妬ましさを感じてきた。
けれど最近、彼女もオレと同じような苦労をしてきたと知った。だから。
今は、オレのぶんまで魔法を楽しんでほしいと切に願う。




