3・6 偽装・ボート遊び
「あのさあ、乗らないならほかに行ってくれない? 商売の邪魔だから」
ぬいっと視界に割り込んできた仏頂面のおじさんにそう言われ、ライナルトと私は固まった。
「「え……と?」」
「いや、だからね。話し込むならほかで。ほら、あっちにベンチもあるだろう?」
おじさんが指さした方向を見ると確かにベンチがある。そしておじさんの背後にはボートが浮かぶ池と船着き場。
いつの間にか私たちは公園中ほどの池にたどりついていたらしい。魔法の話に夢中になっていて、全然気がつかなかった。
「あ、ええと、ごめんなさい!」
「失礼した、ボートをお借りしたい」
ライナルトが慌ててボートの代金を払う。テオフィル殿下に『デート偽装なんだから、ボートに必ず乗ること』と厳命されている。
「そうだ、ご主人」
杭に巻かれたロープを外している貸しボートのおじさんに、ライナルトが声をかける。
「初めてボートに乗るんだが、なにか注意点はあるか」
「んあ?」
おじさんが驚いた顔でライナルトを見る。それから私。
「……揺れるから転覆しないように気を付けてってのと、オールを落とすなってぐらいかな。落としたら戻ってこれないから」
「「なるほど」」
「お客さん、おもしろいねえ」
おじさんがライナルトを見て笑う。
「たいていの男は恋人の前で見栄をはるもんだけど、あんたみたいに立派な御仁が臆面もなく、『初めて』って言っちゃうなんてさ」
恋人⁉
この人に私たちはそう見えたってこと?
そ、そうなのね。作戦は上手くいっているということね。
「いや、ふたりとも赤面するのかい。初々しいねえ。――あ、手を繋いだままだと危ないから、いったん離してな。で、彼女さんが乗るときに手を貸して」
はっ。私たち、手を繋いだままだった……!
どれだけ話に夢中になっていたのよ……。
おじさんにお礼を言ってボートに乗り込み、ライナルトがオールを持って漕ぎ始めた。桟橋からゆっくりと離れる。
おじさんが笑顔で手を振ってくれているので、私も振り返した。
「気をつけてな~」と叫ぶと、おじさんは次のお客さんのもとへ向かっていった。寄り添っている若い男女ペアだから、恋人同士なのだろう。
ライナルトに目を向けると、初めてとは思えない綺麗な姿勢で、優雅にオールをこいでいた。
「途中で交代するわね。疲れるでしょ?」
「女性が漕いでいるケースはないみたいだぞ」
ライナルトの言葉に、辺りを見回すと、確かにその通りだった。
「だから、交代はいい。ちゃんと偽装をしないとな」
「そうね」
ライナルトに借りを作るのはおもしろくない。けれど今日はデートのふりをするのが仕事だ。仕方ない……
……あれ? なにか忘れているような?
なんだったかしら。
遠い景色に目を向けながらしばらく考えて。
「「――あ! 屋台!」」
ライナルトと声が重なった。
魔法の話題が楽しすぎて、本来の目的をすっかり忘れていた。池に来るまでにふたつの屋台があったはずなのに。
ライナルトと見つめあい、プッと噴き出す。
「しっかりしてよ、ライナルト!」
「大事なことを忘れるなよ、フリーデ」
ふたりして声をあげて笑う。
「こんなに魔法の話ができたのは、久しぶりだったんだ!」
「いい反応をしてくれるから、止まらなくなっちゃったのよ!」
「フリーデのくせに」
「ライナルトのくせに」
笑いすぎて滲んだ涙を、指で拭う。
まさかあのライナルトと、こんなに楽しい時間を過ごす日が来るなんて。学生のころでは到底考えられなかった。
私は彼のことを、本当になにも知らなかったのだ。
「フリーデはどうして魔術師になろうと思ったんだ?」
「え?」
「いや、なんとなく」ライナルトはボートをこぎながら、器用に肩をすくめた。「学院時代はずっと首位争いをしていたのに、そういうのを知らないなと思ったから」
「ろくに話したことがなかったものね」
王立学院は成績順にクラス分けをしているらしく、私たちが同じクラスになることはなかった。
そのうえ最初の印象がお互いに最悪で、避け合っていたからまともな会話をしたことがない。
「きっかけは叔父なの」
私が子供のころ、屋敷に住んでいた父の弟であるアルノー叔父様。
優れた魔術師だった彼は、幼い私に素晴らしい魔法をたくさん見せてくれた。
私は物心ついたころから両親とは性格もものの考え方もあわなくて。でも叔父様とはすごく意見があったし、一緒にいると楽しかった。
当時はよくわかっていなかったけれど、叔父様は家族と馬があわない私を気にかけてくれていたのだと思う。
叔父様は魔術師と言ってもどこにも所属していなくて、恐らくはろくに仕事もしていなかった。両親が叔父様を「ただ飯喰らいの居候」と罵倒しているのを聞いたことがある。
それでもアルノー叔父様は私にとってヒーローだった。
自分も同じように魔術師になりたいと願うほどに。
「それで魔法を勉強しているうちに、魅力にどっぷりとはまっちゃたの」
私を魔法の沼に落とした叔父様は、私が十二歳のころに屋敷を出て行ってしまった。隣国に旅行へ行った際に女性と恋に落ちて、そのまま結婚したからだ。
今は魔法とは関係のない仕事についていると聞く。
「ライナルトのきっかけは?」
「フリーデとほとんど同じだ」
「あら、奇遇ね。でも、魔法は学び始めると奥が深くて止まらなくなるわよね」
「そのとおり。一生研究の徒だ」
「わかる!」
「フリーデと意見が合うなんて世も末だな」
ライナルトはそう言って、楽しそうに笑った。
「ところでさっきの監視システムのことだが、ひとつ案が浮かんだぞ」
「え、どんな⁉ ――きゃっ⁉」
思わず身を乗り出して、ボートが大きく揺れた。慌ててへりにしがみつく。
「うわ、ばかフリーデ! 気をつけろ!」
すかさず怒鳴るライナルト。けれど声は朗らかだったし、やっぱり、楽しそうに笑っていた。
◇
桟橋に戻ると待ち構えていたおじさんが、ロープを杭に巻きながら「また来てな!」と声をかけてきた。
『また』はないのよと思いながらも、笑顔で「ええ、来ますね」と約束をする。
「フリーデ」
先に降りたライナルトが、手を差し出してくれた。私よりずっと大きな手だ。
「……ありがとう」
そっと手を重ねると、しっかりと握りしめられた。
途端に心臓が、バクンと跳ね上がる。
え、どうして⁉
手なんてさっきも繋いでいたのに。
――慣れないことだから、緊張はしていたけれど。
でもそれはライナルトだからではなくて、ダンス以外で異性と手を繋ぐのに慣れていないからであって。意味のあることじゃない。
今のこれだって、恋人偽装のためで仕事としての手つなぎで……
それだというのに、なぜだか心臓がうるさい。
顔も熱いような気がする。
そっとライナルトを見上げ――その肩に昨日顔をうずめたことを唐突に思い出し、また心臓が跳ね上がった。
どうしたのだろう。
私、なんだかおかしいみたい。




