3・2 恋敵ではありません!
「礼を言う。ラクになった」
ライナルトの声が聞こえ、一瞬の間のあとそれが私にかけられた言葉だと気づく。
「あ、うん――」
「ライナルト様! そちらの女性はどなたですか!」
私の声をかき消す勢いで美女は叫び、泣きそうな顔でライナルトに迫る。
美しいたまご型の顔にふんわりとかかる豊かな金髪。白皙の頬にバラ色の頬。完璧な造形を誇る艶やかな唇に吸い込まれそうに青い瞳。すらりとして背が高く、腰は両手で抱えてあまるぐらいに細い。
まるで女神のような美しさだ。けれど声からすると、まだ少女といっていい年齢かもしれない。
着ているものは見るからに上質な品で、彼女からは品の良い香りが漂ってくる。
そんな彼女にライナルトは、「待ち伏せはおやめくださいと申したでしょう」と苦々しい声で答えた。
敬語だし困り顔だし、どうやら彼女は、侯爵令息でも無下にできない相手みたいだ。
王族ではないのは確かだから、公爵家か大公家のご関係者だとみた。私からすると相当格上の相手、ということになる。
「ここは一般人立ち入り禁止区域ですよ。みだりに入ってはなりません」
ライナルトのそんな抗議を聞きながら、私は軽く頭を下げる。
「ご令嬢、私は彼の同僚で、フリーデ・キューネルといいます。魔法の施術の最中でしたので、すぐにご挨拶ができずに申し訳ありません」
令嬢の視線が私に動く。不安そうな怯えた目をしている。
「……あんな風に手を握る術があるのですか」
「はい」
その手の上に魔法陣が出ていたのだけど、彼女には見えなかったらしい。
きっと嫉妬にかられて、手しか見ていなかったにちがいない。そもそも私はライナルトと同じ制服を着ているのだから、同僚とわかるはずなのに。
変な疑いをかけられるのも、身分が高いご令嬢に恨まれるのも、ごめんだわ。
さっさとこの場を離れるに限る。
「それではご令嬢、私はこれで」
もう一度彼女に頭を下げて踵を返す。そんな私の背に焦りをにじませた声がかかる。
「あ、待て。一緒に執務室に伺うことになっているだろう!」
ん? なにそれと思う間もなく、追いついてきたライナルトが隣に並ぶ。半身をひねり、令嬢に「急ぐので失礼」なんて言っている。
いや待って? 令嬢が泣きそうな顔でこっちを見ているけど⁉
それなのにライナルトは私に「急げ」なんて囁いて、早足で進む。
「ちょっと、歩幅を考えてよ!」
同じく囁き声で返して、必死にくらいつく。
そうして角を曲がり、令嬢が見えなくなったところで足を止めた。
キッとライナルトを睨み上げる。
「どういうこと! 私を巻き込まないでよね!」
「悪い。苦手なんだ、彼女」
ライナルトはげっそりとした表情で、ため息をついた。
あのライナルトが私に謝ったり、弱みを見せたりするなんて。
――これは相当に苦手らしい。
ため息をついて、「どういうことなのよ」と彼に説明を促した。
彼女はビュッセル公爵家のご息女ハイデマリー様だという。
ビュッセル公爵家といえば名門中の名門で、世間に疎い私だって知っているご一家だ。
ライナルトが言うには、三ヶ月ほど前に彼女と知り合ったという。たまたま公爵家のご三男が王宮で倒れ、たまたま近くにいたライナルトが回復魔法を施し、そのまま屋敷まで付き添ったのだとか。そこで彼女にエンカウントしてしまった。
「挨拶を交わしただけなのに、一目惚れされた。意味がわからないだろ?」
ライナルトがまたもため息をつく。彼女の熱烈な求愛に危機を感じたライナルトは、今は魔法局の仕事に全力を注ぎたいから結婚はまだ考えていないと彼女本人と公爵夫妻に伝えた。
「それで彼女はいったん引いてくれたんだ。そもそもほかの令息との縁談が検討されていたようだしな。オレもその後はきれいさっぱり忘れていたんだが」
「あんな美少女をよく忘れていられるわね」
「好みじゃない」
きりっとした表情でライナルトが断言をする。
「なにを言っているの、バチが当たるわよ!」
「それに社交界デビューもしていない子供だぞ」
社交界デビューは十七歳を迎えて以降と決まっている。ということは、ハイデマリー様はまだ十六歳か、それより幼いということだ。私たちとは十歳以上の年の差になる。
「でもそのくらいの年の差は貴族では珍しくはないし、公爵家のご令嬢なら、ライナルトと家格が合うじゃない。婚活、うまく進んでいないのでしょう? 彼女はベストな相手に思えるけど」
私の正論に、ライナルトはムスッと口を引き結んだ。
そんな顔になるなんて、どれだけ彼女がイヤなのだか。確かに王宮勤めの人間しかしか入れないエリアで待ち伏せしてしまうところは、ちょっと恐ろしいけれど。
ふてくされているらしいライナルトをどうしようかと思っていると、視界の端に手を振っている人影が入った。なんだろうと視線を動かす。
手を振っている人影が、「ライナルト、フリーデ! ちょうどよかった」と、ご機嫌な声をあげた。
テオフィル殿下だった。
「ふたりに話があるんだ」
ライナルトと私は顔を見合わせ、それから魔法局局長代理に向き直る。
私たちふたり同時に用があるなんて、なんとなく、イヤな予感がする。彼がそんな風に私たちを呼び出したのはただ一回。結婚もしくはクビの話をしたときだけだ。
そんな私たちの不安を煽るかのように、笑顔のテオフィル殿下は「魔法局長としての命令だ」と告げる。
ああ、やはり。
今度はいったいなにを言われるのだろう。
にこり、と殿下は笑みを深くした。
「ライナルト・クラッセン、フリーデ・キューネル。君たちはあした、王都公園でデートね」




