3 微かな期待
早めに教室を出たから、いつもの場所に着いたのは一時五分頃だった。美術倉庫を眺めるが、まだ誰もいない。
私は近くの教室から椅子を運んできて、腰掛けた。冷えた手を擦り合わせる。
あの二人はまだ昼食を食べているのだろうか。どこで合流しているのだろう。それとも、それまでは別々に過ごす二人がこの時間だけ、無人の教室に集まるのだろうか。
すっきりとした美しい横顔が脳裏に浮かぶ。学食を食べる彼女を思い浮かべようとしたが、イメージは曖昧模糊として形にならない。
思えば、美術倉庫で命を削るように絵を描く彼女しか私は知らないのだ。私にとって、この時間にこの場所から見る彼女が全てだった。美術倉庫を出た後も、彼女が学校生活を送っているという当たり前の事実が、ひどく奇妙に感じられる。
教師や母親も自分と同じように子供時代があったという事実を、信じられないのと同じように。
がらんとした美術倉庫を見たとき、彼女がこの学校の生徒であることを今更のように思い出した。彼女を包む神聖な光は薄れ、代わりに生々しい欲望が私の背筋を駆けのぼった。
彼女が私と同じ人間なら。私が彼女と直接会うこともできるのではないか。彼女の視界に入って、話をして、彼女に認識してもらうことだって、もしかしたら。
――道子は、誰かにチョコ渡す予定はあるの。
――絶対誰にも言っちゃだめだよ。私、菊乃先輩に渡すつもり。
女の子たちの話し声が不意に蘇った。その声が意味することを、私は噛み締めるように呟いた。
バレンタインチョコ。友人には義理チョコを、本気の相手には本命チョコを。
扉が開く音が響いた。立ち上がり、身を乗り出す。
彼女は一人だった。今日は特によく冷えるからだろう、ブレザーの下に紺のセーターを着込んでいる。鼻の頭を赤くした彼女は、それでも寒そうな素振りは見せず、イーゼルを開き、木枠に画布を貼った。
自分だけのモデルを受け入れる準備を淡々と続ける彼女を、私は窓硝子越しに見つめる。
もしバレンタインチョコを彼女に渡すことができたら。
その瞳に、私の姿は映るだろうか。
茎が喉の中で上下した。無数の棘が皮膚を引っ掻いた。




