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接ぎ木  作者: 塩崎栞
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2 美しい彼女

「みっちゃんは、誰かにチョコ渡す予定はあるの」

「えー、全部友チョコだよ。本命なんて、ないない。そういうよっちゃんはどうなのよ」

「……絶対誰にも言っちゃだめだよ。私、菊乃先輩に渡すつもり」

「きゃー! まじ? 菊乃先輩に?」

「ねえ、声が大きいって!」


 よっちゃん、と呼ばれた女子が何か言う度に、黄色い声が上がる。その声に釣られ、周りにいた子達も話に加わる。


 誰にも言う筈のなかった話は、たちまちクラス全員が知るところとなる。


 三学期が始まって数週間が経っていた。この時期になると、同じことが何度も中身を変えて繰り返される。本命チョコを誰かに渡すことが一種のステータスとなるのは、公立中学でも私立の女子高でも変わらないらしい。女子が二人以上集まれば、必ずその話に行きつく。

「菊乃先輩って、あのテニス部の三年だよね」

「めっちゃ人気な人じゃん、チョコの数もやばいんじゃない」

「だからだよ。一対一だとあげにくいし、なんか重くなっちゃうけどさ。あんだけ人気な人だったら、私のチョコなんて他の大多数に紛れるじゃん。それでいいの。それくらいが丁度いいの」

「えー、信じらんない! それじゃあ、ちゃんと思い伝わらないじゃん!」

 彼女たちが放つ熱は、一人で読書に耽っていた私にまで届いてくる。居心地が悪くなり、黒板の上に掛かっている時計を見た。


 一時を数分過ぎたところ。少し早いけど、あの廊下で待っていよう。


 読みかけの本を机に突っ込み、教室を出た。


 K**女子学園は、山の中腹に建てられた由緒正しいお嬢様学園だ。家からほど近いこの学園に、去年入学した。

 この学校に通っていることを言ったら「頭が良いのね」と言われることが多いけれど、私は数ある入試の中で一番レベルが低いものにぎりぎり受かっただけだから、頭の良さなんてたかが知れている。実際、授業に着いていくので精いっぱいだけれど、潤沢な設備や洒落た制服、日光を多く採り入れた明るい校舎には概ね満足していた。

 私がした選択は間違えていなかったのだ、と思う。この学園に入学しなければ、彼女にも会えていないのだから。


 各クラスが密集するA棟と、特別教室が入ったB棟は、渡り廊下で繋がっている。

 さらにB棟は渡り廊下の先で道が分かれ、中庭をぐるりと四角く囲んでいた。中庭といってもほぼ芝生だ。高い木なんて一本もないから、中庭側の窓から外を見れば、向かいの教室の様子がはっきりと見える。

 授業中は注意を妨げないようにとブランドが下ろしてあるけれど、生徒のいない昼休みになると全て取り払われる。換気の為だろうか、窓も開け放たれていた。


 だからこそ私は彼女に気づいたし、彼女がいる美術室の空気さえも共に吸い込んでいるような気がしたのだ。


 私が彼女を認識したのは、五か月前だった。


 落ち着ける場所を求めてこのB棟にふらりと足を踏み入れたとき、向かいの教室に人がいることに気づいたのだった。

 美術室だ、と一瞬思った。石膏像が至る所に置かれていたし、壁には生徒の作品と思われる絵画が何枚も飾られていたから。

 だがよく見る内に、授業で使われる大教室ではなく、隣接した小さな倉庫だと分かった。


 日光に照らされた埃が舞う教室に、人知れず彼女――正確には、彼女ら――はいた。


 中庭側の窓際、その窓枠の中に綺麗に収まるようにして、彼女が座っていた。机の代わりに、イーゼルを立たせてある。

 短髪が抜群に似合うその横顔に、見覚えはなかった。先輩だろうか。制服も、少し着崩している。

 意志の強そうな顔だった。顔の線がはっきりとしていて、余分な脂肪がない。見ていて気持ちいいほどに、背筋が伸びていた。きっと顎を上げ、キャンバスの向こうを一心不乱に見つめている。


 視線の先には、一人の女子が向かい合うように座っていた。微かに首を傾けているから、風が吹く度に茶髪が柔らかく揺れている。

 こちらには見覚えがあった。学校のホームページに度々載っている。生徒会副会長の春咲さん、だったか。確か二年生だった。絵を描いている女子も、二年なのだろうか。

 二人とも、一言も声を発してはいなかった。お互いが相手を見つめているが、二つの視線が出会うことはない。

 その狭い教室には、儀式でも執り行っているような厳粛さがあった。張り詰めた静寂を、誰がいつ此処にやって来るか知れない危うさが更に増長させている。中庭や食堂で交わされる笑い声が風に乗って微かに聞こえてくる中で、そこだけが時間の流れない深海だった。


 死んでいるのかと錯覚するほど動かないモデル。キャンバスに筆を走らせ続ける絵描き。絵描きの目は、最早キャンバスやモデルを超えて、どことも知れぬ場所に注がれている。


 息ができなかった。視線を釘づけにされる。窓枠に乗せた両手に軽く体重をかけ、私は人知れず行われる儀式に見入った。

 不意に予錫が鳴った。ハッとする。麻痺していた感覚が、正常に動き始めたようだった。A棟に戻りかけるが、どうしても気になってちらりと向かいを見る。


 絵を描いていた少女が、微笑んでいた。


 固く結ばれていた唇が綻び、白い歯が零れる。伸びをするモデルに向かって、何か話しかけていた。唇が渇いているのか、言葉を紡ぐ度に舌で湿らせる。


 その舌に吸い付きたい衝動に駆られた。


 毎日通って彼女を眺める度に、その欲望は膨らんだ。熱い感情が体中を駆け巡り、ついには弾けた。私は妄想の中で彼女の手を取り、唇を押しつけ、頭を撫でて貰った。


 初恋だった。


 じくりじくりと腹の底が疼きだしたのは、同じ時期だ。

 どうやったのか薔薇は私の体に根付き、食道を茎が上った。彼女を想うと茎は揺れ、棘による小さな傷を私に残すのだった。


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