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小さな天災(死傷者1名)、大きなうねり  作者: G-20
冷戦 〜1940年代後半から1950年代〜
16/19

第十六話 分断

 前回始まった冷戦篇、今回は日本を取り巻く外交状況をダイジェストでお送りします。


 尤も幾つか飛ばされた外交事件があるのですが、それは何話か後に扱う予定です。

 日本が降伏文書に調印した日――その瞬間から、この国の時間は静かに、しかし確実に歪み始めていた。

 敗戦は終わりではなかった。それは、より大きな何かの始まりだった。


 帝都・東京。かつて東洋最大の都市と謳われたその地は、いまや瓦礫の海と化していた。焼け落ちた建物の骨組みが黒々と空を突き刺し、焦土の上には、まだ燻り続ける戦争の残滓が横たわっている。

 その中を、異様な秩序が進み始めていた。


 連合国軍――その先頭に立つアメリカ軍の部隊が、淡々と市街地を進駐していく。兵士たちの靴音は規則正しく、感情を一切感じさせない。まるで、すでにこの地が彼らの支配下にあることを疑っていないかのようだった。なお子供たちのおねだり(ギブミーチョコレート)には負ける模様。


 やがて、東京の中心部に設置されたのは、占領統治の中枢――連合国軍総司令部(GHQ)である。

 そこから発せられる命令は、冷酷なほどに合理的だった。

 旧日本政府の官僚たちは、その指令に従うしかなかった。かつて国家を動かしていた彼らは、いまや巨大な歯車の一部として、ただ処理を続ける存在に変わっていた。

「……これが、敗戦か」

 誰かが呟いた言葉は、誰にも拾われることなく消えた。

 帝国は、もう存在しない。

 だが――世界はまだ、戦争を終えてはいなかった。


1948年8月15日 朝鮮半島南端

 その日、朝鮮半島の南端で、新たな国家が誕生した。


 大韓民国。


 壇上に立つ男――李承晩は、聴衆を睥睨するように見渡しながら、ゆっくりと宣言を読み上げた。その声には、長年の亡命生活と政治闘争をくぐり抜けてきた者特有の、執念のような響きがあった。


 彼は反共主義者であり、同時に徹底した反日主義者でもあった。

 アメリカが彼を選んだ理由は単純だった。冷戦の始まりにおいて、最も重要なのは「誰が味方か」であり、「どのような思想を持つか」だったからだ。


 だが、その選択は、半島に安定をもたらすものではなかった。


 むしろ――分断の序章に過ぎなかった。


同年9月9日 朝鮮半島北部

 北では、別の国家が誕生する。


 朝鮮民主主義人民共和国。


 金日成は、ソ連の支援を背景に、その成立を宣言した。赤い旗が掲げられ、群衆は熱狂的にそれを迎える。

 だが、その熱狂の裏にあるのは、冷徹な現実だった。


 半島は、完全に二つに裂かれた。

 そして、その境界線は、単なる国境ではない。

 それは、世界を二分する「冷戦」の最前線そのものだった。


同日――1948年9月9日 東京

 その報は、ほぼ同時に東京へもたらされた。


 だが、それ以上に衝撃的な情報が続いた。

 ソ連が、新たな国家の成立を宣言した――というのだ。

 場所は、南樺太。


 名は――ヤポン人民共和国。


 外務省の一室で、その電文を読み上げた官僚の声は、最後の部分でわずかに震えていた。

「……首都は東京と規定。臨時首都を豊原市に設置……」


 沈黙が落ちた。

 誰も言葉を発しない。


 その内容が意味するところを、全員が理解していたからだ。

 それは単なる傀儡国家ではない。

 「日本そのもの」を名乗る、もう一つの国家だった。


「……分断、ということか」

 低く、押し殺した声が漏れる。

 否定する者はいなかった。

 それは仮説ではなく、すでに進行している現実だった。

 日本は――裂かれようとしている。


1948年9月10日 東京

 翌日、ヤポン人民共和国成立を受けて。アメリカ合衆国を中心とする西側諸国は、日本との講和交渉の開始を正式に発表した。


 理由は明白だった。

 ソ連の影響拡大を、これ以上許すわけにはいかない。

 そのためには、日本を早急に西側陣営へ組み込む必要がある。


 仮設庁舎で開かれた最初の会合。

 そこに漂っていたのは、静かな、しかし張り詰めた緊張だった。


「時間はない。我々は急がなければならない」

 米国代表は率直に言い切る。


 その言葉に、日本側は何も言い返せなかった。

 事実だったからだ。それに講和(独立回復)は日本側にとっても悲願である。


 しかし、問題は山積していた。

 大韓民国は講和会議への正式参加を強く求め、日本に対して非現実的(ヴェルサイユのよう)な賠償を要求する。

 その根拠は、植民地支配の歴史。

 だが、その内容は、日本にとって到底受け入れられるものではなかった。

「……非現実的だ」

 日本代表は低く吐き捨てる。


 一方でアメリカ側は、冷静にその主張を切り捨てた。

 大韓民国臨時政府は、国際的承認を得ていないし軍事作戦も行っていない。従って大韓民国は第二次世界大戦の参戦国たり得ない。

 その事実が、すべてを決定づけていた。


 さらに、中国共産党も動く。

 講和会議を目前に控えた時期、彼らは明確な声明を発表した。


 西側主導の講和は正当性を欠く――と。

 それは単なる批判ではない。

 国際政治における主導権争いの宣言だった。


サンフランシスコ

 やがて、舞台はアメリカ西海岸へと移る。


 サンフランシスコ。


 第一次世界大戦従軍兵記念オペラ・ハウスには、各国代表団が続々と集結していた。

 ロビーでは英語とフランス語が入り混じり、廊下の片隅では小声の密談が繰り返される。

 握手の裏で、駆け引きが進む。

 笑顔の裏で、計算が交差する。

 ここは外交の戦場だった。


 日本代表団もまた、この場に立っていた。

 彼らの使命は明確だ。

 国家としての復帰を、世界に認めさせること。

 だが、その背後には、もう一つの現実が影のようにつきまとっていた。

 北方に存在する、もう一つの「日本」――ヤポン人民共和国。


 それは紙の上の存在ではない。

 軍を持ち、行政を行い、現実に統治を行う国家だった。


 会議の水面下では、この問題が繰り返し議論される。

「日本の主権はどこまでか」

「もう一つの日本をどう扱うのか」

 だが、明確な答えは出ない。

 出せるはずがなかった。


 それは、戦後秩序そのものに関わる問題だったからだ。

 そして、最終的に採られたのは――曖昧な妥協だった。


 講和は、「現に占領されている範囲」に基づいて行う。

 それはつまり、分断を事実上認めるということに他ならない。


1949年10月4日

 会議終盤。

 日本代表、吉田茂内閣総理大臣は壇上に立っていた。

 手にしているのは、日本語で書かれた巻物に認められた原稿。

 彼はそれをゆっくりと読み上げる。

 一語一語、噛み締めるように。

 それは単なる演説ではなかった。

 敗戦国としてではなく、再び国家として立つための宣言だった。


1949年10月5日

 最終日。

 会場には、張り詰めた静寂が満ちていた。


 やがて、条約文書が卓上に置かれる。

 日本代表はペンを取る。

 その動きは、静かで、しかし決定的だった。

 一筆。

 それだけで、歴史が動く。


 「日本国との平和条約」

 後にサンフランシスコ平和条約と呼ばれるこの文書によって、日本は主権を回復する。


 国際社会への復帰。


 それは確かに達成された。

 だが――

 その代償は、あまりにも重かった。

 条約の外側に、もう一つの「日本」が存在する。

 東京を首都と定めながら、北方に存在する別の政府(ヤポン人民共和国)

 この異常な構図は、誰の目にも明らかだった。


 こうして、日本は分断された。

 一つは西側陣営に属する、2000年以上の歴史がある立憲君主制民主主義国家である日本。

 もう一つはソ連が占領地に設立した衛星国ヤポン人民共和国。


 会場に拍手が響く。

 祝福の音。

 再出発を称える音。


 だが、その意味を正確に理解していた者は、多くはなかった。


 この瞬間、世界はすでに次の時代へと移行していた。


 冷たい戦争の時代。


 見えない戦線が、世界中に張り巡らされていく。

 そして、日本もまた、その最前線に立たされることになる。


 二つに裂かれたまま――

 終わりの見えない対立の中へと、歩みを進めていくのだった。

 今回1話で4年経過しました。まあ殆ど戦闘無いですし、ダイジェストという一面もある回でしたからね。

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