第86話 沈黙の行列
北へ向かう道は、静かだった。
森を抜ける。丘を越える。冷たい風が頬を撫でていく。
だが、そこにあるはずの音が、いくつも欠けている。
いつもなら、この道には人の営みがあった。
アルトレアへ向かう馬車の軋む音。村と村を行き交う旅人の話し声。警戒のために巡回する兵の足音。
それらが、今日は一切ない。
鳥の鳴き声も、木々を揺らす風のざわめきも、どこか遠い。
音そのものが、世界から引き剥がされたようだった。
まるで――世界が、息を潜めて待っている。
何かが起こる、その瞬間を。
俺は無意識に、腰の剣へと意識を向けていた。
隣のリヴもネクレアたちも皆、言葉少なだったが、誰もが同じ予感を抱いている。
戦いよりも嫌な予感だ。
◇ ◆ ◇
北のアルトレア村に到着したのは、昼前だった。
門は開かれているが、活気はない。
人の気配が、極端に薄い。
通りには誰の姿もなく、店先の看板も出されたまま動いていない。
生活が、途中で止められたような光景だった。
村の入口に、ひとつの影が立っていた。
「クロム様!」
張りつめた声が、静寂を破る。
リリリだった。
小柄な身体で、必死に手を振りながらこちらへ駆けてくる。
その顔には、明らかな緊張と焦りが浮かんでいた。
「来てくれて、ありがとう……でも、急いで! 北です。すぐ、北へ」
息を整える暇すら惜しむように、そう言う。
状況説明も、挨拶も後回し。
それだけで、事態がただ事ではないと分かった。
「まだ、いるのか」
俺が短く問いかけると、リリリは一瞬だけ唇を噛みしめ、それから頷いた。
「はい。朝から、ずっと……動かないの」
その言葉に、胸の奥が冷える。
動かないアンデッドほど、気味の悪いものはない。
案内されるまま、俺たちは村の中を進んだ。
通りの両脇、家々の窓は閉ざされている。
だが、気配だけはある。
扉の向こうから、こちらを窺う無数の視線。
守られる側の恐怖が、村全体に満ちていた。
やがて、北の門が見えてくる。
門の周囲には、すでに防衛態勢が敷かれていた。
ネクレアたちが前に立ち、この村に来ていた冒険者や村の兵がその後ろに控えている。
誰もが武器を手にし、北の外へと視線を向けていた。
その防衛線の中に、二つの姿があった。
「クロムさん! 来てくれたか。助かる」
先に声を上げたのは、ガレオンだった。
村長となり、いつもの豪胆さは影を潜めているが、戦場に立つ者の覚悟は失われていない。
その隣に、ヴァリアさんが立っていた。
白髪を冷たい風になびかせ、杖を地に突いている。
その足元から、淡く輝く魔力が、地面へと溶け込んでいた。
アストレイが国として認められて以降、ヴァリアさんの結界は北へと集中させられた。
ネクロスの脅威が常に北から訪れる以上、それは必然の選択だった。
そのため、彼女はアストレイを離れ、アルトレア村を拠点としている。
「……間に合いましたか」
ヴァリアさんが、静かに問いかける。
「ああ。状況を教えてくれ」
そう返すと、彼女は無言で、北の外を指し示した。
門の向こう、そこにあったのは――死の行列だった。
人間のアンデッド。魔物のアンデッド。骸骨、屍肉を残した者、異形の姿のまま動く死体。種族も形もばらばらな死者たちが、ずらりと並んでいる。
数は、数える意味を失っていた。
だが、最も異様だったのは、その態度だ。
突撃の構えはない。唸り声はするが、結界に触れようとする者もいない。
ただ、静かに、整然と並んでいる。
まるで、命令を待つ兵のように。
「……おかしい」
ガレオンが、低く呟いた。
「いつもなら、結界があろうが突っ込んでくる。数で押し切ろうとする。だが、今日は違う」
ヴァリアさんが、重く頷く。
「私の結界は強固ですが、絶対ではありません。時間と数をかければ、突破される可能性もある」
それでも、来ない。
この静止、この沈黙。それが何より不気味だった。
俺は、ネクレアたちの方を見る。
リヴも、他の者たちも、皆、言葉を失っていた。
これは、戦場ではない。
だが――戦争の入口だ。
その時だった。
アンデッドの列が、ゆっくりと割れ、中央から、一人の男が歩み出てくる。
一歩。また一歩。
その歩き方が、明らかに違う。死者特有のぎこちなさがない。意思を持ち、目的を持つ者の歩み。
見た目は、人間だった。
整った顔立ち。乱れのない衣服。死臭も、腐臭も感じられない。
だが、確信できた。
あれは、人間ではない。
ネクレアに似ている。魂が、肉体に定着している感覚。生と死の狭間に立つ存在。
男は、結界の手前で立ち止まった。
その視線が、真っ直ぐに俺を射抜く。
「――失礼」
穏やかな声だった。
敵意も、殺気もない。
だが、それが逆に、背筋を冷やす。
男は、胸に手を当て、深く一礼した。
「私はチェイナード」
その名が、北の空気を切り裂く。
「ネクロアより参りました、使者でございます」
意思を持たないはずのアンデッドが、意思を持ち、言葉を話している。
俺は、一歩前に出た。
「……用件を聞こう」
チェイナードは、わずかに微笑んだ。
その笑みは、穏やかなはずなのに、なぜか、ひどく歪んで見えた。
こうして、ネクロスとの最終局面は、言葉から始まった。




