第9話 再生への決断
炉の火が、ぱちりと音を立てて弾けた。
赤い光が室内の影を揺らし、ヴァリアさんの皺を刻んだ顔を柔らかく照らす。
古びた木の壁がわずかに軋む音が、夜の静けさをいっそう際立たせていた。
俺は手の中のコップを見つめていた。
ぬるくなった湯の表面に、揺れる炎が映り込む。
焦げた木の匂いが鼻をくすぐり、思考の奥に沈殿した重さを、ゆっくりと掘り起こしていく。
「……さて、聞かせてもらった村の現状だが」
声が思ったよりも低く響いた。
「正直、このままじゃ先はない」
部屋の空気が、重く沈む。
誰もが分かっていたことだ。だが、それを言葉にする者はいなかった。
農地は痩せ、資金は乏しい。
近隣国の脅威に怯えながらも、ただ生き延びるために日々を費やしてきた。
それだけで精一杯――だが、それでは未来はない。
「この村がヴァルメイアに認知されていないのなら……いっそ、それを逆手に取ろうと思う」
ガレオンが顔を上げた。眉間に深い皺が寄る。
「逆手に、取る?」
「ああ。俺たちはどこの領にも属していない。だからこそ、誰にも縛られずに動ける」
言葉を区切りながら、俺は炉の炎を見つめた。
「村を豊かにするには、領地を広げるしかない」
「領地を……広げる、ですか?」
リヴのか細い声が響いた。
その不安を包み込むように、俺はうなずいた。
「もちろんヴァルメイアの土地を奪うつもりはない。ギルディアも、バルドリアもだ」
俺は北の方角を指さす。
「広げるのは――北。死の国ネクロスの土地だ」
その名を口にした瞬間、空気が凍りついた。
誰もが息を呑む。
ヴァリアさんの目がわずかに見開かれ、ガレオンは喉の奥で唸るような声を漏らした。
「おい……クロムさん。正気か? あそこはアンデッドが徘徊してるんだぞ。生者が踏み入れば、骨一つ残らんと聞く」
「分かってる」
短く答え、俺はコップを置いた。
「だが、あそこは元々、大昔に乗っ取られた国だ。奪われた土地なら、取り戻すことに誰も文句は言わないはずだ」
ヴァリアさんが目を閉じ、杖の先で床を軽く叩く。
「理屈は筋が通ってる。ただ、あの北の樹海を越えられなきゃ話にならない。伐採を始めれば音に惹かれてアンデッドが寄ってくる。誰も手をつけられないのさ」
ガレオンが腕を組み、重く唸った。
「仮に開けたとしても、広げた土地をどう守る? この村の防壁だってもう限界だ。修繕も追いついちゃいない」
「わしの結界も、これ以上広げるのは無理だよ」
ヴァリアさんが苦い声を漏らす。
「魔力が足りん。維持するだけでも精一杯さ」
「クロム様……現状を考えれば、足りないものばかりです。人手も、資材も、武器も……」
リヴがうつむいたまま、指先を握りしめた。
俺は静かに息を吐いた。
「――それでも、やるしかない」
思わず、声が強く響いた。
炎が弾け、壁に映る影が揺れる。
「この村が生き残るには、どこにも頼らず、自分たちの力で立つしかない。奪われた土地を取り戻す。それが、俺たちの第一歩だ」
沈黙。
ヴァリアさんも、ガレオンも、リヴも、目を伏せたまま何も言わない。
だが、その静けさの中で、確かに息づく何かを感じた。
恐れでも諦めでもない。
――まだ消えていない希望の火だ。
「……それに、壁なら、作れるかもしれない」
つぶやくと、リヴが顔を上げた。
「クロム様が、ですか?」
「いや。俺じゃない。この村の誰かだ」
視線を炉の炎に落とす。
「ここには他の国で受け入れられなかった者が多い。厄介者扱いされたスキル、危険とされた力……だが、本当に使えないと決めつけるのは誰だ?」
自分の中に、確かな考えが浮かんでいた。
「だから、リヴ。村の住人の情報をまとめてくれ。名前、スキル、過去に何をしていたのか――全部だ」
「情報……ですか?」
「そうだ。どんな力があるか分からなければ、村の強みも分からない」
リヴは一瞬きょとんとしたあと、穏やかに笑った。
「ええ。分かりました。みんなと話をしてみます」
「頼んだ」
リヴが立ち上がり、扉を開ける。
冷たい夜風が流れ込み、外から淡い光が差し込んだ。
それは闇を裂く月明かりだけではなく、村の家々に灯った小さな灯りの光だった。
彼女の背を見送りながら、ヴァリアさんが杖を軽く突く。
「いい娘だね。あの子が動けば、村はすぐにまとまるよ」
「俺もそう思う」
答えながら、胸の奥が静かに熱を帯びていくのを感じた。
外からは、子どもたちの笑い声がかすかに聞こえる。
ひび割れた壁の向こうにも、確かに『生』がある。
――この村には、まだ息吹がある。
ガレオンが腕を組んで言った。
「伐採を始めるなら、俺も行こう。護衛は必要だろう。他にも連れていく奴を選ぶか?」
「いやリヴの調査を待とう。誰が動けるか、それを見てからだ」
二人はうなずいた。
炉の火がまた弾け、柔らかな明かりが三人の影を壁に映し出す。
それは、まだ小さいが確かな始まりの光だった。
「……クロム殿」
ヴァリアさんの声が、静かに響く。
「さっき、あんたの中に導こうとする意思が見えた。恐れを押しのけて進もうとする心だ。それがある限り、この村は滅びないさ」
俺は何も言わず、微かに笑った。
言葉で返すよりも、行動で示したい。その方が俺には似合っている。
外では風が強まり、焚き火の煙が揺れた。
炉の炎が低く唸る。
その音を聞きながら、俺は拳を握った。
――この村を立て直す。
北を奪い返す。
誰に認められなくても構わない。
俺たちの手で、この場所を未来へ繋ぐ。
燃えるような決意が胸の奥に宿る。
「行こう」
立ち上がり、扉を開けた。
冷たい風が頬を打つ。だが、その中に確かな希望の匂いがあった。
奪われた地を取り戻すために。
今、この村の再生が始まる。
少しずつ――止まっていた歯車が、動き始めていた。
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