第10話 未練が命を呼ぶ時
数日が経った。村を包む空気は、わずかに変わり始めていた。
まだ貧しさも脅威も消えてはいない。だが、どこかに前へ進もうとする気配がある。
風の匂いさえ、ほんの少しだけ温かくなっていた。
それは、リヴが村の住人たちに声をかけ、ひとりひとりの過去と力を聞き出して回ったからだ。
朝から晩まで、彼女は誰よりも動いていた。
傷を抱えた者たちの前で膝を折り、ただ耳を傾け、時に涙し、時に笑った。
その小さな積み重ねが、村全体の呼吸を変えつつある。
彼女の行動を見ているうちに、俺の中でも何かが噛み合っていくのを感じていた。
俺にできなかったことを、リヴは自然にやってのける。
生きている者を繋ぐということ――その力を、彼女は持っている。
そして今、リヴの報告が終わった。
「これが、村の住人全員の情報です」
分厚い羊皮紙の束を机に置く。紙面にはびっしりと文字が並び、誰ひとり取りこぼされていない。
リヴの努力が、その重さに宿っていた。
「ありがとう。……随分、苦労しただろう」
「いえ。みんな、話すことで少し元気になったみたいです。自分を知ってもらえたって、嬉しそうで」
「そうか」
彼女の笑みは、朝日みたいに柔らかかった。
その光を見ながら、俺は報告書に目を通す。
だが、ある二つの名前で指が止まる。
「……ドルビと、ミーノか」
声に出すと、リヴが小さく頷いた。
「はい。この前の襲撃で、クロム様が蘇らせた二人です」
「二人のことは、俺から直接聞こう」
――彼らが何を想い、どこへ向かおうとしているのか。
それを確かめることが、今の俺にとって必要だった。
◇ ◆ ◇
ガレオンが家の扉を開けた。
「連れてきたぜ、クロムさん。例の二人だ」
彼の後ろに立つのは、屈強な男と、控えめな女性。
男は肩幅が広く、手は分厚く硬い。だがその瞳の奥にあるのは、静かな哀しみと、何かを作りたいという渇望だった。
女性は淡い茶髪を肩で結び、微笑を浮かべている。けれどその笑みは、どこか痛みを含んでいる。
「俺はドルビ。……ギルディア出身だ」
低く、落ち着いた声。
ひとつひとつの言葉に重さがある。
「建築家をしてた。街の商会の建設を任されてたんだが……完成間際にアンデッドに襲われた」
彼は拳を握った。節だらけの手のひらには、釘跡や古い傷が残っている。
命を賭けて築いたものが、一瞬で崩れた男の手だ。
「崩落に巻き込まれて……気づいた時にはクロムさんに蘇らされてた」
淡々としているようで、声の奥に震えがあった。
思い出を噛みしめるように、彼は続けた。
「スキルは【木材加工】。木を生かすのが俺の仕事だ。図面を引けば普通の職人の倍は早く仕上げてた。……それでも、あの時は間に合わなかった」
笑みが浮かんだ。
だがそれは苦く、どこか祈りのようだった。
「今度こそ、最後まで建ててやらなきゃな」
その言葉に、息が詰まる。
彼の中でまだ燃え残っている意志――未完成の建物と共に止まった時間が、今また動き出そうとしている。
俺はうなずき、女性の方へ目を向けた。
「ミーノと言ったな」
「はい。……ヴァルメイアで農家をしていました」
かすかに震えながらも、温かい声だった。
「干ばつの年にアンデッドが襲ってきて……畑は荒らされ、食べ物もなくなって。気づいた時にはもう……」
言葉が途切れ、彼女は胸元に手を当てる。
その指が、過去の痛みに触れるように震えていた。
「でも、もう一度、みんなにお腹いっぱいを届けたいんです。……今度こそ」
リヴが小さく息をのんだ。
その真っ直ぐな想いが、胸に刺さる。
「スキルは?」
「【緑の手】です。作物の成長を促す力。でも、もう長いこと使っていません。あの時以来、ずっと――」
沈黙が落ちる。
外から、風が木々を撫でる音がした。
俺はその音を聞きながら、心の奥で何かが芽吹くのを感じていた。
未完成の家。枯れた畑。やり残した日々。
そのすべてが、彼らの中でまだ生きている。
――あの日、他の死者たちはすぐに崩れ落ちた。
魂が留まらず、灰になって散った。
だがこの二人は違う。
まるで何かに縋るように、確かな意志を持って戻ってきた。
「……クロム様?」
リヴの声で我に返る。
握った拳に、血がにじむほど力がこもっていた。
「分かったかもしれない」
口から出た言葉が、自分でも驚くほど確信に満ちていた。
「俺のネクロマンシーは、ただ死者を呼び戻す力じゃない」
視線が集まる。
リヴも、ガレオンも、二人の蘇りし者も、息を止めて俺を見ていた。
「この力は――未練を抱いた者を現世に繋ぎとめる力だ」
静寂が満ちた。
風が止まり、焚き火の音だけが響く。
「あの日、他の者は留まれなかった。もうこの世にいる理由がなかったからだ。……だがこの二人は違う」
俺はドルビとミーノを見る。
「建てたい家と、育てたい畑。その想いが、魂をこの世界に繋ぎとめている」
ドルビは目を見開き、やがて苦笑した。
「……未練、か。あんたの口から聞くと、悪くない響きだな」
「私も……そうかもしれません。だって、まだ終わってないんです」
ミーノが胸に手を当てる。瞳が潤み、しかし光を宿していた。
「この村の皆さんをおなかいっぱいにできたら――その時こそ、やっとみんなのもとへ行ける気がします」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
死を越えてもなお続く想い。
それが、俺の力を通して、再び命となる。
「ありがとう、二人とも」
俺は静かに頭を下げた。
「二人が、俺の力の意味を教えてくれた」
ドルビはうなずき、口角を上げる。
「なら、次は俺たちの番だ。まず村の防壁だな。それに建てたいものはまだまだある」
「私も畑を見てきます。……土が生きていれば、きっと芽は出ます」
リヴが微笑んだ。
「クロム様。お二人の力を借りれば、村の再建が始められます」
「ああ。北の樹海を切り拓くに、まずは生きる力を取り戻そう」
ガレオンが腕を組み、にやりと笑う。
「ふん、俺たち死者が生を取り戻すか。面白いじゃないか」
小さな笑い声が生まれ、家の中に広がっていく。
外では、風が芽吹きを運んでいた。
未練の灯が、確かにこの村で灯っている。
空を仰ぐ。
雲間から差す陽光が、村の中心を照らしていた。
――この光の中で、もう一度未来を紡ごう。
ドルビの家が完成する日。ミーノの畑に緑が戻る日。
それがきっと、この村の再生の始まりになる。
そして俺は、もう恐れない。
死を扱う力であっても、命のために使えるのなら――それが、俺の生きる意味だ。
風が吹いた。
新しい一日が始まる気配の中で、俺は拳を握る。
――消えぬ想いこそが、魂を呼び戻す。
それは、命を求める者たちの祈りであり、俺の歩む理由だった。




