第8話 導きの朝
朝の光が、古びた窓の隙間から差し込んでいた。
木の壁に映る光の筋がゆらぎ、夜の名残を押しのけていく。
炉の残り火がまだわずかに赤く、灰の底で小さく呼吸していた。
遠くで鳥の声が聞こえた。
昨日まであれほど荒れていた村にも、ようやく静けさが戻ってきたらしい。
風が吹くたび、壊れかけた屋根の隙間から木片がきしむ音がした。
――村長。
その言葉を思い出すたび、胸の奥がざらついた。
俺が……この村の長、か。
まだ実感がない。だが、あの時、皆の前で誓った。
なら、逃げるわけにはいかない。
「クロム様。おはようございます」
扉の外から声がした。
朝の光よりも柔らかく、どこか凛とした響き。
リヴが入ってきた。薄青の外套を羽織り、長い髪を後ろで束ねている。
光を受けてその髪が淡くきらめき、まるで夜明けをそのまま形にしたようだった。
「ああ……おはよう、リヴ。もう起きてたのか」
「ええ。一晩中、村の外を警戒していました。夜の間も何人かが見回りを続けてくれています。皆、昨日より顔が明るいですよ」
彼女の言葉に、少しだけ息が軽くなる。
あの戦いのあと、もう立ち上がれないと思っていた人々が、今は自ら手を動かしている。
瓦礫を片付け、家を直し、互いに声を掛け合っている。
その姿を思い浮かべるだけで、胸の奥が温かくなった。
「……俺、本当に村長になったんだな」
「はい。昨日、みなさんの前で誓いました。あれが、クロム様の始まりです」
リヴは静かに笑った。
その微笑みは、信頼というより祈りに近かった。
俺の決意を、信じようとしてくれている。
そのまっすぐな瞳を見ていると、弱さを見せることが許されない気がした。
「まずは、この村の現状を知らないとな。何も分からないままじゃ、何も始められない」
「その件でしたら、ガレオン様に相談するのがよろしいかと」
「そうだな。行こう」
扉を開けると、冷たい朝の空気が頬を撫でた。
かすかな土と煙の匂い。生きるために燃やした木の匂いが残っている。
壊れた柵、焦げた地面、倒れた家屋。
それでも、村人たちは笑っていた。
互いに声を掛け合い、泥にまみれた顔で笑っていた。
生きている。
その当たり前が、こんなにも尊いものだとは。
ガレオンの家の前に着くと、彼はすでに外で作業をしていた。
「おお、クロムさん。もう起きたのか」
「昨夜は休めたか?」
「まあな。まだ体が少し重いが、久々に両手を使えて助かってる」
彼は笑いながら肩をすくめた。
その笑顔が、朝日よりも頼もしく見えた。
「村の現状を知りたいんだ。どんな人がいて、どんな暮らしをしてるのか」
「それなら――」
ガレオンは少し考え込み、頷いた。
「ヴァリア婆さんのところへ行こう。この村に一番長く住んでいる人だ。結界スキルで、ずっと村を守ってきた。あの人なしにこの村は成り立たなかった」
「結界持ちの人……なるほど、心強いな」
リヴが小さく頷く。
そして三人で丘の上の家を目指した。
そこは他の家よりも少し古びていたが、扉の前には不思議な紋章が刻まれていた。淡い光を帯び、微かに空気が震えている。
結界の気配。この村を守る見えない壁。その中心が、ここなのだろう。
「入っておいで」
扉を叩く前に、内側から声がした。
年老いてはいるが、しっかりと通る声だった。
中に入ると、薬草と焚き木の香りが混ざった空気が広がった。
炉の前に座っていたのは、白髪の老婆。背筋はまっすぐで、瞳には深い紫の光が宿っていた。
「初めまして、ヴァリアと申します。あんたが……新しい村長さんだね」
老婆は穏やかに微笑んだ。
その眼差しには、試すような鋭さと、受け入れるような温かさが同居していた。
「クロムです。突然押しかける形になってすまない」
「礼などいらないさ。むしろ、礼を言うのはこっちだ。あんたがこの村を救ってくれた。あの夜、もう終わりだと思っていたんだよ」
ヴァリアさんの言葉に、胸が少し詰まった。
本当に救えたのかどうか、まだ分からない。
けれど、こうして感謝されることに、ほんの少しだけ報われた気がした。
「村の現状を知りたいんだ。何から始めればいいか分からなくて」
「ふむ、そうだね……ガレオン、あんたも座りな」
炉の前に腰を下ろし、ヴァリアさんが語り始めた。
「今、この村にいるのは、大人も子供も合わせて五十人ほどだよ。もともとは百を超えてたが、魔物や病、戦で少しずつ減ってね。戦える者もわずか。あんたらが来なければ、もう持たなかっただろうね」
五十。
その数の軽さに、思わず息をのむ。
この規模で、よくここまで生き延びてきたものだ。
「この村は、どこの領地に属してるんだ?」
「属していない。ヴァルメイアの土地ではあるが、隣のヴァルデン領には存在すら知られておらんよ」
ヴァリアさんはゆっくりと首を振る。
「あそこの領主はネクロスの対応で手一杯でね。ここは放置された土地さ。税も援助もない。その代わり、干渉もない」
リヴが静かに眉をひそめた。
「つまり、完全に孤立しているということですか……」
「そうさ。だけどね、他国からは見られている。商業国ギルディアのマルキオン領からは月に一度、商人が来る。彼らがこの村の命綱さ」
ガレオンの言葉に、思わず息を呑んだ。
「交易か」
思わず口をついて出た言葉に、自分でもわずかな希望を感じていた。
「食料も薬も、足りないものは全部そこで手に入れる。その代わり、支払うのは金じゃない。魔物の魔石、魔獣の素材、あるいは盗賊から奪った武具……命懸けの品ばかりだよ」
思わず呟いた。
生き延びるために、死と隣り合わせの生活。
戦いと略奪の境界で、この村の人たちは生きてきたのだ。
ガレオンが低い声で続けた。
「そしてもう一つ、武闘国バルドリアのカザル領だ。あいつらは力で全てを決める国だ。何度もこの村を襲ってきた」
その声には、怒りというより、深い疲労が滲んでいた。
「ヴァリア婆さんの結界と、俺の腕だけでどうにか防いできたが、もう限界だった。だからこそ、あなたの力が必要なんだ、クロムさん」
沈黙が落ちた。炉の火がぱちりと弾け、その音だけが響く。
この村は、誰にも守られず、それでも生きてきた。
その灯が、今にも消えかけている。
俺はゆっくりと拳を握りしめた。
心の底から、湧き上がるものがあった。
「分かった。状況は掴めた。……けど、これからは違う」
自分でも驚くほど、言葉は自然に出ていた。
迷いはなかった。
「俺が、この村を立て直す。誰もが恐れず、明日を語れる場所にしてみせる。生者も、死者も、みんなが共に生きられる場所にする」
ヴァリアさんの瞳が静かに揺れた。
長く絶えていた希望が、そこに灯るのが見えた気がした。
「……ようやく、この村を導く者が来たようだね」
ガレオンが拳を胸に当て、笑う。
リヴは隣でそっと俺を見上げていた。
「クロム様、次に何を?」
「まずは、土だ。農業を立て直す。飢えをなくさなければ、何も始まらない」
三人が頷く。
その瞬間、炉の火が再び大きく燃え上がった。
光が室内を照らし、俺たちの顔を赤く染める。
――生と死の狭間で生きるこの村。
その再生の第一歩を、俺たちは今、確かに踏み出した。
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