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領主の長男ですが、禁忌のスキルネクロマンシーを授かって処刑されかけました。蘇らせた愛するメイドや仲間達と共に、滅びかけの辺境の村から国を興す。  作者: ドラドラ
第十章 想いを遂げた者たち

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第76話 眠らない者の居場所

 サリアをアストレイに正式に迎えてから、数日が経った。


 大きな出来事があったわけではない。

 国政が急変したわけでも、外交に新たな波が立ったわけでもない。

 書類は滞りなく流れ、会議は予定通り進み、各国からの反応も想定の範囲内だった。


 それでも――館の空気は、明らかに変わっていた。


 理由は、はっきりしている。


 リヴだ。


 露骨に不機嫌になっていた。


 ただし、それは声を荒げるような不機嫌さではない。

 口数が減ったわけではない。仕事を怠っているわけでもない。

 誰かに当たり散らすわけでも、態度に棘を混ぜるわけでもなかった。


 むしろ、逆だ。


 彼女は、いつも以上に完璧だった。


 夜が終わるころには、すでに彼女は動いている。

 眠りを必要としないネクレアであるリヴにとって、夜明けは休息の終わりではなく、ただ時間が移ろう合図に過ぎない。


 執務では俺の一歩先を読み、必要な書類は揃い、判断材料も過不足なく提示される。

 使用人への指示も丁寧で、問題が起きる前に芽を摘んでいた。


 笑顔もある。声色も柔らかい。態度だけを見れば、何一つ問題はない。


 それなのに、その場に残るのは、張りつめた糸のような感覚だった。

 触れれば切れる。

 だが、誰も触れられない。


 朝の食事。執務室での補佐。廊下ですれ違うときの挨拶。


 どれも、これまでと同じはずなのに、どこか噛み合っていない。

 ほんのわずかなズレが、積み重なって、違和感になる。


 周りの人たちも気づいているのが分かった。

 言葉にはしないが、視線が慎重になり、会話の端々に探るような間が生まれている。

 館の中に、見えない棘が散らばっているような感覚。


 サリアが、それに気づいていないはずがなかった。

 だが、彼女は何も言わなかった。

 必要以上に踏み込まず、穏やかに振る舞っている。


 そして俺も――気づかないふりを、していた。


 ◇   ◆   ◇


 決定的だったのは、あまりにも些細な出来事だ。


 昼過ぎ、執務室で書類を確認していたときのことだった。


「クロム様、次はこちらを」


 リヴが差し出してきたのは、国庫管理の月次報告。

 内容に問題はない。数字も整合している。


「ありがとう。後で目を通す」


 そう言った、その瞬間だった。


 リヴの指が、ほんの一瞬だけ、強く書類を握った。


 紙が、かすかに軋む音を立てる。意識しなければ聞き逃すほどの、小さな音。


 すぐに力は抜かれ、彼女はいつもの微笑みを浮かべた。


 だが、その一瞬を、俺は見逃さなかった。


「……リヴ」


 呼び止めると、彼女は振り返る。


「はい?」


 穏やかな声。けれど、目の奥が、どこか遠い。


 壁を一枚挟んだ向こう側を見ているような、そんな視線だった。


「少し、話がしたい」


 一拍の間。リヴはわずかに目を瞬かせ、それから小さく頷く。


「……分かりました」


 ◇   ◆   ◇


 場所は、中庭を選んだ。


 人目が少なく、風の通る場所。

 生と死の狭間にあるネクレアである彼女にとって、比較的落ち着ける空間だ。


 向かい合って立つと、距離が妙に遠く感じられた。

 数歩しか離れていないのに、声が届きにくい。


「最近、様子がおかしい」


 単刀直入に切り出す。


「何か、あったのか?」


 リヴは、すぐには答えなかった。

 視線を落とし、風に揺れる草花を見つめる。


「……いいえ」


 短い否定。


「国も館も、何も問題はありません。仕事も、いつも通りです」


 それが事実であることは、俺が一番よく知っている。


 だが、それがすべてではないことも、分かっている。


「それなら――」


 俺は、一歩踏み込んだ。


「俺に対して、何か思うことはないのか」


 その瞬間、リヴの肩が、ほんのわずかに揺れた。


 沈黙が、長く伸びる。風の音だけが、中庭を満たす。


 やがて、彼女はぽつりと口を開いた。


「……クロム様は、優しすぎます」


 予想外の言葉だった。


「向き合う必要のないことまで、向き合おうとする。見なくてもいい痛みに、手を伸ばしてしまう」


「それの、何が悪い」


 即座に返すと、リヴは困ったように笑った。


「悪くは、ありません。ただ……」


 一度、言葉を切る。


「その優しさが、人を傷つけることもあるんです」


 胸の奥が、ひやりと冷えた。


「……俺が、誰かを傷つけたと?」


 問いかける声が、思った以上に低くなった。

 リヴは、ゆっくりと頷く。


「はい」


 迷いのない肯定。


「――私です」


 言葉を失った俺を前に、リヴは続ける。


「サリア『様』を迎えたことが、間違いだとは思っていません。国として、王として、正しい選択です」


 感情を削ぎ落としたような声音。


「むしろ……当然です」


 その一言が、胸に深く突き刺さる。


「私は、ネクレアです。死者であり、生者ではありません。そして……子を成すことも、できない」


 彼女は、その事実を、何度も自分に言い聞かせてきたのだろう。

 言葉に、感情の揺れがほとんどなかった。


「国の未来を考えるなら、王であるクロム様の隣に立つべきなのは、命を繋げるサリア様です」


 風が強く吹き、リヴの髪が揺れる。


「私は……最初から、その資格がなかった。ネクレアになる前も、なった後も」


 胸が、締めつけられる。


 俺は理解しているつもりだった。


 リヴがネクレアになってしまったことも、子を成せないことも。


 それでも、共に夜を過ごし、温度を確かめ、想いを重ねてきた。


 それらが、すべて無意味だったなどと、思ったことはない。


 だが――


「クロム様は、悪くありません」


 リヴは、はっきりと言った。


「私が、勝手に期待して、勝手に未来を思い描いて、勝手に……傷ついただけです」


 その言葉は、自己否定そのものだった。


「だから、私は――」


 一瞬、言葉に詰まる


「身を引こうと思っています」


 その瞬間、思考が止まった。


「国のために、サリア様のために、そして……クロム様のために」


 一つ一つの言葉が、刃のように胸へ落ちてくる。


 その瞬間、ようやく理解した。


 リヴは、怒っていたわけじゃない。嫉妬していたわけでも、責めていたわけでもない。


 ただ、自分を削り、消そうとしていただけだ。


「……ふざけるな」


 気づけば、そう口にしていた。

 声が、震えていた。


 俺は、気づいていなかった。

 サリアを迎え入れるという選択が、どれほどリヴを追い詰めていたのか。


 善意だと思っていた。

 正しい判断だと信じていた。


 その裏で、最も近くにいた存在を、知らないうちに傷つけていた。


 リヴは、顔を上げない。


「……それでも、私はネクレアです」


 その一言が、すべてだった。


 俺は、愕然とする。


 共に歩いていると思っていた。


 中庭に、沈黙が落ちる。


 答えは、まだ出ない。


 だが、一つだけ、はっきりしたことがある。


 俺は、リヴを傷つけた。


 知らずに、無自覚に、善意という名の刃で。


 その事実だけが、重く、胸に残っていた。

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