第74話 眠らぬ者たちのギルド
内政が、ようやく一段落した。
そう胸を張って言える日が来るとは、正直なところ想像していなかった。
教会との戦いが終わり、独立国として歩み始めてからというもの、俺たちはひたすら内側を組み上げることに追われてきた。
制度は白紙に近く、流通は手探りで、人々の不安は形を持たないままそこにあった。
壊れたものを直すのではない。
何もない場所に、国としての骨組みを一本ずつ立てていく作業だった。
国として形を整えるだけで精一杯で、ネクレアたちと共に歩むこの国を、先まで続くものとして考える余裕など、なかったのが実情だ。
やるべきことは常に山積みだった。
優先順位をつけるたび、必ず後回しにしてきた案件がある。
――ギルドの設立。
冒険者や商人の受け皿となり、仕事と人と金を循環させる中核。
国を国として機能させるなら、避けては通れない存在だ。
必要だと分かっていた。
分かっていたからこそ、状況が落ち着くまで、あえて手をつけなかった。
今は違う。
「……今なら、できるな」
執務室の窓から街を見下ろし、自然とそう呟いていた。
人の流れは戻り、生者と死者が同じ道を行き交っている。
ぎこちなさは残っているが、そこには確かな生活の気配があった。
この国は、もう止まらない。
ならば次は、その流れを整える番だ。
◇ ◆ ◇
商業国ギルディアとの交渉は、予想以上にスムーズに行われた。
金と契約と信用を何より重んじる国。
理念や感情は交渉材料にならず、判断基準は常に明確だ。
だからこそ、話は早い。
「お待ちしておりましたよ、クロム様。ようやくギルドを設立する準備が整ったようですね」
応接室で、ラセル・マルキオンは指を組み、静かに確認してきた。
商人でもあり領主でもある顔を隠さず、しかし一切の無駄を感じさせない態度。
「ああ。ヴィゼル王が提案してくれた、ギルド連盟への加入を進めたい」
「承知しました。では、すぐに手配を」
即答だった。
「ギルディアとしても大歓迎です。アストレイは特殊ですが……だからこそ、流通拠点としての価値は高い」
動く手と、運ぶ力があるなら、それは資源だ。
彼の言葉には、商人であり領主でもある者の実感がにじんでいた。
「正式に、アストレイをギルディアのギルド連盟へ加盟させましょう」
その一言が落ちた瞬間、胸の奥で何かが静かに定まった。
国として、一段階、前へ進んだ感覚だった。
◇ ◆ ◇
「紹介しましょう」
交渉が一段落した後、ラセルはそう言って、控えていた人物を前に出した。
三十代半ばほどの男。派手さはなく、服装も地味だが清潔感がある。
目立たないのに、不思議と安心感を覚える佇まいだった。
「サポルと申しますギルドの設営と運営補助を専門にしています」
軽く頭を下げるその動作に、無駄がない。
「これまで多くの地方ギルドの立ち上げに関わりました。制度設計、受付動線、報酬体系、冒険者規約……一通りは」
淡々とした説明だったが、逆に信用できた。
「……頼りにしていいのかな」
「はい。よろしくお願いします」
迷いのない即答。
誇張も謙遜もなく、自分の役割を正確に把握している人間の返事だった。
ラセルが、わずかに口元を緩める。
「彼なら問題ありません。私が保証します」
ラセルの保証ほど、重い言葉はない。
「よろしく頼む、サポルさん」
「こちらこそ。国王様」
その呼び方にまだ慣れない違和感を覚えつつ、俺は頷いた。
◇ ◆ ◇
ギルド設立の準備は、想像以上に地味で細かかった。
建物の場所。受付の数。依頼掲示板の配置。緊急時の対応規定。
サポルは一つ一つ確認し、決して独断で進めない。
「ここは、国としてどうお考えですか」
「冒険者に裁量を与えすぎると、後々トラブルになります」
「この条文は、必ず揉めます。最初から明確に」
その指摘はすべて的確だった。
この男は前に立つ人間ではないが、前に立つ人間を確実に支える。
――ギルドは、こういう人間がいなければ回らない。
◇ ◆ ◇
やがて、役職の話になった。
ギルドマスターにサブマスター。
名ばかりでは済まない。
預かるのは、冒険者の命と仕事だけではない。
物資を運ぶ商人の行き先も、契約の信頼も、街の営みの流れも――そのすべてが、ここを通る。
剣を振る者と、金を動かす者。
立場も目的も違う者たちを束ね、危険と利益の間に立つ役目だ。
軽い覚悟で引き受けられるものではなかった。
「ギルドマスターはハードン、サブマスターはフリシアに任せる」
異論は出なかった。
「……やっぱり俺か?」
ハードンが嫌そうに眉をひそめる。
「文句はあるだろうな」
「当たり前だ。書類仕事だの調整だの、俺の柄じゃねえ」
そう言いながらも、席を立とうとはしない。
「現場目線でギルドをまとめてほしい。事務はサポートを付ける」
「ちっ……責任は全部俺ってわけか」
鼻を鳴らしながらも、どこか楽しそうだった。
「まぁ、アストレイでやるなら……悪くねえな」
次に、フリシアを見る。
「フリシアには、サブマスターを任せたい」
「で、でも……ハーフエルフの私で、いいんですか……」
不安が、そのまま声に出ていた。
「この国では、人種なんてもう関係ない」
「……怖いです。でも」
拳を握りしめ、フリシアは顔を上げる。
「クロムさんのためなら……やってみます」
胸の奥が、少し熱くなった。
「ありがとう」
俺が頭を下げると、彼女は慌てて首を振った。
◇ ◆ ◇
運営体制の確認に移ったところで、俺は一つ気づく。
「……夜は営業しないんだな」
「……? はい、ギルドではこれが一般的です」
サポルは頷いた。
「通常のギルドでは、そうなります。運営を考えれば妥当です」
その言葉を聞いて、ラセルが顎に手を当てる。
「確かに、どこも似たようなものですね。夜は動きが鈍るものです。商人も冒険者も」
そこで、俺は言った。
「――でもアストレイは、違う」
二人の視線が集まる。
「ネクレアたちは、眠らない」
その言葉に、サポルが一瞬、思考を止めた。
「睡眠……不要、でしたね」
「ああ。めったな事じゃ疲労もしない。集中力も落ちない」
脳裏に浮かぶのは、書類を正確に処理し続けるネクレアの姿だ。
夜が更けても、朝になっても、変わらない眼差し。
「つまり」
ラセルが、ゆっくりと笑う。
「二十四時間、ギルドが機能する……という事ですね」
「そういうことだ」
俺は頷いた。
「依頼の受付、緊急連絡、護衛要請、物資の搬入。夜だろうと関係ない」
サポルの目が、わずかに見開かれる。
「……それは、かなりの強みですね」
淡々とした声だったが、その奥に確かな評価があった。
「夜間対応は、どのギルドでも課題です。人を増やせばコストがかかり、質は下がる」
「アストレイでは、その問題が存在しない」
ラセルが静かに続ける。
「商人にとっては喉から手が出るほど魅力的ですね。到着が深夜でも、即座に手続きができる」
「冒険者も同じだ。夜明けを待たずに、依頼を受けられる。怪我人の報告も、討伐証明の確認も、その場で」
俺の言葉に沈黙が落ちる。
それは、否定ではなく、価値を計る時間だった。
「……採用しましょう」
サポルが、はっきりと言った。
「ネクレアたちを、夜間常駐の運営補助として正式に組み込みます」
「問題はあるか?」
「いえ。むしろ、強く打ち出せる特徴です」
ラセルが小さく肩をすくめる。
「ギルド連盟に報告すれば、間違いなく話題になるでしょう。異色だが、理にかなっています」
俺は、胸の奥で静かに息を吐いた。
ネクレアたちが、戦うだけの存在ではない。
この国を支え、回し、未来を形にする存在だという証明。
「決まりだな」
そう言うと、サポルは新しい書類を差し出した。
「二十四時間対応ギルド。――この国ならではの形として」
紙に視線を落としながら、俺は思う。
ここは、生者だけの国じゃない。
だからこそ、できることがある。
眠らぬ者たちと共に歩む国の強みを、俺は、ようやく形にできた気がしていた。
◇ ◆ ◇
こうして、ギルドは動き出した。
名前を持ち、役割を持ち、人が集まる場所として。
国を支える、新しい柱として。
戦うだけでは、国は続かない。
守るだけでも、足りない。
働く場所があり、帰る場所があり、信じる制度がある。
それが、ようやく形になり始めた。
このギルドは、この国が前へ進むための、確かな一歩だ。




