第陸話 愛が創りし王国
アルドレイン様を蘇らせたあの日から、世界は静かに、ゆっくりと、私の求めた形へと姿を変えていった。
生者たちの叫びも、陰謀を巡らせた貴族たちのざわめきも、すべては死者の軍勢によって沈められた。
アルドレイン様を殺した罪を隠そうとした者たち。王位継承の混乱に乗じて争いを煽った者たち。そして、あの悲劇の引き金となった第一王子も、それを見過ごした王も。彼らは皆、死者たちの足音の中へ消えていった。
私は淡々と死者の処理を行った。
膝をつき、血の温度を失っていく身体に手を当てる。
その胸に、ひとときだけ愛情の気配を落とし込む。
真実の愛ではない。
私が彼らに与えるのは、ただ私のスキルを安定させるための、薄く冷たい、かりそめの愛。
「……起きなさい。まだ役目が残っているでしょう?」
囁くと、死体のまぶたが震え、焦点の合わない瞳がゆっくりと開く。欠けた魂を繋ぎ止めるための、最低限の情。それでも彼らは、私の声に従う。
「はぃ……メ……さ……」
生前に抱いていた恐怖も、罪悪感も誇りも、すべて削ぎ落とされた抜け殻。
言葉を発しても息の温度がなく、歩いても気配は軽い。
ただ、私が向けた一瞬の愛だけを頼りに動く傀儡。
その繰り返しだった。彼らは私の手によって呼び戻され、哀れにも死者の軍団へと組み込まれていく。愛とは名ばかりのスキルでつなぎとめられ、私の王国の礎として並べられていく。
やがて、王城周辺から生者がいなくなると──静寂だけが残った。
長い廊下を歩くと、石壁に靴音が吸い込まれていく。
生者の喧騒はもうない。死者たちの足音は軽く、無駄な呼吸も震えも怯えもない。
ただ、私の背に従い、私の愛だけを映す静かな影のようだった。
その静寂の中心に──彼がいる。
「……メルクア、まだ休んでいないのか」
死の静けさを纏いながらも、私を優しく呼ぶ声は、生きていたころと変わらない温もりを持っていた。
振り向くと、アルドレイン様が穏やかな眼差しで私を見ていた。
「大丈夫です、アルドレイン様。皆は休まなくていいんです。だからこそ、私が頑張らないといけませんよね」
「そうだな。もう、この城には眠りにつく者はいない。眠る必要があるのは……君だ、メルクア。だから……少しは休んでくれ。君が倒れたら、私はどうすればいい」
静かな笑みを浮かべる殿下の姿に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
彼は少し体温が低く、生前より鼓動も弱い。
けれど、その瞳は変わらなかった。
私を救い、私を愛してくれた彼そのものだった。
私はそっと彼の胸に手を置いた。
「……これでよかったのでしょうか」
胸の奥から、不安が滲み出る。
私は彼のために死者を操り、彼のために国を死の王国へと変えた。
それは本当に、彼が望んだ未来なのか。
アルドレイン様はしばし沈黙し、私の頬に手を添えた。
その手は冷たいはずなのに、不思議と温もりを感じた。
「メルクアが望んだ道なら、私は共に歩く。君と離れるくらいなら…、たとえ死者としてでも、そばにいたい」
胸が震えた。
あの日、彼を失った瞬間に開いた巨大な空洞が、再び満ちていく。
私は彼の胸に顔を寄せ、静かに囁いた。
「ありがとうございます……私、またひとりになるのが、怖かったのです」
彼の指が私の髪をそっとすくい、優しく撫でた。
「もう二度と、ひとりにはしない」
それだけで、胸の痛みが溶けていくのを感じた。
◇ ◆ ◇
愛と狂気は、どこまでも寄り添い合い、私の中で混ざり合っていた。
反乱を企てた貴族たちの屋敷は一夜で沈黙し、かつて賑わっていた街路も静けさだけを残した。
だが沈黙は城下町だけに留まらなかった。
死者の軍団は、かりそめの愛に歪められた忠誠を、国中へと広げていった。
彼らは生きている者の気配を探り当て、声を上げる暇さえ与えずに仕留める。引きずられる生者の指先が石畳を叩き、かすれた助けを求める声が夜風に飲まれる。そのすべてが、私のもとへ運ばれてきた。
私は冷たい身体を抱き寄せる。
「大丈夫、もう怖くない……私が、あなたを愛してあげる」
傍で囁き、歪んだ愛を流し込む。肉体が震え、瞳の色が抜け落ち、魂の残滓すら曖昧な影となる頃、新たな死者が静かに目を開け、私の足元に跪いた。
その繰り返しが、国の隅々まで満ちていった。生者たちの息遣いが一つ、また一つと消えていくのを、私は遠くから眺めていた。
隣には、いつもアルドレイン様がいた。白い指先を絡めると、彼は何も言わず微笑んでくれる。
その静けさこそが、世界のすべてになっていった。
「メルクアは……怖くないのか?」
彼が死者たちの動きを見つめる私に問いかけた。私は微笑み、首を振る。
「怖くなんてありません。私は真実の愛を手に入れました。失う恐怖より……ずっと大きなものを」
「……そうか」
殿下の声は低く、深く、穏やかだった。
夕陽に照らされ、死者たちだけが行進する大通りは、奇妙なほど美しかった。
生者のざわめきは消え、代わりに規則正しい足音が石畳を叩く。
誰も泣かず、誰も叫ばず、誰も後悔しない。生者はもういない。
それでも私は寂しくなかった。
私には、アルドレイン様がいる。
私を愛し、私に愛された人。
そして今は、私の愛で蘇った存在。
それだけでよかった。
◇ ◆ ◇
夜が訪れ、王城の最上階から国を見下ろすと、死者の軍勢が整然と広がっていた。
沈黙が広がり、月の光が死者たちを照らし、どこか神聖な光景すら生み出していた。
静寂の世界──それは私が望み、私だからこそ作り上げられた国。
アルドレイン様が隣で問う。
「メルクア……この国は、もう君のものだ。君が創った国だ。だから、この国を何と呼ぶ?」
胸が微かに疼いた。
名を与えるという行為が、こんなにも重いものだとは思わなかった。
けれど、迷いは長く続かなかった。私はゆっくりと、息を吸う。
そして静寂に溶けるように答えた。
「《《ネクロス》》。私の愛に応えて歩む死者たちの国。その名が、最も相応しいでしょう」
アルドレイン様は微笑んだ。死してなお、私だけに向けられる愛情の影を宿して。
「良い名だ。君らしい」
私は彼の手をそっと握り返す。
「私はこれからもあなたと生きます。どれだけ世界が変わっても、死者が増え続けても、人が私をなんと呼ぼうとも──」
言葉を継ぐように、彼が静かに言う。
「メルクアはメルクアのままでいい。私は……君の愛で蘇った者だから」
胸が熱くなり、涙がこぼれそうになる。
だが私はもう泣かない。泣かずとも、私は満たされている。
玉座の間へ戻り、私たちは並んで座った。
冷たい空気が流れ、死者たちの規則的な足音がこだまする。
そのすべてが、私にとって安らぎだった。
「……アルドレイン様」
「どうした?」
「私……幸せです」
彼はそっと私の手を握り、微笑んだ。
「そうか……なら、私もだよ。メルクアが幸せなら──それで十分だ」
私は静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
冷たい空気が胸を満たし、心を満たす。
死者と共に生きること。
それこそが、私が選んだ真実の幸福。
この国、ネクロスこそ、私とアルドレイン様が、永遠に愛し合い続けるべき場所なのだと。
私はこの世界で、愛に溺れながら生き続ける。
狂気と呼ばれるなら、それでいい。
私を理解できなくてもかまわない。
私を恐れるなら、それでいい。
これは私の物語。
そして彼と、死者たちの物語。
生者はいない。
ただ愛があり、死者たちが私に従い、私の世界を満たしてくれる。




