第62話 そして二つの愛は衝突する
サリアの告白は槍よりも鋭く、私たちの胸の奥深くまで刺さった。
クロム様の心が激しく揺れ、その衝撃がつながっている私にも流れ込んでくる。
意識が揺らぎ、その一瞬、私は動きを止めてしまっていた。
その隙を逃さず、サリアの槍が振り抜かれ、砂が裂ける風が頬を掠める。
砂粒が舞い上がるほどの速度。
槍の間合いは恐ろしく正確で、迷いという迷いは一切ない。
私は身を翻し、地を蹴って距離を取る。
サリアの目は揺らがない。
ほんのわずかに滲む痛みと焦燥だけが、奥の奥に沈んでいる。
私は、その揺らぎの正体をようやく理解し始めていた。
「サリア……あなた、本当は」
「あなたが言うな!」
サリアが叫び、踏み込む。
疾さは風を越え、槍の白刃が弾丸のように迫る。
私は拳を槍柄に合わせ、衝撃の波を殺し、流し、流れのまま踏み込んだ。
槍と拳の衝突が火花を散らす。
サリアは一歩も下がらない。
むしろ前に、槍が唸り、間合いを奪うように迫る。
「私はクロムを愛していた……本気で。誰よりも……ずっと!」
叫びが槍の重さとなって伝わり、私は後方へ跳んでかわす。
サリアの感情は重く、鋭い。
揺らぎの中に焼けただれるような熱がある。
クロム様の意識が、私の胸の奥で揺れた。
理解と、痛みと、後悔が入り混じる。
『……サリア、そんな……』
その声が震えている。
きっと、初めて触れたのだ。
サリアの本心に。
サリアは槍を握り直し、短く息を吐いた。声が震えていた。
「許嫁になった時……嬉しかったの。どうしようもなく。胸がいっぱいで、泣きそうになるくらい。だけど……領主の妻になるのに、浮かれているみたいに思われたくなかった……!」
槍が地を裂き、砂が爆ぜる。
私はその隙を縫い、背後へ回り込んで拳を振り上げ――
その拳を止めた。
サリアの肩が、細かく震えていたからだ。
「クロムが……ネクロマンシーを授かった時も……私は見捨てるつもりなんてなかった!」
槍先が、私の頬を掠めるほど近くを通過する。
サリアは泣いていた。
それでも攻撃は止めない。
止められないのだ。
「周りが何を言おうと……私はクロムと結婚するつもりだった!」
その叫びに込められた想いが、胸を刺す。
私もクロム様への想いを抱えている。
だから、サリアの痛みが分かってしまう。
「それなのに……あなたは……リヴ……!」
視線が突き刺さる。
痛みと嫉妬と哀しみが混じる光。
「あなたとクロムが……楽しそうにしているのを何度も見た……! 私は許嫁なのに、あなたは平然と触れ、笑い、寄り添って……!」
槍の突きは速い。
苦しみの反動が加わり、威力が増していた。
地が砕け、空気が震え、私の視界が揺れる。
「それでも私は……結婚前のお遊びなら、と……見逃していた! あなたにも忠告したはずよ! クロムの立場を考えろと!」
――けれど私は、引けなかった。
クロム様を想う気持ちは、誰よりも深かったから。
「それなのに……」
サリアの声が震える。
「クロムが処刑されそうになって……! 私なりに何とかしようとしたのに……! 力が及ばなかった……!」
槍の突きが胸元に迫る。
私は掌で弾き、横へ流す。
「クロムが逃げた後……イグラード様は……ジーノと結婚してほしいと言った……でも私は……クロムの許嫁……私は……!」
息が詰まる。
「決着をつけるまでは受けない、と……保留したの……!」
胸の奥が締めつけられた。
クロム様の意識が痛みに震える。
『俺はてっきり……ジーノと……』
サリアの苦しみも、クロム様の後悔も、私に同時に押し寄せる。
サリアの目が私を映す。
憎しみでもなく、怒りでもない。
深い哀しみが揺れていた。
「でも……クロムの心にはあなたがいた」
その声は、すがるように震えていた。
「あなたがいなければ……クロムは私のものだった!」
サリアが突撃してくる。
砂が爆ぜ、地を裂くほどの踏み込み。
「あなたは……クロムの全部を奪った……!」
「……」
「命を繋ぎ止めてもらって……心を寄せてもらって……! 私は……何も……何一つ……!」
胸の奥が痛んだ。
言いたい言葉がたくさんあったが、どれもこの女の涙には届かない。
だから黙った。
拳を固く握り、ただ槍を受けた。
サリアが顔をゆがめる。
「どうして……どうしてあなたと……!」
その視線は炎のように燃えていた。
「どうしてあなたと一緒に……!」
槍が迫る。
私の足元が弾けるように砕ける。
「どうして……私じゃなくて……!」
その一撃は、魂の叫びだった。
私は避けきれず、槍を肩で受けた。
衝撃が全身を走る。
サリアの心が痛いほど伝わる。
私は血を滲ませながら前に出る。
サリアはもう言葉にならない声を漏らしながら、槍を構えた。
魔力が槍に集まり、空気が震える。
「サリア」
私は息を吐いた。
「あなたの想い……全部、分かりました」
サリアが顔を歪める。
「でも……私は……クロム様の妻。あの方が選んだのは私。それだけは……あなたにも譲れない!」
クロム様の意識が大きく揺れた。
それでも後ろへ退こうとはしなかった。
勝つしかない。
互いが互いを想っているから、譲り合えない戦い。
ならば、向き合うしかない。
私は意識を深く沈め、クロム様と深くつながる。
クロム様は震える意識の中で静かに言う。
『リヴ……頼む。俺はもう逃げたくない。サリアの本心を知って……何も知らなかった自分を恥じている。それでも……前に進むために』
その覚悟が伝わると同時、私の魔力が揺れた。
『はい……クロム様』
私は深く息を吸い、魔力を解放する。
背中から――黒い翼が爆ぜるように広がった。
かつてバハドール王と戦ったときに発現したあの力。
黒炎のように揺らめく羽根が風を巻き、荒野の空気が震えた。
サリアは泣き腫らした瞳でその姿を見、唇をかすかに震わせる。
「……それが……あなたの……全力……?」
「はい。そして――ここで、あなたには倒れてもらいます」
私の宣言に、サリアは涙の跡を残したまま、強く槍を握り直した。
「なら……私も全てを……槍に捧げるッ!」
白い魔力が噴き上がり、槍が光の刃へと変わる。
大地が震え、空気が震え、砂煙が渦を巻く。
互いの魔力が荒野をねじ曲げるように広がる。
サリアが叫ぶ。
「これが……私のすべて! 私の愛! 私の未来! 全部……この一撃に乗せるッ!」
白銀の槍が光を裂く。
その輝きは、彼女の涙のように痛々しく、美しい。
私は黒翼を大きく広げ、拳に魔力を集めた。
脈打つ魔力が肌を焼き、羽ばたくたび黒い羽が散り、地面に落ちる前に煙のように消える。
「クロム様の未来を守るため……私は負けません!」
世界が歪む。
二人の魔力が接触する前から、空気そのものが悲鳴を上げている。
胸の奥にいるクロム様の意識が強く脈打つ。
『――行け、リヴ』
その声に背を押されるように、私は地を蹴った。
サリアが踏み込んだ。
大地が砕け、無数の砂粒が閃光となって舞い上がる。
対して私は闇をまとい、黒翼を振るわせ――その衝突点へ一直線に突き進んだ。
激突の刹那。
音が消え、光が爆ぜ、世界が白く塗り潰された。
次の瞬間、轟音が天地を揺らした。
「「う……あああああああっ!!」」
サリアの叫びが震えを帯びて耳を刺す。
私の喉からも、自然と声が迸っていた。
力と力。想いと想い。愛と愛。
そのすべてがぶつかり合い、肉体より先に心が軋む。
闇の拳が、白光の槍と拮抗した。
私は必死に耐える。
サリアは全てを賭けて押し込んでくる。
火花が空を焦がし、二つの魔力が渦を巻いて天へ昇る。
世界が割れるような衝撃が大地に走った。
そして――
ピシッ。
小さな、だが確かな音が指先に伝わった。
次の瞬間、サリアの槍に亀裂が走る。
「……っ!?」
彼女の瞳が揺らぐ。
亀裂は一瞬で全体に広がり、光を爆ぜさせながら――砕け散った。
破片は光の鱗片となって舞い、空に溶けて消えた。
「――ッ!」
サリアの身体が弾かれる。
彼女が自分の想いをかけた一撃、その反動が限界を超えたのだ。
私は翼で空気を捉え、一歩。
いや、たった半歩でいい。
サリアの懐へ滑り込む。
拳を握りしめ、魔力を一点へ集中させる。
「……っ!」
胸元、ただ一ヶ所。
命を奪わず、しかし眠りへ誘う、正確無比の急所。
拳が吸い込まれるように伸び、
――ドッ。
乾いた衝撃が彼女の胸を震わせた。
サリアの瞳が大きく見開かれ、涙が零れ、次の瞬間には力が抜けていく。
崩れ落ちる身体を、私は両腕でしっかり受け止めた。
「サリア……」
肩に力が入らない。
腕の中のサリアは驚くほど軽く、熱に乏しく、まるで少女に戻ったかのように儚い。
胸の上下はかすかに続いている。
命に関わる傷はない。
ただ気を失っただけ――それを確認して、ようやく息が吐けた。
サリアの頬を伝う涙が、私の指先を濡らす。
その涙に宿る想いが、胸の奥深くに落ちてきた。
――こんなにも、強く。
リヴとしての私も。
クロム様と一体化した私も。
どちらの心臓も締めつけられた。
私はサリアをそっと抱き寄せ、胸に当てる。
「クロム様……この人は……本当にあなたを愛していました」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥のクロム様の意識が深く揺れた。
『…………あぁ』
短い返事だった。
けれどそこに、どれほどの痛みと、哀しみと、後悔と、そして――決意が詰まっていたのか。
私は息を呑み、サリアの髪をそっと撫でる。
戦場に残された静寂の中で、彼女の涙だけが温かかった。




