第57話 侵攻の刻、魂が重なる
乾いた風が頬を撫でた。
西から吹き抜ける風は、普段なら砂の匂いを運んでくるだけだが、今日のそれは違っていた。
鉄の苦みと微かな焦げ――戦場の予兆を含んだざらついた匂いが、肺の奥へと渦を巻いて沈んでいく。
西門の見張り台から狼煙が上がったのは、ほんの数分前だ。
――ヴァルデン軍、再び侵攻。
その報せを聞いた瞬間、胸の奥がわずかに熱を帯びた。
ついに来たか――覚悟していた日が。
「リヴ、全員に伝えてくれ。予定していた迎撃案を実行する。細かな指揮と判断は現場に任せる」
「了解です。クロム様、お気をつけて」
リヴが短く息を整え、すぐさま仲間へ指示を飛ばしながら駆けていく。
俺はその背を見届けると、ヴァリアさんへ視線を向けた。
「ヴァリアさん、お願いします。護衛もついてきてくれ」
「はい、クロム殿」
俺とヴァリアさん、そして護衛部隊が一斉に西側へ駆け出した。
◇ ◆ ◇
ほどなくして視界に飛び込んできたのは――地平を覆い尽くす、黒い波のような敵影だった。
押し寄せるという言葉では足りない。
大地そのものが揺れ、うねり、迫ってくるようだった。
「……ついに来たか」
息と一緒に熱いものが漏れた。
胸の奥が静かに熱を帯びる。
この日が来ることは覚悟していた。
だからこそ、備えてきた。
自分の力と、仲間たちの力を。
「ヴァリアさん。いざという時は――手筈通りに頼む」
「はい。クロム殿のお力のままに」
彼女は微笑まない。
ただ静かに頷く。
その瞳の奥には恐れよりも決意だけが灯っていた。
俺は前線へ目を戻す。
アストレイ西の平野――その中央付近に、異様な密度の兵士がひしめいている。
黒い塊が脈打つように、たゆたゆと揺れていた。
「……思ったより、ずいぶん多いな」
ぽつりとつぶやくと、横でヴァリアさんが眉をひそめた。
「はい。ヴァルデン領だけではありませんね。旗印が混在しています。……他領の兵も混じっているようです」
「やはりか」
遠目にも分かった。
ヴァルデン領の紋章だけでなく、ヴァルメイア各領の紋章が散在している。
一万……いや、それ以上か。
対するこちらは、俺とヴァリアさん。
後方には数十名の護衛。
並べて見れば、あまりにも滑稽な戦力差だ。
それでも――退くつもりはなかった。
アストレイは俺たちの居場所であり、誰に奪わせるつもりもない。
敵軍の前列がざわついた。
宣戦布告も、使者もいない。
会話という手順を捨て、ただ黙って押し寄せる。
まるで『話す必要もない』と言いたげに。
アストレイを、最初から踏み潰す対象としか見ていない。
そんな無言の敵意が、遠くからでも肌を刺した。
やがて――
「……来るぞ」
敵の前衛が詠唱を開始した。
魔力が空気を歪ませ、無数の光弾が空を白く染めていく。
第一撃から容赦はない。こちらを距離から削り、押し潰すつもりだ。
俺は、静かに息を吸った。
――準備は、全て整えてきた。
バハドール王との決闘でリヴと繋がった瞬間の感覚。
あの三つ子――リリラ、リリリ、リリルの助言から得た糸口。
リヴやネクレアの仲間たちと何度も試した訓練。
拾い集めた断片が、やっとひとつの形になった。
「いきます、ヴァリアさん」
「はい、準備はいいです」
「――魂共鳴、発動!」
瞬間、世界の輪郭が揺れた。
鼓動が二つ、重なる。
内側に流れる魔力がひとつに混じり合い、温かな光のようなものが胸の奥に灯る。
ヴァリアさんとの境界が、ゆっくり溶けていく。
その瞬間、視界は暗転し、意識がふっと浮き上がった。
◆ ◆ ◆
クロム殿の気配が、すぐ隣にある。
いいえ、隣というより……胸の奥で寄り添っている、と言った方が正しいのでしょうか。
思いが重なる。
そんな言葉を、私は軽々しく使ったことはない。
けれど今だけは、それが最も近い表現に思えたました。
静かで、しかし確かな繋がり。
その震えが胸の奥を満たす。
『……それでは手筈通りいきますよ、クロム殿』
声に出していないはずなのに、クロム殿には伝わった気がした。
これが魂共鳴。
あの三つ子に言われた。
「気配をそろえる感じー」「心のリズム合わせるの!」「相手と一緒に落ちるんだよ!」
彼女たちの突拍子もない助言は、最初は意味が分からず何度も失敗しました。
でもクロム殿が諦めずに向き合ってくださって、ようやく掴んだ。
そして今、この戦場で、クロム殿は――私を選んでくださった。
その事実が、胸の奥を熱くする。
『ヴァリアさん――いくぞ』
意識で語りかけられ、私は返事より先に行動していた。
魂が重なっているから、言葉は必要ありません。
伸ばした手から結界を展開する。
光が地面を走り、巨大な半球が瞬時に広がった。
次の瞬間――
敵軍の光弾が集中砲火のように叩きつけられた。
轟音、眩い光、爆ぜる衝撃に、空気が震え、砂が舞い上がる。
それでも私の結界は揺れもしない。
クロム殿の魔力。
私の魔力。
魂の奥で混じり合い、ひとつの奔流となって世界を押し返している。
これが……魂共鳴の力。
胸の奥で、クロム殿の鼓動が重なる。
それに私の鼓動が応える。
温かく、静かで、しかし底なしに強い。
恐怖はなかった。
一万の兵が相手でも――この方となら、戦える。
魔法弾は途切れず降り注ぐが、結界は微動だにしない。
クロム殿……ありがとうございます。
私を信じてくださって。
まだ、誰とでもソウルリンクできるわけではないようですが……
アストレイを守りたいという、私の思いと――共鳴して頂けたのだと思います。
胸の中でそっとつぶやき、私は深く息を吸った。
ここからが、私たちの戦い方です。




