第52話 覆面の来訪者
ここ最近、昼と夜の境目が曖昧になってきた。
北のアルトレア村、東のアステリア村、そして中心のアストレイ。
三つの町村の整備が同時に進み、移住希望者も引きも切らない。
朝にパンをかじったと思えば、次に意識した時には空は赤く染まり、そして気付けば夜の帳が降りている。
そんな日々が続いた。
もちろん嫌ではない。アストレイが広がっていくのは嬉しい。
だが――移住希望者の波は、本当に尽きる気配がなかった。
農民、商人、冒険者。訳ありの者、行き場を失った者、何も持たない者。
「ここならやり直せる気がする」「この土地で生きたい」
そんな言葉を聞くたびに、胸が少しだけ熱くなる。
領主館にて、移住希望者の面会日を設けてからというもの、俺の一日はほとんどそこで終わるようになった。
今日もその一日だ。
面会予定者リストには十数名の名前が並ぶ。
だが、その中に一つだけ赤字で囲まれた名前があった。
――ビセル。
移住希望者の多くは、前の村や職業の情報を多少なりとも出してくるが、書類備考欄の注意書きに、奇妙な一文が目につく。
『両目に布を巻いているが、意思疎通に問題なし』
両目を……布で? 盲目なのか、それともスキルの影響か。
書面だけでは判断がつかず、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚が残った。
それでも、面会は避けられない。深く息を吸い、部屋へ向かった。
◇ ◆ ◇
「失礼します」
静かな声が響いた瞬間、空気がわずかに冷たくなった気がした。
本日最後の面会相手――ビセルさんが、ゆっくりと部屋へ入ってきた。
黒い外套。そして、顔の上半分を覆い隠す黒い布。
その布は装飾も模様も一切なく、まるで影が凝固して張り付いたような異質な存在感を放っていた。
そのままこちらへ顔を向ける。
布越しなのに、確かに視線が刺さる。
無表情のはずの布から、何か重いものがにじみ出ていた。
背筋が自然と伸びた。
「ビセル……さんで合っているか?」
「はい。お初にお目にかかります、領主クロム殿」
年齢の見当がつかない声だった。
穏やかだが、底の深さがある。
その声に、何故か懐かしさのような気配が混じった。
布に覆われた彼の目に視線を向ける。
「その……目は、大丈夫なのか? 怪我をしているのか?」
「いえ。怪我ではありません。スキルの制御のためです。視界はありますので、ご安心を」
「スキル……そうか。なら問題ない」
だが、どんなスキルなのかは気になった。
敵意はない。
しかし――底が見えない。
まるで深い井戸の水面をのぞいているような、不思議な感覚に襲われた。
簡単な挨拶を済ませ、アストレイ領の現状を説明する。
「今、アストレイ領には三つの町村がある。中心のアストレイ、北のアルトレア、そして東のアステリア。それぞれ役割が違う。移住希望者には適性を見て行き先を選んでもらっているんだ」
「ふむ……興味深いですね」
「ビセルさんは、どの町村を希望している?」
ビセルさんは、すぐには答えなかった。
両目を布で覆っているはずなのに、部屋の空気を慎重に探るように視線を巡らせる。
そして静かに息を吐いた。
「……あらかじめ伺っていた情報だけでは判断がつきませんでした。できれば、実際に町を見せていただきたい」
「いいだろう。今日の面会はあなたが最後だし、俺が案内しよう」
「……領主自らよろしいのですか?」
「構わない。……面会ばかりで少し外に出たくなったところだからな」
ビセルさんはゆっくりと頭を下げた。
「感謝します、クロム殿」
◇ ◆ ◇
領主館を出ると、昼下がりのアストレイの活気が全身に押し寄せた。
鍛冶場ではバラクの弟子たちがハンマーを振り下ろし、乾いた空に弾けていた。
露店ではミーノが新しく育てた作物を使った料理が次々と売れていく。旅人が列を成し、香ばしい匂いが風に乗る。
ドルビの弟子たちは新しい家屋を建て、材木が組まれる音が心地よいリズムになっていた。
混沌とした活気。
しかしそれが、不思議と心を温かくする。
「ここ最近、一気に人が増えてな。嬉しい悲鳴というやつだ」
ビセルさんは静かに歩きながら、布の奥で村の様子を追っているようだった。
「……活気がすごいですね」
「そうか?」
「ええ。理想を現実に変えていく速度が、尋常ではありません。これは……生きている町だ」
布の奥の目がどんな表情をしているのか、想像もつかない。
だが、不思議と嘘の匂いはしなかった。
むしろ、彼は本気でこのアストレイを見つめているように思えた。
その時――背後から聞き慣れた声が飛ぶ。
「あぁクロム様、ちょうどよかった。今少しよろしいですか」
ラセルだ。いつもの柔らかい笑みを浮かべ、書類を抱えて歩いてくる。
「あぁ。どうし――」
言いかけた時だった。
ラセルの視線が俺の横に立つビセルさんをとらえた。
その瞬間――ラセルの足が止まった。
ラセルの肩が震える。書類を握りしめる手が白くなる。息を呑む音が聞こえた。
「…………兄上?」
兄上? ラセルの兄? ビセルさんが……?
理解が追いつく前に、ビセルさんが静かに微笑んだ。
「久しいな、ラセル」
「な……なぜ、こんなところに……」
「なに。噂のアストレイを直接見てみたくなってな」
ラセルの声は震え、視線が合うことすら怖れているように見えた。
俺は状況を理解するため、二人の間に言葉を差し込む。
「ラセル、ビセルさんはアストレイへの移住を希望して来られていて――」
「移住……ですか。兄上が?」
ラセルは一度目を閉じ、深く息を吐いた。
そして、諦めたように肩を落とす。
「……また偽名を使われたのですね。兄上。その癖は本当に治らない」
偽名。つまり、本名ではない?
「偽名……?」
俺が問い返すと、ラセルは観念したように顔を上げた。
「クロム様……この方は、私の兄、ヴィゼル。そして――商業国ギルディアの現国王です」
言葉が頭に到達した瞬間、心臓がひどく強く打った。
ギルディアの王。その頂点に立つ人物が――なぜここに?
驚きが波のように押し寄せる。呼吸が少しだけ浅くなった。
国王が身分を隠し、単独でアストレイに来た理由。
その真意は未知で、危険すら感じる。
そんな俺を、ヴィゼルさん――いや、ヴィゼル王が静かに見つめた。
「クロム殿。先ほどの案内、ありがとうございました」
その声は威圧的ではない。
だが、背後に国の重さが感じられる。
王という立場の者にふさわしい、静かで揺るぎのない声だった。
「……少し、話をさせていただけませんか」




