第48話 命をほどく者
シグレが固まった。
まるで時間だけが彼の周囲を取り残したかのように、肩の起伏さえ止まっている。
その横顔には、喜びとも困惑ともつかない、名もない感情がいくつも重なり、揺らめいていた。
俺も思わず息をのんだ。
「分解……?」
「ああ」
バラクは短くうなずき、まるで祈りを捧げるように刀へ視線を落とした。
「こいつははただの武器じゃねぇ。……技法が違いすぎる。素材、焼き入れ、刃文……何もかもだ。この大陸のどの職人が作ったとしても、こうはならねぇ」
その声音には畏れと興奮と嫉妬のすべてが入り交じり、職人としての本能だけがむき出しになっていた。
バラクは刀を前に、一歩踏み出す。
その瞳は獲物に吸い寄せられる獣のようであり、同時に、誰よりも純粋な探究心を宿す職人のものだった。
「だが……もし折れたりしたら、また取り寄せなきゃならない。そんなのは嫌だろ?」
「……そ、それは……」
シグレの喉が微かに震えた。
バラクはその揺らぎを逃さず、真っ直ぐに彼を見据えた。
「おれなら……近づける。いや、近づくだけじゃねぇ。徹底的に分解して、構造を理解すれば……お前のためだけに、最高の一本を作ってやれる」
その声音には、いっさいの虚飾がなかった。
侍が命を懸けて守り、覇王が宝物として保管し続けてきた刀――
それを、分解する。この世に二本とない一振りを。
常識としてはあり得ない。
だが――それが、本当にシグレの未来に繋がるなら。
胸の奥で、そう静かに灯ったものを感じながら、俺は息を吸った。
「……バラク。まずはバハドール王に確認を取る。覇王の宝を勝手に解体したなんて知れたら、いくらなんでも無礼がすぎる」
「……そうだな。筋は通さなきゃならねぇ」
シグレは黙ったまま刀を抱きしめ、震える声で言った。
「お任せします……クロム殿……」
その声には、覚悟と不安が複雑に織り混ざっていた。
侍である彼が、己の魂とも言える刀を託す。
その重さが痛いほど伝わる。
◇ ◆ ◇
バハドール王への手紙は、バラクの意見を添えて送った。
刀は極めて貴重で、分解は取り返しのつかない行為だということ。
だが、構造を理解することで我々の技術が向上し、ひいてはシグレのための一本を作れるということ。
三日後に届いた返事を開いた瞬間、俺は固まった。
「……何と?」
リヴがのぞき込む。
俺は苦笑し、手紙を読み上げる。
「『面白い。もうお前らにやった物だ。好きにしろ。その代わり、完成したら俺のためにも一本作れ』……だそうだ」
リヴはぽかんとし、次に小さく笑った。
「……覇王らしいと言えば、らしい……ですね」
バラクは返事を聞くなり、まるで予想していたかのようにニヤリと笑った。
「よし。全力で分解してやる。覇王に頼まれた一本なんて……燃えるじゃねぇか」
シグレは胸の前で刀を抱えたまま、静かに目を閉じた。
「……侍の魂を……分解する……」
呻きのような言葉だったが、やがて彼は静かにうなずいた。
「クロム殿。……拙者は、バラク殿を信じます。バラク殿の腕前が、どれほど優れているか……身をもって知っています故」
「シグレ……」
「ですから……どうか……」
顔を上げたシグレの瞳には、強い決意が宿っていた。
「どうか……頼みます」
刀を――未来へつないでくれ、と。
その願いは、真っ直ぐに胸を射抜いてきた。
◇ ◆ ◇
バラクの作業は、狂気にも似ていた。
まず刀を観察するだけで丸一日。
一寸たりとも触れず、光を変え、角度を変え、刃文の流れを追い続ける。
鉄の重なり、温度の残滓――鍛造の痕跡を読み取る姿は、古文書を読み解く学者のようでもあり、神の遺した謎を解く修道士のようでもあった。
二日目、ようやく分解に入った。
鞘、鍔、目釘、柄巻き――。日本刀の構造を知らないはずなのに、バラクは触れるたびに「ここはこう留まっている」「この奥に芯がある」と、まるで前世で作っていたかのような正確さで言い当てた。
金床の上で柄が外れた瞬間、シグレは息を呑んだ。
「……本当に、分解されていく……」
「大丈夫だ、シグレ。バラクは戻す。いや、それ以上のものを作る」
シグレはうなずくが、その横顔は祈るように硬かった。
三日目の朝、鍛冶場へ向かうと、バラクの目が違っていた。
極限まで研ぎ澄まされた、職人の覚悟の光。
「……今日、やるぞ」
その短い言葉だけで、全員が悟った。
「ここからは、俺のスキルを使う」
古びた金床の上に、日本刀の刀身だけが置かれる。
柄も鍔も外され、生身の魂だけが露わになった一振り。
バラクは深く息を吸い、右手をかざした。
「――分解」
低い呟きとともに空気が震えた。刀身の表面に淡い光の筋が浮かび上がり、内層が透けるように現れる。
「……これは……」
自然に声が漏れた。
肉眼では見えないはずの鉄の層。熱の入り方、鍛えの方向。
そのすべてが、光の残滓となって浮かび上がる。
バラクの瞳は、獣のように細くなった。
「すげぇ……。折り返しの層が……こんなに細かく……何十回……いや、何百か……? どうやってこんな温度管理を……」
刃に触れてはいない。だが、まるで刃がバラクの指に呼応して震えるようだった。
「素材は……鉄だけじゃねぇ。ああ、これ……粘りを出すための……いや、これは……なんだ……?」
バラクの声すら震えていた。
シグレは胸を押さえ、立ち尽くしていた。
「……あぁ……」
吐息だけで胸を締めつけられるほど切なかった。
その瞳に宿っていたのは――驚愕でも恐怖でもない。
敬意と、畏敬。
そして、自分の魂の一部がほどかれていくような感情だった。
「シグレ、大丈夫か?」
声を掛けると、シグレはかすかに首を振った。
「……はい……ただ……刃が……泣いているように見えて……侍として……なにか、胸が……」
声は震えていたが、拒絶ではなかった。
「……でも……わかります。バラク殿は……壊しているのではなく……理解しようとしている。刃の、命を」
シグレの目は、静かに濡れていた。
「だから……あぁ……と……自然に……その……」
嗚咽とも溜息ともつかない声が漏れた。
バラクは止まらない。
「分解――」
再び光が溢れ、刃の内部構造が露わになる。
まるで命の記憶がほどけ、光の粒になって漂っていくようだった。
「……すげぇ……こんな重ね方……誰が思いつくんだよ……」
「バラク、無理はするな」
「してねぇよ。……むしろ……楽しくて仕方ねぇ」
その表情は、狂気と情熱の境界線に立つ職人そのものだった。
四日目。
刀身は欠片へと分解されつくしたが、その代わり――構造は完全に解析された。
バラクが要求する刀の素材に近いものを求め、ギルディアから希少金属を、バルトリアから耐熱鉱石を取り寄せるよう俺が手配した。
鍛冶場は連日、夜明けまで光を放った。
鉄を打つ音が響くたびに、シグレは丘の上からじっとその光を見つめていた。
「……拙者にも、できることがあれば……」
「あるさ。完成したら、お前が一番に握るんだ」
シグレは小さく笑ったが、その笑みは今にも泣き出しそうに見えた。
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