第47話 侍の魂を取り戻す者
バルドリアとの決闘が終わり、あの喧騒や緊張が嘘のように、アストレイには穏やかな日常が戻っていた。
風は柔らかく、作物はよく育ち、仲間たちの声も以前より少しだけ明るい。
俺自身、胸の奥に溜まっていた何かが抜けたようで、久しぶりに深く息が吸えた。
――だが、その日常の中に、一つだけ異質な影があった。
シグレだ。
姿を見るたび、普段は整った顔が見事なまでに不機嫌そうだった。
仕事は真面目にこなしているし、文句も一切言わない。
むしろいつも以上に働いている気すらした。
だが、どこへ行ってもむすっとしている。
理由は分かっていた。
バルドリアとの決闘に、一切関われなかったせいだ。
俺の姿を見ると、目をそらし、距離を取る。
今日も、拠点へ戻ったところでばったり出くわした瞬間――
「……おかえりなさいませ、クロム殿」
低く抑えた声で言い残し、そのまま横を通り過ぎていった。
俺は思わず頭を抱えた。
「見事に拗ねているな……」
隣で歩くリヴが、少し申し訳なさそうに笑った。
「シグレ様……あの方、本当に出番を楽しみにしていたんですよ。クロム様の隣で、アストレイの戦力として戦えることを。やっと出番が回ってきたと思ったら、不戦勝で終わってしまったわけですから……」
「まあ、気持ちは分かるけど……あそこまで露骨にされるとはな」
シグレは戦いを望んでいた。
ただ暴れたいのではなく、俺の隣に立ち、自分の力を示し、仲間として役割を果たしたかったのだろう。
そう思えば思うほど、申し訳なさが胸に広がった。
――だから、俺は一つの案を思いついた。
刀を贈ろう。
シグレの今の武器は、バラクが彼の説明を聞きながら作った刀のようなものだ。あれはあれで十分よくできている。だが、シグレが本当に欲しているのは本物の刀。
以前、バラクと共に刀について聞いた時、シグレはこんなことを言っていた。
『侍にとって刀とは魂なのです』
その声は、普段の言葉よりも、ずっと深いところから出ているように感じた。
だから――贈るべきだと思った。
「リヴ。ガリア領主に、刀が手に入らないか確認しよう。バルドリアなら、伝手があるはずだ」
「はい。クロム様が選んだものなら、きっとシグレさんも……いえ、必ず喜びます」
その笑顔という言葉が胸に残る。
シグレが納豆を食べていた時の、あの素直な笑み。
あれを、取り戻したいと思った。
◇ ◆ ◇
後日、ガリア領へ刀の手配を依頼した。
以前ギルディアにも頼んだことはあるが、刀は手に入らなかった。
ならば、武を極めているバルトリアでなら、何とかならないかと期待を込めて。
数日後――
「クロム様! バルドリアから荷が届きました!」
ラピが息を弾ませて駆けてきた。俺とリヴは急いで荷物の元へ向かう。
そこには木箱を前に腕を組むガレオンの姿があった。
「これが……注文した刀か? ……にしては……随分立派な箱だな」
「いや……俺も、こんなものが届くとは思ってなかった」
木箱は重厚で、装飾すら施されている。
まるで王家の宝物でも納めるかのように。
ゆっくりと木蓋を外した瞬間――空気が変わった。
刀がそこにあった。
ただの剣ではない。
一目見ただけで、背筋が震えた。
細身の刀身は夜明け前の光を秘め、周囲の光を吸い込むようでもある。
鞘は黒漆塗り。鍔には異国の紋様。柄巻きは深い藍。
触れてもいないのに、手に馴染む感覚が伝わってくる錯覚すら覚えた。
――ああ、これか。シグレが言っていた、『刀は侍の魂』という言葉の意味は。
目の前の一振りには、確かにその言葉が宿っていた。
俺が言葉を失っていると、添えられていた手紙を読んでいたリヴが、小さく息を呑んだ。
「クロム様……この刀、差出人は、バハドール王です」
「バハドール王から……?」
リヴは静かに続ける。
『――この刀は、俺が若き日に武者修行でジャポニアに訪れた際、侍を討ち取り奪ったものだ。あまりの美しさに観賞用として長く置いていたが、前の決闘で見せたお前たちの戦いに免じ、贈り物として送る。あの侍に使わせるがよい』
俺は思わず息を飲んだ。
ジャポニア――シグレとツムギの故郷であり、侍の国。
覇王が守り続けていた宝物。
それが、今俺の手元にある。
「……これまたすごいものが届いたな」
俺が呟くと、ガレオンが刀を覗き込み、目を見開いた。
「クロムさん……素人の俺でも分かる。こんな武器、見たことねぇ……」
「バハドール王のお気に入りらしい」
ガレオンは口を開けたまま固まり、次の瞬間、震える声で言った。
「こんなの……シグレに渡したら、あいつ……嬉しすぎて泣くぞ」
「だろうな」
刀をそっと持ち上げる。
重さをほとんど感じない。
いや――まるで刀のほうが、こちらの手に自ら重心を預けてくるようだった。
「……シグレに渡しに行こう」
◇ ◆ ◇
シグレは丘の上で木刀を振っていた。
夕日を背に、影が長く伸び、振り下ろすたびに風が震える。
だが、その動きには焦りにも似た棘があった。
近づくと気づき、こちらへ向き直る。
「クロム殿……どうかされましたか」
声は硬く沈んでいる。
俺は隠していた刀を背中に回したまま、一歩踏み出した。
「シグレ。バルドリアとの決闘で戦わせてやれなかったこと……すまなかった」
シグレの瞳が揺れた。
「そんな……謝る必要など……。拙者は……ただ……」
「戦いたかったんだろう。俺と、アストレイのために」
その言葉に、シグレは唇を噛んだ。胸の奥に押し込んでいた悔しさが滲み出るように。
俺は静かに刀を差し出した。
「だから――これを、お前に贈る」
シグレの表情が凍りつく。そして、震える手で鞘に触れた。
「こ……これは……本物の、刀……?」
「バルドリアから取り寄せた。覇王の宝物だったらしい」
シグレは言葉を失い、鞘を胸に抱きしめた。
その肩が、震えている。
「こんな……こんな立派なもの……。拙者が、持っていてもよいのですか……?」
「持つべきはシグレだ。ずっと……欲しかったんだろう?」
シグレの瞳から、ぽろりと涙が落ちた。
「……はい……ずっと……クロム殿の為に振るう力を……私は……」
言葉にならない思いが零れ落ちるように、シグレは刀を抱きしめた。
その時だった――
「……クロム、シグレ。ちょっと待て」
バラクが丘へ駆け上がってきた。
表情が真剣で、いつもの軽さが一切ない。
「バラク? どうした?」
バラクは刀を見て、息を荒げながら言った。
「クロム……シグレ……悪いが、その刀――」
一度深く息を吸い、職人としての決意を宿した目で言い切った。
「――分解させてくれ」
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