第46話 魂を結ぶ者たち
バハドール王の宣言が轟いた瞬間、闘技場は歓声という名の爆風に呑まれた。
熱が渦巻き、砂塵が舞い、割れんばかりの歓声が石壁に跳ね返って何度も耳へ返ってくる。
『アストレイを独立領として認めよう』
その言葉は重く、鋭く、そして温かく胸に刺さった。
あの日、滅びかけた村でただ生き延びることだけを考えていた俺たちが――今ここで、バルドリアの覇王に認められている。
喉の奥に熱がこみあげた。俺は深く息を吸う。
隣では、まだ傷跡と疲労を残したリヴが、弱々しくも確かな笑みを浮かべていた。
「クロム様……本当に……よかったです……」
声は掠れていたが、瞳は澄んでいて、そこに一点の迷いもなかった。
「リヴの力があってこそだ。ありがとう」
言葉を返すと、リヴは小さく震え、俺の袖をそっとつまんだ。
その指先は温かかった。
心がほどけていくような感覚が胸を満たす。
「よし! ならば――宴だ!!」
バハドール王の豪快な声が落雷のように響いた。
両腕を広げ、覇王棍を肩に担いだその姿は、王というより山のような存在だった。
「今夜はアストレイとバルドリアの友好の証だ! 戦士たちよ、思う存分に飲め!」
歓声が一層激しくなり、闘技場はたちまち祭りの空気へと変貌していった。
◆ ◇ ◆
夕陽が落ちる頃には、闘技場は完全に宴会場になっていた。
肉が焼ける香ばしい匂いが風に乗り、酒樽が次々に開かれる音があちこちで響く。
戦士たちの笑い声、歌声、叫び声が入り混じり、熱が夜空へ昇っていくようだった。
重々しい石造りの空間も、いまは松明の灯で柔らかい色に染まっている。
昼間の闘いの痕跡が嘘のように、温かさだけが残っていた。
俺の魔力で治療を終えたリヴは、俺の隣で慎重に歩いていた。
足取りはまだ軽くないが、倒れそうな気配はもうない。
彼女は俺を見上げ、小さく口を開いた。
「クロム様、先ほどからその……、お腹が減ってしまって……」
「ん? 珍しいな。リヴがお腹を?」
彼女は恥ずかしそうに視線を伏せ、小さく頷いた。
「……本来、食べる必要も、欲もないはずなのですが……でも、あの瞬間……クロム様と繋がって……クロム様の戦いの熱みたいなものが流れ込んできて……気づいたら……お腹が……」
最後の方は蚊の鳴くような声になり、俺の袖を指先でつまむ。
「そういうことか。なら、食べたいだけ食べよう。今日はみんなのおかげで勝てたんだ」
リヴが嬉しそうに目を細め、串肉を少しだけかじった。
その慎ましい仕草を見ていると、闘争の余韻が嘘のようだ。
そこへ、影が差した。
「クロム、リヴよ。話がある」
覇王バハドールが酒杯を片手に歩み寄ってきた。
近くに立つだけで圧が違う。
まるで地鳴りをまとったような存在感だ。
「先ほどの戦い……リヴ、お前はあの時、何を使った?」
リヴが息を止める。目が俺を求めるように揺れた。
隠す理由はない。答えるのは俺だ。
「俺の魔力が……リヴと繋がったんです。いつもは俺がリヴに魔力を注ぐ感覚だったのに、あの時は違った。自然に流れ込んだんです。互いへ、同時に」
覇王の瞳が鋭く光る。
「ほう……」
「まるで魂が寄り添うように、互いに溶け合って……俺の内にリヴがいて、リヴの内に俺がいるような……そんな感覚でした」
言葉にして初めて、その異様なほどの親密さがどれほど特別だったかを理解する。
リヴは唇を震わせた。
「クロム様と……わたしが……魂で……繋がって……?」
その声は震え、喜びとも恥じらいとも違う、もっと深い何かが溢れていた。
「俺も感じた。リヴの想いも、苦しみも、鼓動も……全部が俺の中に流れ込んできた」
リヴの頬が熱を帯び、胸を押さえる。あの時の鼓動を思い出しているのだろう。
バハドールは豪快に笑った。
「はっはっは! 珍しいが、悪いものではない。むしろ――羨ましいくらいだ。お前たちはまだ伸びる。いずれまた戦ってみたいものだ」
そう言いながらも、覇王の視線には確かに探る色が宿っていた。
だからこそ、俺は切り込んだ。
「……バハドール王。ひとつ聞きたい。ネクロマンシーの噂を耳にしたと言っていましたが……あなたは、ネクロマンシーを脅威だと?」
バハドール王は酒杯を軽く揺らし、琥珀の液面が揺れるのをしばらく眺めてから答えた。
「……バルドリアには、ネクロスの手は届いておらん。そもそも我が国は力で物を言う土地だ。教会の教えなどとうに形だけ。信仰で国が動くことはない。強い者こそ正義――それが我らの流儀よ」
力だけで語られる国らしい返答だった。
だが、その言葉に妙な軽さがあるわけではない。
むしろ、覇王の眼差しは真剣そのものだった。
「では……ネクロマンシーを恐れていないのですか?」
「恐れる理由がない。噂は聞いていた。死体を操る……魂を奪う……禍々しい術だとな」
覇王は酒杯を飲み干し、豪快に息を吐いた。
「だが、噂だけでは真偽が分からぬ。力としてどれほどのものか。そこに興味があったのだ」
「だから、戦ったと……?」
「うむ。お前たちなら何かを見せてくれると思った。実際、お前たちの力は噂のように陰湿でも、禍々しいものでもない」
覇王の視線がリヴへ向けられる。
リヴは姿勢を正し、黙ってその目を受け止めた。
「むしろ――清い。あれほど澄んだ魂を俺は見たことがない。あれが噂されたネクロマンシーの力とはな。面白いものだ」
リヴは驚きに目を見開き、息を呑んだ。俺も胸の奥が一気に軽くなるのを感じた。
「……ありがとうございます」
リヴがそれだけ言うと、バハドール王はふっと笑った。
「クロムよ。お前たちの繋がり……大事にしろ。あれは力ですら計れぬ領域だ。魂が交わるというのは、戦士であろうと中々辿り着けん境地だぞ」
言葉は重く、そして温かさを帯びていた。
「お前たちはまだ強くなる。次に会うとき、どれほど成長しているか楽しみにしておるぞ」
覇王は背を向け、笑いながら戦士たちの輪へと戻っていった。その背中は、戦いの最中と変わらず堂々としていた。
◆ ◇ ◆
宴は深夜まで続いた。
バルドリアの戦士たちと杯を交わし、笑い、殴り合い寸前の口論もあったが、全部が楽しかった。
途中、アストレイから追加で持ってこさせた魔物肉や、果実酒を振る舞うと――場の空気が一段と沸き立った。
「なんだこの肉……! 噛むほどに旨ぇ……!」
「この酒も、今までに飲んだ事が無いほど上品な味だ!」
「アストレイ……お前ら、食い物まで強ぇのか!」
豪快な戦士たちが涙目になるほど喜び、樽を抱えたまま踊りだす者まで現れる。
バルドリアの料理は塩と火力勝負の豪快な味が多いらしく、アストレイの深みある味と香りは新鮮だったようだ。
「クロム様……なんだか、誇らしいですね……」
「そうだな。俺もびっくりしてるよ」
リヴは嬉しそうに胸に手を当て、ほっとしたように息を漏らす。
リヴ自身も珍しく酒を少しだけ口にし、ほんの一口で顔を真っ赤にして俺の袖に寄りかかってきた。
◆ ◇ ◆
そして――武闘大会から数日が経つ頃には、アストレイは完全にいつもの日常へ戻っていた。
いや、戻ったというより、新しい日常を手に入れた、という方が正しい。
アストレイ領への来客は目に見えて増えた。
ギルディアとの交易に加えて、バルドリアからの行商、果ては自分の腕を試したい戦士まで押し寄せてきた。
リヴはその都度嬉しそうに報告してくる。
彼女の声には、自分の故郷が賑わう喜びが満ちていた。
同時に、ネクロス領の奪還も順調に進んでいる。
ギルディアと面している地域はほぼ完全にアストレイの管理下に置かれ、戦乱の跡地だった場所には新しい壁が築かれ、人々が再び住み始めている。
ここまで来た。
本当に――ここまで。
ヴァルデン領を出てから、俺はずっと前に進むことで精一杯だった。
でもいま、初めて振り返る余裕ができた気がする。
俺とリヴは開拓地を見下ろす丘に立っていた。
新しく整えられた土地が夕陽に照らされ、赤く染まっている。風は柔らかく、草の香りが心地よかった。
「……ここまで来たんだな」
自然と声が漏れた。リヴは俺の隣で静かに頷く。
「クロム様のおかげです」
「リヴがいてくれたからだ。あの日の……繋がりがあったから、俺は踏み出せた」
リヴは胸に手を当て、目を閉じる。
頬が少しだけ赤く染まっていた。
「……あの時のこと、ずっと……忘れられません。クロム様が流してくれた想いが……あまりにも温かくて……怖いはずなのに、全然……怖くありませんでした」
「俺もだ。リヴの想いが、全部俺に届いた。あれほどまっすぐな温かさを感じたのは……初めてだ」
風が二人の間を通り抜ける。
夕陽が長く影を伸ばし、影と影が自然に重なる。
「これからも……頼むぞ、リヴ」
リヴは静かに微笑んだ。
その微笑みは、どんな宝石よりも澄んでいて、強くて、優しかった。
「はい……わたしは、ずっと……クロム様のお側にいます」
その言葉に胸があたたかく満たされる。
戦いの中で触れ合った魂の温度が、また蘇る。
俺たちの影は、夕陽の中でひとつに重なり――そして、そのまま夜へと溶けていった。
あの日、魂が触れ合った感覚は、今も胸の奥で静かに燃えている。
きっとこれからの未来を照らす灯のように――消えることはない。
第六章はここで完結です。
第六章ではバルドリアとの武闘大会。
久々に書いた戦闘シーン。
テンポ重視しつつも力をかけて描いたつもりです。
バルドリアにも認められたことで、今後どのような展開を巻き起こすのか楽しみにして頂けたら幸いです。
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